西洋音楽思想の近代 西洋近代音楽思想の研究 : 三浦信一郎


 


 
 
 
三浦信一郎 著( 三元社)
 
 
 
 
 
もう三十年近く前になるが、船山隆の『現代音楽Ⅰ 音とポエジー』(小沢書店)を読み、現代音楽の歴史における二つの大きな出来事の意味についてはじめて目を見開かされて衝撃を受けたことがある。二つの出来事とは、ピエール・ブーレーズが「ピアノ・ソナタ第二番」や「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」などのいわゆる「ミュジク・セリエル」の技法に基づく作品によって、シェーンベルクの無調および十二音技法から始まる20世紀音楽の流れをその窮極的な到達地点にまでもっていったことと、ジョン・ケージが偶然性の手法を作曲技法に導入することによって「ミュジク・セリエル」を含む西洋近現代音楽の歴史総体を一挙に破壊し去ったことである。前者の出来事が、音楽を構成する素材としての音を、その音高、音価、リズム、和声などの要素に基づいてパラメーター化し、徹底したかたちで規則性(セリー)のなかに位置づけてゆくというラディカルな決定論的手法を極限までおし進めたところにその意味があったとすれば、後者は西洋近現代音楽の歴史においてつねに基本的なパラダイムとして機能してきた楽曲の完結性やその内的な秩序の自律性、そしてその基礎となる音階、拍節、和声などの楽曲構成上の諸規則を――ミュジク・セリエルはそれを極限化した――ことごとく解体してしまったところにその意味が見出される。私が衝撃を感じたのは、このような意味を持つ二つの出来事のあいだの関係のあり様が、当時日本で紹介が始まりつつあったポスト構造主義的思考と、その先行者である構造主義的思考とのあいだの関係のあり方にそのままあてはまると思われたからである。例えば、ブーレーズにおけるほとんど数学的ともいえるセリーの扱い方が、未開社会における婚姻関係とその前提となる親族構造を、ブルバキ派の数学的手法によって解明しようとしたレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』における構造主義的発想と驚くほど似通っているのに対し、ケージの偶然性の手法は、構造の優位を否定し差異や出来事の一回性を重視するポスト構造主義的発想と対応しているといえる――もっともデリダが「構造破壊(ディストラクション)」ではなく「脱構築(デコンストラクション)」といったことを踏まえれば、ポスト構造主義的思考は、ケージの偶然性の契機を、マラルメの『骰子の一擲』というもう一つの偶然性の回路を通じて自らのミュジク・セリエルの手法に接合し「管理された偶然性」という考え方に到達した「ピアノ・ソナタ第三番」や「プリ・スロン・プリ」におけるブーレーズに対応しているといえるかもしれない――。逆に言えば、現代音楽においても20世紀現代思想と同じ問題状況が生じていたということである。

 

 このことは、ヘーゲル・マルクス・ニーチェ・フロイト・フッサール・ハイデガーと続くヨーロッパ近現代思想の系譜のなかで生じた思想における近代とは何かという問い――その問いの先に構造主義とポスト構造主義が現れた――と正確に平行するかたちで、音楽における近代とは何かという問いを惹起する。直観的にいっても、ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェンと続くウィーン古典派の音楽はドイツ観念論の系譜と時代的にも内容的にも対応していると考えられるし、ヴァーグナーの音楽がニーチェ、あるいはボードレールからマラルメ、ヴァレリーへと続く象徴主義運動と雁行していることは歴史的事実である。さらに20世紀の音楽が、上記のようなかたちで20世紀思想との平行関係を暗示しているとするならば、そこに思想における近代への問いと対応するかたちで、音楽における近代への問いが生まれてくるのは必然的であるといえよう。思想の流れにおいてそうであるように、音楽の流れにおける20世紀の状況もまた近代という歴史性のうちから生じた一個の帰結点に他ならないのである。私自身もう十年近く前になるが、拙著『響きと思考のあいだ リヒャルト・ヴァーグナーと19世紀近代』(青弓社)のなかで、ヴァーグナーの音楽を軸に、思想と音楽の対応関係のなかから見えてくる近代――この近代は、ドイツで「モデルネ」と呼ばれる美的な近代を意味していたが――を問い直す試みを行ったことがある。ただし音楽に関して一介の素人に過ぎない身での議論がどの程度妥当性を持ちうるのか自信が持てないでいた――ちなみにこの本への音楽学の側からの反応は皆無であった――。それだけに音楽学の専門家のなかから同じような問題意識に立った議論が現れることをずっと待ち望んでいた。

