シュテファン・ミュラー=ドーム著
徳永恂 監訳 ・柴嵜雅子・春山清純・辰巳伸知・長澤麻子・宮本真也・北岡幸代 訳 (作品社)
先月の本欄でアドルノの『新音楽の哲学』を取り上げたが、今月も引き続きアドルノの関連書を取り上げたい。今回は、2003年のアドルノ生誕100周年を期して刊行されたアドルノの評伝の決定版ともいうべきミュラー=ドームの『アドルノ伝』(A5判・811頁・7800円・作品社)である。監訳者である徳永のあとがきにもあるように、本書は「何年も「ドイツ学術振興会」の補助を得て、オルデンブルク大学「アドルノ研究センター」を拠点に〔著者のミュラー=ドームはオルデンブルク大学社会学教授である〕、共同研究者らと周到な資料収集とテクスト批判を重ね、「体系的な伝記」を目指したもの」(本書736頁)であり、それまでもローヴォルト社のロロロシリーズの中のハルトムート・シャイブレの『アドルノ』やベック社の「大思想家シリーズ」のロルフ・ヴィッガースハウスの『アドルノ』(邦訳平凡社ライブラリー)などの評伝があったとはいえ、著者が「「伝記の名に価するのはこれだけだ」と自負する」(同)通り、文字通り決定版の名に恥じない堂々たる大著である。私自身も原著を刊行早々入手しパラパラと部分的に読んではいたが、何せ原著が1000頁になんなんとする分量のため通読は到底おぼつかなかった。今回『啓蒙の弁証法』の訳者であり、早くからアドルノの関する優れた論考を発表してきたわが国のフランクフルト学派研究の泰斗というべき徳永が中心になって原著刊行からわずか3年で訳書が刊行されたことはまことに慶しいことである。なお本書を刊行した作品社からは、現在遺稿、講義録、討議メモ等を収録したズーアカンプ社の第二期アドルノ全集を中心にアドルノの翻訳が継続的に刊行中である。すでに『否定弁証法』『ベートーヴェン』『社会学講義』『道徳哲学講義』が刊行され、今後もさらに翻訳が続行されるということである。前回の書評でも述べたが、こうした作業は日本における本格的なアドルノ受容にとって計り知れない意義を持つことになろう。
さてミュラー=ドームの『アドルノ伝』である。評伝にふさわしく、全体の構成は基本的に編年体の形式をとっている。とはいえ本書の端倪すべからざる所以でもあるのだが、その編年体を縦糸としながら、そこにアドルノの生涯を彩る様々なエピソード、人間関係、歴史状況、そして何よりもそれぞれの時期のアドルノの多様な活動――思想家としての、音楽家としての、社会学者としての、文学者としての――とその主題、特質、問題点などが複雑な横糸となって組み合わされ、それこそ綴れ織か万華鏡のように多彩な、厚みを持ったテクストの世界が織りなされるのである。大著にもかかわらずそれこそ巻をおくあたわざるといった感じで興味深く読了することが出来た。
読み終わってまず思ったのはアドルノという一人の人間の複雑さ、その人格の奥深さに対する賛嘆である。それは何も「偉人」に対する全面礼賛という意味ではない。ミュラー=ドームの評伝の特徴の一つは、これまで様々な形で囁かれてきたアドルノをめぐるゴシップめいたうわさや陰口に対しても厳密な資料考証や関係者へのインタビューを通して公平に言及している点である。例えば妻グレーテル以外の様々な女性たちとの関係の問題についても本書は冷徹に叙述している。またナチスの政権掌握後の政治状況に対するアドルノの認識の甘さについても、亡命時にベンヤミンを見捨てたのではないかという疑惑についても――ミュラー=ドームは60年代の後半の時期にしつこく囁かれたこの疑惑に関しては、資料をもとにまったく事実無根であると証明している(本書第三部3,4参照)――明快な形で言及している。ついでにいえばフランクフルトの富裕なワイン商の家に生まれた同化ユダヤ人の血をひくアドルノが、19世紀以来の教養市民階層の持つ生活スタイルや感情を亡命中の不如意な時代も含めて終生持ち続けたことも――いわゆる「ブルジョア」的なスタイル――本書ははっきりと伝えている。
だが本質的な問題がそうした点にあるわけではないことはいうまでもない。私事になるが私がアドルノの名を初めて知り、そのテクストを読んだのは1967年、16歳のときだった。その頃ヴァーグナーの音楽に熱狂していた私は白水社から刊行されたヴァーグナーに関するテクストのアンソロジー『ワーグナー変貌』(遠山一行・内垣啓一編)を入手した。その中にアドルノの「『パルジファル』の総譜に寄せて」(『楽興の時』所収)の一部が収められていたのである。そして訳者の川村二郎がアドルノを紹介した「哲学、社会学、文学理論、映画論と、文字通り八面六臂の活躍を見せる怪物的な碩学。ただしそれらの多様な活動分野における成果を、知識の百貨店に陳列された商品のように見てはならないので、たとえていえばむしろ一つの光源から発する光線のさまざまな屈折とでも呼ぶべきであろう」という文章に強い印象を受けた。今読んでも川村のアドルノ紹介の文章は簡にして要を得た絶妙な名文という気がするが、この文章に出会った瞬間から私はアドルノというこの奇妙な響きを持った思想家の名を忘れることが出来なくなったのだった。そう、川村がいうようにアドルノという存在を考える時、彼の目も眩むばかりの多様多彩な仕事ぶりの背後に潜む「光源」が何かを探り当てることがたぶん一番重要なことなのだ。今回ミュラー=ドームの評伝を読みながらあらためて気づかされたのはこのアドルノの「光源」が何かという問題であった。そして本書が教えてくれた最大のポイントは、そのアドルノの「光源」がそれ自体極めて複雑な布置をはらんでいるということだったように思う。
