シリーズ・哲学のエッセンス スピノザ : 上野 修



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上野 修 著(NHK出版)
 
 
 
 
 
 
 
 
このNHK出版の「シリーズ・哲学のエッセンス」もすでに20冊を超えた。約100頁というコンパクトな分量の中で、それぞれの著者が、たんなる解説や概論では終わらない個性に富んだ問題意識を提示し展開しているこのシリーズは、岩波書店の「思考のフロンティア」シリーズとともに、現在もっとも触発的な議論に会える場の一つといってよいだろう。そのシリーズの最新刊が上野修による『スピノザ』(B6版・107頁・1000円・NHK出版)である。

  一読して感じられたのは、本書における上野のスピノザへのアプローチのユニークさである。それはこのシリーズの中でも抜きん出ているように思われる。上野は本書でスピノザの『神学・政治論』だけを扱っている。本書とは別に『スピノザの世界―神あるいは自然』(講談社現代新書)を最近公刊しているとはいえ、本書にはスピノザの主著である『エチカ』をめぐる議論はまったく登場しない。つまり本書で上野は事実上スピノザの思想全体に対する見通しをあらかじめ放棄したところから議論を始めているのである。これはどういうことか。

 昨今のスピノザへの関心の高まりは今さらいうまでもないことであろう。だがスピノザが何を考えていたのか、いや、より正確に言えば、スピノザはそもそも何を問題にしようとしていたのか、ということ、つまりスピノザのプロブレマティクということなのだが、それに関してどれほど理解が、とりわけわが国において深まったといえるだろうか。この点に関してスピノザは依然として極めて難解な思想家であるといわねばならない。この難解さがどこから来るのか、じつはスピノザの思想について考えようとするときこの問いこそがまず最初に踏まえられねばならない。そしてそこから出発してスピノザの思想へアプローチしようとするとき、少なくとも私にとっては、その難解さの本質的な部分が『神学・政治論』というテクストに由来しているように思われる。 

 主著『エチカ』執筆を中断して書き上げたこの『神学・政治論』全篇を貫いているのは、本書執筆の2年後に起こるスピノザの最大の庇護者ヤン・デ・ウィットの虐殺をまるで予感していたかのようなある種の深刻な危機意識である。例えばそれは、『神学・政治論』の序文にある次のような言葉に現れている。「私は知っている。敬虔の名の下に心に抱かれた諸々の偏見は精神のうちにきわめて頑固に固着しているということを、また民衆から迷信を取り去ることは恐れを取り去ることと同等に不可能であること、そして民衆のかわらなさは頑迷さであって理性の導きなどおかまいなく、ものごとを衝動のままに賞賛したり非難したりするということも知っている。ゆえに、民衆ならびに民衆とともにこうした感情にとらわれている人々にはだれもこの本を読んでもらいたいと私は思わない」(本書21頁より引用)。

ここから読み取れるのは、スピノザの、むしろ絶望といったほうがよいような危機意識の深さである。そしてその核心にあるのは、スピノザの思想の根幹をなすといってよい「民衆」への絶望感に他ならない。この民衆への絶望とディスコミュニケーションの意識の延長線上に見えてくるのは、信仰と理性の激しい葛藤に彩られたヨーロッパ最初の共和国オランダの当時の状況であり、さらにはそれを通して浮かび上がってくる「正しさ」――信仰上のものであれ、政治上のものであれ――の基準、尺度の深刻なぶれである。いや、ぶれという言い方は正確さを欠くかもしれない。それはむしろ基準や尺度をめぐる決定不能性、ないしは原因や要因から一義的な結果(決定)を導く根拠づけの論理に潜む本質的なパラドクスというべきかもしれない。しかもそれはスピノザの中で、民衆の存在こそが「正しさ」の絶対的基盤であるという認識と決して矛盾しないのだ。「正しさ」の基準としての民衆存在と、それを裏切る現実の民衆存在のあいだのずれ・分裂――、スピノザのいう「偏見」「頑迷さ」とは、この分裂を強いる決定不能性・パラドクスを決して認識しようとしない、いやそれどころかそうした決定不能性やパラドクスを認識することそのものを信仰や理性への敵対行為として無視・排除しようとするような態度を意味している。スピノザの絶望的な危機意識は当時のオランダにおけるこうした態度の跋扈に由来している。
                 

上野が『神学・政治論』というテクストにおいて徹底的に読み抜こうとするのは、スピノザのこうした「正しさ」の決定不能性、パラドクスに関する認識のかたちであり意味である。上野のスピノザへのアプローチが群を抜いてユニークなのは、そうした『神学・政治論』の読み方がこれまでほとんど――とくにわが国では――なされてこなかったからであり、さらにはそうしたアプローチによって『神学・政治論』という、内容の次元よりもむしろ読解に向けたスタンスや入射角の次元において異様な難解さを帯びてしまうテクストへの入り口が初めて見えてくるからである。ついでにいえば、この上野のアプローチによって私たちは、現在のスピノザ読解にもっとも決定的な影響を与えたドゥルーズのスピノザ解釈への、あるいはそこから導かれるドゥルーズの思想の根幹への導路を得ることが出来る。というのもスピノザにおける「正しさ」の決定不能性・パラドクスの問題は、ドゥルーズがなぜ「固有性」ではなく「個体性」ないしは「特異性」を問題にしなければならなかったという問題と深く関わるからである。「正しさ」を一義的に、つまり無媒介な決定性において扱おうとする態度に「固有性」は依存しており、それを否定するかたちで、すなわち決定不能性・パラドクスにおいて「正しさ」の問題を扱おうとするとき「個体性」「特異性」という視点が現れてくるからである。

上野は、スピノザの同時代のオランダには「正しさ」の一義性を疑わない二つの立場があったことを指摘する。一つは、政治的には君主制の復活を志向する「総督派」と呼ばれる正統派の聖職者や神学者のグループである。彼らは、聖書に書かれた言葉を無条件の真理として受け入れることを主張する。すなわち聖書に現れる超自然的な奇蹟や恩寵をそのまま真理として丸ごと肯定することを求めるのである。したがって彼らにおいて真理は信仰に従属することになる。それに対して政治的には「共和派」に近い立場にあったデカルト派のグループは、聖書の真理を出来るだけ合理的に解釈しようとする。その背景にあるのは「神学と哲学の分離」という立場である。哲学が体現する理性にこそ聖書の真理は帰属するのであり、神学がつかさどる信仰は真理とは無関係であると彼らは主張するのである。この二つのグループの対立は哲学・神学論争にとどまらず、共和派の総帥であったウィットの虐殺に示されるように深刻な政治的対立をも惹起していたのだった。そしてその虐殺を実行したのは総督派の聖職者に使嗾された民衆だったのである。

共和国が体現する自由の本質的な担い手であるはずの民衆自身が、君主制を志向する総督派によって共和国への攻撃に駆り立てられてゆくという矛盾とそれがもたらした絶望感こそスピノザが『神学・政治論』を書いた最大の動機であったに違いない。と同時にもう一点見落としてはならないのは、そうした矛盾に対して「哲学と神学の分離」をいうデカルト派が決定的に無力であったこと、そして彼らがスピノザの問題意識に対して総督派に劣らず激しい攻撃を仕掛けているという事実である。裏返して言えば、スピノザは『神学・政治論』というテクストを通じて、総督派と共和派の、正統神学派とデカルト派の対立の外部に立とうとしていたのであり、外部に立つことによってこの両者の対立の基盤そのものを決定的に脱臼させようとしたのである。だからこそスピノザは、その対立に巻き込まれて「頑迷さ」のとりことなってしまっている民衆も含め、全オランダを敵に回してしまったのだった。
                  

ではスピノザはどうこの対立・矛盾の外に立とうとしたのか。上野は次のようにいう。「スピノザは問う。この最初の前提、聖書は全体が真理であるという盲目的な前提がそもそも間違っているのじゃないか」(36頁)。

