スピノザの方法 : 國分功一郎







國分功一郎 著(みすず書房)


一年間にわたるドイツ・ライプツィヒの滞在ももうまもなく終わろうとしている。このブックハンティングの原稿をドイツから送るのも今回が最後である。
そういうわけで3月に入ると帰国が迫ってきていろいろあわただしくなってきた。帰国に備えての荷物の整理、書籍や資料の仕分け(今回ライプツィヒにもってきた和書はほとんどをライプツィヒ大学日本学科に寄贈してゆくことにした)などに追われる日々が始まった。ところがそんな最中に衝撃的なニュースが日本から飛び込んできたのである。いうまでもなく311日の東北太平洋沖大地震の発生である。ふだんほとんど日本のニュースを報じないドイツのテレビや新聞が連日地震とその後の津波の被害、さらに福島第一原発の災害についてトップで報道し続けた。伝わってくる情報、そして映像はいずれも目をおうようなものばかりだった。私事になるが私の生まれ故郷は宮城県の仙台市である。両親が早くに引越したので暮らしたことはほとんどないが、仙台が私にとって故郷であることはまぎれもない事実である。実際親戚はまだいるし、私自身子供のころからしょっちゅう仙台には帰省していた。その仙台をはじめ宮城県の各市町村が無残に破壊され多くの犠牲者を出したことに胸ふさがる思いがする。帰国したら私も私なりに故郷のためにやれることをやりたいと考えている。

てこの地震の問題に先立って、とくにヨーロッパで連日大きく報じられていたがアラブ・北アフリカ地域の民衆革命だった。チェニジアから始まりエジプト、リビア、イエメン等に及ぶこの民衆革命のうねりは、日本の地震とはまた別な意味で全世界に衝撃を与えている。今リビアへのNATO軍の介入が始まりふたたびいわゆる「中東」地域に戦争が勃発しつつある。連日地震のニュースとリビアのニュースを交互に報じるドイツのテレビを見ながら私は次第に奇妙な思いにとりつかれていった。このふたつの出来事にはむろん共通性はない。両方がほぼ同時に起きたのは偶然にすぎない。だが起こった出来事から事後的にみるならば、ふたつの出来事からある本質な類似性が見えてくるのではないか。そう思えてならなくなってきたのである。 

回の東北太平洋沖大地震は日本付近のプレートの接触面に巨大な圧力がかかってひずみが生じたため岩盤が崩落して発生したといわれている。地球という巨大なシステム内部の動き次第にひずみ(矛盾)を形成しある日突然巨大地震という破局に至ったということである。アラブ・北アフリカ世界はどうか。この地域はまず石油という現代でもっとも重要な戦略物資の生産地である。さらにはパレスティナ問題を軸とする「中東問題」の震源地である。またそうした政治状況との関連で冷戦時代、ポスト冷戦時代を通じてアメリカがサウディアラビアを始め宗主的な独裁国家を一貫して支援してきた地域でもある。かつてはソ連への対抗のためだったが、1979年のイラン革命以降はイスラム思想に主導されたアラブ・イスラム民衆革命が勃発するのを阻止するためだった。イスラム原理主義=テロリストという図式に基づく対テロ戦争はそうした民衆革命の抑圧のための口実に過ぎなかった。アラブ・イスラム民衆革命による宗主的独裁体制の崩壊は、まず第一にアメリカの石油戦略に致命的打撃を与えるからであり、第二にはこの地域におけるアメリカのエージェント「国家」であるイスラエルの存続を危機に陥れるからである。これらの地域でムスリム同胞団やハッマース、ヒッズボーラなどの民衆の支持を得た組織が選挙で多数派となっても、アメリカは宗主的独裁権力が武力で彼らを弾圧して政権に居直るのを容認してきた。アメリカン・デモクラシーなどというものは虚構にすぎないことは明白である。しかも近年では擁護されるべき利害は新自由主義のもとでアメリカ一国というよりグローバル化した世界市場経済そのものになっていた。伝えられる情報によるとエジプトのムバラクもリビアのガダフィも数兆円にもぼる蓄財をしていたそうだが、そうだとすればこれら宗主的独裁者もまたグローバル経済の恩恵を受ける利害当事者になっていたことになる。こうした利害共同体の圧力のしわ寄せの犠牲になってきたのがこの地域の民衆だった。独裁者の途方もない蓄財額からも明らかなようにグローバル経済のもたらした富が民衆までまわることはなかった。つまり民衆という社会の「プレート」には徐々に巨大なひずみ・矛盾が蓄積されつつあったのである。今回の民衆革命の勃発はまさにそうしたひずみ・矛盾によって社会の岩盤が崩落し強烈な反発力が働いた結果である。その意味ではアラブ・北アフリカの民衆革命はグローバル社会という「地球システム」で起こった「地震」に他ならない。 

