奥波一秀 著(筑摩書房)
2001年、20世紀を代表するヴァーグナー指揮者の一人であり、1951年に再開された戦後のバイロイト音楽祭におけるゲーニウス・ロキともいうべきハンス・クナッパーツブッシュについて鮮烈に論じきった名著『クナッパーツブッシュ 音楽と政治』(みすず書房)を著した奥波一秀が10年後に今度は、クナッパーツブッシュとともに20世紀ドイツを代表する指揮者であり、一音楽家というだけにとどまらない歴史的意味をあのナチス・ドイツの時代に担わざるをえなかったフルトヴェングラーについて論じた新著を公刊した(B6判・350頁・1800円・筑摩書房)。
クナッパーツブッシュと違いフルトヴェングラーにはすでに多くの先行研究が存在する。それらを通してフルトヴェングラーという「現象」に関しては否定・肯定を含めかなり強固な先入見が形成されている。その意味では前著に比べ論じるにあたってやりにくい部分が多々あったに違いない。にもかかわらず奥波は本書でこれまで十分に掘り起こされてこなかったフルトヴェングラーをめぐる諸問題へのアプローチに成功している。それは主としてふたつの作業によってであった。ひとつはフルトヴェングラー自身の残したテクストの綿密な読解作業である。とくに『日記』や『書簡』、さらには雑誌や新聞に投稿された文章の丹念な読解を通じてわたしたちはフルトヴェングラーの内面のかなり奥深いところまで入ってゆくことが出来る。例えば作曲家のプフィッツナーと音楽批評家ベッカーの論争に関してフルトヴェングラーが残している「ベッカーの問題は、多かれ少なかれ恣意的で主知主義的な芸術制作なのだ、ということ」(32頁)というような言葉にはフルトヴェングラーについて考える上で重要なヒントが隠されている。一言でいうならフルトヴェングラーは従来考えられていた19世紀教養市民文化を背景に持つ非政治的リベラルというポジションよりさらに、プフィッツナーに象徴されるドイツ至上主義的・アンチモダニズム的ポジションに近い政治性を帯びていたということである。
このことをさらに詳細に究明するために奥波が行なっている第二の作業が、今挙げた例からも窺える同時代の多様な音楽家たちや思想家たちとの対質化の作業である。プフィッツナーやベッカーの他、クレンペラー、ヴァルター、R・シュトラウス、トスカニーニ、Th.マンらの著名人、さらにはクルシェネック、シェンカー、シュトゥッケンシュミット、シュローベルといったあまり日本では知られていない同時代の音楽家たち、さらにはナチスの側のゲッベルスまでも動員しながら、奥波はフルトヴェングラーの音楽思想の核心、さらにはその時代的・政治的意味に迫ろうとする。
例えば先ほど引用した「恣意的で主知主義的な」という言い方の持つ意味についてもう少し立ち入って考えてみよう。この言い方には明らかにゲッベルスのようなナチのみならずより広汎な拡がりを持つドイツ保守派のモダニズムに対する嫌悪の感情が投影されている。それは、音楽的にいえば19世紀後半のマーラーから始まる新音楽の潮流、すなわち調性の否定にまでいたる無調音楽の潮流(シェーンベルク派)への反発として位置づけることが出来る。ゲッベルスの言葉にあるプフィッツナーを形容した「物静かで辛辣で浮き世離れしたドイツのマイスター」(39頁)というような言い方は「恣意的で主知主義的な」ものの対極にあるのがいかなるものかをよく示している。そしてそれはフルトヴェングラーがしばしば使う「魂の必然性」というような言いまわし(85頁以下)と深く通底しているのである。
ここで問題が明瞭な形で浮かび上がってくる。フルトヴェングラーの音楽思想のあり方を批判したシュトゥッケンシュミット、クルシェネック、シュトローベルら新音楽の担い手たちとの対質化を通して見えてくるのは、この「恣意的で主知主義的な」という評価の表現をめぐって形づくられる調性秩序(伝統的ドイツ=ヨーロッパ至上主義)対無調音楽(新音楽=モダニズム)という対立線である。そしてこの対立線にはさらに重大なもうひとつの対立線が重ね合わされるのである。それはドイツ・ナショナリティ対ユダヤ性という対立線である。ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』の中でドイツ・オーストリアの反ユダヤ主義がモダニズムへの嫌悪と重なり合っているという指摘を行なっているが、フルトヴェングラーの音楽思想とその批判者たちの対立(伝統主義対モダニズム)は、彼自身が十分に意識していたかいなかったかにかかわらず必然的に反ユダヤ主義という対立線分をめぐる構図へと回収されていかざるを得ないのである。そのことを証明しているのがフルトヴェングラーにおける「ドイツ的なもの」への忠誠であり「民族」とのつながりの強調に他ならない。「恣意的で主知主義的な」モダニズムが非ドイツ的であり「ユダヤ的」であると受け止められてしまう回路にフルトヴェングラーが骨絡みともいう形で呪縛されていたことを、本書において奥波が発掘した様々なテクストは証明している。それはフルトヴェングラーの主著『音と言葉』やプリーベルクの研究書などからは明確には伝わってこなかったフルトヴェングラー像といわねばならない。