スピノザにとって聖書は、数千年の長い歴史の中で異なる時代の異なる多くの人々によって集積されてきた伝承断片の「コーパス(資料体)」を意味していた。そのような聖書が、そのうちに様々な矛盾や欠陥を含んでいるのは当たり前なことではないか。それを無理やり首尾一貫した真理の体系として解釈することこそおかしな話ではないか。

ではもし聖書が真理の体系でないとすればどうなるのか。スピノザは主張する。「聖書は哲学的な事柄を教えているのではなくてただ敬虔だけを教えているのであり、また聖書の全内容は民衆の把握力、民衆の先入的意見に順応させられている」(本書40頁より引用)。

聖書が教えているのは「真理」ではなく「敬虔」である。これは何を意味するのか。ここから上野は本書におけるもっとも重要な創見を抽き出してゆく。聖書が敬虔だけを教えていること、裏返して言えば真理を教えているわけではないことは、別な角度から言えば、聖書において問われるべきなのが「語りの意味」、上野の言い方に従えば語りの「主張可能条件」であるということを意味する。そしてさらに言えば、聖書の中で語られたことが、なぜ「預言的確実性」を帯び得たかということこそが、聖書に対して問われるべき核心となるのである。そしてそこに「敬虔」が結びついてゆくのである。それを上野は次のように述べている。「自分の側に根拠のない、証明不可能で倫理的な確信、これ預言的確実性のすべてなのである。(……)預言者は自分の「正しいこと・よいことのみに向けられた心」を担保に、その心情を絶対的な他者の査定に委ねるようにしてでなければ、民の前でどんな確信も語れなかった。神は敬虔な者を欺かれるはずがない」(49頁)。

このようにして敬虔を通じた預言的確実性の、「正しさ」の真理条件から解放されたかたちでの、言い換えれば語りというかたちでの成立のうちに、スピノザは、民衆と神のあいだの、語りを通じたふれあいによって可能になる語の真の意味での「民主国家」のあり様を、そしてそれを基礎づける「敬虔の文法」を見通すのである。それが『神学・政治論』の核心に他ならない。だからこそ上野の、本書における議論の核心ともいうべき次のような叙述が、『神学・政治論』の読解として極めて重要な意味を持ってくる。「〔ヘブライの神政国家が失われた後の〕わがオランダ共和国では、聖書がなんと言おうと、何が正義で何が不正義か、何が敬虔で何が不敬虔かを決定する権限はまっさらな形で共和国の最高権力にある。だから、いまさら宗教的権威を持ち出して市民政府の決定に不敬虔だとかなんとか文句をつけるのは統治権を奪おうとすることであり、まさに敬虔の文法によって「反逆的な意見」といわねばならない」(7172頁)。
絶対的な「正しさ」は何も宗教だけの占有物ではない。哲学も国家も「正しさ」の怪物(リヴァイアサン)として宗教以上に危険な存在というべきである。「正しさ」が決定不能であることの中で「固有性」を絶えず解体しながら、民衆の/への語りの水位において現れる「敬虔」、すなわち絶えざるリゾーム状の変化のうちにある決定不能な特異性へと依拠する「倫理」だけが、「正しさ」の怪物性に対抗出来るのかもしれない。本書を読みながらそんな思いにかられた。2006.9


戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか : 伊東祐史






 
 
 
 伊東祐史 著(平凡社)
 
 
  
 
あらゆる社会意識には「抑圧されたものの回帰」が伴なう。そして抑圧されたものが回帰するとき、社会意識の表層にある自明性が脅かされ、「居心地の悪さ」が惹起される。日本の戦後社会もまた例外ではなかった。

日本の戦後社会は敗戦と占領とともに始まった。それは、戦後社会が建て前上は戦争を「悪」として一方的に断罪し、その戦争を引き起こした「戦前」をも否定しなければならないというカノンを作り出した。この点では保守派も左翼革新派もかわるところはない。とりあえずいえば保守派にとってこの「戦前」および戦争期と戦後の断絶を証明していたのは日米安保体制であった。これによって保守派は自立した日本国家の根拠を自ら放棄し暗黙の占領状態が続くことに同意したのであった。左翼革新派にとってその証となったのが日本国憲法であったことはいうまでもない。

だがこのカノンには奇妙なねじれが含まれており、しかもそのねじれを通して戦後社会が封印してきた抑圧されたものの回帰の所在を指し示すのである。それを象徴しているのが天皇制の問題に他ならない。保守派が日米安保体制を受け入れたのはそれが天皇制存続の条件だったからである。沖縄をアメリカに売り渡し日本全土を米軍基地として自由に使用させるという事実上の占領状態の継続を保守派が受け入れたのは、それが占領軍(アメリカ)の天皇制存続を認める唯一の条件だったからに他ならない。だがそうだとすればそこには奇妙なねじれが存在することになる。なぜなら天皇制は形式上日本社会が「戦前」から戦後へと連続していることの唯一の証だからである。左翼革新派が依拠する憲法にも奇妙なねじれが存在する。憲法の第一条から第八条までが規定している象徴天皇制の問題である。左翼革新派はこの象徴天皇制という形での天皇制の存続を認めた憲法を自らのよりどころとしているのである。ではなぜこのようなねじれが生じてしまうのか

保守派にとって天皇制の存続をかちとることは本音のレヴェルでは敗戦を認めないことの、言い換えれば「戦前」が戦後へと連続することの唯一の証だった。しかしそれは日米安保体制という代償抜きにはありえなかった。もはや保守派には再度の日米戦争を戦い抜き正面から「戦前」を取り戻すことは不可能だったからである。左翼革新派のほうはどうか。彼らは「戦前」に一度天皇制に全面敗北している。この敗北から左翼革新派が立ち直ることが出来たのは自らの力によってではなかった。敗戦と占領をもたらしたアメリカの力のおかげだった。そのアメリカが憲法によって天皇制の存続を認め日米安保体制を強いたとしても、左翼革新派には先験的にそれへ抵抗する力はなかった。逆にそれを自らの存立基盤にするというねじれを受け入れざるをえなかったのである。

日本の戦後社会において保守派も左翼革新派も、自らの本音の「義」を正面に立ててそのために戦う自立した力を持ち得なかった。そのため保守派も左翼革新派も究極のところで、自らの存在を自らが否定しようとしているところのものによって支えられるという逆説、ねじれにさらされ続けることになる。そしてこの逆説、ねじれが「抑圧されたものの回帰」を促すのである。では戦後社会に回帰してくる抑圧されたものとは何か。それは三つの相互に循環しあう要素からなる。ひとつは、戦争に負ける前の「正しい」日本国家の姿としての「戦前」である。ふたつ目は戦争の犠牲になった死者たちである。ただしこの死者は保守派にとっては靖国に祀られるべき「英霊」として、左翼革新派によっては無辜の犠牲者として認識される。さて三つ目は反米である。より端的にいえば敗れた戦争のリターンマッチとしての日米戦争である。ここでも保守派と左翼革新派は分岐する。保守派にとってそれは口にしてはならないタブーだった。アメリカに押しつけられた憲法を改正せよというスローガンを掲げるのがせいぜいだった。なるほど左翼革新派が公然と反米愛国を掲げたことがかつてあった。だがそれは日本の内部から出たというよりは冷戦下のソ連や中国の思惑、戦略にのっかって出てきた側面が強かった。しかも左翼革新派には反米がアメリカと天皇制を串刺しにして打倒する革命運動を通してしか実現されえないことへの自覚が欠落していた、その結果として上記の三つの抑圧されたものが回帰してきてもその行き場所はなかったのである。「戦前」はたんなるノスタルジーに堕し死者たちの処遇が定まることもなかった。とはいえそれらは執拗に回帰しながら戦後社会の基底から揺さぶり続けるのである。

