社会性の哲学 :今村仁司の遺書





今村仁司著(岩波書店)


─暴力と贈与の視点

今村仁司の死の約2ヵ月後に遺著『社会性の哲学』(岩波書店)が刊行された。この著作で今村はその思想者としての歩みの柱であった暴力と贈与の問題を改めて論じている。
 
今村の社会哲学的思考においては、「なぜ社会は存在するのか」「いかにして社会は生成するのか」という、それ自体としては実証的に記述することの不可能な問いの境位がつねに根本的なモティーフとなっていた。そのとき今村の問題意識を支えていたのは、一見静止的に対象化=実体化されているように見える社会の下層には、その表層次元の静止作用によって見えなくされてしまっている流動的・力動的な葛藤や闘争の契機が隠されているという認識だった。そうした認識を踏まえ、今村は歴史の表層の下方へと埋もれてしまって見えなくなってしまったアルカイックな根源の領域に迫ろうとしたのである。
 そこで見えてきたのは、暴力と贈与の契機がからみあいながら対象化=実体化された社会的実定性を不断に揺さぶり続ける一種の永久運動(ペルペティーレ・モビーレ)のごとき層位に他ならなかった。社会のもっとも核心的な「内部」にありながら同時に社会が産み出す実定性のもっとも根源的な「外部=他者」としての意味を持つこの暴力と贈与の契機のからみあいの領域・層位を露わにさせることこそが今村の社会哲学の根本課題となっていったのである。そのことをはっきりと私たちに伝えているのが『社会性の哲学』に他ならない。

人間存在はある「過剰なもの」、あるいはその「過剰なもの」に起因する根本的な不均衡性を宿命的にはらんでいる。そしてこの「過剰なもの」とそれがもたらす不均衡性は、人間存在の根源的な層位に深い亀裂をもたらす。この亀裂はいわば人間存在に穿たれた裂け目といってよい。「過剰なもの」から絶えず備給される「なにものか」、さしあたりは「それes」としか呼びえないものが人間存在の根源的な層位に裂け目を穿つのである。
 この亀裂・裂け目は別な言い方をすれば、人間存在の不連続性の証しといってもよい。人間存在が宿命的に負う亀裂、裂け目、言い換えればその根源的な不連続性の契機が問題とされる次元は、世界や社会・歴史の存立以前の、決して哲学的・科学的な言説によっては対象化=実体化されえない次元、いわばそうした実定性の底を打ち破ることによって初めて浮上してくる次元なのである。この実定性が無底化される次元において露わになる人間存在の根源的な不連続性、不均衡性に促されて発動される人間の非対象的な存立機制を明らかにすることこそが、「なぜ社会は存在するのか」「いかにして社会は生成するのか」という問いにとっての出発点となる。
 
「過剰なもの」は極めて危険なものである。なぜなら「過剰なもの」はそれがそのまま放置されるとき、「過剰なもの」にさらされている存在の定常性・均衡性を脅かし、ついにはその存在そのものの破壊へと至りつくからである。社会性の次元を繰り込んでいえば、人間存在はこの危険な過剰性を解消し存在の定常性・均衡性を回復させるための様々な手段を生み出してきた。それらは共通して供儀や犠牲・いけにえの儀礼と呼ばれるものであった。そしてこの供儀や犠牲・いけにえの儀礼の基本的なファクターをなしているのが贈与と死の暴力なのである。神に捧げられる供物にせよいけにえにせよ、それらは対価を求めない贈与であり、同時に儀礼空間という日常の定常的な秩序を引き裂き、そこに不連続性をもたらす瞬間の顕現において、また犠牲・いけにえを殺戮する行為において暴力としての性格を帯びる。ではこの犠牲という形に凝縮する贈与と暴力の契機の持つ意味、その機制を、先に言及した社会性の生成以前のより根源的な人間存在の次元・層位に遡って解明しようとするときどういったことが見えてくるのか。それに対する答えを模索しようとしているのが『社会性の哲学』の第一部第一篇「存在の贈与論的構造」である。以下その内容を追っていってみよう。
 
まず「はじめに」のところで今村は「社会性とは、さしあたり友好と闘争のあらゆる関係づけの集合である」と言った上で、それは「客観的観察の立場からいえる」(『社会性の哲学』5頁。以下本書からの引用は頁数のみを記す)ことに過ぎないと記す。ここで今村がいう「客観的観察の立場」が、社会をすでに記述可能なものとして自明化している立場を意味することはいうまでもない。今村はそれに対して次のようにいう。「当事者の個人の立場に立っていえば、個人とは社会性を拒否し、外部に対して閉じた宇宙を作り上げていると感じている」(同)。ここで今村は、個人としての人間存在の持つ「存在感情」(8頁)がいわば社会性の成立以前の段階に属しているという認識を示している。
 
さてではこの社会性以前の個人の次元において贈与と暴力の契機はどのように問われ、かつ、それがどのような形で社会性の形成へと結びついてゆくのだろうか。「個人間には飛び越し不可能な深淵があることを、人間に内在する原理的な交通不可能性とよぶことにしよう。原理的に、すなわち「生得的に」あるいは本性的に、個人間の交通(関係)が不可能であるなら、社会なるもの、および社会から派生するあらゆる現象はありえない。にもかかわらず、経験が教えるように、社会は事実的に存在しているし、家族と市民社会を統制する国家なるものも事実的に存在している。社会や国家は、どのようにして原理的不可能性を乗り越えたのか。あるいは何が原理的不可能性を飛び越すことを許したのか。これこそが社会哲学の本来の課題である」(67頁)。
 この問いに対し今村は贈与と暴力の契機をはらんだ犠牲の論理とメカニズムを社会性の平面・次元の形成の原動力であるという答えを示す。「交通の原理的不可能性は、複数の「人間」が社会以前的な「群れ」をなして生きている状態のなかで、突如として特定の個人または少数者を排除し犠牲にするとき、乗り越えられる。社会的交通の原理的不可能性という深淵は、犠牲形成をもって跳び越すことができるようになる。犠牲とは、抑圧や差別に関わるすべての現象を包括する行為であり、それは究極的に殺害に至る。この意味での犠牲を作ることが社会なるものを成立させるのである。要するに、犠牲制作が社会性を可能にするのである」(7頁)。
 
