吉田寛著( 青弓社)
本書(A6判・394頁・4000円・青弓社)が行おうとしているのは、19世紀ドイツを代表する作曲家リヒャルト・ヴァーグナーについての主として思想史的側面からする考察である。あとがきによれば、本書は吉田の2200枚を超える長大な博士論文『近代ドイツのナショナル・アイデンティティと音楽――≪音楽の国ドイツ≫の表象をめぐる思想史的考察』の第六章「ヴァーグナーと「ドイツ的なもの」」がもとになっている。つまり本書の背景となっているのは、「ドイツ」というナショナル・アイデンティティの形成の過程において音楽がどのような役割、機能を果たしてきたという問題なのである。こうした音楽に対する政治的・社会的コンテクストをも含んだ思想史的アプローチはわが国ではとてもまれなケースに属する。一つは音楽への接近が専門的な学習や修練ぬきには難しいという事情がある。日本においては音楽は何といっても専門文化としての性格が強いからである。そしてこの専門文化を担う日本の音楽家集団はわずかな例外を除いて音楽以外の分野への関心が極度に希薄である。その一方音楽受容の側から見てもそこにはある種の棲み分けが堅固な形で存在する。とくにクラシック音楽を聴くことは音楽受容のなかでやはりある種の専門文化的な実践とみなされており、クラシック音楽を聴く人間もまた専門家集団の狭い枠組みの中に生息しているのである。それに抵抗しようとしてもせいぜいがディレッタントないしはスノッブにしかならない。いまだに音楽が真の意味で社会化されていない現実の中で、日本における音楽をめぐる言説は専門文化のたこつぼに陥るか、ディレッタントやスノッブの「能書き」に陥るかしかなかったのである。
しかしどうやら少し変化の兆しが見えてきたようだ。3年前に書評した宮本直美の『教養の歴史社会学』などもそうだし、本書もまたそうした変化の明瞭な指標になりうるであろう。ここで私事にわたるのをお許し願いたいのだが、今から十数年前私は本書と同じ青弓社から『響きと思考のあいだ』という思想史的アプローチを含むヴァーグナー論を出したことがある。だがこのヴァーグナー論は思想界からも音楽界からもほぼ完璧に黙殺された。二、三の書評に加え、長原豊氏がジジェクの『いまだ妖怪は徘徊している』の翻訳の中で言及してくれたのと小宮正安氏が『オペラ楽園紀行』の中で参考文献として挙げてくれたのをのぞけば反響はほとんど皆無だった。たぶんヴァーグナーとマルクスを同時代人として重ね合わせながら19世紀近代の根源史を明らかにするという私の思想史的アプローチのモティーフそのものがほとんど理解されなかったせいだと思う。ところが今回吉田は本書を通して、私が自分のヴァーグナー論でやろうとしたこと、正確に言えばやりたかったにもかかわらず十分にやりきれなかったことを、私などよりもはるかに精緻に多くの一次資料を駆使して堂々と論じきっているのである。おまけに私のヴァーグナー論にもあとがきで大変好意的に言及してくれている。私は瞠目せざるをえなかった。そして少なくとも吉田寛という読者を得ることが出来ただけでもあのヴァーグナー論を書いた意味はあったのではないかという感慨を覚えた。書評の客観性という点からいえばルール違反かもしれないが、まず吉田に対してそう思うことが出来たことについて一言感謝の念を表わしておきたいと思う。そして若い気鋭の世代からこうした仕事が出てきたことに大いなる期待と希望を託したいとも思う。
