西洋哲学史 (古代から中世へ)(近代から現代へ) :熊野純彦


 熊野純彦 著(岩波新書)





                       
「西洋哲学史」というと、まず思い浮かぶのはシュヴェーグラーの『西洋哲学史』(上・下巻 谷川徹三ほか訳 岩波文庫)であろう。1847年に初版の出たこの本は、ドイツ本国でレクラム文庫に収められ多くの版を重ねてきたし、日本においても1939年に翻訳初版が刊行されて以来西洋哲学史の標準テクストとして長く読み継がれてきた。哲学そのものではなく哲学の歴史の専門研究者であったシュヴェーグラーは、この本の中で古代ギリシアからヘーゲルまでの西洋哲学の歴史を、整然たる時代区分にしたがい、それぞれの時代の代表的哲学者およびその学説に関する行き届いた概説を通してきわめて明晰なかたちで構成づけている。この本を通読すれば西洋哲学史の全体像がはっきりとした姿で読者の頭の中に浮かび上がってくるはずである。つまりシュヴェーグラーの『西洋哲学史』という本の最大の特徴は、読者に西洋哲学史が「わかった」という満足感・充足感を与えてくれるところにあるといえよう。そしてシュヴェーグラーに限らず、とくに初学者用の入門・概説書として書かれた哲学史の本というのは、この「わかった」という感覚、つまり哲学史を彩る人や学説に関して明確な見通しと了解を得られたという感覚を与えてくれるところにその存在意味があったといえるだろう。ということは、哲学史が、本来未知な思考を切りひらいてゆく動的な過程のうちにあるものとしての哲学を、了解済みの概念へと変容・固定化し、その動性を決定的なかたちで静止させるものであることを指し示している。「なぞはすべて解かれた」という地点において哲学史は成立するのである。
 
だが哲学の動的な思考過程はほんとうにいつもいつもおあつらえ向きなかたちでそうした概念像の図式に収斂しうるものなのだろうか。後から見ればあたかも必然性の糸に引かれるようにして「発展」を遂げたかのように映るある哲学者の思考の展開過程が、そのじつ思考過程の内側から見れば目もくらむような危機や乾坤一擲の飛躍の連続だったというようなことがあるのではないだろうか。もしそうだとすれば、すべてが了解済みの既知性の中でそうした思考過程を処理してしまう哲学史というディシプリンは、哲学にとって本来もっとも大切な、かけがえのないはずのものを隠蔽し消去してしまう倒錯を犯してしまっているともいえるのではないだろうか。とはいえ哲学が過去において分厚い人や学説の歴史的堆積層を形づくっていることは否定し得ない事実である。だとするならばその歴史的堆積層に向かって了解済みの既知性を経由するようなアプローチとは異なる、むしろ危機や不連続的な飛躍・断絶に依拠するようなアプローチの仕方を考えてみる必要があるのではないだろうか。たとえそれが哲学史の常識とは大きく異なるものであったとしても、である。

                  
このたび熊野純彦の『西洋哲学史』(新書版・上巻257頁・下巻261頁・各820円・岩波新書)が、4月に刊行された上巻に引き続き下巻が刊行されて完結した。正面切って哲学史と銘うたれた本は久々である。従来型の哲学史というディシプリンへの不信と軽侮の念が今それだけ強いということだと思うが、熊野はあえてそうした風潮に逆らうようにこの『西洋哲学史』というタイトルの著作を世に問うたのである。しかも熊野は、たしかに多くの優れた仕事をすでに残しているとはいえ、功なり名を遂げた大家ではない。教科書として書かれた哲学史が大家の余技として行われることが多いのに対して、まだ50歳に達していない熊野がこうした本を書くことには、率直に言って奇異な印象を禁じえないところがある。いったい熊野の本書を書いた意図、動機はどこにあったのだろうか。
 