このねじれ、逆説の根源にあるものとは何か。それは「転向」の問題である。保守派にとって転向は占領の受け入れとして現れた。そしてこの転向は戦後を通じて一貫して保守派を呪縛し続けたのである。安倍内閣がナショナリズムを正面に掲げ改憲を打ち出しながら脆くも崩壊したのは、ナショナリズム=改憲が必然的に日米安保体制と抵触し、ひいては戦後転向というタブー=パンドラの箱を開いてしまう危険に耐え得なかったからである。では左翼革新派はどうか。彼らの転向は二重であった。そこには戦前の「転向」と戦後の「再転向」という二回の転向がはらまれていたのだった。左翼革新派にとってもこの二度の転向体験はタブーだった。転向=再転向体験に触れることは左翼革新派の存立基盤を突き崩す結果を招くからである。このタブーに安住することを支えていたのが護憲の建て前に他ならない。だからこそ村山内閣において護憲、すなわち第九条死守のカノンに反して日米安保体制を認めたことが左翼革新派の中心であった総評=社会党体制の崩壊につながったのである。

 こうしたことから見えてくるのは日本の戦後社会における主体の壊乱状況である。戦後社会には語るにたる主体の存立状況が本質的に不在だったのである。そして絶えず回帰してくる抑圧されたものの影がこの主体の不在状況を脅かし続けてきたのである。なるほど高度成長はつかのまこの主体の壊乱と不在の状況を忘れさせてくれた。だがバブルの崩壊と冷戦の終焉が同時にやってきた90年代になって日本社会はふたたびこの危機的な状況に正面から向き合わざるをえなくなったのだった。

           
   その意味では戦後の意味を問い直そうとする加藤典洋の『敗戦後論』が90年代初頭に登場してきたのは必然的であったといわねばならない。論の当否は別に加藤がこの著作で上記のような日本の戦後社会のねじれを取りあげたことの意味は小さくない。したがって今回若い世代に属する伊東祐史がこの加藤の著作を手がかりにしながら戦後社会のねじれを問うべく、その著書『戦後論』(B6判・295頁・2600円・平凡社)を刊行したことに私は大きな関心をそそられ本書を読み始めたのだった。その結果私は今複雑な感慨にとらわれている。敗戦はおろか60年安保闘争も、いな60年代から70年代にかけての安保・沖縄・学園闘争さえもまったく知らない世代に属する伊東が敢然とこの難しい問題に取り組もうとした熱意と勇気にははばかることなく賞賛の意を伝えたいと思う。とはいえそのことは伊東の論そのものへの全面的賛意にはつながらない。残念ながらそこには致命的ともいえる錯誤や誤認が散見されるからである。

 まず指摘しておきたいのはやや逆説的に聞こえるかもしれないが伊東がこの著作における論の範囲を戦後に限定してしまっていることの問題である。すでに触れたように戦後社会のねじれの起源に位置していたのは主体の壊乱状況であり、それがもたらした主体の存立基盤の不在状況であった。そしてその真の起源は転向にあったのである。この転向において主体の当事者意識を超えたところで「戦前」と戦後はじつはすでに連続しているのである。転向を軸に見たとき問題なのはむしろこの無意識の連続性であって断絶は建て前にすぎなくなる。より精確に言えば、決して表立って口にしてはならない連続性がねじれた形で存在するからこそ建て前上は断絶が左右を問わない形で強調されねばならなかったのである。伊東は戦後のみを論の対象とすることによってこの転向問題を視野の外に置いてしまった。それによって伊東の論は前提において重大なずれをはらんでしまったのである。

 伊東は本書で、日本の戦後社会の最大の問題点が戦争を引き起こした「当事者意識」の欠落にあると主張する。「当事者意識」が欠落していたからこそねじれが生じたのだというのである。なるほど伊東が指摘するように日本の戦後社会には戦争を引き起こしたことに対する内在的な反省が欠落していた。それはあるいは「当事者意識」の欠如と形容される面を持っているかもしれない。だがこの問題の本質は決してそこにはないのだ。問題なのは保守派も左翼革新派も転向を経てすでに戦後の出発の時点でその存在の内部にねじれを抱えていたという事実である。私にとってふに落ちないのは、伊東が「当事者意識」という概念を持ち出すにあたってどうやら主体の連続性、持続性を素朴に信じているらしく思えることである。問題はまったく逆なのだ。ねじれが示しているのは戦後社会を根底から規定づけている主体の不可能性なのである。そしてその起源となっているのが転向問題なのだ。
 
このように見てくるとき、伊東が評価する伊丹万作や大岡昇平、吉田満についての見方も変わってこざるをえない。よく考えればわかるように彼らもまた隠れた転向者であった。一言で言えば彼らに共通しているのはモダニズム=リベラリズムからの転向という(トラウマ)である。そして彼らが誠実であったとすればそれはなにより彼ら自身のこの転向の傷に対して誠実であったということになるはずである。同じような問題は竹内好や吉本隆明の評価にも感じられる。一貫して伊東に見えていないのは、隠微な形で存在する「戦前」と戦後の連続性と一体的に結びついている左右を問わない転向体験の機微であったように思えてならない

おそらくそれは転向という問題を実感的に受けとめられる素地が80年代以降日本の社会から失われた結果なのだろうと思う。だが例えば丸山眞男のいう知識人の「悔恨共同体」が裏返して言えば転向者たちの傷の隠蔽のための 建て前上は反省のための 共同体であるということを、そして吉本が批判したのがなによりもこうした転向者たちの当事者意識の欠如とそこから生じたタブー、より精確に言えばタブーが生み出した思想的怠惰だったことを感じ取れる感性が戦後を論じる際には不可欠な要素なのではないだろうか。
繰り返しになるが若い世代に属する伊東がこの困難な問題にあえて取り組んだ姿勢には満腔の共感と賛意を覚える。だからこそ次作ではより本質的な洞察を示して欲しいと思う。(2011.3

 


貨幣と精神 生成する構造の謎 : 中野昌宏



 
 




中野昌宏著(ナカニシヤ出版)



 
古代ギリシアにおいて哲学が生まれて以来、「私たち」を含むあらゆる存在者とそれらを総体として包含する世界の成り立ち、様態、根拠への問いは、世界の始元(アルケー)への問いというかたちを取りながら、つねに哲学における中心的な問題であり続けた。よく知られているように、記録に残る最初の始元の定義者であったイオニアの自然哲学者ターレスはこの始元が具体的な物質である「水」であるとした。だがターレスに続くアナクシマンドロスになると始元は「無限定なるもの(ト・アペイロン)」というかたちで早くも具体的な物質性を離れる。おそらくそこにはヘシオドスやアポロドーロスが描いた神話的な世界――自然の物質性と自然自身に宿る「精霊(プシケー)」が融合されるアニミスティクな論理の世界――と哲学の世界――自然の物質性と論理性がはっきりと区別される世界――との本質的な分離という事情があったのだろうが、このアナクシマンドロスによる始元からの物質性の剥奪はその後の哲学における始元への問いのかたちと性格に大きな影響を与える。一言で言えば哲学的な意味での始元はアナクシマンドロス以降、それ以上論理的に遡行しえない思考論理の絶対的な出発点としての意味を、同時にこの世界、この存在者という個別性や遇有性が「ある」ということにとっての普遍的な根拠、アリストテレスに即せば基体(ヒュポケイメノン)としての、原理(アルケー)としての意味を持つことになる。

 
 このようなかたちで捉えられる、それ以上の遡行が不可能なものとしての絶対的原理=始元は、だがそうした定義ゆえにその核心において極めてやっかいな矛盾というかアポリアを抱えこむことになる。そもそもこの原理=始元は、あらゆる個別的な存在者に絶対的なかたちで先行するものである。その場合原理=始元は当然にも個別的な存在者の帰属する世界には帰属していないことになるはずである。つまり原理=始元はあらかじめそうした世界の生成のはるか手前に自らの定位されるべき位置を有していなければならないということである。