 

 このたび公刊された三浦信一郎の『西洋音楽思想の近代』(A5判・370頁・4200円・三元社)はそうした私の渇望を満たしてくれる待望の著作である。著者である三浦のこれまでの仕事については、すでに叢書『ドイツ観念論との対話』(全6巻 ミネルヴァ書房)に所収の論文等――本書の一部をなしている――である程度知っていたが、今回あらためて一冊の本にまとめられたその内容を読んでゆくと、三浦の問題意識の所在、発想がよくわかってたいへん触発的であった。

                   

 本書をつらぬいている三浦の問題意識の核にあるのは、バロック音楽の持つ「情緒-描出」という性格からドイツ圏を舞台にして生まれた近代芸術音楽の持つ「感情-表現」という性格への転換を果たすことによって、西洋音楽の歴史に決定的な「革命」――本書中のCh・バーニーの言葉を借りれば「ドイツ音楽の革命」――がもたらされたことの意味とその経緯を明らかにするという課題である。そしてそうした課題の前提、出発点をなしているのは、先ほど私が言及した二つの出来事に対応する「調性の放棄」(シェーンベルク)と「「偶然性(不確定性)」および「沈黙」の思想と実践」(ケージ)という二つの事件を通じて生み出された現在の音楽をとりまく状況、すなわち「創作の主体」を中心とする「表現原理」から聴衆=享受者(消費者)を中心とする「聴取の美学」(庄野進)への推移に象徴される「脱芸術、反芸術」の動きを、西洋近代音楽の歴史総体の流れを踏まえるかたちでどう捉えればよいのかという問題に他ならない。このような三浦の問題意識は、まさに私が『響きと思考のあいだ』で問おうとした課題と重なり合う。本書に対して共感を禁じえない所以である。

 

 さて議論の展開を追っていってみよう。17世紀バロック音楽における「情緒-描出」は、三浦に拠れば「特定の情緒の描出と喚起には特定の音楽的技巧が対応しうる」(22頁)という「合理的で、客観的で、類型的な」(同)発想にもとづいている。そしてこの合理性の背景には、ちょうどデカルトの「人間」がそうであるように、「人間一般」ではあっても「個別的・主観的自我を有する個人としての人間とは言えない次元」(23頁)における人間概念、あるいはそれに対応する世界概念がひそんでいる。この指摘は正鵠を射ているといえるが、より細密にみれば、反宗教改革運動としてのバロックの中に潜在する中世的な超越性への回帰志向(反近代)の要素――類型としての情緒を支える先験的な超越性の所在――と、デカルトと同時代のスコットランド啓蒙学派が求めようとしたアリストテレスに由来する経験的・慣習的トポス(智恵(フローネージス))の要素(もう一つの近代)が、異化結合的に結びついているのを見落としてはならないだろう。というのもそのこと、「情緒-描出」に代わるかたちで登場する18世紀から19世紀にかけて音楽の性格、三浦の指摘に従えば「疾風怒濤」期の音楽においてはじめて登場し古典派・ロマン派の音楽にまで及ぶ感情―表現」という性格およびそれを支える「非合理的で、主観的で、感情的」な「創作の主体」のあり方に関してそれが必ずしも中世・バロックからの直線的な推移の所産といえず、そこに錯綜した事情が存在することを明らかにするよすがとるからである。