熊野は本書の「まえがき」で次のように書いている。「この本は、三つのことに気をつけて書かれています。ひとつは、それぞれの哲学者の思考がおそらくはそこから出発した経験のかたちを、現在の私たちにも追体験可能なしかたで再構成すること、もうひとつは、ただたんに思考の結果だけをならべるのを避けて、哲学者の思考のすじみちをできるだけ論理的に跡づけること、第三に、個々の哲学者自身のテクストあるいは資料となるテクストを、なるべくきちんと引用しておくこと、です。そのように書きつづってゆくことで、哲学的な思考とは私たちの経験そのものにあらためて光を当てようとするものであること、哲学とは、人間の経験と思考をめぐって、その可能性と限界を見さだめようとするものであること、最後に、そうした思考がそれぞれに魅力的なテクストというかたちで残されているしだいを、すこしでも示すことができれば、と考えています」(上巻、ⅱ~ⅲ頁)。
熊野の本書執筆のねらいを語った文章から、私たちは哲学史のテクストとしての本書の特徴をつかみ取ることが出来る。ここで熊野が「経験」と呼んでいるのは、個々の哲学者が思考をつむいでゆく機縁となった初発のモティーフが生成する場所のことである。いうまでもなくそこにはおあつらえ向きの答えなど存在しない。いやむしろ、答えがないこと、謎が存在することこそが経験の出発点であるというべきである。とするならば熊野が経験にこそ定位すべきであるといっていることは、本書が安易な答え、つまり了解済みの既知性ではなく、おのおのの経験のうちに潜む答えのない謎から出発していることを意味するとともに、最後までその謎に固執し続けようとする熊野の姿勢をも同時に指し示しているといえるだろう。
 
実際本書を読み進めていていちばん強く感じるのは、本書から教科書風の概説や要点を要約的に取り出すことが難しいということである。熊野の叙述はつねにそうした概説的な枠組みをはみ出そうとしている。たとえばソクラテスについて書かれた章を見てみよう。ソクラテスは、ソフィストと呼ばれる職業的な哲学者が初めて登場した時代とほぼ同じころに現れる。熊野はまずソフィストたちが叙事詩の時代、つまり人類の歴史における神話段階が終わり、人間自身が尺度となる言葉(ロゴス)の時代、つまり人類史の啓蒙段階がはじまる時期の哲学者たちであることを明らかにする。つまりソフィストたちは言葉の技術(弁論術)を通して論理の力によって相手を説得することを目指しているのだが、それは角度を変えて言えば、言葉(ロゴス)によって成立する了解にもとづいて社会の秩序や規範が形成されるという意味での啓蒙の論理を示唆しているのである――このあたりの熊野の記述はあきらかにホルクハイマー/アドルノの『啓蒙の弁証法』の考察を踏まえている――。ソフィストはある意味で「わかる人」、「わかったという振る舞いをしたい人」なのである。この世界のすべてを了解可能な既知性のネットワークの中に捉えこもうとするのがソフィストの根源的な欲望であり目標であるといえるだろう。
 それに対してソクラテスは徹頭徹尾「わからない人」、「わかることを拒否する人」であった。つまりソクラテスは通訳可能性(インコンメンズラビリテート)を拒否する「変わった人間(アトポータス)」「余所者(クセノス)」(上巻 67頁)なのである。熊野によるそのあたりの事情に関する記述を見てみよう。「知者であるのは、たとえばプロタゴラスであって、それを自称する者たちこそがソフィストであった。ソクラテスは知者ではない。あくまで「知を愛し、もとめる者」(フィロ・ソフォス)である。この一点で、同時代人の目にはソフィストそのものと映っていたであろうソクラテスが、ソフィストから区別される。ソクラテスはソフィストではない。だから、ソフォス(知者)でもない。フィロソフォス(哲学者)なのである」(同前7071頁)。
 
「知を愛する」ことは、自らの経験の個別性や特異性から離れずに思考することを意味する。なぜならそうした個別性や特異性からは一義的な答えは引き出せないからである。つまり「知を愛する」こととは、答えの見つからない個別性・特異性を帯びた経験の質を思考の過程において決して手放さないことと同義なのである。熊野はこうしたソクラテスの経験の質を掘り起こしながら、「助産術」と呼ばれたソクラテスの対話的論争術の意味を明らかにしてゆく。およそ哲学史らしからぬ次のような記述がそこで登場する。「ソクラテスは相手と対話をすすめながら、じぶんは答えを与えない。解答をソクラテス自身も知らないからだ(ソクラテス的な「アイロニー」)。対話をつうじて相手は、それとは知らずに、新たな真理に逢着する(ソクラテスの母の職業にちなんで「助産術」といわれる)。否たいていは、知らないという状態に突き落とされる。知は宙づりにされ、否定だけが残される」(同前7374頁)。
 
