哲学のアクチュアリティ 初期論集 :テオドール・W・アドルノ 









テオドール・W・アドルノ著・細見和之訳
(みすず書房




20004月から担当してきた本ブックハンティング欄も今回が最後となった。足かけ11年にわたって一回あたり10枚という長文の書評を月一回のペースで続けなければならない本欄の仕事は正直いってきつかったが、多くの新刊本の中から一冊を選び、自分なりの読み方、解釈を踏まえて書評にまとめるという作業は大変貴重な勉強の機会でもあった。何より一冊の本を通してそのつどの世界や時代の状況を論じたり、その本が扱っている分野や主題に関して理論的・歴史的反省を行うとともに今後の展開を展望することは、自分自身の思想的道筋を確認するための大切な作業となった。

 私が本欄を担当するにあたって心がけたのは、まず第一にたんなる内容の要約にとどまらず、必ず一個その本から引き出すことの出来る論題を示し、それについての自分なりの議論を含めることであった。10枚という長文書評にはどうしてもそれが必要だと考えたからである。第二には、思想・哲学の分野を中心にしつつ出来るだけ多様な分野の本を取り上げることだった。とくに通常の書評では取り上げられる機会の少ない音楽関係の本を出来るだけ取り上げようと心がけてきた。第三には、とくに後半の時期においてそうだったのだが、若手の博士論文を中心とする業績を積極的に取り上げることだった。ここ5年あまり大学では若手研究者が博士論文を執筆するのはほとんど義務となってきている。言い換えれば若手研究者の優れた仕事は彼らの博士論文にこそもっとも凝縮されているはずなのだ。今若手研究者の仕事が世に出る媒体としても博士論文がもっとも重要となっているのは。出版事情の悪化もあって書き下ろし単行本や論文集でデビューすることがほとんど期待出来ない状況であることと深く関係している。

 今も少し触れたが私がブックハンティング欄を担当した10年は、出版事情が急速に悪化した時代だった。とくにそれは人文・社会科学書において顕著だった。だからこそこれから世に出ようとする若手研究者の業績を中心に、その分野における貴重な著作の紹介を行うことが本欄の重要な役割であった。もとよりそれは大河にそそぐ一滴のように微力なものではあったろう。ただ悪化しつつある出版事情の中であえて旗を立て続けようとする著者や出版社の志に共感と連帯の意志を示すことは本欄を担当する者の義務であったと確信する。
                   
 さて本欄の最後に取り上げるのは、詩人であり、アドルノ、ベンヤミンの優れた研究者として著作および訳書を次々に刊行してきた細見和之によるアドルノの新しい翻訳(B6判・193頁・3000円・みすず書房)である。アドルノの仕事は同じみすず書房から昨年刊行された『文学ノート』1・2を含め主要著作の翻訳がほぼ終わっているが、なぜかアドルノの思想を理解する上で極めて重要な意味を持つ初期の二つの講演「哲学のアクチュアリティ」「自然史の理念」は、雑誌に翻訳が掲載されたことはあるとはいえ単行本としては未刊だった。この二つの講演は、アドルノが教授資格論文「キルケゴール論」に取り組んでいた時期である1931年から31年にかけて行われ、その後のアドルノの、『啓蒙の弁証法』を経て『否定弁証法』や「美学理論」へと至りつく思想的軌跡の起点に位置するものである。そのことは細見自身が彼の著作『アドルノの場所』(みすず書房)で述べていた通りである。その意味で今回両講演と、それに加えて執筆時期が1924年頃と推定される極めて早い時期の草稿「哲学者の言語についてのテーゼ」、これまた1920年代後半から30年代にかけて書き継がれた「音楽アフォリズム」が細見の翻訳によって一書にまとめられたことは、今後の日本におけるアドルノ解釈にとって貴重な一里塚となるであろう。 
   
 「哲学のアクチュアリティ」においてアドルノは自らの哲学の出発点を極めて明快な形で述べている。冒頭の文章を引用しておこう。「こんにち哲学研究を職業として選択する者は、かつてさまざまな哲学的企ての出発点に位置していた幻想、すなわち、思考の力によって現実の総体を把握することができるという幻想を、放棄しなければなりません。現実の秩序と形態があらゆる理性の要求を打ち砕いているのですから、正当化をこととする理性がそのような現実のなかで自分自身を再発見することなど不可能でしょう。認識する者に対して理性がまったき現実として自らを提示するとすれば、それはひとえに論争的な仕方においてのみであって、自分がいつかは正しく公正な現実にゆきつくだろうという希望を、理性は痕跡と破片の姿でのみ認めることができるのです」(2頁)。

 少し大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、引用した文章から私たちは、あらゆるアドルノのテクストを通して執拗に鳴り続けている彼の思想の基調低音(ゲネラルバス)ともいうべきものを聴き取ることが出来る。アドルノは大学の学位論文でフッサールの現象学を論じているが、この文章の背景にあるのも現象学の問題であるといってよい。というのも現象学はアドルノにとって最後の観念論ないしは形而上学だったからである。ここで観念論、形而上学という言葉は唯物論の対立項としての観念論を意味しているわけではない。それはむしろ伝統的な意味での哲学そのものを意味しているといってよいなぜならアドルノがいっているように哲学の問いはつねにその思考によって現実の総体、言い換えれば全体性を把握するという要求、つまり哲学的思考の根幹をなす理性によって存在の全体性を完全なかたちで捉えようとする要求に根ざしているからである。観念論、形而上学とはまさにこうした要求によって規定された哲学のあり方そのものに他ならないのだ。