 

 それは、本書におけるもっとも中心的な内容というべきカント・シェリング・ヘーゲルというドイツ観念論の系譜における芸術・音楽観と近代芸術音楽の歴史的推移のあいだの関係を問い直す要ともなる。例えば、第一部第一章で三浦は、近代芸術音楽の登場に対応する芸術観の問題として「音楽における自然」というテーマを掲げ、フィードラーやハンスリックの議論を踏まえながら「人間の精神の所産」としての音楽が人為を通して自然に到達する「第二の自然」を目指していたと指摘する。そして三浦の「第二の自然」の捉え方には、それをストレートに理念化しようとする姿勢が現れているように思われる。だがこの捉え方は、カントからヘーゲルへと至る近代思想の推移のうちに存在した、近代的な個別主体の措定とそれを超えるかたちで定立される世界の超越性とのあいだの関係――カントの言葉で言えば「超越論性」の問題である――をめぐる深刻な相剋の問題を素通りしてしまう危険性をはらんではいないだろうか。

 

 この「第二の自然」に思想的に対応するのは、本書における三浦の議論に即せば、カントの「関心なき適意」を軸とする美の捉え方であり、シェリングにおける観念と実在の統合を実現する「無差別的統一性」に基づく芸術の把握であり、さらにはヘーゲルの「理念の感性的顕現」としての芸術美という見方である。そこには、理念的なものがそれ自体として感性的定在へと無矛盾的に具体化されることを可能にするものとしての芸術という考え方が底流している。だがこうした考え方には、「作る」(人為=制作)と「自ら成れる」(自然=生成)という対蹠的な存在観の振幅を軸とした、バロック的・中世的=反近代的超越性への志向と近代的な個別主観性への志向とのあいだの対立が隠されている。だからこそカントの美の見方は、スコットランド啓蒙派とも相通じる共通感覚にもとづいた「趣味判断」という前近代的概念と近代的主観性にもとづく「崇高」概念とのあいだでぶれているのだし、ヘーゲルは「芸術の終焉」というかたちで近代芸術批判を語らねばならなかったのである。しかもさらにヘーゲルからマルクスへと至る思想系譜においては「第二の自然」を「物象化」的な仮象・錯視として批判する視座まで登場する。この視点に立てば、近代的主観性それ自体が虚妄であることになる。

 

 この問題は、ロマン派から始まる近代内部からの近代批判としての「モデルネ」の運動においてより深刻化する。紙数がないので詳細はひかえるが、私見ではこうした近代内部の相剋・対立をもっとも本質的なかたちで露呈させているのがヴァーグナーの芸術であり、だからこそそれは世紀末から20世紀にかけての「モデルネ」(アヴァンギャルド)運動の起点となったのである。そしてその運動の思想的帰結点として現れたのが、現代音楽の経験を基底に持つアドルノの美学に他ならない――そこにベンヤミンを加えてもよいだろう――。三浦の議論にはこうした近代の錯綜性へのまなざしが希薄な感じがする。

 

 やや疑問をぶつける方向に傾きすぎた感がするが、本書が西洋近代における音楽と思想の相互関係というやっかいな問題に本格的なかたちで踏み込んだ貴重な試みであることは言を俟たない。こうした試みがようやく音楽学の内部から出てきたことを喜ぶとともに、著者の長年にわたる研究の労に満腔からの敬意を表したい。(2005.11

不安な経済/漂流する個人 新しい資本主義の労働・消費文化 : リチャード・セネット


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リチャード・セネット著/森田典正訳(大月書店)
 
 
 
 
サブプライムローン問題に端を発したアメリカを中心とする全世界的な金融危機は、不良債権の額が120兆円にも及ぶ可能性が出てきていることもあり、深厚な様相を呈しつつある。アメリカ連邦制度準備理事会の前議長であったグリーンスパンが、今回の危機が戦後最大のものになるかもしれないと警告を発していることは、そうした危機の深刻さを裏書するものだといえよう。