犠牲の論理はすでに言及したように「過剰なもの」の解消の論理である。だがそこには「過剰なもの」を解消しようとして新たに「過剰なもの」の契機を呼び込んでしまうという逆説が含まれる。それは、「過剰なもの」の暴力性・危険性を解消しようとしてあらためて異質な暴力性を生み出してしまうという逆説に他ならない。犠牲の論理が社会性の平面を形成する論理でありうるのは、犠牲の論理のうちにそうした逆説が含まれるからである。言い換えれば、犠牲の論理とは人間存在の根源に横たわる「過剰なもの」の暴力性を社会性の平で動き出す暴力性へと転轍させるメカニズムに他ならない。つまり犠牲の論理は暴力の反復と累乗の論理でもあるのだ。その中核をなしているのが、一者ないしは少数者をいけにえとする「全員一致の暴力」(ルネ・ジラール)としての犠牲制作の暴力の行使なのである。あるいはここで犠牲の論理のうちに自己保存と自己破壊の循環を見通そうとした『啓蒙の弁証法』の「オデュセウス論」におけるアドルノの考察を想い起こしてみてもよいかもしれない。
 だが依然として問いはそこでは終わらない。「しかしなぜ人間は犠牲をつくることなしに社会または共同体をつくることができないのだろうか」(同)という問いがさらに生じるからである。今村はこの問いを究明するために、自ら「長い迂回路」と呼ぶ、「この原初的事実〔犠牲や排除の具体的事実〕の人間学的由来」(8頁)を明らかにするための考察へと進んでゆく。

今村がまず問おうとするのは、人間存在の原初的な「存在感情」(同)である。それは次のように捉えられる。「身体を媒介にした人と環境との関係は、なによりもまず「感じる」(感情)によって結ばれる。人のこの世への出現ないし到来は「生誕」とよばれるが、この到来としての生誕は「環境世界へ投げ入れられている」ともいえる。しかしこの投げ入れは、投入するものが存在しないところの投げ入れである」(同)。
 今村が社会性を無底化する個としての人間存在の存在感情の次元を問おうとするときいっさいの世界性をエポケーするまさに過剰性――根源的な他者=外部性――と呼ばれるべき存在論的層位が浮かび上がってくるのである。そしてこの過剰性のあり様を表現しているのが、「投入するものが存在しないところの投げ入れ」という今村の言葉に他ならない。
投げ入れる主体=主格が存在しない以上そこに現出しているのは、いかなる超越(論)的な能動-受動構造も構成されえない、あえていえば純粋な受動性の、つまり「純粋贈与」の境位なのである。                    
 
こうした純粋贈与にもとづく存在感情が社会的なものの形成に向けて一歩動き出す境位を、今村は二つの契機を通して解明しようとする。一つは「自己贈与」の契機であり、もう一つは「負い目」の契機である。その両者に関係について今村は次のように言っている。「原初の場面では、社会関係はまだ問題にならない。人は自己の存在を贈与または所与として情感的に「理解」している。与える働きを具現するもの(神であれ人であれ)はない。人はひたすら自己の存在を「与えられたもの」として感じ取るだけである。(……)これが原初的に存在するときの最初の側面であった。しかるに、人は存在を与えられたもの、すなわち贈与を受けたものとして感じるとき、不在的で不可視の「与える働き」に対して負い目の感じをもつ。存在を「与えられて-ある」と感じたときに、またそのときにのみ、「与える働き」は、あたえられたものの「意識」ないし「体験」のなかで、負い目を引き起こす。存在感情をもつ生命体だけが、負い目をもつことができる。(……)これが第二の側面である。第三に、負い目感情は必ず負い目を解消するように人を動かす。負い目感情はどうでもいいことではない。負い目は不完全性のしるしであり、マイナスの記号をつけられる。もし生存することを自己保存とよぶなら、自己保存は負い目という欠如を埋め続けなくてはならない。生きることは負い目を不断に返すことに等しい。(……)ともかく負い目感情によって、原初の存在場面において人は何かに向かって負い目を返す義務を感じ、またその義務感によって自己を贈与する。贈与の働きは個人の内部で同種の贈与行為を反復させるが、自己贈与もまた「与える働き」の個人における反復である」(478頁)。
 
与える主体なき純粋贈与の境位は、人間存在のうちにその贈与を反復しようとする動きを喚起する。この瞬間、純粋贈与のうちに痕跡として保存されていた生命体としてのリズム=循環が完全に終焉する。そしてそれを失った代償に人間存在は「自己贈与」の契機を獲得するのである。だが同時にそれは「負い目」というかたちで自己の「不完全性」、すなわち不均衡な過剰性、逸脱を自覚する瞬間でもある。それは、別なところで今村がいっている言葉を借りれば、人間存在が「自己の「ある」が「根源分割」であること」(18頁)を自覚する瞬間でもある。この「負い目」という過剰性がもたらす「根源分割」、すなわち亀裂・裂け目において、人間存在は純粋贈与の境位を脱して、いわば純粋贈与に対する対抗贈与としての、より正確に言えば対抗的なかたちでの贈与行為の反復としての「自己贈与」を発動するのである。そしてこの「自己贈与」は究極的には自己の身体や生命を投げ出し与える行為へと行き着くという意味で、犠牲の論理へと接合されてゆく。それは別な角度からいえば、「負い目」にもとづく「自己贈与」の発動の過程のなかに、自己の生命を何らかの理由・目的で破壊するという死の暴力の契機が隠されていることを意味する。
 
