アントニオ・ネグリ著 清水和巳・小倉利丸・大町慎吾・香内力 訳(作品社)
ジャック・デリダ著 國分功一郎訳(岩波書店)
やや私事にも関わるが、本年は廣松渉が亡くなって10年目にあたる。かつて60年代の後半から始まった政治的昂揚の季節が70年代に入って後退へと転じた後、私、あるいは私の周辺で何らか活動に関わっていた人間たちのあいだでは精神的な混迷状況とともに、ある種のマルクス離れともいうべき傾向が生じていた。それはマルクス主義からの政治的離脱とか、転向とかとはちょっと違うものだった。一言でいえば、あらためてマルクス思想の源泉に立ち帰ってマルクスの意味を考え直してみたいという欲求と、マルクスと同時代、あるいは20世紀のマルクス主義運動と同時代の思想について知りたいという欲求というべきものだった。現在活字・活版印刷史の研究に従事するかたわら個性的な装幀と組版づくりでも知られている畏友府川充男らと語らって73年頃からハイデガー、デカルト、ライプニッツ、アレクサンドル・コイレなどの読書会をやった。このときの勉強が現在の私の土台になっているのはいうまでもない。そうした彷徨の涯にもう一度マルクスと向き合う機会を提供してくれたのが、読書会のなかで取り上げた廣松の『マルクス主義の地平』(勁草書房)に収録されていた諸テクストであった。もちろんこうした廣松との邂逅はたんにマルクスの読み直しの契機となっただけではない。『世界の共同主観的存在構造』(勁草書房)から始まり『存在と意味』(岩波書店)へと到り着く廣松固有の思想作業への関心の深まりももたらした。その後廣松が中心になっていた社会思想史研究会への参加で、私の中の廣松思想への関わりはさらに深まることになる。
それはさておきマルクスの問題である。廣松が私たちにマルクス思想の勘所としてあらためて教示してくれたもの、言い換えればマルクスをなお生きたテクストとして読みうるための指針として提示してくれたもの、それは、マルクスが近代社会の諸パラダイムの根源的な転回を可能ならしめるための言説=理論革命を行った思想家であるという認識と、マルクスのそうした言説=理論革命の思想的意味がけっして孤立したものではなく、とりわけフッサール、ハイデガー、メルロー=ポンティらの現象学や、ソシュール、ヤコブソン、レヴィ=ストロースらの言語=記号論的方法(構造主義)といった20世紀思想の諸潮流と問題基盤を共有しているという事実であった。この廣松のマルクスの再解釈をめぐる教示の意味は、アルチュセールの『マルクスのために』『資本論を読む』等の著作、フーコーの『言葉と物』、さらには柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』以降、最近岩波書店刊の『柄谷行人著作集』第3卷として新版の出た『トランスクリティーク――カントとマルクス――』へと至る諸著作を読むなかで一層明らかになってきたといえる。
ただ廣松にとってその早すぎる晩年はおそらく焦慮に満ちたものであったに違いない。89年のベルリンの壁の崩壊とともに始まった雪崩うつような東欧社会主義国家の一斉崩壊後の状況の中で、フランシス・フクヤマの指摘を待つまでもなく、伝統的な社会主義理論はもとより、その根源としてのマルクス思想に対しても「水に落ちた犬」に対するような容赦ない指弾と否定が、自由主義と市場経済への手放しの賛美とともに雨あられと降り注いだ。マルクスの名を口にするのさえ憚られる雰囲気が生まれていった。そんな中にあって廣松は、病いの軀をおしてマルクス思想の擁護に向けた獅子奮迅ともいえる最後の闘いへと乗り出してゆく。それはほんとうに鬼気迫るような執念であった。
さて廣松が亡くなって10年、もちろんマルクス思想を取り巻く環境が好転したわけではない。大学の経済学講座からは一部の例外を除いてマルクス主義経済学が消えつつあるし、若い世代のマルクス思想に関する基本的な知識や理解の欠如には目を覆いたくなるような思いを感じる。だがそうした中でもこのところ少しマルクスを取り巻く風向きが変わってきたように思われる。おそらくその背景には、ユニラテラリズムの立場に基づく侵略的好戦性をむき出しにしながらグローバルかつ均一的な「帝国」の支配秩序の確立に躍起になっているアメリカのブッシュ・ネオコン政権の政策への世界的な危機意識の拡大があることは間違いないだろう。アメリカと「帝国」の秩序に対して世界の至るところで起きつつあるマルチチュードの多様な叛乱と抵抗、あるいはそれとも連動するEU諸国や市民たちのアメリカへの激しい抗議という図式のなかで、アメリカの9/11以降のアフガン・イラク侵略を軸とした「反テロ世界ネットワーク」の構想は完全に崩壊に瀕している。こう考えてゆくと今マルクスが再び読み直され論じ直されようとしているのは、まさにアントニオ・ネグリとマイケル・ハートが『帝国』のなかで新たな階級闘争の分節線を世界マルチチュードの抵抗線に即しながら引こうとしたことところから始まっているといえるのではないか。そしてさらにそうしたネグリとハートの思考の淵源がジル・ドゥルーズやガタリの思想にあるとすれば、ドゥルーズたちこそまさに90年代以降のマルクス・ルネサンスの根源といえるかもしれない。