 それにしても今回の金融危機はなぜ起こったのだろうか。もちろん事実的にいえば、低所得者向け住宅ローンであるサブプライムローンにおいて、土地・住宅バブルの崩壊に伴なう住宅価格の低下のために返済不能者が急増し、その結果負債が急速に拡大してしまったことがきっかけになっているのは明らかである。サブプライムローンの不良債権化に伴ない、サブプライムローンを組み込んだ様々なファンドや債権も不良化し、しかもそれがリスク分散のために小口化されて全世界に幅広く販売されていたために、アメリカ一国にとどまらない世界的な金融危機へとつながっていったのだととりあえずは説明する事は出来る。だが本当に問題の本質はそこにあるのだろうか。
                   
 市場原理主義と戦争経済の組み合わせによって進められてきた2001911以降のアメリカ・ブッシュ政権の新自由主義+新保守主義政策は、イラク戦争の正統性に対する疑問の全世界的な噴出によってすでに大きく躓いていた。端的にいえばイラク戦争の正体が、ブッシュのバックにある南部石油資本および軍需産業「ハリバートン」の実質的なオーナーであるチェイニー・ラムズフェルド一派の私益のための戦争でしかなかったことが露呈してしまったということである。さらにいえば、ブッシュ政権の新自由主義的経済運営の要となっていた、アメリカ国民の数パーセントを占めるにすぎない富裕層に手厚く利益を誘導するためのミニバブルの連続的な演出の繰り返しの手法(ITバブル、土地・住宅バブル等々)――その演出者がグリーンスパンだった――が、今回のサブプライムローン破綻によってついに行き詰ってしまったこともある。つまり今回の金融危機によって見えてきたこととは、新自由主義が鼓舞する市場原理主義によってたえず構造的に再生産される富裕層と貧困層のあいだの極端な経済的・社会的格差を、貧困層向けサブプライムローンと、貧困層に対する就業機会の提供という性格を持つ戦争という二つの回路を通じて糊塗し、それによって国民全体を再び国家(ロイヤリティ)の側へと回収し統合する――その過程がじつは、政権当事者と富裕層からなるエスタブリッシュメント層にとってのもう一つの私益確保の手段ともなっていた――というブッシュ政権のやり方が、その二つの回路の破綻によって完全に機能不全に陥ってしまったというのが今回の事態の本質だったといえよう。2年前ニューオリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」による災害の際の、とても先進国とは思えない国のずさんかつ稚拙な対応がおそらく破綻の始まりだったのだと思う。このときアメリカ国民は、黒人貧困層を中心とするハリケーン被害者たちがブッシュ政権によってほとんど棄民同然の扱いを受け、何らのサポートも受けられなかった事実を見て、ようやくブッシュ政権の進めてきた新自由主義+新保守主義政策の本質に気づいたのだった。あれから2年、ブッシュの「ポチ」役を買って出た、イギリスのブレア、日本の小泉・安倍、オーストラリアのハワードを始めとする新自由主義+新保守主義の「盟友」たちはほとんど政治の舞台を去った。世界は明らかに新自由主義+新保守主義に対して疑いを抱き、そこから距離を取り始めている。そしてそのことは、あらためて89年の東欧社会主義崩壊とともにグローバル化の波に乗って一気の世界の政治・経済の主潮へとのし上がっていった新自由主義+新保守主義路線に対する見直し、問い直しへとつながってきている。

                   
 今回取り上げるリチャード・セネットの著作(B6判・207頁・2300円・大月書店)は、その問い直しに対して絶好の手がかりを与えてくれる。とくに新自由主義が、資本主義社会の形成を軸を推し進められてきた近代化のプロセスの中で、ある特異な位置を占めていることに目を開かせてくれるのが本書の大きな意義となっている。

