フランシーヌ・マルコヴィッツ著・小井戸光彦訳
(法政大学出版局)
過日夏休みの旅行ではじめてトリーアを訪れた。モーゼル川沿いにある葡萄畑に囲まれた静かな美しい町だ。そしてトリーアはいうまでもなくマルクスの生まれた町である(的場昭弘『トリーアの社会史』参照)。現在も生家が残っており小さな博物館になっている。ところでトリーアはローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスが建設したドイツでもっとも古い町のひとつである。ポルタ・ニグラ(黒い門)や円形劇場、カイザーテルメン(大浴場)など古代ローマの遺跡が町のあちこちに残っている。それらを見ながら、幼いマルクスもこれらの古代遺跡を眺めながら成長していったのだろうと思った。同時に、そうしたトリーア時代のマルクスの古代体験が後の卒業論文「デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異」の一つの出発点になったのではないかとも考えた。マルクスにとって古代(ギリシア・ローマ)は決して抽象的な理論上の問題ではなく、トリーアの古代遺跡のように極めて具体的なものだったはずである。そんなことを考えながら旅の途上たまたまベルリンで買った朝日新聞国際版の一面の下を見ると、今回取り上げることにした『エピクロスの園のマルクス』(B6判・191頁・2500円・法政大学出版局)の広告が目に飛び込んできた。さっそく日本の友人にお願いして送ってもらうことにした。もちろん卒業論文の主題が古代哲学論に100パーセント還元できるわけではない。しかしマルクスがトリーアで得たであろう古代体験なしに彼が古代哲学への関心を抱きえたとも考えにくい気がする。ともあれそのあたりの関心から私は本書を読み始めたのだった。
もう一点マルクスの卒業論文に関して触れておきたいことがある。それは、エピクロスとマルクスが置かれていた時代状況の共通性である。エピクロスは、ポリス国家を中心とする古代ギリシアの秩序がアレクサンドロスによる史上最初の世界帝国の形成によって解体され、さらにアレクサンドロスの早世にともなって新たな帝国の秩序もまた瓦解してしまうというある種の過渡期を生きた人間であった。マルクスのほうはどうか。マルクスが青年期を迎えようとした時代(いわゆる「三月前期」)は、ドイツに残る中世秩序の遺制がナポレオンの台頭によって崩壊へと導かれながらも、ナポレオンの慌ただしい没落によって旧秩序のゆり戻しの動きと旧秩序への反発のあいだの激しいきしみあいが生じていた時代であった。ここでも時代は明瞭に過渡期の様相を示していた。
過渡期においては古い秩序への意図的な固執が生み出すある種の回帰現象が生じる。エピクロスの時代においてそうした回帰現象の思想的核心をなしていたのはプラトンとアリストテレスの哲学体系であった。マルクスの時代においてその中心をなしていたのがヘーゲル哲学であったことはいうまでもない。そしてプラトン、アリストテレスとヘーゲルの哲学のあいだには明瞭な共通性が看てとれる。それは、本性的存在(イデア、ヌース、絶対精神等々)の第一義性を出発点とする垂直的・演繹的な主述命題の連なりによって世界を根拠づけ正当化しようとする思考態度である。そこでは「~は…である」という主述命題が最終的に還元不能な始元(アルケー)ないしは終局(テロス)に必ず回収される。これによって現存する秩序の正当化が可能となるのである。だがここで注視しなければならないのは、過渡期においてはこうした形而上学がそれが本来対応するはずの真に現実的な世界からすでに遅れてしまっているという事実である。世界のほうはとっくに過ぎ去ってしまっているのだ。とするならば過渡期においてこうした形而上学は本質的には「亡霊」でしかありえない。形而上学が亡霊であることを否応なく明らかにするのが過渡期であるといってもよいだろう。
本書の著者マルコヴィッツはそうした語の真の意味での亡霊としてのプラトン、アリストテレス、ヘーゲル――それは彼らが「形而上学」の徒であることを同時に意味する――の哲学に対してエピクロスが、またそのエピクロスを卒業論文の主題に選んだマルクスが極めてラディカルなかたちでそうした亡霊たちの逸脱的な再解釈を志向していった経緯を詳細にたどってゆく。これによって過渡期が真に明らかにしなければならない思想的課題である形而上学の解体というテーマが浮かび上がってくる。本書が書かれたのは1974年だが、そこには明らかにアルチュセールやデリダ、ドゥルーズらによって当時推し進められつつあったヨーロッパ形而上学の伝統の解体=脱構築作業の影響が看てとれる。さらにいえばマルコヴィッツがマルクスのエピクロス読解にあたりスピノザを重要な参照点として挙げていることにも注目したい。一九六〇年代から七〇年代にかけてフランスを中心に起きたマルクスの再解釈への志向は、上記の形而上学の解体=脱構築と深く関連していたが、その淵源のひとつが、ヘーゲル-マルクスという系譜に代わりスピノザ-マルクスという系譜を導入したことだった(アルチュセール、ドゥルーズ、P・マシュレ、A・ネグリら)。こうしたマルクス再解釈におけるスピノザの位置と意味が、本書によってあらためて明らかにされたことは、マルクス思想の捉え返し、とりわけマルクスの後年の理論に対して卒業論文が持つ意味の捉え返しのために重要な示唆となるだろう。
