三ツ木道夫著( 晃洋書房)
2008年に、近代以降のドイツの主だった翻訳論を収録するとともにドイツにおける翻訳の思想的意味を明らかにしようとした異色の力作『思想としての翻訳』(編著、白水社)を刊行した三ツ木道夫が、今回このドイツ翻訳思想の問題に正面から取り組んだ自身の著作『翻訳の思想史』(A6判・239頁・3700円・晃洋書房)を刊行した。これまでの日本におけるドイツ文学・思想研究の歴史のなかであまり触れてはこられなかった領域に踏み込もうとする三ツ木の意欲あふるる営為にまずは敬意を表したいと思う。
私たちはしばしば「ドイツ」という言葉を自明化された形で何気なく使い、その「ドイツ」が形容詞としてついている「ドイツ文学」「ドイツ哲学」「ドイツ民族」などという言葉もまたしばしばお手軽に使ってしまう。だが「ドイツ」とはいったい何だろうか。統一国家としてのドイツが1871年のドイツ帝国誕生に至るまで数百年近く存在しなかったこと、プロイセンのフリードリヒ大王が日常会話でドイツ語をうまく話せなかったこと、ドイツ語による文学の誕生もまた18世紀のクロプシュトックまで待たねばならなかったことなどを、「ドイツ」という言葉を自明のごとく用いる人々はどの程度真剣に考えているのだろうか。つまりは「ドイツ」という概念は到底自明なものなどではありえないということなのだ。それはつねにある種の想像的性格、人為的性格を含まざるを得ないものだということである。とくに文学や思想の分野においては、トランスナショナルな世界言語としてのラテン語、その正統なる継承者としてのフランス語の支配下からドイツ語による表現が自立するためには計り知れない努力が必要だった。
近代における「ドイツ」という概念はじつは近代ヨーロッパという時空間における様々な相互交通関係のなかからいわば派生的・事後的に形成されたものというべきなのである。ドイツ語も、ドイツ文学もそのような交通関係の事後的産物だといってよい
― もっともこれは日本語にせよフランス語にせよあらゆる近代国民国家の「国語」に共通する性格である
― 。とするならば「ドイツ」の形成にあたって現実的なレヴェルにおいても想像的なレヴェルにおいてもそのような交通関係の媒体というべき翻訳がたいへん重要な役割を果たしていただろうことは想像に難くない。このことは「ドイツ」というナショナリティがまさに翻訳の産物であると言い換えてもよいだろう。
こうした翻訳論に異議申し立てを行ったのが19世紀の古典文献学者としてのニーチェとヴィラモーヴィッツ=メーレンドルフであった。面白いことに立場は対照的であるにもかかわらず両者はともにゲーテ時代の「異化的翻訳方法」を批判し「同化的翻訳方法」の方を賞揚している。そこにはもはや古典ギリシア語がドイツ語の範型とはみなされなくなったという事情が潜んでいた。それが明瞭に打ち出されているのがニーチェである。ニーチェが「同化的翻訳方法」の方を選択するのは、翻訳の尺度が「今」にしかないからである。逆に言えば古典ギリシア語の世界は、レトリックの意味を近代人がつかみえないように近代にとっては了解不能なものとなってしまっている。とするならばあるべき翻訳は、あるいは翻訳をその要素として含みうる言語表現の総体はそのつどの今=現在における「力」の発現とそれを通した表現の形成=「造形」のなかにしかありえないはずである。問題はギリシアとドイツのあいだの理想対現実という関係のなかでの「異化的翻訳方法」ではなく、無数の非同一性としての現在において発現する「造形する力」としての「同化的翻訳方法」でなければならないのだ。ここには明らかにニーチェの「解釈の遠近法」や「系譜学」の問題が投影されている。そこにはやや唐突に聞こえるかもしれないがマルクスとソシュールが見出した「価値論」の方法と同じ視点が現れている。それがナショナリズムや進歩主義に彩られた近代ドイツへのラディカルな批判を意味したのはいうまでもない。
これに対してヴィラモーヴィッツのほうは歴史主義の立場から範型としての古典ギリシア語の世界へのストレートな接近が不可能であることを踏まえながら相対的真理にすぎない翻訳の意味を明らかにしようとする。それは翻訳が博物館や美術館の陳列物にように歴史の資料として扱われることにもつながる。つまりヴィラモーヴィッツが示そうとしたのは現代の教養市民に理解可能な形で古代や異国の文化文物への橋渡しを行う媒体としての翻訳という視点であった。そしてそこにもまた19世紀後半の教養市民文化の産物としての歴史主義と結びついたドイツ帝国統一以降のドイツ・ナショナリズムの台頭の影が覗える。第一次大戦時に戦争を熱狂的に鼓舞したヴィラモーヴィッツのグロテスク極まりないウルトラ・パトリオットとしての振る舞いはそれを証明しているといえよう。