アドルノの人間性の核には、知的には恐ろしく早熟でありながら同時に極めて繊細で傷つきやすい感性を備えた「少年」のこころが終生持続していたように思われる。それはときとして他者に対しつねに自分への関心、賞賛を求める甘えにも似た傲慢さとして現れるとともに、ある種の精神の防衛機制のうちにたてこもろうとするリゴリスティックな態度とあけっぴろげに他者へと自分をさらけ出すフランクで友愛に満ちた態度のめまぐるしい交替というアドルノの両義的な人格のあり様にもつながっている。1925年にアドルノはウィーンへ赴き、アルバン・ベルクのもとで作曲法の個人教授を受けるが、その頃知り合い深い交友関係を持つことになる文学者ゾーマ・モルゲンシュテルンが書き残しているアドルノの印象はそうしたアドルノの両義性を強く感じさせる。21歳の、華奢で繊細なからだつきをしたアドルノが一方で理論的な博識ぶりを発揮しながらベルクやモルゲンシュテルンに向かってまくしたてる様は、他者という鏡に映し出されたアドルノの人格の秘密を示している(106~7頁参照)。
このことがアドルノのうちにある様々な対極的二項性の「光源」となっていたのではないだろうか。理性と感性、自己と他者、個と社会という次元から始まり、音楽と哲学、芸術と社会…というように続くこの二項性はまさしくアドルノの思考のエンジンであったといってよいだろう。とはいえこの二項性は決して固定的なものではないし、どちらかの極に一方的に思考が還元されて静止してしまうものでもない。二項性はたえず相互に浸透しあい影響しあいながら全体としていわば永久運動のように変転し続けるのである。アドルノの思考の総決算ともいうべき『否定弁証法』はまさにそうした思考の永久運動を、否定性の弁証法、言い換えれば対極にあるもの――アドルノの言葉を借りれば「極端なもの」どうしの関係――がけっして物象化された形で同一化=静止することなく相互に反照(反省)し続けあう運動としての弁証法として表現したものに他ならない。
この二項性は、すでに触れたようにアドルノ自身の人格のあり方にも根源的な形で投影されていた。それに関して本書を読みながら一つ気づいたことがある。それは、アドルノが一見すると自分の仕事に過剰ともいえる自信を抱いていたように見えながら、じつは深い次元で大きな不安を抱えていたのではないかということである。周知のようアドルノはアメリカへ亡命し、そこでポール・ラザースフェルドの主宰するコロンビア大学ラジオ・リサーチ・プロジェクトに参加する。この体験はアドルノの思考に深刻な影を落とした(第三部5参照)。それは、あえて誤解を怖れずにいえばアドルノのなかにおける「アマチュア」性の問題といえるだろう。アメリカ流の実証社会学の方法に触れ、いわばそれに鑢をかけられる形でアドルノはそれまではぐくんできた自らの学問方法がアマチュア的なものにすぎなかったのではないかという疑いに直面したのである。この疑いはじつは極めて根の深いものだったように思われる。というのもこの疑いはおそらく早熟で繊細だった少年アドルノがアドレッサンスを経て成熟する過程のなかでの彼自身の人格のある種の危機と結びついていただろうからである。この問題は、さらに亡命期の様々な人間関係の暗部をめぐる体験によっても加速されていった。そこにはおそらくアドルノという一人の人間の存在の根源に刻み込まれた存在の違和ともいうべきもの、フロイトの言葉を使えば世界に対する「居心地の悪さUnbehagenheit」の問題が潜んでいる。このことをアドルノは、ハーバーマスが彼の主著と呼んだ『ミニマ・モラリア』においてアフォリズムの形式を通して考察しようとした。この著作につけられた「傷ついた生活裡の省察」という副題はそのことを指し示しているといえるだろう。この「傷」はたんに亡命期の問題だけでなくアドルノの根源的な不安の所在を暗示しているように思える。
細かい内容には立ち入れなかったが、本書は今後アドルノについて語る上で避けることの出来ない里程標となるであろう。本書にちりばめられている多くのエピソードを追っていくだけでも読む価値がある。たとえばアドルノが1961年にパリで行った講演の際にメルロー=ポンティがそれを聞いていた事実は本書で初めて知ることが出来た。なお大著の翻訳なのでやむをえないことだが、訳に気になる箇所が散見される。たとえば123頁の「クレンペラーのオラトリオ」は「クレンペラーによって上演されたストラヴィンスキーのオラトリオ『オイディプス王』」であり、487頁上段最後のところは「絶望しているのは犠牲者自身であって後から来た者ではない」ではないだろうか。また500頁下段の「一文」は「楽節」がよいと思う。再版の際に検討、訂正をお願いしたいと思う。とはいえこの大著を訳した訳者たちの労は筆舌に尽くしがたいものがあろう。深く感謝したい。(2007.10)