このようなソクラテスの捉え方に現れているように、熊野は本書で答えを出すこと、答えによって対象を一義的に規定・定義することをかたくなに拒否している。代わって登場するのは、ソクラテス流の助産術さながらに、経験の個別性や特異性に依拠した経験野において生起する諸問題・諸課題の所在を指摘することである。なかでも熊野が本書で一貫して問おうとしているのは、一と多の関係であり、さらにはそれと連動する同一性と差異性の問題である。それは古代ギリシアのピュタゴラスにおいて初めて登場してきて以来繰り返し様々な哲学者の経験の質と言説を通して問い直される。それは、紀元前数世紀の古代ギリシアという場所で始まった――じつはそこだけでなく、古代中国においても古代インドにおいても、さらには古代ヘブライにおいても始まるのだが――「なぜあるものはあり、あらぬものはあらぬのか?」「あることは何をもって確証されうるのか?」「なぜあることは可感性を超えたところで問題にされなければならないのか?」といった哲学の根本的問いにつながるものである。本書のもうひとつの大きな特色は、こうした反復される根本的な問いをめぐってプラトンとヘーゲルが、パルメニデスとデカルトが、あるいはその他多くの哲学者たちが、時空を超えて哲学という思考共同体の中で踵を接している隣人たちとして扱われている点にある。その意味からいえば本書は「西洋哲学史」というより、「西洋哲学問題発見史」ないしは「西洋哲学の思考トポス史」と呼ばれるべきものである気がする。
 
 近現代哲学の専門家である熊野であれば、本書における彼の叙述の本領が今回刊行された下巻において発揮されていると考えるのは当然である。じっさい下巻の叙述には多くの創見がちりばめられている。だが私自身が本書でいちばん面白かったのは古代ギリシアの項だった。さきほどいった「問題発見史」として哲学史を再構成しようとする熊野の本書執筆のモティーフをいちばん端的な形で表現しているのが古代ギリシアの項であると思うからである。いずれにせよ若い世代に属する著者によって書かれた西洋哲学史の著作が久々に刊行されたことの意味はけっして小さくはない。そこに展開されている著者の野心的で果敢な試みの持つ意味を多くの読者が自分自身で読み取ってくれることを期待したい。(2006.10)

救済の星 :フランツ・ローゼンツヴァイク著




フランツ・ローゼンツヴァイク著
村岡晋一・細見和之・小須田健 訳(みすず書房)



ついに、という言葉がもっとも相応しい著書が刊行された。ローゼンツヴァイクの『救済の星』の邦訳(A5判・695頁+索引15頁・9500円・みすず書房)である。原著の刊行が1921年だから約90年たってやっと邦訳が出たことになる。この時のへだたりの大きさが本書の翻訳の困難さを端的に物語っているといえよう。本書の名前だけは、少しでもベンヤミンやE・ブロッホなどの仕事に触れたことのある人間ならば誰でも知っているはずである。だが実際に本書を手に取ればただちにわかるだろうが、本書にはおよそ読解など不可能なのではないかと読者に思わせてしまうような根源的難解さが内包されている。正直なところ私は、本書の翻訳などとうてい不可能なのではないかとずっと思っていた。古代ギリシア以来の膨大なヨーロッパ哲学の伝統、ユダヤ=キリスト教の神学的伝統、とりわけユダヤ教神学という日本人にとってもっとも馴染みの薄い世界などがごく当然のように前提とされ、しかも全篇がローゼンツヴァイク独特の強靭な思弁的思考に裏打ちされたドイツ語文体によって貫かれている本書は、なまなかなアプローチなど全面的にはねつけてしまう手強さ・厳しさに満ち満ちているのである。
 
 本書の難しさの理由はそれだけに尽きない。本書の原著が刊行された1921年という年をあらためて想い起こしてほしい。第一次世界大戦の敗北から間もないこの時期のドイツ社会は、敗戦に伴なう社会的混乱、とりわけ巨額の賠償金の重圧や破滅的ともいえるインフレの進行、革命運動の勃発に伴なう左右間の対立の激化などにより危機の極みともいうべき状況にあった。それはある種の終末論的状況といってもよいかもしれない。そうした中から、第一次世界大戦とそれに続く社会危機という「破局(カタストローフ)」へと至りついた近代ヨーロッパ文明の歴史性、さらにはそれを根底において支えてきた理念や思想に対するラディカルな問い直しをはらむ営為が次々に登場してくる。同じ21年にはベンヤミンの「暴力批判論」および「翻訳者の使命」が、さらにはすでに18年に『ユートピアの精神』を刊行していたブロッホの『トマス・ミュンツァー』が発表されている。前年の20年にはルカーチの『小節の理論』が、そして2年後の23年には『歴史と階級意識』が公刊される。やや遅れるが、そこに27年に刊行されたハイデガーの『存在と時間』を加えることも出来るだろう。あるいは本書のあとがきに挙げられているカール・バルトの『ロマ書講解』(1918年)も加えてもよい。もっともこの時期には、シュペングラーの『西欧の没落』(1918年)やヒトラーの『我が闘争』(19235年)も刊行されている。戦争後の社会危機はドイツにおける全体主義(ナチズム)への道をも育んだのであった。
 