「負い目」とは人間存在のただ中に現れた一種の空隙である。あるいはそうした空隙をもたらす根源分割線、ずれといってもよい。この空隙からあふれ出る過剰なものが、負い目-自己贈与-犠牲の論理を通してもっとも原初的な意味での社会的なものの平面形成へと向かうのである。そしてこの負い目-自己贈与-犠牲の論理は暴力と贈与の契機を一つに結び合わせながら社会性の平面の下層において不断に蠢動し続ける。それが社会形成のアルカイックな根源、力動性に他ならない。そしてそれは、つねに事後的にしか、言い換えれば「不在的現前・現前的不在」という形でしか捉ええないものであるがゆえに、客観的記述の準位を超え出る「社会哲学」的認識と言説が必要とされるのである。そしていかなる社会的実定性のレヴェルにおいても不在であるこの層位ぬきには社会は生成しえないことを今村は本書で明かそうとしているのである。(2007

新音楽の哲学   :Th.W.アドルノ著




Th.W.アドルノ著
龍村あや子 訳(平凡社)



アドルノの音楽学者としての仕事のうちもっとも重要なものが『新音楽の哲学』であることは衆目の一致するところであろう。周知のようにアドルノはフランクフルト大学で哲学を学び1924年に学位を取得した後、翌1925年にウィーンへ赴き、アルバン・ベルクの下で作曲法を学んでいる。もともとオペラ歌手だった母やピアニストだった叔母の影響で音楽に早くから親しんでいたアドルノにとって音楽は彼の人生にとって不可欠なものだったが、このベルクとの出会いはアドルノのその後の生涯において思想の問題と音楽の問題が不可分な形で一体化する直接的な契機となった。ベルクは、20世紀の初頭のウィーンにおいて近代ヨーロッパ音楽の歴史を根底から覆す「新音楽」の創造にたずさわっていたA・シェーンベルクの弟子であり、そのベルクを通してこの「新音楽」に出会ったアドルノはたちまちそのもっとも熱烈かつ戦闘的な支持者となったのである。アドルノはベルクの下で学ぶかたわらウィーンで発刊されていた「新音楽」の理論誌『アンブルッフ』の編集スタッフに加わり、その誌面を通じて音楽学者としての本格的な活動を始めたのであった。
 
 ここで「新音楽die neue Musik」という言葉について触れておこう。アドルノは20世紀に現れた音楽を表すのに使われる「現代音楽」という一般的用語を避け、その代わりに「新音楽」という言葉を用いる。その背景には一つの明確な態度決定がひそんでいるように思われる。20世紀の音楽といってもそこには多様な傾向が含まれるが、その中でも中心的な存在といえるのがシェーンベルク、I・ストラヴィンスキー、そしてB・バルトークだったことはおおかた異論のないところであろう。「現代音楽」という言葉は、この三人の存在を軸に多様に展開される20世紀の音楽状況全体を客観的な形で総称する言葉であるといってよい。だがアドルノはこうしたニュートラルな見方を厳しく斥ける。20世紀の音楽状況において真に「新しい」(=創造的)といいうるのはシェーンベルクによって創設された傾向のみであり、ストラヴィンスキーやバルトークの音楽によって代表される傾向はむしろある種の退歩をしか意味していないとアドルノは考えるのである。すなわち20世紀の音楽の全体が新しい=現代的なのではなく、唯一シェーンベルクの音楽のみが真の意味で「新しい」のである。したがってアドルノの用いる「新音楽」という言葉は、20世紀の現代音楽全般を表す言葉というよりも、20世紀の音楽状況に対するアドルノの価値判断を含む言葉、より端的にいえば、20世紀の音楽はシェーンベルクに始まる「新音楽」の流れにおいてのみその歴史的、時代的本質を明らかにしうるというアドルノの明確な立場を示す言葉ということが出来る。
 
 こうしたアドルノの音楽学者としての立場がもっとも明確かつ原理的に示されているのが本書『新音楽の哲学』(B6判・349頁・3200円・平凡社)に他ならない。もし本書に現代音楽全体の概観やその背景についての解説を求める読者がいたとすればただちに失望するであろう。本書において取り上げられているのはシェーンベルクとストラヴィンスキーだけであり、しかもストラヴィンスキーは批判と否定の対象としてのみ取り上げられているにすぎないからである。さらにいえば本書は通常の意味での音楽書ではない。本書では、アドルノがベルクとの出会い以来温めてきた20世紀音楽のあり方、その本質にをめぐる認識と思考が、その源泉というべきシェーンベルクの音楽にそくして原理的に展開されているが、その認識と思考には音楽という領域をはるかにはみ出す諸要素が同時に含まれている。本書が最初に刊行された1949年という年に注目してほしい。この本書の刊行年は、本書の執筆された時期がナチズムと戦争の脅威から逃れてアメリカに亡命していた時期であること、それゆえに本書の執筆時期が亡命期の体験をスプリングボードとして産み出されたあのホルクハイマーとの共著『啓蒙の弁証法』やアドルノの思考のもっとも純粋な結晶体というべき断章集『ミニマ・モラリア』の執筆時期とほぼ重なることを指し示している。本書において展開されている認識と思考には明らかに『啓蒙の弁証法』や『ミニマ・モラリア』の内容と通底する要素、すなわち後期産業社会の現実とファシズムの暴力が時代に対してのしかかってくる状況の中で何が人間存在の、そしてそのもっとも重要な要素としての文化・芸術の存在の証しの最後の拠り所となるのかをめぐるぎりぎりの臨界的な思考要素が含まれているのである。こうした意味でも本書は稀有な音楽的思考の書、より正確に言えば「音楽を哲学する」書というべきであろう。
                   