 
 このとき一つの問いが生じる。ではいっさいの存在者性を持たないかたちで存在者の世界のはるか手前に位置しているこの原理=始元はいったいなにによってその存在を証明されるのか、という問いである。それはもう少し哲学的議論の文脈に引き寄せて言えば、「原理=始元といえどもそれを思考し対象化する「何か」がなければその存在を明示的なかたちで証明することは出来ない。にもかかわらず、その思考し対象化する「何か」もまたすべてに先行する原理=始元によってその存在を根拠づけられているはずである。そうであるとすれば、その「何か」が原理=始元に先行するかたちで――先行することと思考し対象化することは事実上同一な事柄である――原理=始元を自らの思考対象とすることは権利上許されないことになる。だとすればいったい何によってこの原理=始元はその存在証明を行えばよいのか」、という問いになるだろう。この問いは、原理=始元の問題が素朴な存在一元論的世界を離れて、文字通り思考論理の次元における「はじまり」の論証の問題となるとき完全な循環論理のわなに陥る。というのもここでは原理=始元の論証に、どうしても思考し対象化する「何か」として、「思考する主体」という媒介項(エージェント)を必要とするようになるからである。しかもその「思考する主体」は、原理=始元の有するすべての存在者とその世界を創出・産出するという役割に自らを同化しなければならない。つまり原理=始元の絶対的な創始としての確証が、「思考する主体」の絶対的な創始としての定礎・確立を通して遂行されるということである。デカルトの「コギトー・エルゴー・スム」の論理はまさにその例証に他ならない。だが、そうだとしても次のような問題が依然として残ってしまう。ではこの「思考する主体」はどのように確証されるのか、という問題である。するとそこで問題が二重化されていることが明らかになる。

 
一つは「思考する主体」の具体的な存在様態を規定する思考作用、あるいはそのさらに遡行的な規定性としての意識作用が、それ自体としては原理=始元によって創出・産出されるこの世界、この存在者の個別性・遇有性の側に属するものであるということである。つまり「思考する主体」をめぐって「創出・産出するもの」と「創出・産出されるもの」のあいだの完全な循環関係が生じてしまうのである。ではこの循環をまぬかれるために「思考する主体」を存在者の個別性・遇有性から完全に切り離してしまうとしよう。たしかにそうすれば原理=始元と「思考する主体」のあいだの矛盾はなくなる。だが矛盾がなくなった瞬間問題は完全にもとに戻ってしまう。そもそも「思考する主体」という媒介項が要請されたのは、原理=始元を外から思考し対象化する「何か」によって原理=始元を確証するためだったのだ。その媒介項がまったきかたちで原理=始元と同一化されてしまうのなら、あらためて「では何によってその確証は可能になるのか」という問いが再帰してきてしまうことになる。この第二の問題によって、原理=始元の確証という問題は循環論理のわな・袋小路のなかで完全に暗礁に乗り上げてしまうのである。これこそがカントの『純粋理性批判』における「物自体」(原理=始元としての「何か」=いっさいの根源でありながら名指し得ないもの)と、「超越論的主観性」(思考する主体=媒介項)およびそれが妥当する「現象世界」のあいだの絶対的な乖離というアポリアに他ならない。原理=始元の探求がついに不可知論的な無底性(アプグルト)に陥らざるを得ない所以をカント以上に精緻なかたちで論証してみせた思想家はいなかったといってよい。
                  

 
長々と前置きめいたかたちで書いてきたが、じつは以上述べたような原理=始元をめぐるアポリアが今回取り上げようと思った中野昌宏の新著『貨幣と精神 生成する構造の謎』(A5判・250頁・3000円・ナカニシヤ出版)の主題なのである。私は本書を何気なく店頭で取り、貨幣論への問題関心から購入したのだが、読み進めるうちに上記のようなアポリアをめぐって中野の論が展開されていること、そして貨幣問題はそのアポリアの結節点として扱われていることに気づき、俄然本書への興味と関心をかきたてられたのだった。というのも原理=始元を立てる=明示することから導かれるプリミティヴな意味での整合的体系論理の定礎――例えば経済学においてそれをやったのが労働価値説のリカードゥだった――が、ある根源的な理論的倒錯につながるということこそ、マルクスの『資本論』第一巻第一章「商品」における価値形態および貨幣の生成(ゲネシス)についての洞察の持つ核心問題だったからである。あるいはスピノザの『エチカ』第三部における「大衆(マルティテュード)」問題にも同様な問題が潜んでいた。マルクスにせよスピノザにせよ、原理=始元からストレートかつリニアーなかたちで体系――中野に即せば「構造」――を引き出し、その体系に基づいて説明のための言説を組み立てたとき、そこにとんでもない倒錯が生じてしまうことを、裏返して言えばこの倒錯をまぬかれるためにはある根本的な言説構造の編成替えを行わなければならないことを明確に指摘した点で、その思想家としての際立った卓越性を見ることが出来るのである。では言説構造の根本的な編成替えのためのポイントおよび条件とは何か。中野が本書において問おうとしているのはまさにそのことに他ならない。
その焦点となるのが、言説が編成される際の「事前」と「事後」の関係である。中野は、まず社会全体の秩序がどのように形成されるのかという問題をめぐって、「傾性論」と「懐疑論」という二つの立場を提示する(19頁参照)。前者が、社会を構成する諸要素にはあらかじめ秩序に向かう傾性が備わっている、つまり秩序という「結果=事後」はあらかじめ「原因=事前に」よって決定づけられているという考え方に立つのに対し、後者はそうした秩序がじつは虚構にすぎず、実態は個々ばらばらな諸要素の偶然的な集まりにすぎない、言い換えれば「事後」と「事前」には何の必然的な関係も存在しないという考え方に立っている。だが中野によれば、この二つの立場は、そもそも社会秩序の構造としての全体性がなぜあるのか――少なくとも遂行的にいうならば、私たちが何らかの社会秩序に属していることは自明な事実である――という問いの消去しか意味していない。私の言い方に即せば、前者は極めて単純なかたちで秩序(世界)を原理=始元からリニアーなかたちでひき出すその言説のあり方ゆえに、秩序成立の問いそのものを無意味にしてしまうからであり、後者は遂行的に見れば、つまりそのつど個々の要素がランダムな動きをするにもかかわらず事後的に見るならば、そこに一定の秩序が成立しているという事実を否定する言説のあり方ゆえに、秩序成立の場面そのものを問題として消去してしまっているのである。つまり両者とも、事前と事後の関係の捉え方に関する基本的な視座を決定的なかたちで欠いてしまっているのである。

例えばマルクスが『資本論』の価値形態論においてもっとも理論的に苦しんだのは、価値形態が成立するためには、事前に何らかのかたちで二つのもの(商品)間の交換を可能にする「何か」―一それは一般的にいえば交換の尺度(メジャー)だが、事前にはまだ権利上そう名づけることは出来ない――がなければならないにもかかわらず、この「何か」は事後的にしか、つまり交換の結果としてしか見出されえないという点であった(第三章参照)。この事前と事後のねじれた関係こそがまさに、あらゆる原理=始元を明らかにしようとする言説のあり方にとって問われねばならない普遍的な問題であるのだ。「わたし=自我」の定立においても、言葉の「意味」の確定においても、つねにそれは事後的にしか見出されないにもかかわらず権利上は事前に、つまり原理=始元であるような「何か」として定礎されていなければ言説は構成されえないのである。

この事前と事後のねじれと言う視点に立つとき、観念論対唯物論、要素論対全体論といった伝統的な二項対立はすべて無効になる。中野に従えばこれが「貨幣」の問題に他ならない。貨幣的なものこそは事前と事後のはざまに立つ名づけ得ない何かであるとともに現象する存在者、世界だからだ。そして中野の本書における卓見は、この「貨幣」問題の核心をラカンの論理を通して解きほぐしてゆこうとしたところにある。つまり同一的な起源、原理=始元のはじまりにはつねに、ラカンが見た鏡像段階(第一次ナルシシズム期)を脱する段階で起こる「私」と「他者」の否定性を含んだ相互関係――いうまでもなくそれは閉じ・完結した関係ではりえない――がはりついていることを私たちは見抜かなければならないのである。

