文学者たちの大逆事件と韓国併合 : 高澤秀次著








高澤秀次 著(平凡社)

これまで中上健次の文学を中心にユニークな考察を行ってきた文芸批評家高澤秀次の新著『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(新書判・234頁・760円・平凡社)が刊行された。本書が刊行された2010年はこのふたつの事件からちょうど100年にあたる。日本近代史の「闇」の部分、おぞましい暗部を象徴しているこのふたつの事件は、同時に日本近代史の本質的な認識にとって避けて通ることの出来ない大きな問題でもある。高澤は本書でこの問題にこれまでなかった斬新な切り口を通してアプローチすることにより、日本近代史の認識、さらにはその歴史的構図のなかに位置づけられる文学者たちの認識に重大な変更を迫ろうとする。率直にいってその問題提起は新書という限られたスペースで扱うには大きすぎて、議論が十分に深まらないままになっているところも存在する。だがそうだとしも本書が含む問題提起の重要性、本質性はいささかも揺らがない。
                   
 今や古典的な名作といって差し支えない中上健次の『千年の愉楽』のなかに次のような文章がある。周知のようにこの小説は、差別の対象とされてきた紀州熊野の「路地」に生きる産婆オリュウノオバの目から見た、この「路地」に生きるひとびとの生死をテーマとしているが、そのオリュウノオバの連れ合いだった礼如はある日突然出家して浄泉寺という寺の住職になる。ところでこの寺にはかつてひとりの僧がいた。「前の和尚は(……)、実のところ怖ろしい悪人だった者を他から呼び話をきかせ天子様に弓を引く計画をしたとして監獄に入れられ首をくくられたと聴いたが、その和尚なら路地の者たちがどうなったか心配で路地の周りをさまよいかねない、とオリュウノオバは考え、丁度、通りかかった半蔵を呼びとめ。「幽霊みた言うて、怖ろしいことないど」と言った」。
 この「前の和尚」が、大逆事件で捕縛され獄中で縊死した新宮の僧高木顕明をさしていることはいうまでもない。この『千年の愉楽』という作品にはじつは深く大逆事件が影を落としているのである。このことが中上の文学を理解する上で極めて重要な意味を持つことを高澤は本書で明らかにする。それがどのようなものであるかに立ち入る前に、まず本書で高澤が提示している、大逆事件と韓国併合が日本近代史の構図に与えた本質的な意味について概観しておこう。
                   
 「プロローグ」で高澤は次のような認識を示している。「この1910の出来事には、「大日本帝国」の自立のための犠牲という、象徴的な意味が重なっていた。神聖不可侵の統治者である天皇が、その「臣民」との間の不朽の絆を確認する上で、社会主義者・幸徳秋水を首謀者とする大逆の企てをフレームアップしたのは、近代国家の内部規律引き締めのためのいわば「通過儀礼」でもあった」(7頁)。大逆事件とは、「大日本帝国」が一個の閉じた内部として確立されるために必要であった外部、すなわち内部から排除されるべき「日本人ならざる者」という「ネガティヴな表象」を作り出すための企てだったのである。いうまでもなくこうした外部としての「日本人ならざる者」には、もうひとつの要素である「朝鮮」が対応する。だがそれは、大日本帝国が外部としての朝鮮を植民地としていわば内部化する過程を通して対応しているのだ。大逆事件と韓国併合はこのように大日本帝国という内部が外部を創出する過程において重なり合いながら、ベクトルとしてはちょうど反対を向く形で相補関係にあるのである(8~9頁)。高澤はこのふたつの出来事が持つこうした位相を踏まえながら、それが近代日本文学に与えた影を検証する。もちろんそれは文学の領域だけにとどまる問題では終らない。すでに述べたようにそこには近代日本史をどのように読み替え、どのように再構成し直すかという問題へとつながるからである。
                  
 すでに明らかなように高澤は本書の議論においてある種の人類学的・民俗学的な概念装置を踏まえている。それは、共同体が成立するために不可欠であった「聖」と「ケガレ」の二元論である。共同体は自らの内部を確立するために内部を超越論的に逆照射する外部を必要とする。その外部は通常ふたつの対照的な位置価を持つことになる。ひとつは文字通り超越的な位置価、言い換えれば「聖」の位置価である。それが「カミ」を意味することはいうまでもない。その一方この外部は共同体の負う「ケガレ」、禁忌や汚辱を一身に押し付けられて共同体から追放・排除されるべきものという位置価も持つ。被差別部落の起源にこのような問題が存在することは周知の通りである。遡れはそれは高天原を追放された「反逆者」スサノオのイメージへとゆき着くであろう。とするならば大逆事件において「聖」なる外部としての天皇の権威の確立と、「日本人ならざる者」という「ケガレ」を一身に背負わされた幸徳以下の「反逆者」たちの処刑が対応していたことはある意味では必然的だったといってよい。