  新自由主義の特異な位置は、それが19世紀に本格的に始まる資本主義的近代の実定性に対する一種の革命としての意味を持つことに由来する。かつて絓秀実はその著書『1968年』(ちくま新書)で、1968年の「革命」によってもたらされた様々な結果が次第に社会全体へと定着してゆく過程としてその後の時代の流れを捉えていたが、じつは新自由主義、あるいはそれと雁行して登場した新保守主義にしても68年にピークを迎える60年代の急進的な革命の逆説的な「成果」としての性格を持っている。そのことをセネットは本書の「序」の部分で次のように言っている。「半世紀前の一九六〇年代(……)真剣な若き急進派たちはさまざまな既存組織を、とりわけ、大きさと複雑さと硬直性によって、人々を鉄の鎖につないでいるようにみえる巨大企業や巨大政府を批判の標的にしていた。ニューレフトの設立記録ともいえる一九六二年のポート・ヒューロン声明は、国家社会主義にも多国籍企業にも等しく手厳しかった。彼らには両体制とも官僚的牢獄にみえていたのだ。ポート・ヒューロン声明の起草者の望みの一部は、のちの歴史によってかなえられることになった。五カ年計画や中央による経済支配という社会主義の原則が消滅したからである。被雇用者に終身雇用を提供し、毎年、おなじ製品とサービスを提供し続けてきた資本主義企業も同様に消滅した。医療保険や教育のような制度もかたちが多様化し、規模が縮小された。五〇年前の急進派同様、今日の支配者の目標も硬直的官僚制度の解体にある」(本書2頁)。

 
   問題は60年代の革命によって既存の硬直した官僚的な体制が消滅した後に何が来たかである。セネットは、やや皮肉な調子でニューレフトの望みは「歪んだかたちで」かなえられたという。ニューレフトが望んでいたのは、セネットの言い方に従えば、「顔のみえる信頼と連帯の関係や、常に調整され、更新される関係や、それぞれが他者の欲求に敏感な共同体的領域が生まれる」(3頁)ことだったのだが、じっさいに誕生したのは「巨大組織の断片化によって、多数の人々の生活も断片化される状況」(同)だったのだ。つまり「組織が解体されても、結局、多くの共同体は生まれなかった」(同)のである。

 この冒頭の認識が、セネットの本書における位置をよく示している。近代社会は1848年の革命を経て本格的な産業社会への道を歩み始める。それは、むき出しの弱肉強食原理によって動いていた初期の資本主義が次第に整除された組織・体制として確立されてゆく過程でもあった。「一八六〇年代から一九七〇年代までの一〇〇年間で、企業は安定化の術を学び、事業の寿命を延ばし、労働者数を拡大した。こうした安定をもたらすに至った変化は(……)事業の内部における、組織編成の方法」(26頁)によって生じたのである。セネットはその組織編成のモデルを、M・ウェーバーを援用しながら「軍隊的モデル」(同)に求める。それは要約すれば、組織への帰属過程の中に自らの人生総体の設計のためのモチヴェーションを見出すような人材によって企業が形づくられるようなモデルである。そこに雇用の保証、専門性の保証、企業の側による勤務外の保養や社会保障の提供などの要素が対応することはいうまでもない。それによって、とりわけ第二次世界大戦後の先進国における巨大企業は比類ない安定性を獲得したのである。
 