さて本書の内容である。先ほど述べたように吉田が本書で目ざしているのは、「ドイツ」のナショナル・アイデンティティの形成に対して音楽が果たした役割という大きなテーマの枠組みの中で、とりわけこの問題に深い関わりを持っていたヴァーグナーの思想史的位置を明らかにすることである。1813年に生まれ1883年に亡くなったヴァーグナーは――ちなみにマルクスは18年に生まれ同じ83年に亡くなっている――、文字通り「19世紀人」であった。産業資本主義と国民国家という二つのシステムによって形成されていった19世紀近代をヴァーグナーはまさに一身をもって生き抜いたのである。しかもヴァーグナーはヘーゲル左派と若きドイツ派の思想家や文学者、さらにはバクーニンのような革命家とさえも深い関わりを持ち――自ら1849年のドレスデン武装蜂起に参加している――、音楽家というだけでなく思想家、革命家としての側面も持ち合わせていた。こうしたヴァーグナーの音楽家の枠を超えた巨大性は、ヴァーグナーの代表作であり、マルクスの『資本論』に拮抗するといってよい資本をめぐる神話的オペラ(楽劇)『ニーベルングの指環』に結実している。私のヴァーグナー論は、ヴァーグナーのこうしたトータルな19世紀人としての性格を通して「19世紀近代」のパースペクティヴを明らかにしようとしたのだが、吉田はヴァーグナーのそうした19世紀近代のパースペクティヴへの関わりをヴァーグナーにおける「ドイツ的なもの」のあり様、その変遷を通じて解明しようとする。その焦点となるのが「国民」概念および「民族=民衆」概念である。「本書の目的はむしろ、ヴァーグナーにとっての「ドイツ」が一体どのようなものであったかを、いくつかの歴史的転換を明るみに出しながらつぶさに検証することを通じて、最終的には、19世紀ドイツとヨーロッパにおける国民や民族=民衆の理念、そして民衆=民族主義の運動それ自体を新たな視点から捉え直すことにある」(13頁)。
まず本書において新たな知見というか視点として評価されなければならないのは、ヴァーグナーにおいて「ドイツ的なもの」が最初から一義的なものとして捉えられていたわけではないことを明らかにしている点である。この視点は、ヴァーグナーの1848年革命(翌年のドレスデン蜂起も含む)への関わりをどう捉えるかという問題、さらには後半生のヴァーグナーの基本的な立脚点であった「芸術革命」の理念をどのように理解すべきかという問題に関わるとともに、本書における吉田のもうひとつの重要なキーワードである「超政治」の中身の問題にも深い関わりを持っている。ヴァーグナーが1837年に書いた「ドイツのオペラ」に関連して吉田は次のようにいっている。「「ドイツのオペラ」を締め括るこの一節〔吉田は、この引用箇所のすぐ前で、一面的にイタリア的でもフランス的でもドイツ的でもないような作曲家が未来の大家になるだろうというヴァーグナーの言葉を引用している〕は、当時のヴァーグナーが「ドイツ的なもの」から一定の距離をとりながら、イタリアやフランスの音楽的伝統をも吸収して、現代という時代の要請に応じた新しいオペラを作ろうとしていたことを示している。それは言い換えるならば、コスモポリタニズムに立脚したモダニズム(近代主義)の芸術観である。そして国民性を「真に人間的なもの」を限定するものとして否定的に捉えることは、これ以後、『オペラとドラマ』にまでつながる、ヴァーグナーの一貫した姿勢となる」(48頁)。
こうしたヴァーグナーの基底にあるコスモポリタニズムこそがヴァーグナーの革命への志向の原動力となっていたこと、しかもその革命が決して政治的な意味の革命だけに限定されえず、むしろ現実の政治を超えた普遍性を志向する超政治的な革命であること――この普遍的な超政治の担い手が芸術(家)である――を吉田は明確な形で私たちに示してくれる。とはいえそのことはヴァーグナーにおいて「ドイツ的なもの」がこのコスモポリタニズムに解消されることを意味するわけではない。このときヴァーグナーの中で極めて重要な意味を持ってくるのが「民衆=民族」の観念である。ヴァーグナーは49年のドレスデン蜂起の失敗後チューリヒへと亡命するが、この亡命時代にヴァーグナーの思想的立場を理解する上で重要な意味を持ついくつかの論文、著作を執筆している。とくに亡命直前に書かれた「芸術と革命」、亡命後最初に書かれた「未来の芸術作品」、そして質量ともに亡命期のヴァーグナーの代表的著作といってよい『オペラとドラマ』は、吉田自身三部作といっているように相互に深く関連しあった内容を持ち、その後のヴァーグナーの「芸術革命」の理念、あるいはその媒体としての「総合芸術作品」の理念に確立に大きく寄与した。そしてこの三部作における議論の推移のうちにヴァーグナーにおける「ドイツ的なもの」の意味を探り当てるための最大の鍵がひそんでいるといってよいだろう。その焦点となるのが、「未来の芸術作品」において登場する「民衆=民族(Volk)」の理念なのである。
