フレデリック・ルノワール 著・神田順子 訳(二玄社)
私事になるが、2008年3月ウィーンとプラハに一週間ほど旅行をした。3月10日の夕刻ウィーンに到着し中心部のグラーベンにあるホテルに入ると、同行していた娘とともにホテルから散策へと出た。ウィーン一の繁華街ケルントナー通りを歩いていたとき、国立歌劇場の方から歌声が聞こえてきた。大勢の人間がいっしょに歌っているらしい。耳を傾けるとその歌は明らかに日本の追分などに似た東洋風の旋律だった。不思議に思い娘とともに足を速めて国立歌劇場の前へ来ると、黄色い縁取りに旭日を描いた旗を打ち振る僧服姿の東洋人の集団が歌を歌いながら集会を開いていた。一目見てチベット人の集団であることが分かった。ウィーンはヨーロッパにおける自由チベット運動の拠点のひとつで、かつてウィーンに一年間滞在していた折りにもしばしばチベット人たちに出会っていたからだ。それにしてもなぜ今ここでチベット人たちの集会が開かれているのだろうか?その意味が分かったのは二日後新聞を見たときだった。3月10日チベット現地で中国の支配に抗議する大規模な民衆蜂起が起こっていたのである。3月10日は1959年に中国支配に抵抗するチベット民衆の蜂起が起こった日であった。ウィーンのチベット人たちはおそらく現地と連携を取りながらこの日集会を持ったのだろう。その後このチベットにおける蜂起が北京オリンピック聖火リレーに対する世界各地での激しい妨害活動を始め、中国に対する非難と抗議の嵐を巻き起こしたことは周知の通りである。
いったいチベット問題とは何だろうか。欧米の世論が中国のチベットにおける人権侵害、とくに信教の自由の侵害を声高に非難し、チベットの事実上の独立を認めるよう中国に対して迫る一方で、中国はチベットを中国固有の領土であると主張し、自由チベットの指導者ダライラマを最悪の分裂主義者と非難している。まったく噛みあわないこの二つの主張のあいだでチベット問題の真実は宙吊りにされてしまっているように思える。そんな中、『現代思想』が2008年7月増刊号で「チベット騒乱」という特集を行った。早速目を通してみると、ポストコロニアリズムに立脚しつつ新たな世界政治への視点を打ち出しつつある優れた政治学者土佐弘之の、明らかに竹内好の「方法としてのアジア」を踏まえて書かれた論文「方法としてのチベット」の中に次のような一節があった。「チベット問題を通して、<西/東>の擬似弁証法的運動を追ってみたとき、浮かび上がってくるのは竹内の「方法としてのアジア」が見落としている重要な問題点である。それは、オリエントと名指されている者の内部における<中心/周辺>についての問題、より踏み込んで言えば、<主体化/排除項>の問題についての注意の欠落である」(『現代思想』2008年7月臨時増刊号 31頁)。
竹内好は「方法としてのアジア」において周知のように、アジア・太平洋戦争の持つアジア侵略戦争としての意味と欧米諸列強のアジアに対する帝国主義的侵略への対抗としての意味を腑分けした上で、後者の意味の延長線上に「西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する」という、真の意味で自律的なアジア固有の近代化の可能性を見通すという問題意識を展開した。竹内がこのときこうした可能性の主体として想定していたのが中国であったことはいうまでもない。だがこうした竹内の問題意識にはある視点欠落が含まれていると土佐はいうのだ。そのポイントとなるのが「<西/東>の擬似弁証法的運動」に他ならない。
チベット問題にそくしていうと、「西」、すなわち欧米諸国が人権や信教の自由の普遍性を掲げて中国を非難するとき、その非難にはかつて欧米諸国が中国に対して帝国主義的侵略を行い自らそうした普遍性を踏みにじった過去への反省が欠落している。しかもそうした中国への侵略の地政的拠点としてチベットが利用されようとしたという事実も見落とされている。この限りで欧米諸国の中国への非難は本質的な意味で正当性を欠いている。では「東」である中国の側からの欧米諸国への反発の方はどうか。なるほど欧米諸国の過去への視点を欠いた中国批判への反批判という点では一定の正当性が認められるかもしれない。しかし中国がその周辺地域(マイノリティ)であるチベットに対して行っている暴圧的な支配政策はそのことによって正当化されるわけではない。そのあたりの事情はアジア・太平洋戦争における日本帝国主義の中国・アジア地域侵略の犯罪性と重なり合う。しかし問題はそこに留まらないのだ。というのも中国の反批判の背景には二重の意味で論理のねじれが含まれているからである。一つは中国のチベット支配が「西」が作り上げた国民国家-ナショナリズムの論理に基づいて行われ正当化されていることである。ということは、チベットが中国固有の領土であるという中国の欧米諸国への反批判が批判している当の欧米諸国の論理に根ざしているということを意味する。このことは第二の、より根本的なねじれを生み出す。それは、現在の市場経済にのっとった発展主義に示されているように、中国の近代化が、竹内の「方法としてのアジア」における問題意識とはまったく逆に、「西洋によって東洋が包み直される」ということを、つまりアジアの近代化の固有性・自律性の根拠が最終的に失われ、アジアが完全に「西」の論理に呑みこまれるという事態を意味しているからである。つまりチベット問題をめぐる欧米諸国と中国の対立は、その表面的な激しさとは裏腹に、グローバル資本主義(近代世界システム)の論理において「対立の止揚」へと到りついてしまうのである。土佐のいう「擬似弁証法的運動」が指し示しているのはこうした事態に他ならない。