本書は初訳ではない。本書の最初の翻訳はすでに1973年渡辺健の手で音楽之友社から刊行されている。ちなみこの時期アドルノの音楽書が、同じ音楽之友社から『不協和音』(三光長治・高辻友義訳)、『音楽社会学序説』(高辻・渡辺訳)、さらには白水社から『楽興の時』(三光・川村二郎訳)、法政大学出版局から『マーラー』(竹内豊治訳)と立て続けに刊行されている。今から振り返るとちょっとしたアドルノの音楽書の翻訳ブームだったのだがその割に反響は少なかったように思う。まだ十分にアドルノの受容のための基盤が出来ていなかったせいだろう。それには翻訳自体の問題もあった。訳者から分かるようにこの時期のアドルノの音楽書の翻訳にあたっていたのはおおむね独文学者たちだった。なかには優れた翻訳もあった――とくに『不協和音』と『楽興の時』――が、音楽の専門的な知識の不足と難解をもってなるアドルノのドイツ語の壁のために残念ながら日本語としては到底読むに耐えないものも見受けられた。今回本書を翻訳した龍村はドイツに留学し、戦後ドイツ最高の音楽学者の一人であるカール・ダールハウスの下で学んだ経歴を持つ優れた音楽学の専門家であり、ドイツ本国でアドルノ音楽哲学論によって学位を取得している。その意味で龍村は本書の訳者として望みうる最高の適材といえるだろう。龍村はすでに『マーラー』の改訳を刊行しており高い評価を得ているが、やはり本書の翻訳が彼女のアドルノの音楽思想への取り組みにおいて重要な里程標になるであろうことは想像に難くない。

 ここで具体的に旧訳と新訳を比較してみよう。本書の序論でアドルノの視座として目に付くのがヘーゲルの『美学』への言及である。それは直接的にヘーゲルの思惟の内容そのものへの関心というよりは、例の「芸術の終焉」やロマンティクへの批判に現れているヘーゲルの時代(歴史)意識に対する関心によっていると考えられる、そしてそれが、アドルノにおけるシェーンベルクによって代表される「新音楽」の歴史的意味の解明にとっての大きな示唆となっていたのである。それに関連する箇所をまず渡辺の旧訳で見てみよう。「新音楽の硬直は、絶望的な非真理になりはしないかという形成物の不安である。形成物は自己の法則への沈潜によって非真理を逃れようと懸命に努めるが、この沈潜が同時にまた非真理をも確実に増大させる。たしかに、今日の偉大な絶対音楽、つまりシェーンベルク派のそれは、ヘーゲルが、おそらくは当時はじめて解きはなたれた器楽の名人芸を横目で見やりながらおそれた、あの「無思想かつ無感情なもの」の反対である。しかしそのかわり、一種の、より高い秩序の空無を告知している。それは、「だがこの自己はその空虚さによって内容を逃してしまった」とヘーゲルが言う「不幸な意識」に似ていなくもない」(31頁)。
 
 これに対して龍村の新訳は以下のようになっている。「新音楽の硬化したありさまは、絶望的な非真理に対する形象自身の不安である。その形象はおのれの法則に沈潜することによって非真理から死に物狂いで逃れようとするのだが、そのことはまた同時に、整合性をとることによって非真理を増殖させてしまうことにもなる。/たしかに、今日の偉大な絶対音楽であるシェーンベルクの楽派の作品は、ヘーゲルが、おそらくは当時初めて解き放たれた器楽の名人芸を横目で見ながら心配したところのあの「思想や感情を欠くもの」とは正反対である。しかしながら、そのかわりに、一種のより高次の秩序の空虚さが存在を告げていて、それはヘーゲルの語るところの「不幸な意識」に似ていなくもない。――「しかし、その自己は、空虚さによって内容を手放してしまった。」(本書36頁)。
 
 両者を比較すると、龍村の新訳がより深くアドルノの思考文脈を踏まえたものになっているのが感じられる。例えば渡辺がそっけなく「確実に」と訳している箇所は、原語では「mit der Konsistenz」となっているが、龍村は「整合性をとることによって」と訳している。アドルノの思考においては、同一性へと帰着する整合的な思考はそれ自体本質的な虚偽性をはらむという認識が重要な意味をもつが、渡辺はこの表現の背後に潜むそうした問題を十分に認識していなかったというべきではないだろうか。つまり龍村のように「Konsistennz整合性」という言葉をたんなる修辞表現の要素としてではなく内容を伴った言葉として捉えるとするならば、首尾一貫した形で自己固有な法則にそくしながら自らを同一的な形象=作品へともたらそうとする努力そのものが、作品の非真理の源泉となってしまうという事態がここで問題とされていることが明らかになるのである。これは19世紀ヨーロッパの作品美学の最大の問題に他ならなかった。アドルノは『美学理論』の中で、ボードレールを引き合いに出しながら、作品そのものに刻み付けられた時代(社会)の傷(非同一性)こそが作品の真理の証しの重要な一端であるという認識を示しているが、このくだりはまさにその問題を想起させる。とするならば、古い作品美学に対置されるシェーンベルク派の作品は何においてその真理性を告げるのか。ここでも解釈上微妙な表現が問題になる。すなわち原語では「eine Art Leere höherer Ordnung」という表現である。渡辺は「より高い秩序の空無」と訳し、龍村は「一種のより高次な秩序の空虚さ」と訳している。この「Leere」は端的に高次な秩序の不在を意味するのではないだろうか。ここでアドルノがヘーゲルの「不幸な意識」を引き合いに出していることからもそれが窺える。自らのうちに分裂(アンチノミー)を抱え、たえず高次な統一を望みながらそこから追放されている状態が「不幸な意識」の意味するところだからである。それはまさにアドルノの見立てるモダニズム以降の芸術の本質に他ならない。
 