最近中野も含め、若い世代のややアロガントな香りのする、だが極めて意欲的な言説や理論の根本的な編成替えに向けた試みが見受けられるように思える。とくに関西からそうした試みが多く出てきている印象があるが、一つは神戸にあの郡司ペギオ幸夫がいるせいだろうか。そうした仕事を読み内在的に理解するのはなかなか大変だが一面たのもしさと期待も大いに感じる。(2006.7)



ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統 : フランセス・イエイツ

      フランセス・イエイツ著・前野佳彦訳(工作舎)

2011年3月末にドイツから日本へ戻りふたたび本欄を日本で執筆することになった。東日本大震災が起きた3月11日はまだドイツにいてそろそろ帰国準備にかかろうとしていたときだったが、ドイツのメディアを通して伝わってくる被災地の惨状には強い衝撃を受けた。この重い衝撃と悲傷の思いは帰国してもなお続いている。本来ならばこの問題に関連する著作を取り上げるべきところだが、まだ個別問題を超えるレヴェルでの本格的な考察や議論は出ていないように思われるのと、私自身の中で渦巻いている様々な思いのために現在のところ冷静にこの問題を考えることが出来そうにもない。もう少し時間を置いて取り組んでみたいと思う。
 
 ところで一年間の留守のあいだに届いていた本の中にフランセツ・イエイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』(A6判・877頁・10000円・工作舎)があった。私にとってはたいへん懐かしい本である。学生時代卒論のテーマとしてリルケにおける文学と神話の関連を選んだことから、当時私は神話学や人類学の世界に入れこんでいた。きっかけは林達夫と久野収の対談『思想のドラマトゥルギー』(平凡社)を読んでルネサンス精神史に強い関心を抱いたことだった。とくにキリスト教という正系に対する異教的な深層伝統としての新プラトン主義やヘルメス思想、グノーシス主義が中世においても途絶えることなく受け継がれルネサンス精神へ、とりわけフィレンツェのアカデミア・プラトニカにおけるマルシリオ・フィチーノやピコ・デッラ・ミランドラらに主導されたプラトニズム復興へとつながっていったことには大きな衝撃を受けた。それまでのヨーロッパ精神史の常識が覆されるのを感じたからだった。そうしたなかで出会ったのがヨーロッパ精神史におけるプラトニズムの伝統の意味を究明しようとしたアーサー・ラヴジョイの古典的名著『存在の大いなる連鎖』(邦訳晶文社)であり、当時はまだ翻訳のなかったイエイツの本書だった。その後イエイツの著作では『世界劇場』(晶文社)や『記憶術』(水声社)が邦訳されたが、精神史学者としてのイエイツの名を一挙に高めた本書の翻訳はなかなか出なかった。だが私がドイツへいっているあいだについに本書の翻訳刊行が実現した。日本におけるヨーロッパ精神史研究にとって本書の刊行はひとつの事件であるといってよい。なぜなら林達夫、あるいは澁澤龍彦、種村季弘、山口昌男らの努力にもかかわらず日本のヨーロッパ精神史理解においてイエイツが扱っている分野は依然として十分に掘り下げられているとはいえないからである。逆に言えば本書は日本のヨーロッパ理解の根本的な歪みを正すためにどうしても翻訳が必要だった極めて重要な著作だったということである。現時点では必ずしも新刊とはいえないがその重要さに鑑みてぜひ本欄で取り上げたいと思う。
 
                  
 本書でイエイツが扱おうとしているのはヨーロッパ精神史、とりわけ中世末からルネサンスにかけての時期における「魔術的なもの」の伝統である。ここでいう「魔術的なもの」とは、宇宙に煌めく星辰の世界と地上世界のあいだの照応関係に感応することが出来る「霊的能力」を意味する。「共感魔術の方法は地上に向かって絶えず流出してくるものがあってそれが感応霊力を持っているということを前提とし、『アスクレピウス』の著者もそのことに言及している。必要な知識を備えたオペレーター術者ならば、この流出とその官能霊力を導き用いることができると信じられていたのである」(訳書80頁)。
 
 この短い記述のなかには本書を理解する上での重要な鍵がいくつか含まれている。まず「流出」という概念である。プラトンは晩年の対話篇『ティマイオス』において、造物神デミウルゴスが自らに備わる至高善をあますことなく被造物へと注ぎ込み世界を創造したと述べている。世界は創造神のもつ絶対的な善が注ぎ込まれることによって創造されたのである。この考え方を発展させ、「一なるもの」としての神=絶対善の「流出(エマナチオ)による世界創造説を集大成したのが新プラトン主義の創始者であり、『エネアデス』の著者であるプロティノスであった。一方東方世界で誕生したグノーシス主義においては神による世界創造の秘密の霊的な認識(グノーシス)が求められていた。これらの古代末期の異教的な思考や教義がエジプトに由来するヘルメス神(ヘルメス・トリスメギトス=三倍偉大なヘルメス)の教えに仮託されてまとめ上げられたのが「ヘルメス文書(ヘルメティカ)」であった。『アスクレピウス』はこのヘルメス文書に含まれるテクストのひとつである。また後にフィチーノがヘルメス文書の翻訳を行なったとき、全体に付されたタイトルが、ヘルメス文書の冒頭を飾る『ポイマンドレース』であった(なお本書の訳者はイエイツに従い「ピマンデル」と表記している)。そしてヘルメス文書の思想の基底にあったのが「魔術的なもの」に他ならなかった。
 
 すでに触れたようにローマ帝国における国教化以降ヨーロッパ世界の精神的正系となったのはキリスト教であった。そこでヘルメス文書に盛り込まれた古代異教的な教義、とくに魔術的要素とキリスト教の教義のすり合わせが必要となってくる。その際にギリシア哲学、とくにプラトンの概念とキリスト教の概念の結合が方法的に問題となった。初期キリスト教においてその作業を担ったのが「教父」と呼ばれる神学者たちだった。教父たちのあいだではこの問題をめぐって対立が存在した。イエイツが指摘しているように古代末期最大の教父アウグスティヌスはヘルメス文書に含まれる魔術的要素を否定した。その一方教父ラクタンティウスは、ヘルメス・トリスメギストス(メルクリウス)をキリスト教よりはるかに古いエジプトの神とし、後に現れるヘルメスとモーゼの連関という発想に、より端的にいえばヘルメスこそがモーゼ=ユダヤ・キリスト教の始祖の信仰及び教義の源泉であったという発想に道を開いたのである。1945年にエジプトで発見されたヘルメス文書やグノーシス主義の文献、さらには聖書の外典である『トマス福音書』を含むナグ・ハマディ文書はそれを証明している。このヘルメスの古代エジプト神としての位置づけは、ヘルメス思想こそがキリスト教教義の起源であり源泉であるという認識も含め、人類の最大最高の知恵の源であるという考え方へとつながってゆく。そしてそれはたんなる思想、知恵というだけにとどまらず世界の奥義としても、さらには奥義に達するための術、すなわち魔術としても受け止められるようになってゆく。聖パウロと出会ったことのあるアテナイの聖人で、「九層を成す天使たちの位階を幻視した」(188頁)といわれるディオニュシウス・アレオパギタ(アレオパゴスのディオニュシウス)に著者が仮託されている「偽ディオニシウス文書」、その「偽ディオニュシウス文書」をラテン語に訳した9世紀のカロリング・ルネサンス時代のヨハンネス・スコトゥス・エリウゲナ、ライムンドゥス・ルルスの『アルス・マグナ(大いなる術)』などはそうした傾向の代表例であった。ここから錬金術が生まれたことはいうまでもない。
 
 とはいえ魔術的伝統とキリスト教の伝統のあいだの齟齬、緊張関係は決して消えたわけではない。その関係が頂点に達するのがルネサンス期であった。本書の主題でもあるジョルダーノ・ブルーノはまさにその対立の頂点に立ち火刑に処された人物だった。とはいえイエイツの描くブルーノは私たちが抱いてきた初期ルネサンス期における暗黒裁判の犠牲になった科学的思考の先駆者としてのイメージとは合致しない。むしろ異貌の魔術師として描かれているといってよい。イエイツが次のようにいっているのは、まさしくイエイツの描こうとしたブルーノ像に当てはまであろう。「<マグス魔術師>は、魔術的ないし護符的な彫像を記憶の彫像として用いることで想像力を魔術的に組織し、いわばコスモスの諸力と波長の合った、絶倫の魔術的人格を手に入れ、それによって宇宙的な知と力を獲得しようと望むのである」(289頁)。
 