 このような禍々しさをもはらむ危機的=終末論的状況の中から登場してきた上記のような営為に共通していたのは、既存の、というよりも世の常識として通用してきた様々な価値や規範に対する徹底した問い直しの姿勢であり、より端的にいうならばそれらへのラディカルな異議申し立ての姿勢であった。法=支配の暴力と滅罪の暴力としての革命の暴力の緊張に満ちた葛藤関係を抉ったベンヤミンの「暴力批判論」、宗教改革ラディカルズの代表格であったミュンツァーに仮託しながらユダヤ=キリスト教的伝統に底流してきた終末論のモティーフを革命のエネルギーとして再生させようとするブロッホの『トマス・ミュンツァー』などはその典型であった。だがこうした危機的=終末論的状況にあってもっとも根底的・本質的な思考の射程をはらんでいたのはなんといってもローゼンツヴァイクの『救済の星』であったといえよう。あらゆる既存の価値や規範をあらいざらい問い直さずにはおかないラディカルな思考が、これまた既存の言語体系や文体を根底から覆そうとするようなラディカルな表現スタイルと直裁に結びついてゆくという点において、本書はまさしく同時代の危機的=終末論的状況の定点、言い換えれば「星」としての位置を占めており、同時にそこにこそ本書の類を見ないほどの難解さのより根本的な理由が存在するのである。
                     

率直にいって本書の内容を短時間のうちに書評することは不可能に近い。したがって本稿の以後の内容が、まだ十分とはいえない本書に対する私なりの読みのレポートのレヴェルにとどまることをどうかお許し願いたい。
 本書に関して誰もが真っ先に取り上げるのは有名な冒頭の文章であろう。「<すべて>についての認識はすべて死から、死の恐怖から始まる」(本書3頁)。この文章において注目すべきなのが「死」の意味への着目であることはいうまでもない。だが最初のかっこに入れられた「<すべて>」という言葉にも目を向けることが、本書の理解において「死」の意味に劣らず重要であると思われる。というよりも、この「<すべて>」という言葉の意味との関連抜きには「死」の意味もまた捉えることは出来ぬであろう。

 人間が抱く死への恐怖の核心にあるのは、個人の死がいかなる代替も代行も許さないという事実である。言い換えれば個人には、つねに単独者として死んでゆくことしか許されていないということである。こうした死の単独性は当然にも個々人の存在、生の単独性を遡行的に照射する。個人の存在、生の共約不能な単独性が死の単独性、代替不能性を通して浮かび上がるのである。
 だが古代ギリシア以降のヨーロッパ哲学はこうした死の単独性、代替不能性とそれに基づく死への恐怖を「無」に向かって解消してしまった。「だが哲学は、すべての生のこの暗鬱な前提〔死は<無>ではなく、排除できない冷厳な<なにか>であること〕を否定することによって、つまり死を<なにか>とは認めず<無>にしてしまうことによって、みずからをまるで無前提であるかのように見せかける」(6頁)。この少し前で、「<無>の一にして普遍的な夜」という言い方をしていることを踏まえるとき、ローゼンツヴァイクのいう「無」の核心的意味が浮かび上がってくる。この「無」こそが「<すべて>」の本質に他ならないのである。言い換えれば西欧哲学が一貫して目ざしてきた普遍性、一般性の水位の真の起源とは、この「無」としての「<すべて>」なのである。西欧哲学は。本来「<なにか>」としての単独性、代替不能性を帯びた死を、「<すべて>」としての「<無>」に回収することによって、死と本質的な意味で向き合い対峙する道を放棄したのだった。だが「<無>」の意味はそれにとどまらない。ローゼンツヴァイクの「<無>の一にして普遍的な夜」という表現がレヴィナスの「イリヤの夜」を想起させることは、レヴィナスが「イリヤの夜」を人間から固有な死の意味―それは同時に生の意味でもある―が失われる瞬間として捉えていたことと併せて考える時まことに興味深い。レヴィナスの「イリヤの夜」がナチスの強制収容所という「死」の世界の体験から生じたように、本書の着想は第一次世界大戦という最初の大量殺戮戦争のさなかに塹壕の中で得られている(訳者あとがき参照)。この事実の符合は、死が名前を持たない普遍的運命として、すなわち「無(名)」として個々人の存在に降りかかってきた20世紀という時代におけるもっとも根源的な課題の所在を示しているといえよう。
 
