著:ミシェル・ヴィノック 訳:塚原史・立花英裕・築山和也・久保昭博(紀伊国屋書店)
[知識人」という言葉が死語に等しくなって久しい。とくに日本においてはそうである。知識人がもし自分の思考力や良心にもとづいてペンの力だけによって社会に向かって公的な発言を行い、それが一定の影響力を持ちうるような存在であるとすれば、今の日本にはほとんど知識人と呼びうるような人間は存在しない。今に日本に存在するのは、省庁や企業などの周辺で様々な審議会や研究会、シンクタンクなどに身を寄せながら、政策形成・推進、利潤追求に都合のいい情報や提言をとりまとめることを生業とするような「実用型知識人」(本書の言葉)か、テレヴィや新聞・雑誌などの頻繁に登場してほとんど専門的知識も本格的な思索も必要ない「コメント」と称する蕪雑な言葉を語ることだけを任務とする「メディア知識人」(同前)だけであるといってよい。こんなものが知識人の名に値しないことは言うまでもないだろう。
日本の場合もともと言論を通して形成される市民的な公共圏が極めて微弱であったことが知識人の存在し難さの大きな要因として挙げられるが、同時にそこにはいくつか日本だけにとどまらないより普遍的な時代や社会の変移、推移があることも事実である。まず第一に挙げられるのは社会の複雑化である。高度に複雑化し分節化された現代の社会のあり方の中では、一個人が自分だけの力で社会全体の動きを俯瞰しながらそれについて普遍的な伝達力を持ちうる言説を語ることは極めて困難になっている。第二には社会と個人をつなぐ媒介項としての世論や論壇、メディアの構造の大きな変化である。とくにテレヴィに代表されるメディアの力の普及は、一部の特権的な知識人階層による大衆の啓蒙やリードという構図を突き崩し、極めて均質化された薄っぺらな情報言語や感覚・印象言語の流通を爆発的に増大させた。このことが知識人の存在を不要化したのである。第三には社会主義理論に代表される対抗・批判言説の解体という事態である。グローバリゼーションに象徴される単一化された均一な原理――例えば世界市場原理――の支配する冷戦崩壊後の世界においては、エスタブリッシュされた支配体制に対する異議申し立てや対抗はほとんど不可能に近くなっている。そのことが本来の意味での知識人の役割を無用化しつつあるのである。
他にも要因は挙げられるであろうが、現在の状況が知識人の存在し難くなっている理由に事欠かないことだけははっきり確認することが出来る。それにしても私たちはこうした状況に手をこまねいている他ないのだろうか。「学問の有効性」という名目の下、政官財の世界との癒着を深めることを自身の手柄だと思っているような大学教員の連中や、毎日テレヴィや新聞などに登場しては訳知り顔に、専門的裏づけも、よく練られた思索の跡もまったく感じられない床屋政談・井戸端談義以下の放談を繰り返す「評論家」連中のかもし出すおぞましいまでの不快さに黙って耐えるしかないのだろうか。デリダやサイード、今村仁司の死後、世界について根源的かつ普遍的に、批判的スタンスに立ちながら語りうる知識人は死滅してしまったのだろうか。
このとき想い起こされるのはフーコーの知識人終焉論である。よく知られているようにフーコーは、サルトルに代表されるすべての問題について神のごとき判定を下す「大知識人(=普遍的知識人)」の時代は終わり、これからは特定の専門知識や技能を通して社会に貢献する「エンジニア型の知識人」だけが必要とされるようになると言った。フーコーはその時点ではっきりと伝統的な知識人の時代の終わりを告知していたのである。もっともフーコー自身は彼の言葉に反してむしろ最後の大知識人を演じたのであるが。それにしてもこうした状況についてどう考えればよいのか。
そうした折り、フランスの社会・政治思想史家であるミシェル・ヴィノックの著作の翻訳が刊行された(A5判・834頁・6600円・紀伊国屋書店)。800頁を超える大著であるが訳文はよく練られており、題材の面白さもあって一気に読めてしまう。
本書が扱っているのは、1894年に起きたドレフュス事件から1980年のサルトルの死にいたる時代の流れの中でのフランス知識人たちの生態と彼らが演じた多様なドラマである。それは文字通り多彩な万華鏡ともいうべき世界である。多数登場する知識人たちの個々の事跡、相互の関係、人脈や党派の実態が筆者であるヴィノックの歴史家としての驚くべき手腕でもって鮮やかに腑分けされ位置づけられていく様は壮観といってよい。私は本書によってこれまで知らなかった、あるいはあいまいなままだったフランス知識人をめぐる様々な事情や歴史について多くのことを教えられた。そしてそれを通してあらためて知識人とは何か、その役割とは何かについて考えるべき課題を指し示されたのである。