 ここには後にイエイツの仕事の主要な焦点となる記憶術の問題も登場している。すでに私たちは『記憶術』によって、記憶が古代以来宇宙の奥義に参入するための重要な術として捉えられていることを知っているが、それはまさしく魔術的なものの持つ性格とあい通じるものなのである。そして問題の基底をなしているのは依然として宇宙と地上の関係、とりわけ地上の被造物のうちもっとも特権的な存在である人間の照応関係に他ならないのである。したがって記憶における宇宙と人間の精神の照応も、音楽における天体の調和と響きの調和の照応も、宇宙(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)の照応も、すべてこの魔術的なものに最終的には帰着するということが出来る。
 ルネサンスはいうまでもなく近代の始まりとしての側面を持っている。そして古代復興としてのルネサンスが結果的には近代という時代の開始に向けた強力な推進力となったという事態は、ルネサンスにおける魔術的なものの要素が持つ両犠牲を示しているといってよい。たとえばブルーノがニコウラウス・クザーヌスの受け継ぐかたちで無限宇宙論を主張したことはよく知られている。そしてそれがコペルニクスの地動説とつながることも。だがそれが決して経験科学の次元で主張されたものではなく、むしろ魔術的なものの次元で主張されたものであることを私たちは知ろうとしなかった。ルネサンス期から17世紀の科学革命の時期にかけての「偉大な」科学者・哲学者たちの精神が魔術的なものに由来する宇宙感覚を依然として帯びていたことは、科学に象徴される近代という時代の精神に底流する深層を掘り当てるための重要な端緒となるはずである。ケインズが収集したケインズ文書で知られるニュートンと錬金術の関係にしても、たんにニュートンに「気の迷い」と片付けてしまってはならないのである。
 
 ともあれ本書が明晰な日本語と驚くべき詳細な訳註、日本最初の本格的なイエイツ論というべき解説論文とともに訳出されたことの意義は大きい。訳者前野佳彦の払ったであろう筆舌に尽くしがたい翻訳上の労に深く感謝したいと思う。(2011.4)

西洋音楽思想の近代 西洋近代音楽思想の研究 : 三浦信一郎


 


 
 
 
三浦信一郎 著( 三元社)
 
 
 
 
 
もう三十年近く前になるが、船山隆の『現代音楽Ⅰ 音とポエジー』(小沢書店)を読み、現代音楽の歴史における二つの大きな出来事の意味についてはじめて目を見開かされて衝撃を受けたことがある。二つの出来事とは、ピエール・ブーレーズが「ピアノ・ソナタ第二番」や「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」などのいわゆる「ミュジク・セリエル」の技法に基づく作品によって、シェーンベルクの無調および十二音技法から始まる20世紀音楽の流れをその窮極的な到達地点にまでもっていったことと、ジョン・ケージが偶然性の手法を作曲技法に導入することによって「ミュジク・セリエル」を含む西洋近現代音楽の歴史総体を一挙に破壊し去ったことである。前者の出来事が、音楽を構成する素材としての音を、その音高、音価、リズム、和声などの要素に基づいてパラメーター化し、徹底したかたちで規則性(セリー)のなかに位置づけてゆくというラディカルな決定論的手法を極限までおし進めたところにその意味があったとすれば、後者は西洋近現代音楽の歴史においてつねに基本的なパラダイムとして機能してきた楽曲の完結性やその内的な秩序の自律性、そしてその基礎となる音階、拍節、和声などの楽曲構成上の諸規則を――ミュジク・セリエルはそれを極限化した――ことごとく解体してしまったところにその意味が見出される。私が衝撃を感じたのは、このような意味を持つ二つの出来事のあいだの関係のあり様が、当時日本で紹介が始まりつつあったポスト構造主義的思考と、その先行者である構造主義的思考とのあいだの関係のあり方にそのままあてはまると思われたからである。例えば、ブーレーズにおけるほとんど数学的ともいえるセリーの扱い方が、未開社会における婚姻関係とその前提となる親族構造を、ブルバキ派の数学的手法によって解明しようとしたレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』における構造主義的発想と驚くほど似通っているのに対し、ケージの偶然性の手法は、構造の優位を否定し差異や出来事の一回性を重視するポスト構造主義的発想と対応しているといえる――もっともデリダが「構造破壊(ディストラクション)」ではなく「脱構築(デコンストラクション)」といったことを踏まえれば、ポスト構造主義的思考は、ケージの偶然性の契機を、マラルメの『骰子の一擲』というもう一つの偶然性の回路を通じて自らのミュジク・セリエルの手法に接合し「管理された偶然性」という考え方に到達した「ピアノ・ソナタ第三番」や「プリ・スロン・プリ」におけるブーレーズに対応しているといえるかもしれない――。逆に言えば、現代音楽においても20世紀現代思想と同じ問題状況が生じていたということである。

 

 このことは、ヘーゲル・マルクス・ニーチェ・フロイト・フッサール・ハイデガーと続くヨーロッパ近現代思想の系譜のなかで生じた思想における近代とは何かという問い――その問いの先に構造主義とポスト構造主義が現れた――と正確に平行するかたちで、音楽における近代とは何かという問いを惹起する。直観的にいっても、ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェンと続くウィーン古典派の音楽はドイツ観念論の系譜と時代的にも内容的にも対応していると考えられるし、ヴァーグナーの音楽がニーチェ、あるいはボードレールからマラルメ、ヴァレリーへと続く象徴主義運動と雁行していることは歴史的事実である。さらに20世紀の音楽が、上記のようなかたちで20世紀思想との平行関係を暗示しているとするならば、そこに思想における近代への問いと対応するかたちで、音楽における近代への問いが生まれてくるのは必然的であるといえよう。思想の流れにおいてそうであるように、音楽の流れにおける20世紀の状況もまた近代という歴史性のうちから生じた一個の帰結点に他ならないのである。私自身もう十年近く前になるが、拙著『響きと思考のあいだ リヒャルト・ヴァーグナーと19世紀近代』(青弓社)のなかで、ヴァーグナーの音楽を軸に、思想と音楽の対応関係のなかから見えてくる近代――この近代は、ドイツで「モデルネ」と呼ばれる美的な近代を意味していたが――を問い直す試みを行ったことがある。ただし音楽に関して一介の素人に過ぎない身での議論がどの程度妥当性を持ちうるのか自信が持てないでいた――ちなみにこの本への音楽学の側からの反応は皆無であった――。それだけに音楽学の専門家のなかから同じような問題意識に立った議論が現れることをずっと待ち望んでいた。

 

 このたび公刊された三浦信一郎の『西洋音楽思想の近代』(A5判・370頁・4200円・三元社)はそうした私の渇望を満たしてくれる待望の著作である。著者である三浦のこれまでの仕事については、すでに叢書『ドイツ観念論との対話』(全6巻 ミネルヴァ書房)に所収の論文等――本書の一部をなしている――である程度知っていたが、今回あらためて一冊の本にまとめられたその内容を読んでゆくと、三浦の問題意識の所在、発想がよくわかってたいへん触発的であった。

                   

