『<主体>のゆくえ 日本近代思想史への一視角』  :小林敏明





小林 敏明著(講談社選書メチエ




本書は、廣松渉と西田幾多郎に関する優れた著作で知られる小林敏明の最新書である。ドイツで研究生活を続ける小林は、もともと現象学的精神医学と哲学の関わりというテーマから出発したのだが(『精神病理からみる現代思想』)、次第にその思索と研究の対象を日本へと向けていった。そこに彼がドイツの大学で日本学を講じているという外的な事情が関わっているのは間違いないだろう。しかしそれ以上に小林が、自らの思想的な出発点となった廣松からの影響に対して、たんに祖述という形ではなく、廣松の思想的出自、源流にまで遡ってその思想的輪郭の全体像を描くという形で応えたいというモティーフが関わっていたのではないかと思う(廣松渉 近代の超克』)。その結果小林が見出したのが西田であり、さらには西田を中心とする京都学派のエコールであった。小林はすでに二冊の優れた西田論(『西田幾多郎 他性の文体』『西田幾多郎の憂鬱』)を書いているが、そこでは小林の精神医学についての深い知見や精緻を極めた評伝的探究ともあいまってこれまでの伝統的な西田研究にはない斬新な視角が多々示されている。そして小林のこうした研究姿勢は近年いよいよ京都学派そのものに向けられつつあるといってよい。

京都学派というと、悪名高い「世界史の哲学」の問題も含めてすでに思想的には「死せる犬」という見方が一般的である。だが小林は、廣松、さらにはそこから西田の問題へと遡る過程を通じて、京都学派の哲学にはいまだ未発掘の課題が残っていることに気づく。何よりも京都学派の哲学は明治維新とともに始まった西欧哲学の移入の過程のなかで、日本人が自前の思索を通して最初に作り上げた思想体系であり、そこには意識するとしないとにかかわらず現在の私たちの思考をも規定しているさまざまな遺産が蓄積されているのだ。したがって京都学派の哲学は西欧哲学の移入と祖述のレヴェルを超える日本独自の思想体系として、その後のさまざまな思想的営為にとって好むと好まざると避けて通れない前提となっている。小林はそうした京都学派の哲学に潜在する思想的ポテンシャルを発掘・再発見することが、ともすれば目先の流行に追われ過去をたやすく忘却しがちな日本の思想の本当の意味での成熟と厚みの獲得にとって不可欠な課題だと考えているのだと思う。
                   
そうした問題状況のなかで小林が見出したのが「主体」という言葉の変遷の問題であった。いうまでもないが「主体」は和語ではない。明治以降の近代化のプロセスにおいて西欧から移入された概念の翻訳語である。小林はまずこの翻訳の過程に注目する。そして「主体」という翻訳語が定着してゆく過程そのもののうちに一個の思想的ドラマを見出すのである。
 「主体」の原語は”Subjekt(subject)”である。ところがこの原語の本来の意味に対して「主体」という訳語は精確に対応していない。むしろそこでは、原語の意味を離れた独自な「シニフィアン」の戯れが生じているのである。それが、「翻訳語が成立していくなかで日本語/漢語のシニフィアンがはたした数奇な役割」(11頁)を生み出してゆく。だが、そうしたシニフィアンの一人歩きの淵源が、じつはSubjektという言葉の帰属している西欧思想のコンテクストそのものにも由来しているのをまず小林は指摘する(第一章)。やや煩雑なこの章の議論を敬遠するむきもあるかもしれないが、私は逆にこの章を注意深く丁寧に読むことを奨める。その後の「主体」をめぐる思想的ドラマの土台がここで示されているからである。結論だけをいえば、アリストテレスの「ヒュポケイメノン」(基体)とラテン語の「ズプスタンティア」(実体)という本来別な言葉が一体化されたこと、そしてこの「基体=実体」にはsub‐(下に)という意味が含まれることをまずしっかり押さえておかねばならない。そこから近代においてデカルトが「実体」を「精神」と「延長」とに分別した上で人間の「私ego」と身体に事実上「実体」を限定し、その延長線上に「主体」の原型ともいうべきカントの「超越論的主観性」が登場する道も開けるからである。そしてそれは「下に」あるはずの基体=実体が逆に「上に」置かれるという顛倒の生じる過程でもあった。その結果が基体=実体の「主体」化である。あるいは「わたし」化といってもよい。この「下」「上」の顛倒にじつは「主体」をめぐるドラマの根源があるといってもよい。さらにもう一点つけ加えておけば、このような基体→実体→主観・主体という道筋は近代においてあまりにも強固に自明化されてしまったためSubjektをそれ以外の回路で理解するのは強度に困難だった。だがそのなかでもあえてこの回路の自明性を疑う思想家たちが存在した。その代表格がニーチェとハイデガーである。後のフロイトの「エス」の起源となった「それが思うes denkt」というニーチェの表現は、明らかにデカルトの「我思うcogito」への反措定であり、ハイデガーの「実体(ズプスタンティア)」の「主体(スプイェクトゥーム)」へのすりかえの批判もまた「わたし=主体」の自明性への批判に他ならなかった。
 