北太平洋沖大地震に話を戻せば、すでに地震後10日以上がたっても孤立した地域や援助の行き届かない地区が解消されないという事実に突き当たる。小泉内閣とともに本格化した日本の新自由主義政策は、地域の拠点ともいうべき郵便局、行政の出先機関、銀行の支店等のネットワークをずたずたにしてしまった。グローバル化の波によって地域のコミュニティの保全力が著しく衰退し一元化された巨大物流に頼らないと生活できない情況が生み出されていたのである。原子力発電もその要素のひとつであることはいうまでもない。そのことが今回の地震後の惨状、窮状の大きな要因になっていることを私たちは見落としてはならない。その意味では今回の地震とともに生じた状況は、新自由主義的なグローバル経済がどれほど地域を中心とする生態ネットワークとしての「地球システム」にダメージを与えたかを如実に物語っているといえよう。地震の被災者とアラブ・北アフリカの民衆はグローバル経済の犠牲者という点で通底する。
あらためて私たちは今問わねばならない。真の民衆の自立、地域のコミュニティの自立はどうしたら可能となるのか、単一世界市場の支配に代わる遠心的・拡散的なコミュニティネットワークによる社会の再生をどうはたしてゆくのか、を。

311日以後私の精神状態は一変してしまった。ただただドイツから日本のすべての人たちが、とりわけ行政からも企業からも見放されて孤立する被災者の人たちがなんとか無事であってほしいと祈る日々が続いた。正直にいってとても書評の原稿を書くというような精神状況にはなかった。日本を離れている分だけ不安や焦りがつのるのだった。しばらく前に、昨年の夏偶然アムステルダムの国立美術館のショップで会った國分功一郎が『スピノザの方法』(A6判・359頁・5400円・みすず書房)を公刊したことを知ったので、日本の友人に頼んで送ってもらうことにした。そして読み始めるや否や、その精密で犀利極まりないスピノザのテクストの読解と解釈、今までほとんど誰も指摘してこなかったスピノザの「方法」に内在する諸問題の堀り起こしなど、たいへん優れたスピノザ論であることがすぐ分かったのでライプツィヒから送るブックハンティングの最後はこの本にすることを決めていた。そして帰国に備え早めに原稿をまとめようとした矢先に地震のニュースが飛び込んできたのである。胸にむらがり起こる様々な思いからとうてい平静な気持ちで書評の原稿を書く気にはなれなかった。したがって國分には申し訳ないが平素のようなスタイルの書評は今号では取ることができなかった。