 アドルノはそうした哲学の要求に対して敢然とその断念を要求する。もはやわれわれの哲学的思考の前には哲学をつかさどってきた理性とおあつらえ向きな形で対応するような全体性など存在しえないのだ。言い換えれば思考(理性)と現実(存在)の幸福な一致など今や不可能なのだ。アドルノはそう主張する。そしてアドルノが対案として提示するのは、もし哲学的思考にとって「正しく公正な現実にゆきつく」ことが可能であるとすれば、それは「理性は痕跡と破片の姿でのみ認める」という形でしかないという考え方である。
 「痕跡や破片」という言い方に後年のアドルノにおける「非同一的なもの」の契機の現われを看て取ることはある意味容易い。とはいえ問題はこの時点でアドルノがなぜ、またどのようにこうした思考へと至りついたかという点にある。恐らくその背景にあるのは、一つは先輩であるベンヤミンからの影響である。「痕跡や破片」という言い方には明らかにベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』の「認識批判的序論」における言葉づかいが影を落としている。初期アドルノの思考圏はベンヤミンのいわゆる「アレゴリー」的思考の圏域に属しているといってもよいだろう。そのベンヤミンの思考圏が第一次大戦後の「ヨーロッパ文明の没落・終焉」ともいうべき時代状況と深く関連していることを思い返すならば、初期アドルノの思考圏もまたこうした時代状況との関連の中で形成されていったと考えてよいだろう。

 このときそれとの関わりでもう一つの問題が浮上する。それは、この時代状況をやはり引き受けながらベンヤミンやアドルノとはまったく対蹠的な方向へと向かった一人の思想家との対決という問題である。その思想家が現象学から存在論へと向かったハイデガーであることはいうまでもない。このハイデガーとの対決というモティーフは「哲学のアクチュアリティ」においてもつねに明滅しているが、より明確な形で展開されているのが「自然史の理念」においてである。
ここでアドルノは「自然」と「歴史」という二つの概念を結合して「自然史」という「理念」を作り出す。このときアドルノの念頭にあったのは恐らくこの「自然史」という言葉をすでに用いている二人の先行者、すなわちマルクスとニーチェであったに違いない。そしてこの二人の先行者が、この言葉を通して理性による全体性の要求を観念論という究極的な認識の倒錯形態として厳しく斥けようとしたこともまた思い浮かべていたに違いない。つまり「自然史」という「理念」は、自然(=存在)を全体性という名の倒錯的な物象性にではなく、個別性だけがあたかも「痕跡や破片」のように配置されている歴史に向かって解き放つことを表す理念なのである。それは存在と存在者の区別から出発しながら最終的には存在をふたたび神秘的な全体性へと回収し、あまつさえその全体性をナチス的な国家=民族共同体の全体性へとすりかえっていったハイデガーに対するラディカルなアンチテーゼとしての意味を持つ。

 と同時に私たちが見ておかねばならないのは、アドルノがこうした非同一的なものへの志向を通して歴史の「アレゴリー」的配置へと入ってゆこうとすることが、たんに認識論的モティーフからのみ行われているだけではなく、哲学と並んでアドルノの思考の重要なもう一つの柱である音楽によって象徴される芸術(=美)の問題と深く結びついていることである。それは自然という概念を「神話」として捉え返そうとする志向にはっきりと現れている。この場合芸術(=美)の問題は具体的には「仮象」の問題となるのだが、それを「神話」の文脈に置き換えると、神話的思考に底する存在と理性の根源的な和解・宥和への志向の問題になる。それは後のアドルノの用語を使うならば「ミメーシス」の問題である。それが後年アドルノの遺著となる『美学理論』の中心課題の一つとなるのは周知の通りである。こうした点からも両講演がアドルノの思想的軌跡を考える上で極めて重要な意味を持つことは明らかであろう。

 「哲学者の言語についてのテーゼ」と「音楽アフォリズム」に触れるスペースが少なくなってしまったが、前者に関していえば「哲学のアクチュアリティ」でも言及されているアドルノの「エッセイ」への志向の問題が重要となろう。形式と内容が、理念と事象が、つまりは自然と歴史がつねに「痕跡や破片」という非同一的な境位のなかで交錯する地点において思考することが「エッセイ」的思考の神髄であるとするならば、アドルノの思考はつねに「エッセイ」への志向に貫かれていたといってよいだろう。また後者に関しては、個々の作品や楽節の微細な要素から思いがけない洞察を引き出すアドルノの後年の音楽社会学におけるミクロロギーの手法が早くも現れていることに注目すべきである。リゴリスティックな認識批判者としてのアドルノと繊細なエステートとしてのアドルノの二重性がここにも現れている。(2011.12)

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