 いずれにせよアドルノの主著である『新音楽の哲学』が優れた新訳で刊行されたことの意義は大きい。同時期に刊行された若きアドルノの研究者竹峰義和の力作『アドルノ、複製技術へのまなざし』(青弓社)などとともに、70年代のアドルノ翻訳の時期やその後の現代思想ブームの時期に十分な形で果たされなかった本格的なアドルノの受容・研究がいよいよ始まったのを強く感じさせる。(2007.9)

ビフォア・セオリー 現代思想の<争点> :田辺秋守



 田辺 秋守著(慶應大学出版会)


「現代思想」という言葉があまり使われなくなってだいぶ経つ。もう「ポスト・モダン」なんか古いよ、とか、今さらデリダやフーコーでもないでしょ、などと軽薄な調子で口走る輩などは黙殺すれば足りるが、89年の冷戦終焉と01年9/11の事態によってもたらされた偏狭なナショナリズムへの志向と野放図な新自由主義的グローバリズムの跋扈が野合する状況の中で、「現代」という時代の意味を歴史認識の文脈に立ってきちんと把握すること、あるいはそれを時代状況と正面から対峙するための「思想」へと凝縮させてゆくことはますます困難になりつつある。それは、この時代を見通し、そこに内在するアクチュアルな課題を明確に浮かび上がらせる作業と、その課題の意味を本質的な次元にまで遡って検証し深化させた上で時代に対してもう一度投げ返してゆく作業を同時におこなうことの難しさといってもよい。この困難さのゆえに「現代思想」という言葉が使われなくなっていったのだとすれば、それだけ私たちの時代を覆う混迷の度は深まっているといわねばならない。とはいえ、拡散する時代の表層をただ上滑りにすべってゆくことを以って時代がわかったつもりになるような言語道断な仕儀へと逃避することは許されない。そうした困難さにたじろぐことなくぶつかってゆくことが「現代思想」の核心だとするなら、依然として「現代思想」という言葉には私たちにとって重要な意味が存在するはずである。
 
 そうした中、かつての「現代思想」ブームの担い手たちよりはるかに若い世代に属する田辺秋守が、あらためて「現代思想」の意味についての果敢な問い直しを試みた野心的な著作『ビフォア・セオリー 現代思想の<争点>』(A5判・254頁・2400円・慶應大学出版会)をこのほど刊行した。本書の特徴はまず、「現代思想」という概念の幅を広く柔軟に取るために、「思想」という言葉の変わりに「理論(セオリー)」という言葉を持ってきたところにある。田辺によれば「現代思想」とは、「現代/の/についての/のための/理論」(2頁)以上でも以下でもない。そしてそこから浮かび上がってくるのは「(1)アクチュアリティー(2)脱領域性(3)ラディカリズム(4)論争的性格」(同)という契機である。こうした「理論」としての「現代思想」の性格を踏まえる形で、田辺は「争点」、つまり「現代思想」と呼ばれる思想的=理論的営為の文脈の中で、「現代」という時代に固有な課題・問題性をめぐって生起してきたポレミークの(トポス)から「現代思想」の意味を問い直そうとする。ちなみに本書のタイトル「ビフォア・セオリー」は、田辺自身も言及しているようにテリー・イーグルトンの『アフター・セオリー』のもじりだが、「争点」となる場は同時に「理論」以前に属する、いわば「理論」の生成のための前段的条件が準備される場でもあることを示唆しているように思える。
                    
本書において田辺が設定した「争点」は、「モダンとポストモダン」「主体と他者」「イデオロギー論」「理性と非理性」「アクチュアリティーの所在」である。この五つの「争点」にそれぞれもっとも中心的に関わる「人」が配されている。「モダンとポストモダン」では、T.A.アドルノ、P・ビュルガー、F.ジェイムソン、J=F・リオタール、J・ハーバーマス、T・イーグルトンであり、「主体と他者」ではA・ルノー/L・フェリー、E・フッサール、E・レヴィナス、ハーバーマス、J・ラカンであり、「イデオロギー論」では、イーグルトン、マルクス、ハーバーマス、L・アルチュセール、S・ジジェックであり、「理性と非理性」ではM・フーコー、J・デリダであり、「アクチュアリティーの所在」では、フーコー、デリダ、I・ウォーラスティン、A・ネグリである。ただここからはさらに、もっともトピカルな存在としてマルクス、フッサール、アドルノの名を、そしてその三人を星座状に囲む形でレヴィナス、ラカン、アルチュセール、フーコー、イーグルトンの名を抽出出来るように思える。同時に本書が「現代思想」の書であることを念頭におけば、ここにニーチェとハイデガー、ドゥルーズの名がないこともまた留意すべきであるように思われる。つまりこの「人」の配置に、本書における田辺の周到な戦略が窺えるということである。
 