 本書をつらぬいている三浦の問題意識の核にあるのは、バロック音楽の持つ「情緒-描出」という性格からドイツ圏を舞台にして生まれた近代芸術音楽の持つ「感情-表現」という性格への転換を果たすことによって、西洋音楽の歴史に決定的な「革命」――本書中のCh・バーニーの言葉を借りれば「ドイツ音楽の革命」――がもたらされたことの意味とその経緯を明らかにするという課題である。そしてそうした課題の前提、出発点をなしているのは、先ほど私が言及した二つの出来事に対応する「調性の放棄」(シェーンベルク)と「「偶然性(不確定性)」および「沈黙」の思想と実践」(ケージ)という二つの事件を通じて生み出された現在の音楽をとりまく状況、すなわち「創作の主体」を中心とする「表現原理」から聴衆=享受者(消費者)を中心とする「聴取の美学」(庄野進)への推移に象徴される「脱芸術、反芸術」の動きを、西洋近代音楽の歴史総体の流れを踏まえるかたちでどう捉えればよいのかという問題に他ならない。このような三浦の問題意識は、まさに私が『響きと思考のあいだ』で問おうとした課題と重なり合う。本書に対して共感を禁じえない所以である。

 

 さて議論の展開を追っていってみよう。17世紀バロック音楽における「情緒-描出」は、三浦に拠れば「特定の情緒の描出と喚起には特定の音楽的技巧が対応しうる」(22頁)という「合理的で、客観的で、類型的な」(同)発想にもとづいている。そしてこの合理性の背景には、ちょうどデカルトの「人間」がそうであるように、「人間一般」ではあっても「個別的・主観的自我を有する個人としての人間とは言えない次元」(23頁)における人間概念、あるいはそれに対応する世界概念がひそんでいる。この指摘は正鵠を射ているといえるが、より細密にみれば、反宗教改革運動としてのバロックの中に潜在する中世的な超越性への回帰志向(反近代)の要素――類型としての情緒を支える先験的な超越性の所在――と、デカルトと同時代のスコットランド啓蒙学派が求めようとしたアリストテレスに由来する経験的・慣習的トポス(智恵(フローネージス))の要素(もう一つの近代)が、異化結合的に結びついているのを見落としてはならないだろう。というのもそのこと、「情緒-描出」に代わるかたちで登場する18世紀から19世紀にかけて音楽の性格、三浦の指摘に従えば「疾風怒濤」期の音楽においてはじめて登場し古典派・ロマン派の音楽にまで及ぶ感情―表現」という性格およびそれを支える「非合理的で、主観的で、感情的」な「創作の主体」のあり方に関してそれが必ずしも中世・バロックからの直線的な推移の所産といえず、そこに錯綜した事情が存在することを明らかにするよすがとるからである。

 

 それは、本書におけるもっとも中心的な内容というべきカント・シェリング・ヘーゲルというドイツ観念論の系譜における芸術・音楽観と近代芸術音楽の歴史的推移のあいだの関係を問い直す要ともなる。例えば、第一部第一章で三浦は、近代芸術音楽の登場に対応する芸術観の問題として「音楽における自然」というテーマを掲げ、フィードラーやハンスリックの議論を踏まえながら「人間の精神の所産」としての音楽が人為を通して自然に到達する「第二の自然」を目指していたと指摘する。そして三浦の「第二の自然」の捉え方には、それをストレートに理念化しようとする姿勢が現れているように思われる。だがこの捉え方は、カントからヘーゲルへと至る近代思想の推移のうちに存在した、近代的な個別主体の措定とそれを超えるかたちで定立される世界の超越性とのあいだの関係――カントの言葉で言えば「超越論性」の問題である――をめぐる深刻な相剋の問題を素通りしてしまう危険性をはらんではいないだろうか。

 

 この「第二の自然」に思想的に対応するのは、本書における三浦の議論に即せば、カントの「関心なき適意」を軸とする美の捉え方であり、シェリングにおける観念と実在の統合を実現する「無差別的統一性」に基づく芸術の把握であり、さらにはヘーゲルの「理念の感性的顕現」としての芸術美という見方である。そこには、理念的なものがそれ自体として感性的定在へと無矛盾的に具体化されることを可能にするものとしての芸術という考え方が底流している。だがこうした考え方には、「作る」(人為=制作)と「自ら成れる」(自然=生成)という対蹠的な存在観の振幅を軸とした、バロック的・中世的=反近代的超越性への志向と近代的な個別主観性への志向とのあいだの対立が隠されている。だからこそカントの美の見方は、スコットランド啓蒙派とも相通じる共通感覚にもとづいた「趣味判断」という前近代的概念と近代的主観性にもとづく「崇高」概念とのあいだでぶれているのだし、ヘーゲルは「芸術の終焉」というかたちで近代芸術批判を語らねばならなかったのである。しかもさらにヘーゲルからマルクスへと至る思想系譜においては「第二の自然」を「物象化」的な仮象・錯視として批判する視座まで登場する。この視点に立てば、近代的主観性それ自体が虚妄であることになる。

 

 この問題は、ロマン派から始まる近代内部からの近代批判としての「モデルネ」の運動においてより深刻化する。紙数がないので詳細はひかえるが、私見ではこうした近代内部の相剋・対立をもっとも本質的なかたちで露呈させているのがヴァーグナーの芸術であり、だからこそそれは世紀末から20世紀にかけての「モデルネ」(アヴァンギャルド)運動の起点となったのである。そしてその運動の思想的帰結点として現れたのが、現代音楽の経験を基底に持つアドルノの美学に他ならない――そこにベンヤミンを加えてもよいだろう――。三浦の議論にはこうした近代の錯綜性へのまなざしが希薄な感じがする。

 

 やや疑問をぶつける方向に傾きすぎた感がするが、本書が西洋近代における音楽と思想の相互関係というやっかいな問題に本格的なかたちで踏み込んだ貴重な試みであることは言を俟たない。こうした試みがようやく音楽学の内部から出てきたことを喜ぶとともに、著者の長年にわたる研究の労に満腔からの敬意を表したい。(2005.11

不安な経済/漂流する個人 新しい資本主義の労働・消費文化 : リチャード・セネット


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リチャード・セネット著/森田典正訳(大月書店)
 
 
 
 
サブプライムローン問題に端を発したアメリカを中心とする全世界的な金融危機は、不良債権の額が120兆円にも及ぶ可能性が出てきていることもあり、深厚な様相を呈しつつある。アメリカ連邦制度準備理事会の前議長であったグリーンスパンが、今回の危機が戦後最大のものになるかもしれないと警告を発していることは、そうした危機の深刻さを裏書するものだといえよう。

 それにしても今回の金融危機はなぜ起こったのだろうか。もちろん事実的にいえば、低所得者向け住宅ローンであるサブプライムローンにおいて、土地・住宅バブルの崩壊に伴なう住宅価格の低下のために返済不能者が急増し、その結果負債が急速に拡大してしまったことがきっかけになっているのは明らかである。サブプライムローンの不良債権化に伴ない、サブプライムローンを組み込んだ様々なファンドや債権も不良化し、しかもそれがリスク分散のために小口化されて全世界に幅広く販売されていたために、アメリカ一国にとどまらない世界的な金融危機へとつながっていったのだととりあえずは説明する事は出来る。だが本当に問題の本質はそこにあるのだろうか。
                   