 だがこの過程の持つ意味はそれだけにはとどまらない。「聖」と「ケガレ」を外部へと排除するメカニズムは儀礼という非日常的な場においてのみ可視的でなければならないからだ。逆に言えば、共同体の日常において内部はあくまで内部として完結していなければならないのだ。外部を超越論的に排除するメカニズムは日常においては絶対的に不可視でなければならない。そこには、外部へと排除されると同時に、外部である限りにおいてぎりぎり可能となる主体のアイデンティティさえも剥奪し擬似的に内部へと回収する力学が働く。それは外部としてマーキングされる存在そのものを根源的に否定する力学に他ならない。このことがはっきりと現れるのが、植民地朝鮮のひとびとの「大日本帝国」の「臣民=日本人化」であり、さらには沖縄・アイヌ・被差別部落のひとびとの「臣民=日本人化」であった。この怖るべき排除と内部化の二重の循環構造のなかではじめて「大日本帝国」という共同体の内部はあたかも永遠不朽の絶対秩序のごとき様相を確立するのである。
                   
 このように見てくるとき、高澤が引用している中上の次のような言葉が重要な意味を持つ。「柳田(ママ)男の「毛坊主考」に触発された中上健次は、「つまり毛坊主とは、共同体(ここでは被差別部落)が否応なくはらんでしまう触穢(しょくえ)と浄化の二つを一身に体現する人間である」(『紀州――木の国・根の国物語』)と、その本質を言い当てている」(121頁)。
 ここで中上が企てようとした文学の本質的な意味が明らかになる。ケガレ=触穢=排除と存在剥奪としての内部化の循環のなかで逼塞させられてきた日本近代史の影の部分を本質的な意味で復権させ再生させるためには、そこに「浄化」という新たなファクターを導入する必要があるのだ。この「浄化」が「ケガレのキヨメ」を意味することはいうまでもない。だがここで注意しなければならないのは、中上のなかでこの「キヨメ」が共同体の内部秩序への穢れた存在の回収を意味するのではなく、「戦争」を意味しているということである(第五章)。中上は大逆事件を「日本で起こった架空の南北戦争」(116頁)と形容する。紀州熊野の「路地」という場から見たとき大逆事件は、いわば外部が「大日本帝国」という内部と繰り広げた「戦争」に他ならなくなるのである。「キヨメ」とは、存在を奪われた者たちが自らの存在を取り戻すために排除と存在剥奪としての内部化の怖るべき循環構造に向けて企てる根源的な戦いを意味するのである。このとき高澤が次のようにいっていることに注目しなければならない。「大逆事件は中上にとって、ただの「市民戦争」ではなかった。何故なら「路地」の住人は悉く、近代の「市民」=「四民(士農工商)」の外部にあった「新平民」だったからだ。彼らは「眼から火が吹くような屈辱」(「六道の辻」、『千年の愉楽』)を潜って、「市民」の列に加わったのであり、それは大逆事件のはるか後年のことだったのである」(123頁)。

 この引用の後半が内部化の過程を意味することはいうまでもない。問題なのはそこに「眼から火が吹くような屈辱」が伴なっていたという事実である。それは直接には「新平民」を認めようとしない共同体の内部との軋轢に由来している。ただ問題はもっと深いところにある。この過程には繰り返しいうように外部であることを強いられる存在の側の存在剥奪が伴っているからである。それは裏返していえば、自らを失うことなしには内部化を果たしえない存在の屈辱に他ならない。この二重に設えられた怖るべき循環を脱しない限り外部化された存在の真の再生はありえないのだ。いうまでもなくこのことはもうひとつの極である朝鮮にもあてはまる。そしてそこにはもうひとつの重要な要素である「言葉」の問題が加わる。朝鮮の植民地化は朝鮮(韓国)語と日本語のはざまで苦しむ多くの在日世代を生み出した。そこでは言葉こそが内部と外部の「戦争」の苛烈な戦場とならざるをえなかったのである。本書でとりわけ印象的かつ衝撃的なのは、この言葉の戦場における戦いにもっとも深くコミットした在日詩人金時鐘の影響下から出発した梁石白が、『夜を賭けて』において一気にこの戦場に彼方にある、日本も朝鮮も沖縄も突き抜けたユートピアにまで至ったことに照応する「日本」側の文学の不在である。おそらくこの不在には、梁のユートピアのはらんでいる底知れない屈辱の深さと重さに拮抗するものの不在が対応しているのである。ただ本書で高澤はかろうじてそうした拮抗の可能性を垣間見せているひとりの作家を取り上げている。それは小林勝である。戦後共産党の武装闘争に参加し早くに亡くなった小林の文学は今ほぼ忘れられてしまっているが、高澤は小林の文学を、植民地朝鮮の側が味わった深い屈辱に拮抗する「日本」人の屈辱の深さを提示しえたほとんど唯一の存在として掘りおこす(第四章、第七章)。

 ところでもはや紙数がつきかけているので詳論することは出来ないが、じつは「日本」自身が「大日本帝国」への途上において言葉の戦場を体験しているのだ。それは「言文一致」運動、「国語」の創出においてであった。日本の近代化のもうひとつの指標というべきこの言葉の戦場において、じつは大逆事件と韓国併合が持った排除と内部化の屈辱に満ちた循環構造が最初に確立されたのである。そしてそこにこそ柳田國男の「新国学」も金田一京助の「アイヌ語研究」も位置づけられねばならないのである(第一章)。そして同時にそこには柄谷やジジェクの書評で触れた「抑圧されたものの回帰」というテーマが明滅している。夏目漱石の問題、三島由紀夫の問題などまだまだ触れねばならない問題があるがその余裕がなくなってしまった。私個人としては高澤が中上文学の新たな読み方を示してくれたことに深く感謝したい。高澤自身が今後このテーマをより本格的に展開してくれることを切望する。(2011.2)

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