そもそも知識人という言葉が一定の社会的意味を持つようになったのは本書の議論の発端となっているドレフュス事件であった。ユダヤ系のフランス陸軍軍人であったドレフュスにかけられた対ドイツ内通という嫌疑、その嫌疑にもとづくドレフュスの軍籍剥奪と反逆者としての断罪という事態から始まったこの事件は、二つの点で知識人の登場を促したのだった。一つは多くの学者や文学者を中心とする知識層がこの事件がきっかけとなって政治的・社会的な次元へといわば象牙の塔から出て介入することから、知識人と呼ばれる新たな階層が生まれたということである。逆に言えば、知識人とは自らの専門領域に閉じこもることなく公的次元における言説を発する知識階層の人間を指す概念として定義されるということである。第二には、この事件に際に二つの対蹠的な立場が明確に形成され、以後知識人のあり方をめぐって――とくにフランスにおいて――つねにこの二つの立場のあいだで対立・相克が繰り返されてきたということである。その二つの立場とは、ドレフュス事件の際にモーリス・バレスとエミール・ゾラにそれぞれ示されたものであった。すなわちフランス国家の正統性とその統合基盤をつねに最優先させる国家主義の立場と、フランス革命によって達成された自由・平等・友愛にもとづく人権原理をつねに優先させようとする個人主義の立場である。この二つの立場のあいだの対立は、共同体帰属型の情緒的・扇動的な言説のパターンと共同体離脱型の知的・論理的な言説のパターンのあいだの対立へと置き換えることも出来るだろう。バレスや、後に右翼王党派の機関紙として名をはせる『アクション・フランスセーズ』の中心であり第二次世界大戦後対ドイツ協力の廉で終身刑を言い渡されたシャルル・モーラスなどが前者の代表だとすれば、ゾラや1930年代に痛烈な知識人批判の書『知識人の裏切り』を著したジュリアン・バンダなどは後者の代表格といえる。ただし本書が伝えている重要な点と思われるのは、その二つの立場が各々の知識人の中で必ずしも固定的ではなく、ときには立場の移行や分類不能な「第三の道」の選択が登場するということである。バレス自身、出発的においてむしろ極めて個人主義的であった。そのバレスを国家主義を代表する知識人へと押し上げていったのがドレフュス事件に他ならなかった。『アクション・フランセーズ』に近いカソリック系の文学者ジョルジュ・ベルナノスが、共和派とフランコ派の内戦下にあったスペインにおいて当初はカソリック王党派と通ずるフランコ派を支持していながら、フランコ派による民衆虐殺の実態を見て立場を転換し、フランコ派やそれと通じるカソリック教会を激しく糾弾する書『月下の大墓地』によって反ファシズムに転じてゆくのもそうした例の一つといえるだろう。
うかつな話しだが私は19世紀末から第二次世界大戦期にいたるフランスにおいてこのように激しい知識人の闘いが繰り広げられていたことをきちんとした形で認識してこなかったので、正直なところ本書の内容には驚きを禁じえなかった。それを踏まえてフランス知識人たちの群像から感じたことを記しておこう。一つは、どのような立場であれ彼らが自分自身に対し基本的に強い自負と責任を感じているということである。本書は全体を三部に分け、第一部が「バレスの時代」、第二部が「ジッドの時代」、第三部が「サルトルの時代」と銘打たれているが、1930年代から戦中期という困難な時代にあってときに逡巡や怯堕を示しながらも、基本的に支配層への協力を拒否し続けたジッドの態度には、そうしたフランス知識人のある種の強靭さを強く感じる。それはまた同時に、「仲良しクラブ」で群れたがる日本人とは異なり、意見の相違によってじつにあっさりとそれまでの人間関係を絶ってしまう彼らの「強さ」とも関係しているように思われる。第二に感じるのは、やや逆説的な言い方になるが、フランス革命によってもたらされた近代化とフランスの共同体意識のあいだの深刻な相克関係である、別な言い方をすれば、フランス革命は本質的な意味ではこの共同体意識を変え得なかったのではないかということである。その核心にあるのはフランス固有な信仰体系としてのカソリックの影響力の根深さである。そのことから派生する世俗権力と教会権力の、世俗知識人と教会聖職者およびそれにつらなる宗教系の知識人のあいだの激しい闘いが、フランス知識人の歴史の重要な要素であることをあらためて本書を通して確認することが出来た。
本書でもっとも興味深いのは、第一部におけるバレスを軸としたシャルル・ペギーやアナトール・フランス、ジュール・ルメートルらの人物群像の活写と、第二部の次第にファシズムへと傾斜してゆく時代の危機のなかでも知識人たちの足掻きにも似た模索の描写であろう。前者では期せずして先ほど述べた近代化の底に埋もれたフランス社会の深層があぶり出され、フランス社会自身の中にナチズムへと向かいかねない因子が埋め込まれていたことが明らかになる。とはいえそれを押しとどめた要因もまたフランス社会の中に存在したのだが。A・フランスの存在はそれを示唆している。また後者では平和主義に立つ知識人たちの決定的な無力が後知恵とはいえその後の歴史状況とのからみで深く考えさせられる。先月書評したアーレントの『責任と判断』の中にも戦間期の「著名な知識人」たちの無力が描かれていたが、この問題は現在の私たちにも、例えばイラク戦争の問題などにおいて重くのしかかってくるのである。第三部の記述にやや図式主義的な単純化が見られた――それは左翼に対する辛辣な視点に由来する――のは残念である。ともあれフランス知識人の歴史を知ろうとするのにこの百科全書的な内容を持つ著作ほど好適なものはないだろう。同時にそうした知識人の時代の終焉も本書は告知している。その先は私たち自身の問題というべきかもしれない。(2007.7)
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