だがその一方、すでに述べたような民衆の自立の問題、コミュニティの自立の問題はじつは本質的にはスピノザの問題ではなかったということに思い至った。私はスピノザの思想を考える上で中心となる問題、概念が三つあると考えている。すなわち「事後性」「受動性」「自己産出性」である。そしてこの三つの問題はいずれもたんに哲学的であるだけにとどまらずすぐれて政治的な問題でもあるのである。「事後性」は、第一原因や主体、自己意識といった根源=本質を起源として位置づけようとする発想を根本的に顛倒しようとする。すべては生じた結果から逆に思考しなければならないということである。「受動性」は今述べたこととも関連するが、主体=主語の能動性に、言い換えれば自己を起源として設定することに定位しようとする発想への反措定である。主体もまた何ものか自らを超えるものから受動的に贈り与えられるものとしてあるということである。以上のような問題を総合するとき見えてくるのが「自己産出性」に基づく世界存在論の構想である。人間と自然は対立するものではなく、むしろ人自然の自己産出性のトータルな作動過程に人間存在の創成の過程もまた含まれ位置づけられるのである。こうした「事後性」「受動性」「自己産出性」という三つの契機から見えてくるスピノザの思想は、およそデカルト主義を宗主とする近代ヨーロッパ思想の正系とは異質なものだった。そして重要なのは、その異質性によって私たちはスピノザの中に、近代ヨーロッパ思想の正系がついに見出すことのできなかったオルタナティヴの可能性を見出すことが出来るのではないかということである。とりわけ自然や人間を資源として搾取し蹂躙することを旨としてきた近代ヨーロッパ思想(その帰結が新自由主義であることはいうまでもない)に対抗し、自己産出性としての自然、あるいはその社会的現実態としての民衆に真の意味で根ざした世界を創造するためにはどうしてもスピノザの思想が踏まえられねばならないのである。

こうした問題意識を持って國分の本を読むとき、たとえば「事後性」の問題は、スピノザ思想の根幹に関わる「方法」に内包された「逆説」の問題として明らかにされている(第一部)。また「受動性」の問題は、デカルトの「神の存在証明」に対するスピノザの内在的読解をたどることによって浮かび上がってくるスピノザの「神=最高存在者」と存在の関係の問題として取り上げられている(第二部)。また「自己産出性」の問題は、そのデカルトとの格闘の末に見出されるスピノザ思想の核心というべき「自己原因」論として論じられる。これはそのままスピノザの主著『エチカ』の根本問題ともなる(第三部)。このように國分は本書でまさにスピノザ思想のもっとも根幹に関わる問題を鮮やかに抉り出すことによって私たちの前に今までなかったような鮮やかなスピノザ像を提示して見せるのである。そして繰り返しになるが、それはたんに哲学的な問題というだけにとどまらないすぐれてアクチュアルな課題を私たちに突きつけるのである。
おそらく本書が学問的にもっとも評価されるのは第二部のデカルト問題についての記述であろう。スピノザは単純にデカルトを批判したわけではなかった。それどころか國分によればスピノザはデカルト主義者でさえあった。ただしスピノザが一貫してデカルトの中に見ようとしたのは「あるべき」デカルト、「ありえたはずの」デカルトであった。だが現実のデカルトはそれを裏切ってしまったのである。先行思想をどのように乗り越えてゆくのかという問題についてもこのスピノザのデカルト読解は私たちに多くの示唆を与えているように思われる。(2011.3)

吉本隆明と共同幻想 : 高橋順一




高橋順一 著(社会評論社)


評者 小林敏明
(ドイツ・ライプツイヒ大学教授


高橋順一の頭の抽斗のなかには何でも入っている。大げさに言えば、そのなかにはただ「知らない」という言葉が入っていないだけである。だが、それがこれまで彼の書き物を不幸にしてきたことも確かな事実であると思う。しかし、本書はそういう博覧強記の高橋にしては例外的な著作と言わねばならない。なぜならここであつかわれる対象はそのまま彼の代替不可能な一生を左右した事柄であり、それゆえに彼はいやおうなく肉声で告白気味にも語らなければならなくなっているからである。あのがむしゃらに書かれた、二十数年前のほぼ処女作といえるヘーゲル論『市民社会の弁証法』(弘文堂)と並んで、私が本書を高橋の重要な著作に数え入れたいと思うゆえんである。
 旧友どうしであることからくる馴れ合いを避けて、忌憚のない感想を述べてみたい。共有した体験を含めて論じてみたいことはつぎつぎに湧いてくるが、ここでは本書に直結してもっとも重要と思われる二点だけにしぼって論ずることにする。