エピクロスの哲学というとまっさきに出てくるのが「偏奇」である。古代原子論の祖デモクリトスは原子の運動を、原子の直線的な落下運動と原子どうしの反発のふたつの要素によって説明しようとした。これは自然学的認識としては極めて合理的であった。まっすぐ落下する原子と相互にぶつかりあう原子のふたつの運動によって原子の物質的運動は客観的に説明できるからである。だがエピクロスはそこに「偏奇」を導入にする。すなわち直線から斜めに逸脱する運動である。古来エピクロスの「偏奇」は非合理的なものとして侮蔑の対象となることが多かった。物質の運動の合法則的・合目的的運動の説明にとって余計な要素となるからである。ではなぜエピクロスは「偏奇」を原子の運動要素として導入したのだろうか。マルコヴィッツは極めてこみいった論証を通して次のことを明らかにする。すなわち「偏奇」の問題がたんに原子の運動の説明概念というだけにとどまらず、エピクロスの全哲学、とりわけ広義の意味での倫理学の構成要素でもあること、とりわけ人間が主体として社会のうちに存在し、相互に関係しあう状況を捉える上での重要な認識モデルであることを、である。そしてそれはプラトンやアリストテレス、さらにはヘーゲルの形而上学の対する根源的なアンチテーゼとしての意味を同時に持つのである。
このことはそのままエピクロスを扱う若きマルクスの問題にもつながる。本書でマルコヴィッツが強調しているのは、卒業論文およびそれに関連するマルクスのノートにおいて貫かれている方法的態度の問題である。彼女はそのポイントを「引用」と「注釈」に求める。そこから浮かび上がってくるのは若きマルクスの徹底して反体系的かつ断片的なものへの志向である。そしてそれがエピクロスの「偏奇」の哲学と深く共鳴しあうのである。「個的人格と諸個人についての原子論とにかんする市民社会論は、それが競争と市場支配を正当化するために契約路論を楯にとる限り、無意識のうちに、原子という語の両義性において、それ固有の矛盾を示す。(…)原子論批判は二重になる。すなわち、原子論は諸個人の自立を表示するものではなく、個人間の要求と要求とのつながり合った従属関係を表わしており、したがってこの従属関係のゆえに各人は、利害を通じて、関係と約束事として定義されるのである。(…)マルクスは、≪契約≫が社会契約の理論だとは言わないまでにしても、エピクロスのうちに市民社会の分析の図式を見出した。すなわちこれは、偏りを(…)自分の分析の導きの糸と見なしたということである」(27頁)。
形而上学は垂直的・演繹的に本性的存在(主語)から現象(表象=述語)を説明しようとする。このとき本性的存在は実体となる。ヘーゲルの主体=実体図式を想起すればそれは明らかであろう。だがエピクロス=マルクスはそうした形而上学の説明原理をラディカルに拒否する。「≪自然≫physisの連関からディスクールのモデルを作ったかと思えば、今度は文法から物体の構成のモデルを作るといった具合にして、起源の観念を打ち砕き、モデルの観念を打ち砕く――この目論見こそが≪偏奇≫の解釈を打ち立てる際の出発点をなすのである」(78頁)。ここから導き出されるのはディスクール(文体)ないしは文字=記号の問題と不可分なかたちで立てられる徹底した非決定性(偶然性)の哲学に他ならない。エピクロスは世界認識にあたって一個の仮説の絶対性を斥ける。その根拠となるのは「選言(あるいは)」の非決定性である。それは、アリストテレス以来ヨーロッパの論理学を規定づけてきた同一律(その裏返しとしての矛盾律)の否定を意味している。そして同時にそれは、ヘーゲル的意味での本性の外化=受肉の論理の否定をも意味する。世界は、ディスクールおよび文字=記号の次元と関わる表象の非決定的な相互布置にしか定位されないことになる。若きマルクスを触発したのはエピクロス哲学が抱えるこうした問題性であった。
マルコヴィッツはこうしたエピクロスによるマルクスの触発に、後年のマルクス理論の根幹概念となる「交換」概念の起源を見る。エピクロスの原子はマルクスにとってある種の「貨幣」というべきものとなるのである(第一章第二節参照)。こうしたマルクスのエピクロスの捉え方に大きな影を落としているのが、スピノザの『神学・政治論』における聖書解釈であった。スピノザは、聖書にディスクールの次元における首尾一貫性を見出そうとする解釈を拒否した。そして聖書の持つ啓示としての意味をある種の約束事として捉えようとした。このことがスピノザの哲学と深く関連しているのはいうまでもない。スピノザもまたマルクスにとって非決定性の哲学の源泉に他ならなかった。マルコヴィッツは、スピノザが聖書のテクストの意味と真実性を区別している文章を引用した後で、次のように言う。「エピクロスにおける主体の規定と自然の規定との間の交換、法の範疇と自然の範疇との間の交換、そして弁証法的因果性としての記号の交換を語るに際して、マルクスがその目的のためにスピノザのディスクールを用いるとしても、それは恣意性の現われではないことが分かるであろう」(51頁)。
本書はマルクスのエピクロス解釈の検討を通してマルクス思想の源泉に迫ろうとする重要な業績である。本書の出版には紆余曲折があったようだが、マルクスを今なお重要な思考の糧とする人間として本書の公刊を訳者とともに心から慶びたい。(2010.10)