占領と平和 :道場親信


道場親信 著 (青土社)



今月も、先月の香内三郎『「読者」の誕生』に引き続き、700頁を超える浩瀚な大著を取り上げることになった。道場親信の処女作『占領と平和』(A6判・720頁・4200円・青土社)である。
 道場は、1967年生まれのまだ30代に属する若き社会学者である。同じ世代には、すでに数多くの著作を公刊している酒井隆史や渋谷望、丸川哲史らがいるが、彼らが主として欧米・アジア地域を対象に、ポスト構造主義理論やポストコロニアル理論、あるいは社会学理論の先端的な成果などを駆使した犀利な議論を展開してきているのに対し、道場もまた酒井たちと同様に雑誌『現代思想』という先端的な場を舞台にしながらも、理論そのものというより、日本の戦後の歴史認識のあり様や構造に関する膨大な資料分析に裏打ちされた研究を行ってきた。そうした道場の論文が一見地味な印象を与えるにもかかわらず、じつは極めて刺激的な内容を含んでいることに『現代思想』の池上編集長をはじめてとして多くの読者が気づいていた。ただ酒井や渋谷たちに比してなぜか道場の場合、著作の刊行が遅れた。だがここにようやく一冊目の著作が、それもすでに触れたように700頁を超える大著というかたちで公刊されたのである。まずこれによって、道場のこれまでの仕事の全容があきらかになったといってよいだろう。そしてそれは道場の仕事が持つ重要な意味を広く社会に伝える力になるだろう。
                
道場の仕事の持つ意味は私たち日本人の戦後をめぐる歴史意識の根幹に関わってくる。周知のように今年は、日本が戦争に敗北した1945年からちょうど60年にあたる。あらためて60年前の戦争の意味について、あるいはその後の60年にわたる戦後日本の歴史について様々な議論がおきている。ただ、例えば従軍慰安婦問題が「記憶のポリティクス」にからめて論じられた10年前の戦後50年のときと比べ、議論の構造や構図がかなり大きく変化しているように感じられる。逆にいえば、そうした議論の構造や構図の変化が、戦後50年以降の10年の時間のなかでおこったことを照射しているということも出来るだろう。
 この10年日本は国家レヴェルにおいて、国旗・国歌法の制定、有事法制の整備、自衛隊海外派兵の敢行、9・11以降のアメリカの「帝国」的な武断主義戦略への積極的かつ全面的な加担などに明確に現れているように、戦後の歴史の中で形成され一定の枠組みとして機能してきた国家行動の制約条件――例えば「集団的自衛権」の否定――を次々にかなぐり捨ててネオ国家主義への道を歩んできた。そしてそれと呼応するかたちで登場してきたのが日本国憲法第9条を否定したいがためだけの改憲論議であり、扶桑社版歴史教科書に象徴される、過去の日本のアジアにおける戦争および侵略の責任を真っ向から否定し、むしろ逆に「東京裁判史観」あるいは「自虐史観」の否定というかたちでそれを正当化するような言説の横行であり、その総仕上げとしての首相靖国参拝である。靖国神社とは、過去の日本軍が犯した暴虐な侵略行為や集団殺戮を「自衛」の名において正当化し、それに加担した軍と戦没兵士を「神=英霊」として浄化し、かつ国民をその「神」への慰霊と崇拝を軸とした国家鎮魂共同体へと服属させる――「九段の母」!――近代国家神道の拠点に他ならない。そのことの象徴が東条英機以下のA級戦犯合祀である。その様な場所を日本国首相が参拝するのは、日本国家が敗戦国として第二次世界大戦の終結に際して受け入れた無条件降伏=敗戦の立場や侵略戦争の責任を問うた東京裁判の結果等々を全部否認すると内外に宣言することを意味する。そうした意味を持つ首相靖国参拝に対して、被侵略側であり「戦勝国」の側でもある中国と韓国が激しく反発し抗議するのはあまりにも当然なことであるといわねばならない。だがこの10年日本社会の内部では、この種のネオ国家主義(再国家ファシズム化への道)への批判と抵抗の力が確実に衰退してきている。小泉や石原への支持率が相変わらず下がらないことに現れているように、日本人はむしろそうしたネオ国家主義への傾斜を肯定し促進しているともいえる。ではなぜそうなるのか。

そのとき改めて浮かび上がってくるのは、日本の「戦後」が形成される過程のなかにインプットされた巨大な「忘却」装置の所在でありその機能である。この「忘却」装置を通して日本人は、「敗戦」を「終戦」と言いくるめたことに象徴されているように、第二次世界大戦でさえもひとつの、禍々しくはあるが一過的なエピソードとして「無害化」してしまった上で、「戦前」から「戦後」へとじつに滑らかかつ連続的なかたちで移行していったのである。そしてその移行を可能にするため、とりわけこの「忘却」装置の重要な標的となったのが、植民地帝国としての日本の過去と天皇制の問題だった。「平和と民主主義」の言説はこうした「忘却」にメッキされた外被にすぎない。この点でそうした言説を実体的に捉えた小熊英二の『民主と愛国』は誤りを犯している。                                                      少し前置きが長くなったが、道場の今回の著作が行おうとしているのは、まずアメリカの占領政策のもとでこの「忘却」装置がどのように機能し、その結果日本人がどのように戦後国家の秩序の中に滑り込んでいったかの検証である(本書第Ⅰ部参照)。その検証のために道場は一つの指標を立てる。それは、戦後の日本で流行した種々の日本(人)論のさきがけともいえるルース・ベネディクトの『菊と刀』である。
 道場によればこの本はニュートラルな意味での日本論一般ではない。敗戦後に日本を統治したアメリカ占領軍の占領政策の立案に深く関わるかたちで書かれた本なのである。つまり『菊と刀』は、総力戦として展開される20世紀の戦争のなかで、「科学動員」(63頁)の一環として、とりわけアメリカ軍の対日政策形成過程への学者・研究者の動員の過程において成立したのである。より具体的に言えば、すでにソ連との冷戦が開始されたさなかにあって、いかに円滑なかたちでアメリカの東アジア反共戦略の要となるべき日本の占領政策を推進するかという課題と『菊と刀』の主題はリンケージしていたということである。