第一点は初期吉本のキーワードとも言うべき「関係の絶対性」という概念をめぐってである。私にはこの概念はかつてから一貫してわかりにくかったし、今でも相変わらずわかりにくい。あっさり言うと、なぜ吉本はこれをたんに「客観的現実」と表現しなかったのか、その「意図」が本人からも、また彼を解釈する者たちからも明確に説明されてこなかったからである。それは廣松渉の一見よく似たテーゼ「関係の一次性」に当初から著者による綿密な理由づけがなされていたのと対照的でさえある。本書のなかでも高橋はこの概念が自明であるかのようにあつかっているが、それは吉本ワールドの読者にしか通用しない「黙契」にすぎない。

では吉本はなぜ「現実」ではなく「関係」という表現を選んだのか。思想史のコンテクストから見ると、これはマルクスの有名なテーゼ「人間は社会的諸関係のアンサンブルである」に発していると思う。ただし、吉本はこれをたんに「社会」の次元だけにとどめることなく、そこに同等の重みをもって「自然」との関係を読もうとしたがゆえに、たんに「関係」と表現したのである。言い換えれば、彼にとって「人間疎外」という「関係の絶対性」は社会からの疎外だけではなく、自然からの疎外でもあらねばならなかった。じじつ若きマルクス自身がそういう論議をしている(『経済学哲学草稿』参照)。そして同時にそれは当時の硬直した唯物論の唱える「物質」「現実」「実践」といった概念に対するアンチ・テーゼでもあった。「客観性」を「絶対性」に置換したのもおそらく同じ動機に発している。

同様に当時の唯物論に対するプロテストは、もうひとつの吉本用語「逆立」にも如実に現れている。周知のように、唯物弁証法なるものにとっての動力源は「否定」ないし「矛盾」である。これがなければ、弁証法は動くことができない。だが、吉本はこの「否定」「矛盾」をあえて「逆立」と表現する。高橋の明快な説明によれば、「逆立」とは「一方の側に立つとき、他方が消去される関係のあり方」である。このかぎりではこの概念は論理的に「矛盾」と変わらない。注意されなければならないのは「消去」という表現である。関係としての現実が観念を「消去」する、というのは当時流布していた俗流唯物論の反映論の考え、すなわち現実としての「物質」こそが「観念」に先行し、後者は前者の「反映」にすぎないという素朴な考えと同じ方向のことを言っている。ところが吉本=高橋の「逆立」を一貫させれば、逆に観念もまた関係の側を「消去」できるのだ。ここには明らかに「観念」や「思想」はけっして「物質」に還元しきれるものではないという信念がはたらいている。その意味でそれは通俗唯物論への根本的なプロテストなのである。これは梅本克己など当時の「主体性」論者や吉本の「宿敵」だった丸山真男などにも共有されていた信念である。