ヴァーグナーにとって「民衆=民族」は何よりも狭い「国民性」を超える「普遍人間的なもの」の体現者である。それは革命がそうであるように、上からの強制的な力や利害関心などではなく、あくまでも自らの内部にある必然(Noth)によって行動する存在である。その一方で「民衆=民族」は抽象的なコスモポリタンではない。一個の明確な民族=国民共同体を前提とする存在である。吉田はこうした「民衆=民族」の意味を次のように概括する。「民衆の理念を独自の歴史哲学に組み込み、さらにそれを――『オペラとドラマ』以後により明確になるように――芸術における「ドイツ的なもの」の根拠に据えたのは、ひとりヴァーグナーだけであった」(121頁)。こうして「民衆=民族」概念がヴァーグナーにおける「普遍的なもの=コスモポリタニズム」と「ドイツ的なもの」をつなぐ環として、より積極的にいえば「普遍的なもの=コスモポリタニズム」を「ドイツ的なもの」へと転轍させる媒介項として位置づけられることになる。
ところでこうした「民衆=民族」の理念と一見矛盾するように、革命期に書かれた論文「共和主義の運動は王権にたいしていかなる関係にたつか」においてヴァーグナーは、真に民衆的なもの、言い換えれば共和主義的な政体は「最も高貴で最も品位ある王」(85頁)によってのみ実現されうるという、いわば「共和主義的君主制」とも言うべき主張も行っている。このこともまたヴァーグナーの中にある普遍的なものと民衆=民族的なものとしての「ドイツ的なもの」のあいだの両義的な関係を示しているといってよいだろう。下からの民衆革命と上からの君主革命がひとつに合流する地点にこそヴァーグナーの夢想する「美しく自由なドイツ」(86頁)が具現されるのである。
ここまで書いてきて全10章からなる本書のまだ半分にも達していないことに気づき愕然としている。どうやら私自身のヴァーグナー論に拘泥しすぎて――私のヴァーグナー論の内容は吉田の本でいうと前半の5章に対応している――本書のむしろ本領とも言うべき後半5章の内容紹介の余裕がほとんどなくなってしまった。前半生のヴァーグナーが夢想的な革命家であったとすれば、後半生においてはルートヴィヒ二世との出会いから始まる総合芸術作品の具体化としての楽劇の創造(『指環』『トリスタン』『マイスタージンガー』『パルジファル』)、自らの作品のみを上演するバイロイト祝祭劇場の建設、それを政治的・社会的にバックアップしてくれるための支持者づくりなどに邁進する実行家としてのヴァーグナーが前面に出てくる。そしてその過程は同時にヴァーグナーがドイツの国民的芸術家としてカリスマ的な崇拝や讃美の対象になってゆく過程でもあった。おりしもそれはプロイセン主導によるドイツ帝国の成立期と重なる。そして皮肉なことに、出来上がりつつあったドイツ国民国家のシンボルとしてヴァーグナーが位置づけられてゆくのである。ヴァーグナー自身もそうしたドイツ帝国への接近を図ろうとする。ここにおいてヴァーグナーのドイツは民衆=民族的なものから国民的なものへと変質する。
とはいえ最後までヴァーグナーが通俗的な意味でのドイツ〔ゲルマン〕・ナショナリズムに完全に身を屈したことはなかった。吉田が本書でもっとも強調したかったのはこのことだったのではないだろうか。「ヴァーグナーのドイツ」はあくまで「超政治的」な理念性に定位されなければならないのである。(2010.3)