その際に道場が着目するのは、ベネディクトの議論が極めて具体的な形で天皇の扱いに関する方針策定に関わっていたという事実である。ベネディクトは当時のアメリカ人類学の主流である「文化相対主義」の立場に立って日本文化固有の類型整理を行うのだが、そこでベネディクトによって再創造・再構成された日本文化の類型(伝統構造)が、具体的に「なぜ日本軍はさしたる抵抗もなく唯々諾々として武装解除と降伏に応じたのか」の説明原理となるのである。ベネディクトに拠ればそれを可能にしたのが天皇の存在に他ならない。
そしてもう一点ここでベネディクトの天皇観を通じてきわめて重大な認識が示される。それが「象徴としての天皇」という認識である。「天皇は責任ある国家の元首ではなく、日本国家の統合の象徴として役立つものであった」(本書115頁のベネディクトの引用)。この認識が最終的には、東京裁判のウェッブ裁判長に代表されるような、天皇の戦争責任を厳しく問おうとする強硬派の議論に対して、マッカーサー、キーナン検事、元駐日大使のグルーらに代表される天皇の戦争責任を不問に付そうとした穏健派の議論が勝利する根拠となる。日本統治は天皇なしには成功しない、なぜなら天皇は日本の国民統合の「象徴」だからだ――こうした議論が占領軍内部で行われていたことを、道場は精緻な資料分析にもとづいて明らかにするが、この天皇象徴論はいうまでもなくアメリカ統治下で制定された日本国憲法第1条の天皇規定にそのまま採用されることになる。ということは、日本国憲法における天皇の象徴規定は、憲法理念そのものからではなく、敗戦後のアメリカ軍の対日占領政策形成過程のなかから――そのなかに『菊と刀』も位置づけられる――出てきたものであるということになる。もちろんそれだけではない。道場も触れているように、日本側でも津田左右吉と和辻哲郎たちが、戦前から連続するかたちで天皇象徴論を展開しており、両者の相乗過程において象徴天皇制の設計原理が出来上がるのである――これは道場に尋ねたいのだが、戦後象徴天皇制のデザイン過程に小泉信三や入江相政は関わっていなかったのだろうか、あるいは先駆者としての西田幾多郎の役割はどうだったのだろうか――。
 
さてこの過程にもう一つ関わるのが、ある意味において道場が本書でもっとも論じたかったテーマであると思われる「第二次世界大戦や東アジアにおける植民地経験の意味をめぐるより根底的な考察」(14頁)の問題である。象徴天皇制は天皇という存在を通した日本の「国体」の連続性を担保した。この担保によって、戦後日本国家は戦前からの連続性の中で国家としての枠組みと原基を再確立できたのである。こうした象徴天皇制による日本国家(国体)の再確立に対応するのが、敗戦および占領とともに生じた「国土」の変容に関わるかたちでの日本国家の「再定義」「再構成」である。このことには主として二つの課題が対応する。一つは「在日朝鮮人・台湾人管理をはじめとする非「日本人」の隠蔽と管理、そして同化」(195頁)であり、もう一つは「沖縄の非日本化」(193頁)であった。この二つの課題の遂行を通して、かつ象徴天皇制の設計原理がそこにリンケージされることによって、例えば津田左右吉の議論に典型的に現れているような、「単一民族国家」という「他者なき日本」の原型的イメージが出来上がったのである――これに関して道場が発掘した資料『司法研究報告書第二輯第三号 日本に存在する非日本人の法律上の地位』はたいへん貴重で興味深い――。

天皇制が近代の産物であり、日本古来の伝統と称される様々な事柄がごく近い過去に創られた=捏造されたものに過ぎないという事実と、そこに込められた極めて政治的な文脈について、道場の本はあらためて教えてくれた。冒頭で触れた今の日本社会の状況が、じつは巨大な「忘却」装置としての「戦後」が作り出した様々な言説や自己認識によって、より正確に言えばその饒舌さの核心に潜む空白と不在によって形作られていることをあらためて感じる。本書には第Ⅱ部で論じらている「「冷戦体制」というシステムに対する反システム運動としての運動経験をつなぐ作業」(15頁)というもう一つの大きなテーマがあるが、それについて論じる紙幅が尽きてしまった。この第Ⅱ部の課題が、第Ⅰ部における憲法問題に深く関わる形で提示されていることだけを指摘しておこう。いずれにせよ本書は戦後60年の節目に出たもっとも重要な成果と断言して差し支えないと思う。(2005.7)

0 件のコメント:

コメントを投稿