 田辺はまずアドルノに関連して、「現代」の原義である「モダン(モデルネ)」の位置づけを行う。それは、美的な意味での現代性である「モダニズム」の美学を通して行われる。すなわち自律性を帯びた芸術の持つ社会的な次元でのモダンへの抵抗と批判の機能こそが「モダン(モデルネ)」の位置を決定づける契機となるのである。より立ち入って見るならば、この「モダン(モデルネ)」の持つ社会的なモダンへの対抗・批判機能は、社会的なモダンが帯びている物象性・物神性に向けられる。そしてこの社会的なモダンの帯びている物象性・物神性の起源には資本主義的生産様式のメカニズムが存在しているという意味で、この抵抗・批判の機能はマルクスの「政治経済学批判」と通底してゆく。またその「政治経済学批判」の内容は、資本主義的生産様式によって産出される近代市民社会の支配的な日常意識、より正確には近代市民社会の支配的日常を自然性、永遠性として受け入れるための正当化の意識のメカニズムを暴くという課題にもつながってゆく。それが「イデオロギー批判」の問題であることはいうまでもない。

 興味深いのは、こうしたアドルノ―マルクスラインにおいて浮上してくる「モダン(モデルネ)」の抵抗・批判機能、より普遍的にいえば「イデオロギー批判」の機能との対比で田辺によって捉えられている「ポストモダン」の契機と意味である。この「ポストモダン」概念が一頃の「現代思想」談義の土台となっていたことはいうまでもない。田辺は、イーグルトンによる「ポストモダン」評価を援用しつつ、「ポストモダン」における「差異」「個別性」「異質性」「多様性」「文化相対主義」などの契機が、最終的には「共同体主義(コミュニタリアニズム)」と「自由主義(リベラリズム)」の最悪の継承者としての「ポストモダン」の性格を浮かび上がらせると指摘する。すなわち「ポストモダン」は、「モダン」をめぐる内在的な論議を深化させる代わりに、上記のような諸契機を通じて消極的な逃避形態としての相対性(共同体主義)と無制約な自由(自由主義)のお粗末なアマルガムを捏造したに過ぎないというのである。
 このあたりの「ポストモダン」評価は、一つにはドゥルーズ問題を省いたことに由来する面があるように思える。というのもドゥルーズのラインを踏まえて「ポストモダン」を捉えるとき、前に書評した岡本裕一朗の『ポストモダンの思想的根拠』(ナカニシヤ出版)において指摘されていたように、「ポストモダン」は批判的な政治性を帯びるからである。とはいえ田辺の視点が明確な一個の選択に貫かれていることは踏まえておかねばならないだろう。田辺の「現代思想」の「争点」をめぐる視座は、あくまで「ポストモダン」において生じた「差異の戯れ」式の没批判的な非政治性を許さないというところに根ざしているからである。だからこそ田辺は本書で、思想それ自身の内在的な評価は別としてそうした「ポストモダン」の非政治性の淵源となったニーチェ―ハイデガーラインをあえてオミットしたのだと思う。そうした田辺の姿勢は本書の締めくくりに現代の最もラディカルなマルクス主義者の一人であるネグリを持ってきているところにも現れている。
                    
全体の枠組みについての検討に思わず紙数を費やしてしまったが、本書の魅力はむしろ「争点」と「人」をめぐって繰り広げられる議論の細部にある。本書の魅力の背景をなしている最大の要素は、マルクスにはじまりジジェク、ネグリまで及ぶ広範なディスクルスの圏域を縦横に走破する田辺の思想的膂力の驚くべき高さにある。それを支えているのが、田辺のこれまで続けてきたテクスト読解作業の質の高さであることはおそらく間違いないだろう。田辺が読んできたテクストの量と範囲の広がりはいうまでもないが――それは後ろについている文献表で分かる――、それ以上に瞠目すべきなのは田辺の読みの正確さと鋭さである。種雑多なテクストを雑駁な形でしか読んでこなかった私などにとって、大量の文献を丁寧かつ正確に読破してゆく田辺の読解力の精密さは驚異以外の何ものでもない。例えば「理性と非理性」の章におけるフーコーの『狂気の歴史』をめぐる論議には、とりわけそれを強く感じた。フーコーにおける理性と非理性の分割(パルタージュ)の問題の文脈、とりわけ非理性と狂気がずれながら前者が監禁の対象に、後者が治療の対象になってゆくこと、さらには理性と帰責主体としての法的主体の関連が分割の問題の帰着点として問い返されてゆくことには大いに学ばせてもらった。そしてこの『狂気の歴史』におけるフーコーの議論を批判した『エクリチュールと差異』の中のデリダの論文「コギトと『狂気の歴史』」についても実に正確にその内容をダイジェストしてくれている。昔翻訳で読んでその難解さに頭をひねったのを思い出してしまった。またスロヴェニア出身の異能思想家ジジェクについて、イデオロギー論の文脈との関連で論じた箇所も唸らされた。とくにラカンの「象徴界」の概念を援用しながら物象化のメカニズムが二重の機能、すなわち人間関係の物どうしの関係への転化という「第一の物象化」に加え、それをもう一度幻想的な次元における人間関係への再還元する「唯名論的な還元」(132頁)が行われ、「象徴的」な代用物――「崇高な対象」――がイデオロギーの対象として定立されるというジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』の議論に関する叙述は、ジジェクの理論を日本の読者へ橋渡しする上で重要な意味を持つと思われる。ここには廣松渉の物象化論に先にある理論的可能性の地平が展望されるからである。それに加え田辺が、ジジェクの指摘する反ユダヤ主義を象徴的事例とするような「強制収容所」という20世紀に固有な政治支配の構造との関連で、「ラディカルな政治的創造力に対する<思考禁止>」(136頁)という問題を取り上げ、それがジジェクのいう「ラディカルな政治的試みをすべて「全体主義」――「テロリズム」?――というレッテル貼りで封殺しようとする現代のイデオロギーの一傾向」(同)の現われであり、それこそがジジェクの警戒するところであると述べているのは、昨年『情況』誌でジジェクも参加したエッセンのレーニン・シンポジウムを中心にレーニンの別冊特集を出したことを想いおこさせた。レーニンが再び最も現代的な思想家になってもおかしくない時代状況がたしかに今あるのだ。こういう文脈をあらためて想起させてくれるところに本書の最大のポイントがある。(2006.6)