以上のような「主体」をめぐる問題史のコンテクストを見ると、日本において「主体」という翻訳語が定着し、とりわけ哲学の領域のなかで次第に独自な意味合いを帯びてきた経緯にじつはその問題史のコンテクストが投影されているのを強く感じる。一言で言えば、日本、とくに本書の中心というべき第三章から六章までの西田哲学から始まり京都学派を経て戦後主体性論争へといたる過程には、素朴に主観=主体という図式のなかで理解されていた「主体」という言葉(この言葉の定着過程を探査する第二章には推理小説的面白さがある)が、その前提となる主客図式や精神と身体の二分法ともども思考自身のレヴェルにおいて、さらには先ほど触れたシニフィアンの数奇な戯れという次元において、徹底的に翻弄されてゆく様が現われている。「エス」と「コギト」という両極のあいだで「主体」がさまざまなコンテクストのうちへと姿を変えながら受肉されてゆくのである。とくにその焦点となるのが(本書のクライマックスといってよい)西田の「場所の論理(述語論理)」と三木清の「歴史哲学」の問題である。西田は主客分立以前のいわば「エス」の段階に定位しつつ、「主語(わたし=主観)」ではなく「述語」のほうが語る事態を捉えようとする。それが生じるのが「場所」である。また三木は、歴史のなかで「つくり-つくられる」相互関係として働く主体の身体性をも含む実践的契機に着目し、やはり単純な主観性哲学の限界を超えようと試みる。そこには当時の時代状況が色濃く反映されている。ひとつはマルクス思想の影響である。本書における小林の最大の卓見のひとつが西田におけるマルクス思想の影響の跡づけであり、さらにそこに介在する「弟子」三木の逆影響の論証であることは疑いを入れないであろう。またもう一点、小林の、戦争とファシズムへ向かう状況のなかで登場する高山岩男や高坂正顕らの「世界史の哲学」が、政治的文脈からだけでなくむしろ、「主体」概念をめぐる思想的文脈から出ていることの論証も鮮やかである。とくに西田に由来する「主体的無の立場」が「近代の超克」イデオロギーの根底をなしているという指摘は思わず膝を叩きたくなる。

その上で戦後主体性論争の問題を見るとき(ここでは小林の真下信一の評価が印象的である)、そこにおける主体的唯物論の立場が基本的に京都学派の延長上にあること、そのことが「主体」という概念にあるネガティヴな要素を付与した(とくに経験的実証主義の立場からのこの言葉の評価)の指摘が重要である。同時に、この時点で「主体」という言葉のコノテーションがほぼ明確な枠組みを失い本来の意味での概念の生命力を失ったという印象を禁じえない。したがって一見「主体」という言葉が過剰に乱舞したかに見える一九六〇年代後半の「反乱の季節」は、むしろ「主体」という言葉がほとんど意味の規定性を失って拡散から消滅へ向かう発端にもなったのである。小林がここで指摘している問題としてとくに重要なのは、全共闘運動のなかで叫ばれた「自己否定」の論理が、主体性による主体の否定という背理(主体的に否定・批判されるべきなのは主体自身である)を生むとともに、内部粛清や自死という悲劇の根拠ともなったという指摘である。これは当時の運動をどう思想的に総括するかという課題にとっても重要な問題提起となるだろう。

そして最後に構造主義からに一撃による「主体」の消滅がやってくる。こうした「主体」というシニフィアンの変遷と消滅の歴史が私たちに何を語っているのだろう。それはたんなる歴史でもないし概念の相対性の証明でもない。逆説的に聞こえるかもしれないが、そこで証明されているのは「主体」をめぐる問題群の不死性ではないのだろうか。それは肯定的な意味だけではない。放っておけばいつでも「主体」の問題は再帰してくる。そして「主体」の無自覚な再帰はそこに潜んでいる問題性をも再帰させるのである。とするならば私たちあらためて「主体」という言葉に対して自覚的であらねばならないはずである。そこに本書における小林の問題意識もあったのでないかと思う。(2010)


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