 市場原理主義と戦争経済の組み合わせによって進められてきた2001911以降のアメリカ・ブッシュ政権の新自由主義+新保守主義政策は、イラク戦争の正統性に対する疑問の全世界的な噴出によってすでに大きく躓いていた。端的にいえばイラク戦争の正体が、ブッシュのバックにある南部石油資本および軍需産業「ハリバートン」の実質的なオーナーであるチェイニー・ラムズフェルド一派の私益のための戦争でしかなかったことが露呈してしまったということである。さらにいえば、ブッシュ政権の新自由主義的経済運営の要となっていた、アメリカ国民の数パーセントを占めるにすぎない富裕層に手厚く利益を誘導するためのミニバブルの連続的な演出の繰り返しの手法(ITバブル、土地・住宅バブル等々)――その演出者がグリーンスパンだった――が、今回のサブプライムローン破綻によってついに行き詰ってしまったこともある。つまり今回の金融危機によって見えてきたこととは、新自由主義が鼓舞する市場原理主義によってたえず構造的に再生産される富裕層と貧困層のあいだの極端な経済的・社会的格差を、貧困層向けサブプライムローンと、貧困層に対する就業機会の提供という性格を持つ戦争という二つの回路を通じて糊塗し、それによって国民全体を再び国家(ロイヤリティ)の側へと回収し統合する――その過程がじつは、政権当事者と富裕層からなるエスタブリッシュメント層にとってのもう一つの私益確保の手段ともなっていた――というブッシュ政権のやり方が、その二つの回路の破綻によって完全に機能不全に陥ってしまったというのが今回の事態の本質だったといえよう。2年前ニューオリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」による災害の際の、とても先進国とは思えない国のずさんかつ稚拙な対応がおそらく破綻の始まりだったのだと思う。このときアメリカ国民は、黒人貧困層を中心とするハリケーン被害者たちがブッシュ政権によってほとんど棄民同然の扱いを受け、何らのサポートも受けられなかった事実を見て、ようやくブッシュ政権の進めてきた新自由主義+新保守主義政策の本質に気づいたのだった。あれから2年、ブッシュの「ポチ」役を買って出た、イギリスのブレア、日本の小泉・安倍、オーストラリアのハワードを始めとする新自由主義+新保守主義の「盟友」たちはほとんど政治の舞台を去った。世界は明らかに新自由主義+新保守主義に対して疑いを抱き、そこから距離を取り始めている。そしてそのことは、あらためて89年の東欧社会主義崩壊とともにグローバル化の波に乗って一気の世界の政治・経済の主潮へとのし上がっていった新自由主義+新保守主義路線に対する見直し、問い直しへとつながってきている。

                   
 今回取り上げるリチャード・セネットの著作(B6判・207頁・2300円・大月書店)は、その問い直しに対して絶好の手がかりを与えてくれる。とくに新自由主義が、資本主義社会の形成を軸を推し進められてきた近代化のプロセスの中で、ある特異な位置を占めていることに目を開かせてくれるのが本書の大きな意義となっている。

  新自由主義の特異な位置は、それが19世紀に本格的に始まる資本主義的近代の実定性に対する一種の革命としての意味を持つことに由来する。かつて絓秀実はその著書『1968年』(ちくま新書)で、1968年の「革命」によってもたらされた様々な結果が次第に社会全体へと定着してゆく過程としてその後の時代の流れを捉えていたが、じつは新自由主義、あるいはそれと雁行して登場した新保守主義にしても68年にピークを迎える60年代の急進的な革命の逆説的な「成果」としての性格を持っている。そのことをセネットは本書の「序」の部分で次のように言っている。「半世紀前の一九六〇年代(……)真剣な若き急進派たちはさまざまな既存組織を、とりわけ、大きさと複雑さと硬直性によって、人々を鉄の鎖につないでいるようにみえる巨大企業や巨大政府を批判の標的にしていた。ニューレフトの設立記録ともいえる一九六二年のポート・ヒューロン声明は、国家社会主義にも多国籍企業にも等しく手厳しかった。彼らには両体制とも官僚的牢獄にみえていたのだ。ポート・ヒューロン声明の起草者の望みの一部は、のちの歴史によってかなえられることになった。五カ年計画や中央による経済支配という社会主義の原則が消滅したからである。被雇用者に終身雇用を提供し、毎年、おなじ製品とサービスを提供し続けてきた資本主義企業も同様に消滅した。医療保険や教育のような制度もかたちが多様化し、規模が縮小された。五〇年前の急進派同様、今日の支配者の目標も硬直的官僚制度の解体にある」(本書2頁)。

 
   問題は60年代の革命によって既存の硬直した官僚的な体制が消滅した後に何が来たかである。セネットは、やや皮肉な調子でニューレフトの望みは「歪んだかたちで」かなえられたという。ニューレフトが望んでいたのは、セネットの言い方に従えば、「顔のみえる信頼と連帯の関係や、常に調整され、更新される関係や、それぞれが他者の欲求に敏感な共同体的領域が生まれる」(3頁)ことだったのだが、じっさいに誕生したのは「巨大組織の断片化によって、多数の人々の生活も断片化される状況」(同)だったのだ。つまり「組織が解体されても、結局、多くの共同体は生まれなかった」(同)のである。

 この冒頭の認識が、セネットの本書における位置をよく示している。近代社会は1848年の革命を経て本格的な産業社会への道を歩み始める。それは、むき出しの弱肉強食原理によって動いていた初期の資本主義が次第に整除された組織・体制として確立されてゆく過程でもあった。「一八六〇年代から一九七〇年代までの一〇〇年間で、企業は安定化の術を学び、事業の寿命を延ばし、労働者数を拡大した。こうした安定をもたらすに至った変化は(……)事業の内部における、組織編成の方法」(26頁)によって生じたのである。セネットはその組織編成のモデルを、M・ウェーバーを援用しながら「軍隊的モデル」(同)に求める。それは要約すれば、組織への帰属過程の中に自らの人生総体の設計のためのモチヴェーションを見出すような人材によって企業が形づくられるようなモデルである。そこに雇用の保証、専門性の保証、企業の側による勤務外の保養や社会保障の提供などの要素が対応することはいうまでもない。それによって、とりわけ第二次世界大戦後の先進国における巨大企業は比類ない安定性を獲得したのである。
 

 反面、こうした企業のあり方は組織の官僚的な硬直化も招いた。意思決定過程の緩慢さ、責任の分散にともなう事なかれ主義の蔓延といった事態がそこには生じる。セネットは、その典型例を戦後巨大企業の代表格といってよいIBMのケースに見ている(39頁参照)。六〇年代の革命は、こうした巨大企業組織に生じた官僚的硬直化によって象徴される近代社会のあり方への叛乱として起こった。それは組織によって逼塞させられたフレキシビリティの回復への志向に貫かれていた。だが皮肉なことにじっさいに実現したのは、組織のもたらす安定を失って企業を含む社会全体が個人も含めいっせいに液状化し標流し始めるという事態であった。その行き着く先が新自由主義的な市場原理主義であったことはいうまでもないだろう。セネットはそうした事態を「MP3プレーヤー」によって寓意的に説明する。それは、コンピュータプログラムと同様に、いつでも課題や活動領域、それに伴なう人材を入れ替えることの出来るような柔軟な組織のあり方が実現したということである。このことには企業の決定権が短期における利潤を目指す株主に移ったことや、組織への帰属ではなく自己決定を志向するシリコンバレーのコンピュータプログラマーのような人材が登場してきたことが対応する。ではそれは社会的に何を意味したのだろうか。セネットはこうした事態がもたらした「三つの社会的損失」に言及する。すなわち「組織への「帰属心(ロイヤリティ)」の低下、労働者間のインフォーマルな相互信頼の消滅、組織についての知識の減少」(65頁)である。このことによって社会の液状化と個人の不安定な漂流状態が加速されることになる。新自由主義のもとでの非正規雇用の増大、格差の拡大といった現象がまさにここに起因しているといえるだろう。セネットはその焦点を、個人が社会に中に安定した自らの位置を見出させなくなる事態、つまり「自分が不要な存在なのではないか」という不安に絶えずさらされている事態のうちに見出している。そこには同時に、社会と個人の接点が、熟成された知識や思考、技能によってではなく、せつな的な消費選好によって形成されるという事態、セネットの言い方に従えば社会の劇場化という事態を伴なっている。
 

 こうしてみてくるとき、ブッシュ政権の行った政策の背景にあるもの、そして今明らかになりつつあるその破綻の本質的な根拠が何処にあるのかが次第に明瞭になってくる。一言で言えば新自由主義+新保守主義政策は、社会の解体・破壊をもたらし、個人の存在基盤を掘り崩してしまったのである。セネットは最後に「社会資本主義」という概念を提示し、社会を解体しつつある新自由主義に対抗するため、規範なき暴走を続ける企業に対する「並行組織」の形成、ワークシェアリング、そして近年注目されつつある「ベーシック・インカム」(社会による生活基本所得の保障)の三つの方向性を提言している。いずれにせよ新自由主義+新保守主義に対する最終戦争が今喫緊の課題となってきていることを、このセネットの本は私たちに教えてくれる。(2008.4