現代日本哲学への問い :勝守 真




勝守 真著(勁草書房)




先月に引き続き日本の哲学者の著作を取り上げたいと思う。近年、物理学者のニールス・ボーアについてのおそらくはわが国で初めての科学哲学の分野からの本格的なアプローチとなる博士論文を完成させた勝守真の新著『現代日本哲学への問い』(B6判・241頁・2800円・勁草書房)である。とはいえ本書は勝守の本来の専攻分野である科学哲学に関する著作ではない。そこには、廣松渉・大森荘蔵・永井均・高橋哲哉という、1960年代から現在に至る日本哲学の流れにおいてもっとも中心的な役割を果たしてきた4人の哲学者についての論考がまとめられている。ではなぜ今勝守はあえて自らの専攻分野をはみ出す形で本書を刊行したのだろうか――念のために申し添えておくと、高橋を除く3人の哲学者は科学哲学者としても優れた仕事も残している――。それについて勝守は次のように言っている。「この国の哲学・思想界において、相互の率直な対話や、思考の原理的な対決を回避する姿勢がいまだに強く、また――それと密接に関連するのだが――思考の成果を根づかせることなく流行の<衣装>として消費する傾向が支配的であるとすれば、本書のテーマ設定は、そのような状況へのささやかな抵抗という意味を帯びることになる」(まえがきⅰ頁)。勝守が本書で目ざしているのは、対話や論争もなしに哲学・思想が徒に消費され忘れ去られてゆくこの国の状況に対して楔を打ち込むことである。例えば、勝守自身もいっているように戦後日本のもっとも重要な哲学者の一人である廣松の仕事は、今「<敬して遠ざける>」か「時代遅れのもの」と見なされて、「今日の言説状況との直接的な呼応関係をなかば閉ざされて」(3頁)しまっている。もちろんそれは廣松一人にのみ当てはまる現象ではない。本書で取り上げられている大森もそうだし、まだ亡くなって二年にしかならない今村仁司の仕事ですらそうなりかけている。ただそこには勝守が指摘する日本の哲学・思想界の問題に留まらないより深刻な事情も伴なっているように思われる。
 
 私は本書を読みながらやや奇妙な感慨にとらわれていた。ひさびさにカッコ抜きの哲学書に出会ったという感慨に、だ。いうまでもなく現在でも――出版事情が悪化しているとはいえ――多くの「哲学書」、「思想書」が出版されている。先月の熊野の『和辻哲郎』のように啓発される本も少なくない。にもかかわらず、そうした本を読みながら何かが欠けているという思いにかられることがままある。それはおそらく、そこに真の意味での思考が欠けているというもどかしさに由来している。もう少し具体的に言えば、情報や知識、事例などにとらわれず、あくまで思考そのものの過程に即しながらそこで胚胎されたモティーフを最後まで徹底的に考え尽くすという意味での思考――ひと昔前なら「思弁Spekulation」と呼ばれたものだ――の欠如である。そうした思考が誘う観念の堅牢な構築物と出会う喜びが哲学書を読む醍醐味ではなかったか。今そのような意味での哲学書に出会うことは極めてまれなことになっている。そこには現在の社会の深部に底流する思考拒否、批判拒否の傾向が反映されているといってよい。その裏返しが世界経済危機を生み出した新自由主義的な功利主義であったことはいうまでもない。だが本書はそうした時代にまっこうから対峙するまぎれもない哲学書である。最低限のデータを除けば、本書から手っ取り早く情報や知識を得ることなど望むべくもないだろう。代わりに本書に充溢しているのは勝守の徹底的に「考え尽くすdurchdenken」姿勢である。本書の読者はそうした勝守の姿勢そのものと付き合い通すことを要求される。率直に言って今の時代傾向に慣れた読者にとってそれは骨の折れる作業であろう。本書は決して普通の意味で「楽しい」本ではない。にもかかわらずもしそれに耐えぬけば、本書からまぎれもない真正の哲学的思考の世界が浮かび上がってくるのに出会うことが出来る。繰り返しになるがそれは現在の状況の中ではまれな、そしてとても貴重な体験となるはずである。そしてそれとともに、勝守が一見ランダムに見える形で4人の哲学者を選んだ理由も見えてくる。廣松・大森・永井・高橋はそれぞれ立場や思想内容は違っていても現代の日本哲学の世界においてまさしくdurchdenkenの姿勢を貫き通した思考者という点では共通しているからである。その意味で本書は何よりもdurchdenkenの呼応の所産に他ならない。
                    