 反面、こうした企業のあり方は組織の官僚的な硬直化も招いた。意思決定過程の緩慢さ、責任の分散にともなう事なかれ主義の蔓延といった事態がそこには生じる。セネットは、その典型例を戦後巨大企業の代表格といってよいIBMのケースに見ている(39頁参照)。六〇年代の革命は、こうした巨大企業組織に生じた官僚的硬直化によって象徴される近代社会のあり方への叛乱として起こった。それは組織によって逼塞させられたフレキシビリティの回復への志向に貫かれていた。だが皮肉なことにじっさいに実現したのは、組織のもたらす安定を失って企業を含む社会全体が個人も含めいっせいに液状化し標流し始めるという事態であった。その行き着く先が新自由主義的な市場原理主義であったことはいうまでもないだろう。セネットはそうした事態を「MP3プレーヤー」によって寓意的に説明する。それは、コンピュータプログラムと同様に、いつでも課題や活動領域、それに伴なう人材を入れ替えることの出来るような柔軟な組織のあり方が実現したということである。このことには企業の決定権が短期における利潤を目指す株主に移ったことや、組織への帰属ではなく自己決定を志向するシリコンバレーのコンピュータプログラマーのような人材が登場してきたことが対応する。ではそれは社会的に何を意味したのだろうか。セネットはこうした事態がもたらした「三つの社会的損失」に言及する。すなわち「組織への「帰属心(ロイヤリティ)」の低下、労働者間のインフォーマルな相互信頼の消滅、組織についての知識の減少」(65頁)である。このことによって社会の液状化と個人の不安定な漂流状態が加速されることになる。新自由主義のもとでの非正規雇用の増大、格差の拡大といった現象がまさにここに起因しているといえるだろう。セネットはその焦点を、個人が社会に中に安定した自らの位置を見出させなくなる事態、つまり「自分が不要な存在なのではないか」という不安に絶えずさらされている事態のうちに見出している。そこには同時に、社会と個人の接点が、熟成された知識や思考、技能によってではなく、せつな的な消費選好によって形成されるという事態、セネットの言い方に従えば社会の劇場化という事態を伴なっている。
 

 こうしてみてくるとき、ブッシュ政権の行った政策の背景にあるもの、そして今明らかになりつつあるその破綻の本質的な根拠が何処にあるのかが次第に明瞭になってくる。一言で言えば新自由主義+新保守主義政策は、社会の解体・破壊をもたらし、個人の存在基盤を掘り崩してしまったのである。セネットは最後に「社会資本主義」という概念を提示し、社会を解体しつつある新自由主義に対抗するため、規範なき暴走を続ける企業に対する「並行組織」の形成、ワークシェアリング、そして近年注目されつつある「ベーシック・インカム」(社会による生活基本所得の保障)の三つの方向性を提言している。いずれにせよ新自由主義+新保守主義に対する最終戦争が今喫緊の課題となってきていることを、このセネットの本は私たちに教えてくれる。(2008.4

教養の歴史社会学 ドイツ市民社会と音楽 : 宮本直美





 
  
 
 宮本直美 著(岩波書店)
   
 
 
ドイツの教養問題については、その中身と担い手をめぐってこれまでも様々な議論が展開されてきた。おそらくそこには、アメリカ亡命中に行った講演「ドイツとドイツ人」において、ナチズムの悲劇・罪過の根源にはルターから始まるドイツ的内面性の伝統が存在すると明言したTh.マンの指摘が強く影を落としている。カントとゲーテとベートーヴェンの国がなぜナチズムという途方もないモンスターを生み出してしまったのかという素朴な疑問は、マンの言葉を介して、むしろカントやゲーテを生んだ国だからこそナチズムが生まれたのではないか、という屈曲した問いへと置き換わらざるをえなかったからである。そして教養概念こそはこうしたドイツ的内面性の伝統が社会的次元において現実化される媒体に他ならなかった。ドイツ近代の歴史のいわば通奏低音ともいうべきドイツ的内面性の伝統は教養概念を通じて社会化されつつナチズムという破局へと至りついたのであった。