この「関係の絶対性」に関連して高橋のおもしろい「持論」がこぼれ出た例外的に長い脚注がある。それは恋愛における「嫉妬」の解釈である。高橋はこう述べる。「吉本風にいうと嫉妬とは「観念の絶対性」が無媒介な「観念の恣意性」へと変容し、そのまま「関係の絶対性」に入り込んでいったとき生じる感情といえるだろう」。おもしろいというのはこの先である。高橋はここに自らの体験に基いて、「関係の絶対性」の側に立って嫉妬として現れる「観念の恣意性」を滅却することこそが「恋愛関係の理想形」だとつけくわえる。高橋はさらにこの論理をもとにして、かつての新左翼運動の負の遺産「内ゲバ」を説明しようとしていて、そのアレゴリーに従うかぎりでは納得できなくはない論理なのだが、しかし後に述べる「対幻想」の原点とも言える恋愛論としては、これはいささかお高くとまりすぎている。恋愛とは、むしろおたがいが「恣意性」にも陥ることのある「観念の絶対性」のなかで足掻き、悶えることのなかにしかありえないものだからである。「関係の絶対性」の側についた恋愛とは、ほかならぬ恋愛の消滅以外のものではなかろう。そもそも「逆立」はその対立項を「消去」するはずではなかったか。この関連で「絶対性」と「恣意性」はどのような関係にあるのかを物象化やイデオロギー化の文脈で論ずることもできるが、すでに言い古されている話なので、ここでは立ち入らない。
 第二点は本書の中心テーマ「共同幻想」をめぐってである。題名どおり本書の最大の力点もここに置かれている。吉本の有名な個体幻想、対幻想、共同幻想の幻想トリアーデは、もともとヘーゲルの家族、市民社会、国家に着想を得たものであろうことは、これまでにもよく指摘されてきた(ちなみにエンゲルスの家族、私有財産、国家も同列に加えてよい)。しかし日本には彼よりずっと以前に同じところから着想を得た者に「種の弁証法」を唱えた田辺元がいる。だからこの吉本のトリアーデが田辺の個、種、類を連想させるのは不思議ではない。つまり、吉本の共同幻想論の骨格は思われているほど特異なものではないということだ。

特異だったのは、吉本がこのトリアーデのもつダイナミズムの源泉を対幻想に求めたところにある。言い換えると、高橋も強調しているように、国家論の成立過程にフロイト的エロースないしリビドーの論理を持ち込んだところにある。それは当時画期的だった。とはいえ、この対幻想はたんなる男と女のペアないし夫婦をモデルにした対幻想ではない。吉本=高橋によれば、なかでも「兄弟姉妹」の対幻想こそがそのポイントになるという。この対幻想は「起源としての共同幻想」に外部に向けた空間的拡大をもたらすがゆえに、そこから「国家としての共同幻想」への移行を可能にする結節点となる。だから高橋はこの結節点に着眼して「共同幻想の解体と無化の戦略的ポイントは原理的には、この「兄弟姉妹」関係として現われる対幻想のベクトルを逆向きにすることにある」と言う。詳論はしないが、この観方はさまざまな観点を含んでいて、『共同幻想論』のなかでももっともおもしろいところかもしれない。高橋は言及していないが、これまで吉本のなかにこういう視点を読み込みえ、それをさらに展開しえたのは、おそらく小説家の中上健次ただひとりだけであっただろう(『枯木灘』『風景の向こうへ』参照)。
 
さらに高橋の共同幻想論の解釈で興味深いのは、「根源としての共同幻想」と「国家としての共同幻想」のさらなる「彼岸」に「像=イメージとしての共同幻想」を想定し、そこに後期吉本を位置づけしようとしている点である。この三段階は、ありていに言ってしまえば、原始共同体から国家の形成を経て、さらにそれを超えたマス・イメージの支配する時代へと変遷する時代変化に対応している。ある意味でこれは、吉本を含む日本人が戦前から今日にかけて歩んできた時代の変遷でもあり、そのプロセスの後追い的説明としてはそれなりの説得力があるだろう。だが、問題はこの先にある。吉本が一貫してその思想の拠点としてきた「大衆の原像」は、本当にこの浮遊した個からなるマス・イメージなるものに賭けられるものなのだろうか、また賭けてよいものだろうか。この問いは吉本のマス・イメージ論と並行して進んだ、いわゆるポスト・モダン論議を今日どう総括するかとも直結する問題と思われるが、本書を読むかぎり、この点に関する高橋の判断は保留になったままである。それはまた本書のあとがきが二〇一一年四月二八日の日付で書かれているにもかかわらず、私にはもはや判断停止としか思われない、この間の吉本の原発に対する発言について、高橋自身があえて自らの発言を封じていることにも象徴されている。その決断に踏み切ったとき、高橋はようやく自らの「自立の思想」を打ち立てることになるだろう。