だとすればチベット問題において真に問われなければならないのは、かつてアウシュヴィッツの死者たちがそうであったように、あるいはアジア・太平洋戦争が生み出した戦時性暴力の犠牲者である従軍慰安婦の女性たちがそうであるように、さらにはパレスティナや沖縄がそうであるように、そうした「擬似弁証法的運動」のメカニズムの下でその存在を不可視化されてしまっている「マイノリティ=サバルタン」としてのチベット民衆自身であるといわねばならないだろう。国家やナショナリズム、市場等々のグローバルなシステム論理が疎外し、いわば<周辺化>してしまったチベット民衆の真の意味での自律性の在り処こそが問い直されねばならないのである。
残念ながら日本においてはこうしたチベット問題の本質を考える上で参考になる本は少ない。そうした中でこのたびフランス人ジャーナリスト、フレデリック・ルノワールの著書『チベット真実の時Q&A』(B6判・239頁・1600円・二玄社)が刊行された。著者であるルノワールは、ダライ・ラマの亡命地であり自由チベット運動の拠点であるインド北部のダラムサラを何度か訪問し、ダライ・ラマとも何回かにわたって直接対話を行っており、そうした知見に基づくチベットへの内在的な理解を踏まえた、単純な「西」の論理に基づく中国糾弾に終わらないチベット問題についての考察を本書において示している。と同時に「Q」とそれに対する「A」という形式を取りながら、チベットについての知識を持たない読者でも興味深く読むことが出来る工夫も施されている。
ルノワールは、本書においてまず「伝統的なチベット」とは何かから入ってゆく。いうまでもないことだが、この「伝統的なチベット」がチベットの固有性・自律性の前提となる。同時にここでルノワールは、チベットと中国の違いという問題にも言及する。というより、後論との関連でいえば「伝統的なチベット」がいかに中国と異なるのかということの弁証が本書の論旨の一つの核になっているのである。ルノワールが捉えるチベットと中国の違いのポイントは宗教である。チベットにはもともとその高地という特異な自然環境と深く結びついたボン教と呼ばれるシャーマニスティックな土俗宗教が存在した。その後8世紀に当時のチベット王が唐とネパールから王妃を迎えたことがきっかけになって仏教が移入される。チベット仏教は大乗の系統に属するが、中国や朝鮮、日本とは異なる固有性を保持しつつチベットの国教として受け継がれていった。そして17世紀にゲルク派という宗派を背景にダライ・ラマを指導者に戴く神権国家体制が成立し現在に至るのである。ルノワールは、慎重にオリエンタリズムに基づいたチベットの神秘的宗教性の礼賛という立場を避けながら、このような歴史を持つチベットの宗教性の核心を、死後の世界への志向、あるいは死と生のあいだの「転生」という結びつきなどに現れている現世超越性に求める。それに対して中国の宗教性の本質はそうした超越性の否定としての世俗性に求められる。端的にいえばそれは宗教性の否定といってよい。その典型的な現われが、ルノワールが現在の共産党支配体制に至るまで中国の精神的支柱として機能し続けていると見なしている儒教である。したがって「伝統的なチベット」と中国は文化的には完全に異質な関係にあることになる。
続く章においてルノワールは中国のチベット支配の歴史的経緯と問題点、そしてチベット支配に執着し続ける中国の意図がどこにあるのかを考察する。ここでチベット問題のも
う一つの重要なポイントが浮上する。それは、中国がチベット支配の正統性の根拠として持ち出す「中国は封建支配のもとにあったチベットを解放し近代化への道筋をつけた」という主張の持つ問題性である。まさにこれこそが先ほど言及した「擬似弁証法的運動」に他ならない。この「近代化」の論理が、中国による伝統的なチベット社会や文化の大規模な破壊を生み、漢族とチベット民族の経済格差を生み出したのである。とはいえもしこうした中国の擬似弁証法的論理に対抗しようとして無媒介な伝統的なチベット礼賛に陥るとき――欧米諸国に根強いチベット崇拝の基底にあるのはこれである――、ルノワールが本書の最終章で詳細に検証しているようなチベット・オリエンタリズムというもう一つの「擬似弁証法的運動」の罠にはまってしまう。繰り返しになるが、チベット問題においてこうした二つの「擬似弁証法的運動」のぶつかり合いにのみ目を奪われてしまうとき、真の解放の主体であるべきチベット民衆の存在が不可視化されてしまうのである。必要なのは、近代化とオリエンタリズムの擬似弁証法的な循環に対しても、あるいはジジェクが指摘するように(上述『現代思想』参照)真のチベット・デモクラシーの実現にとっての最大の障害でしかないダライ・ラマを頂点とする神権政治体制に対しても、根源的な「否」を突きつける本来の意味でのチベット「革命」なのだ。グローバリゼーションの中で深刻化する「南/北」の対立をいわば同型的に再生産する中国内部の「中心(北京)/周辺(チベット・ウィグル)」の対立をいかなる擬似弁証法にも委ねることなく「革命」へと押し上げていかねばならない。それが竹内の目指した「西欧に対するアジアの自立」の真の実現につながるはずだからだ。別な言い方をすれば、それがかつて魯迅の夢見た中国=アジアにおける真の「民主」、「<民>の自立」の実現に他ならないのだ。類書の少ない日本において多くの学ぶべき内容を含んだ本書のような優れた著作が刊行されたことは意義深いが、「ダライ・ラマの叡智」を問題解決の手がかりとしようとする点だけには違和感を覚えたことを率直に記しておきたい。(2009.4)
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