さて続いて三ツ木が取り上げるのは「美的モデルネの翻訳論」と題されたゲオルゲ・クライスとベンヤミンの翻訳論である。この両者にもまた共通性が存在する。それは「逐語訳」の宣揚である。このことは方法論的にはゲーテ時代の「異化的翻訳方法」の復権を意味する。ゲオルゲ・クライスはこの逐語訳の意義を、それまで少数の例外を除いてほとんど顧みられることのなかったヘルダーリンのソポクレスとピンダロスの翻訳を通して見出したのだった。ほとんどドイツ語のシンタックスを解体にまで追いやろうとするヘルダーリンの極端な逐語訳は、それによってかえって奇跡的ともいえるギリシア語とドイツ語の同一化を実現しえているとゲオルゲ・クライスは考えたのだった。三ツ木はこうしたゲオルゲ・クライスの翻訳観の背後にあるものが「「魔術的」な歴史観」であると指摘する。つまりそこには歴史主義の有する知的・批判的態度を否定し対象との無媒介な合一を目指す秘教的態度が潜んでいるのである。それが「神話的なもの」と名指されたとしても何の不思議もないだろう。そう、ゲオルゲ・クライスの翻訳論の背景にあるのはある種の神話文学論に他ならない。そしてこの神話文学論がナチスにつながる精神的土壌の一端を担ったことを私たちは忘れてはならない。
ところでベンヤミンにもこうした神話的態度が存在する。初期の「ゲーテの『親和力』」や「暴力批判論」などでベンヤミンは神話をテーマとして扱っている。ただしそこには神話を秘教的に宣揚するゲオルゲ・クライスとは明らかに異なる姿勢が現れている。ベンヤミンは神話を法と運命の暴力の領域に関係づけるとともに、そこからの脱出口を神話‐法‐運命連関としての「罪連関」の外にある神的なものとしての正義に求めようとするのである。ところでこうしたベンヤミンの視点は大きくは彼の歴史哲学に帰着するが、その際に重要な媒体となるのが言語論である。やはり初期の言語論「言語一般および人間の言語について」においてベンヤミンは、まず言語の本質を「精神的本質の伝達」として捉えた上で、その「精神的本質」が言語そのものであるという。言語は言語自身を伝達するのであり、何か外部にあるものの伝達手段などではないのだ。そして未だその伝達内容が黙したままの「事物の言語」に対して、そこに「名」を与える「人間の言語」が介入することで、言語の「救済」が成就する。この構図を可能にしたのが「神」であり、「命名」はいわば事物言語を名によって神に向かって翻訳して見せることを意味するのである。「認識可能性としての事物の言語、言葉を持つ「人間の言語」、万物を創造した神の言葉、これら相互の関連を「翻訳」という概念で示すことが可能だからである」(180頁)。
ここからベンヤミンの翻訳論は始まる。ベンヤミンは神の領域に対応するものとして翻訳の対象言語と母語に区別を超えたところに存在する原言語としての「純粋言語」を想定し、原テクストも翻訳もともにこの原言語の未完の断片とみなすのである。翻訳とはいわば原テクストと翻訳という異なった性格を持つ断片を、原言語というありうべき全体に向かって辛抱強く組み合わせていこうとするジグゾーパズルのような作業になる。翻訳はいわば割符としての断片同士の組み合わせ・校合作業となるのであり、その具体的な現われが「逐語訳」に他ならない。この発想が『ドイツ悲劇の根源』における、自然史の廃墟に残された断片としての「アレゴリー」の救済史というベンヤミンの歴史哲学につながることは言うまでもないであろう。
ともあれ本書の最大の功績は、ドイツにおける翻訳の問題を方法や技術の問題から解放しドイツの歴史的状況のなかに置き直した上で、「ドイツとは何か」を考えるための根本的な問題として捉え返した点にある。ドイツ研究は、翻訳問題がすぐれて思想的課題であることを肝に銘じなければならないだろう。(2011.9)
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