例えばネグリのマルクス『経済学批判要綱』に関する著作も最近翻訳が出ている(B6判・465頁・4600円・作品社)。そのなかでネグリは次のように言っている。「革命運動の動向からすると、やはり偶然とは思えない。『要綱』は『資本論』形成史の研究者にとって有用なテクストであるだけではない。『要綱』は政治的テクストでもある。なぜなら『要綱』は「切迫する恐慌」の秘める革命の可能性に関する判断と、その恐慌に臨んで労働者階級がとるコミュニズムへの行動を適切に総括しようとする理論的意志とを接合しているからである。『要綱』は両者のダイナミックな関係に関する理論なのである」(同書 四十頁)。ネグリは『要綱』読解を媒介にしながら、実践的意味における階級闘争理論としてのマルクス思想の再生を明確に提示しようとするのである。だがこうしたネグリの認識をめぐってはある種の論争状況が生まれつつある。
ここでやはり最近翻訳が刊行されたデリダのマルクス論『マルクスと息子たち』(B6判・239頁・2400円・岩波書店)にも触れておこう。周知のようにデリダは93年に『マルクスと亡霊たち』という著作を公刊している。まさに東欧社会主義崩壊後の状況のなかであえてデリダはマルクスに言及したわけだが、そこでデリダはフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」というシェーマを批判しながら、マルクスのテクストと思想が時宜を得ない状況のなかにあっても「遺産創造」の文脈を構成しうることを「亡霊たち」というかたちで示そうとしたのである。今回の著作においてもそのモティーフは「息子たち」という概念を通して反復されている。ここでデリダがマルクスの「息子たち」として具体的に名を挙げているのは、フレドリック・ジェイムスン、ガヤトリ・スピヴァク、テリー・イーグルトン、アイジャス・アフマドらだが、デリダはこれらの「息子たち」のマルクスの遺産継承の仕方のなかに「来るべき民主主義」「メシアなきメシアニズム(救済)」の可能性を見ようとするのだ。ネグリにも言及した箇所があるので引いておこう。ただしそこには一定の留保がついているのだが。「私は、アントニオ・ネグリが、彼なりのやり方で、どんな亡霊かは分からないが、とにかく亡霊の唇にこの微笑みを浮かばせてくれたことに感謝している。感謝の念をもって『亡霊の微笑み』を読了した後で、私はネグリに一言でこんなふうに言いたくなったのかもしれない(・・・)同意だ、同意する、ただし「存在論」という一語を除いて、だ。なぜあなたはこの言葉にこだわるのだろう?なぜ、存在論のマルクス主義的パラダイムを失効させた変動をはっきりと認めたその後で、新しい存在論を提案しようとするのだろう」(同書 百九頁)。
このデリダのネグリへの留保は、「存在論」という言葉が暗示しているようにデリダの、マルクス思想が実践化されることで再びある実定性・現実性を帯びてしまうことへの強い警戒感を示している。そうだとするならばここで、廣松から私たちがかつて教示された「言説=理論革命」の担い手としてのマルクス思想の意味が、デリダの議論を通して再び甦っているといえないだろうか。つまりマルクス思想の遺産相続の領域は単純な実践性にではなく言説=理論革命の次元に求められねばならないということなのである。
この点で『現代思想』が臨時増刊号(A6判・222頁・1500円・青土社)として出した「総特集マルクス」の諸論文が興味深かった。とくに田崎英明「商品の言語、商品の性、そして屑の時間」と佐藤隆「資本の修辞学」はマルクスの言説面への言及を含む点が関心をそそった。田崎の論文は、マルクスの叙述言語のうちにある「唯物論」性をどう把握するかという問題意識につらぬかれている。そしてさらにその叙述言語がどう現実と関わっているかという問題もまた同時に問われようとする。このとき田崎が指摘するのは、マルクスの叙述言語を語る主体が「人間」ではなく「商品」であるという事実である。この一見自明でありながら謎に満ちた「商品語」の問題、すなわち「モノの人格化」としてのマルクスの叙述形態の意味を理解していたのは田崎によれば唯一ヴァルター・ベンヤミンだけであった。ベンヤミンのなかにある、死が生として現われ、生が死に包摂されるアレゴリカルな自然哲学の意味を、田崎は人間を徹底的にモノへと還元した次元ではじめて可能になるマルクスの「商品語」の論理に重ね合わせるのだ。そこから導かれる田崎の結論は「マルクス主義とは、ものという屑の思想以外の何だというのだろう」(五十三頁)である。この田崎の議論は同誌中の今村仁司の「マルクスにおける歴史的時間の概念」とともに、マルクス思想の根幹をついていると思う。すなわち通常の意味での生(現在)の時間/死(過去)の時間の区分をひっくり返さない限りマルクス思想の一番肝心な部分は見えてこないということである。このことはおそらくアルチュセールや廣松が指摘しているマルクスの叙述における時間的順序の転倒(後が先であり先が後である)の問題と本質的に関わってくる。だからこそこの視点に立って田崎がネグリの認識を「生の存在論」として批判していることの意味が問われなければならない。佐藤隆の論文も「修辞学」という視点に立ってマルクスの叙述言語を問うているのが興味深かった。マルクスが意味論的文脈と構文論的文脈を弁証法的に重ね合わせながらヘーゲルにはない叙述対象の動態的な規定――それは実体規定でも形式規定でもない――を可能にしたという指摘は秀逸である。2004.7)