さて内容をみていこう。今述べたように本書で取り上げられている4人の哲学者はそれぞれ立場や視点に大きな差がある。にもかかわらず勝守が本書でこの4人を同時に取り上げた理由、根拠は何なのだろうか。それは、今述べたこの4人の思考者に共通するdurchdenkenの姿勢と密接に関連している。例えば廣松は、近代における「もの」的世界像に対して物象化論の視座に立ちつつその錯視的性格を批判的に抉り出し、関係の第一次性に定位する四肢構造論に基づいて「こと」的世界観を提示する。大森は、過去の実在性の自明視の上に成立する過去知覚の考え方を否定し、過去が現在における想起であるという視点を提示する。永井は、デカルトによって一般化・普遍化される中で失われてしまった「この私」の唯一性・代替不可能性に基づいて世界の実定的な定立の手前に位置する「私」の絶対性を提示する。そして高橋は、記憶が失われ証言が不可能となる極限状況=語りの不可能性の状況(「アポリア」としてのアウシュヴィッツ)においてなお「語ることが不可能なことについて語る」可能性を探ろうとする。これらの仕事に共通しているのは、何の疑いもなく実定的・実体的な起源や根拠を立てて――それは具体的には近代的世界観や人間観、時間観を支える「憶断」、すなわちドクサである――、そこから因果論的に思考を展開してゆくような姿勢が陥る倒錯、物神性を徹底的に暴き解体した上で、あらためて起源の場所から思考を出発させてゆこうとする姿勢である。それゆえにこそ彼らの仕事は貴重であり、私たちの思考を触発して止まないのである。しかしそうした彼らのdurchdenkenにおいてすらも錯視や物象化・物神性が生じない保証はないのだ。それは、無前提・無条件という出発点そのものが実体化されない保証はないということであるし、そこから出発した思考がその構築物そのものの中で倒錯した実定性・実体性によって逼塞させられる可能性が存在するということでもある。勝守が彼らの思考との対話を通して目ざしたのは、物象化や物神性をもっともラディカルに否定しようとしたこの4人の思考者においてすらもある種の盲点が存在し、その盲点によって物象化・物神性が再帰してくる可能性を明らかにすること、したがってそうならないための創造的な再解釈や、彼らの仕事に潜在している、ひょっとすると彼ら自身も気づかぬままに放置していた「可能性」を掘りおこすことだった。
 
 廣松の、認識する主体の側も認識する対象の側もそれぞれ「以上の或るものetwas mehr als」という構造によって二重化された上で関係づけられるという四肢構造論は、それを構成している「主体」と「客体」の側の各要素が「現相的所与-意味的所識/能知的誰某-能知的或者」という形で二重化=差異化された上で関係づけられているがゆえに、同一性ではなく非同一性としての差異性によって規定されており、したがって各要素がこの関係性から切り離されて独立自存視(同一化)されたときには、非同一的なものが同一なものへと顛倒され固定化されるという物象化的錯視が生じる。したがって四肢構造論は廣松において物象化批判の要となっている(第1章第1節参照)。その一方この四肢構造は私たちに対して世界が現れるあるがままの所与相としても規定されている。するとそこに一つの問題が生じる。すなわち四肢構造は認識批判的な概念であると同時に世界の記述概念でもあるという矛盾の問題である。廣松はこの矛盾を周知のように「当事主体für es」には物象化された相があるがままの世界として現われに対し、それを批判的に打破する力を持った「学知的主体für uns」において初めて四肢構造があるがままに現れる、という形で克服しようとした。だがこの四肢構造がたとえ学知的主体に対して現出するものとはいえ、それが記述概念である限りは再び同一化=物象化とならない保証はないはずである。それは勝守が第2章で取り上げている「通用的geltendと妥当的gültig」の関係においてより明瞭に現れる。ある通用性が成立している時、それを覆そうとするものとしての妥当性は自らを新たな通用性となしえたとき初めてそれ以前の通用性を覆すことに成功する。だがこれはまさしく新たな物象化の成立を意味しないだろうか。つまり同一性の否定がもう一つの同一性の定立を招くということである。

このような問題は、大森が過去知覚を否定して過去を想起によって規定しようとするときにも現れる。すなわち、過去を過去という時間相を前提にした実在性によって捉えようとする態度を否定するために現在性に根ざす想起を対置したとしても、そもそも想起と知覚の違いを知っていなければ、つまり過去知覚というものをあらかじめ知っていなければ過去の想起が何かを語ることは出来ないのである。つまり大森の過去想起説はじつはあらかじめ過去知覚の存在を前提として初めて成立いうるということである。つまり同一化された知覚と同一化された想起との差異に基づく区別関係を通して初めて過去想起説は成立するということである。この区別関係を忘却したまま過去想起説を掲げるとき、過去想起説もまた一種の物象化の相を帯びてしまうといえるであろう。物象化とは、関係の中でのみ成立する各項・要素を独立自存的に同一化することだからである。だとすれば、廣松の場合も大森の場合も、物象化批判の立場に立ちつつその行論の過程に暗黙裡のうちに同一化=項・要素の固定化の論理を忍び込ませていることになる。ここに勝守の両者に対する批判的な読解の要諦が存在する。永井の場合、それはむしろ逆転した相で現れるということが出来るだろう。すなわちいっさいの関係を否定する絶対的な唯一性としての「私」が、じつは暗々裏のうちにこの「私」と一般化された私および他者との関係性を前提として初めて定立されうることが、より正確に言えば言説の対象となりうることが――したがって永井の場合、「かけがえのないこの私を、他者も了解しうるような言説の対象にする=語る」というところにそもそも思考上の矛盾の出発点が存在することになる――問題とされねばならないのである。高橋の場合であれば、一見政治的実践の側から一挙にアポリア問題の解決を図っているかに見える高橋の姿勢の中に、理論哲学者としての高橋と実践に関与する高橋のあいだの葛藤が勝守によって詳細に検証されている。「語りえないものについて語る」というアポリアにおいてもまた、語りえない主体とは誰か、それに呼応する語りの主体とは誰かという同一性と非同一性のあいだの屈曲した関係が問われねばならないのだ。
本書における勝守の姿勢には、自らの思考の根拠を自ら壊してしまうこと抜きには先へと進むことの出来ない心の意味での思考のラディカリズムがみなぎっている。繰り返しになるが、それは現在の状況において極めて貴重なことである。率直にいって多くの読者が期待できそうにもないスタイルで書かれた本だが、だからこそ多くの読者が本書の真摯な思考に触れられることを切望する。(2009.11)