 だがローゼンツヴァイクはこうした「無」を前にして次のようにいう。今のところ私が本書の中からつかみ得たもっとも本質的な内容を含んだ文章といってよいだろう。「哲学は、死の不安の叫び声に耳をふさぐ一にして普遍的な<無>、それだけが一にして普遍的な認識に先行すると哲学がみなしたがる<無>のかわりに、この叫び声に耳を傾け、戦慄すべき現実に眼を閉ざさないだけの勇気をもたねばならないであろう。この<無>は<無>ではなく<なにか>である。世界の暗鬱な背景には、その汲みつくしえない前提として、何千という死が控えている。<無>がただひとつであれば、ほんとうに<無>というものであろうが、控えているのはただひとつの<無>ではなく、何千という<無>であり、それはまさに多数であるがゆえに<なにか>なのである」(6頁)。
 ここにおいて極めて重要な思考上の分節線が見えてくる。それは従来の哲学における「唯一性(一)-普遍性(すべて)-<無>」という思考文脈と、ローゼンツヴァイクが展開しようとする「単独性-多数性-<なにか>」という思考文脈の対照から浮上してくる分節線である。この分節線は、そのまま「<なにか>」を具体的に名指す「名」をめぐる分節線に接合される。「それ〔個々人の意識が宇宙(コスモス)に解消されること〕が不可能だというのは、たとえこの意識に属するものが普遍的なものに翻訳されえたとしても、それが姓名をもつという事実、ことばのもっとも厳密でもっとも狭い意味での<自分だけのもの>は残るからであり、そして、そうした経験をした人びとが主張したように、ほかでもないこの<自分だけのもの>こそが問題だったからである」(9頁)。
 このくだりもいろいろな思考を触発してやまない箇所である。「名」の問題、とくに固有名の問題は、ベンヤミンの、先月取り上げた「言語一般および人間の言語について」や「翻訳者の使命」などの言語論の要諦でもあった。またアーレントがいう、多数性に対してそのうちにはらまれる「違い」を許容しながらオープンな共通性=公共性を保証しようとする議論もまた、それぞれの個人が持つ「名」の問題と深く関連している。「名」こそは単独性と多数性をつなげる環に他ならない。そしてこのつながりのうちに、唯一性と普遍性=一般性の結合を通して個々人から「名」を奪い、無名としての「無」へと追いやる西欧哲学の「暴力」へのもっとも根源的な対抗軸が存在するのである。

 とはいえこの対抗のためのより本質的な条件を明らかにする道筋はけっして平坦ではない。というのも以上述べてきたような問題は全三巻からなる本書の第一巻の内容に該当しているからである。そして窮極的な単独者としての「メタ倫理的人間」に帰着する第一巻のみの内容からはいまだ本質的な対抗の道筋は見えてこないのである。そのためには第二巻の主題である「対話」の問題、すなわち単独性と多数性の接合が、複数性として、すなわち他者-自己関係の問題として新たに捉え返されねばならない。いうまでもないがそれは単純な意味でのコミュニケーション理性の賞揚などを意味しているわけではない。問題は個々人が自己の存在を外部からの到来として、言い換えれば贈与として受け止めることである。ここには色濃く神学的な課題が絡んでくる(例えば「啓示」)。そしてこうした対話的構造を保証する「永遠性」の問題を問おうとする第三巻と併せてようやくローゼンツヴァイクの思想的射程の全貌が明らかになる。残念ながら今回はそこまでつぶさに検討する余裕がなかったため書評としてはなはだ不十分なものにしかならなかったことをお詫びしたい。
 
 それにしても本書を訳した訳者たちの労苦にはただただ感謝するしかない。とくにかつてベンヤミンの『パサージュ論』の翻訳で苦労を共にした村岡、細見の両君には心よりご苦労様と申し上げたい。もちろんもう一人の訳者である小須田に対しても同様である。本書が単純な意味で読みやすい日本語になっているわけではない。だが名のみ知られながら、その内容の知られることの少なかった本書が日本語で読めるようになったことの計り知れない意義はいくら強調しても強調しすぎることはないだろう。(2009.8)