念のために付け加えておけば、本書からこのような形でフルトヴェングラー像を造形することにおそらく奥波は賛成しないだろうと思う。そのことに関して付け加えておきたい問題がある。ひとつはTh.マンの問題である。本来のメンタリティのあり様からいってマンはフルトヴェングラーとごく近い人間であった。第一次世界大戦中に書かれた『非政治的人間の考察』は、そのタイトルとは裏腹にそのままどこまでも延長してゆけば反ユダヤ主義を経由しながらナチズムに行き着きかねない極めて政治的な書物である。だがマンはワイマール共和制の下で劇的な立場の転換を行なった。彼は自らがワイマール憲法に忠実な共和主義者となることをハウプトマンに関する講演の際に明確にマニュフェストしたのである。フルトヴェングラーはこうした転換をサボタージュした。ここがマンとフルトヴェングラーを決定的に分けるポイントとなる。さらには戦後の西ドイツ初代大統領であるTh.ホイスの問題がある。本書で奥波はホイスに触れているが残念なことにもっとも重要な一点に言及していない。すでに触れたようにバイロイトのヴァーグナー音楽祭は1951年再開されるが、このときオープニングにベートーヴェンの「第九」を指揮したのがフルトヴェングラーだった。このバイロイト音楽祭にいうまでもなくホイスも招待されている。だがホイスはこの招待を拒否したのだった。マンの場合と同様、伝統的な教養主義者、芸術観の持ち主として本書においてフルトヴェングラーと近い存在に擬せられているホイスもまたフルトヴェングラーとは対照的にバイロイトに象徴される「ドイツ」をきっぱりと拒否したのである。「ドイツ」の拒否―これこそがフルトヴェングラーのついになし得なかったことに他ならない。そしてこの一点でフルトヴェングラーはナチズムと戦争に対する重大な責任を負わざるをえないのである。
ところで本書を読みながら私は奥波の論脈から少し外れることを考えていた。本書には登場しないが同時代のドイツ系の名指揮者にk・ベームがいた。そしてベームはフルトヴェングラー、ナチス党員となったカラヤンやアーベントロートとはまた違った意味で大きな問題をはらんだ存在であった。一言で言えばベームはアイヒマンのように極めて凡庸なオポチュニストであった。そのときどきの権力者、支配者に阿諛追従しながら身の保全を図ろうとする人間だった。彼にはおよそフルトヴェングラーのような理念性などひとかけらも存在しなかった。ただの音楽屋に過ぎなかった。だがそのベームの作り出す音楽はときにその鋭い現代性においてフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュをも凌駕するような瞬間があった(例えばベルクの「ヴォツェック」やヴァーグナーの「トリスタン」「指環」など)。あの時代ベームに限らず多くの音楽家たちが何らかの形でナチスに協力している。そこには「人間的」に見ても「思想的」「倫理的」に見てもいかがわしさ、疾しさを拭うことのできないケースが数限りなく見出される。難しいのは、にもかかわらず未だに彼らの音楽が戦後世代の音楽家たちによって乗り超えられない高さや魅力を示していることである。それはもちろんフルトヴェングラーやカラヤンの問題でもある。戦後のドイツにあって、もっとも峻烈にナチズムへとつながる「ドイツ」を批判し告発した思想家といってよいアドルノがフルトヴェングラーへの好意を隠そうとしなかったという「矛盾」の根もそこにある。そこにはフルトヴェングラーの音楽の魅力が彼の歴史的責任を免罪することにはつながらないというテーゼと、フルトヴェングラーの歴史的責任を告発することは彼の音楽の魅力を否定することにはつながらないというテーゼの自家撞着的な循環が避け難く現れてしまうのである。
ただここで再び最初に引用したフルトヴェングラーの言葉にあった「恣意的で主知主義的な」という言葉に立ち戻りたい。この言葉が示唆している音楽のあり方とはいかなるものなのだろうか。それは、例えばシェーンベルクの音楽があれほど人々の感情を逆なでし激しい嫌悪をかきたてた理由はなんだったのかというような問題とどこかでつながっているような気がする。
フルトヴェングラーは「魂の必然性」に根ざした作品の生成的で有機的な全体性を重んじようとした。それはそうした性格を体現することが出来る演奏がもっとも聴衆を「感動」させられるからだった。フルトヴェングラーのライヴァルだったカラヤンはとくに晩年レガート奏法の徹底化によって作品を「継ぎ目のない響き」の全体性に溶かし込もうとした。それがもっとも聴衆を「魅了」することが出来るからだった。ベームはややぶっきらぼうながら強い緊張感の中で作品の全体構造が聴衆にくっきりと意識される演奏を目指そうとした。立場は違うとはいえ彼らの音楽の高さはいずれも「全体性」に、より正確にいえ「全体性」への融合・没入体験に根ざしていたといえる。そしてそのような全体性が要求するのは否定し非同一化するような、言い換えれば作品を断片へと限りなく解体してゆくような知性の働きの停止なのである。逆に言えばシェーンベルクの音楽の本質は技法的な意味で無調云々というところにあるのではなく、まさに知性を覚醒させることによって音楽の経験を凡庸な「感動」体験から解放して真にものを思考する体験に根ざすものへと変えようとしたところにあったのではないかということである。これは音楽思想家としてのアドルノの目指したものだったといってよいと思う。そのアドルノはフルトヴェングラーが好きだったという矛盾が依然として残るのだが。(2011.8)