  教養問題について考えようとするときこうした経緯を無視することは出来ない。じっさいこれから書評に取り上げようとしている本書(A5判・330頁・6600円・岩波書店)の中でも引かれているビーレフェルト大学の教養研究プロジェクトの中心メンバーであったユルゲン・コッカの著作はもとより、この分野における古典ともいうべきヘルムート・プレスナーの『遅れてきた国民』((邦訳 名古屋大学出版会)やフリッツ・リンガーの『読書人の没落』(邦訳 同)および『知の歴史社会学』(同)、さらにはわが国においてこの分野の研究に先鞭をつけたといってよい野田宣雄の『教養市民層からナチズムへ』(同)や田村栄子『若き教養市民層とナチズム』(同)などに共通してみられるのは、教養概念を軸に形成された19世紀以降のドイツ市民層(いわゆる「教養市民層」)がなぜナチズムへと向かおうとする歴史のれに対して無力だったのか、いなむしろ彼らはそれに積極的に加担しようとしたと見るべきなのではないかという問いであった。ここにはおそらくドイツ近現代史をめぐるもっとも深刻な問いの次元が潜んでいる。

                 
 ところで教養概念について考えようとするときやっかいな問題がすぐに浮上してくる。それは、教養概念が制度概念なのか、それとも逆に非制度的な、というよりもむしろ制度に対する反逆概念なのかという問題である。教養概念がとくに社会階層としての市民層の形成と結びついてとらえられようとするとき、そこにもっとも深く関わっているのは大学制度であった。ベルリン大学を嚆矢とする19世紀のドイツ大学制度は、なによりも国家に奉仕する官僚層の養成という課題と結びついていた。教養概念はこうした官僚層、そしてそれを取り巻く大学やギムナジウムの教員、医師、弁護士などの知識層に共通するいわば階層的ステイタスに他ならなかった。では本書で著者の宮本直美もいっているように大学を出ていれば教養は制度的に与えられ保証されるのだろうか(本書第1章第2節参照)。ここで教養概念の土台となっているドイツ的内面性の核心をなす「デモーニッシュ」(dämonisch)という言葉を想い起こしてみよう。この言葉は、とくに優れた芸術作品が与えてくれる、現世的な秩序や規範、価値をはるかに凌駕するような強烈な衝迫力を表している。ドイツ的内面性の伝統はこのデモーニッシュなものに収斂する傾向を強く持っていた(マン参照)。その意味ではドイツ的内面性は基本的に反制度的であったといってよいだろう。このことはシラーの『美的教育論』や「ドイツ観念論最古の体系計画」断片に出てくる「美的国家」の問題、すなわち美の高次な統合作用によってのみ機械的結合にすぎない世俗国家の下等性が克服されうるという、その後の美的革命論ないしは美的救済論と呼ばれるドイツ近代の特有な政治的審美主義の言説の系譜とも照応しながら、教養概念に制度的次元には回収しきれない錯綜した陰影を付与することになるのである。大学で学ぶことはたしかに教養を身につける=教養市民層の一員になることの前提条件になるかもしれないが、もしそのことが国家=世俗社会の制度的に確立された規範や価値に無批判にのみこまれてゆくことへとつながるならば、たちまちそれは教養市民層からの脱落へとつながっていってしまうのである。大学という制度は教養の保証基盤、十分条件にはなりえないのだ。

  
 ところでもう一点ここで言及しておかなければならない問題がある。それは教養概念の非政治性である。美的革命あるいは美的救済への志向はなるほど世俗社会への反逆という性格を持っているが、それは市民革命のような制度や社会構造そのものの変革を目指しているわけではいない。むしろそうしたものの美的なものの次元を通した理念的な全否定というある種のユートピア志向というべきである。だがこの非政治的な美的革命――その核心をなすのがデモーニッシュなものである――が唯一具現化される場がありえた。それは美的=デモーニッシュなものを共有する教養市民による教養共同体という場である。繰り返すようだがこの教養共同体は制度的なものではない。したがって層としての市民はストレートには教養共同体の担い手にはなりえない。教養の原義である「形成Bildung」が不断にその担い手である市民の一人一人の内面性を通して主体的に推し進められることによって初めてこの教養共同体は可能となるのである。そして19世紀のドイツにおいてこの教養共同体は、ヴァーグナーのバイロイトが典型的に示しているように、一方において美的=デモーニッシュなものという柱を有しつつ、他方でこれまた現実の制度に回収することの出来ない想像的次元における民族=国民共同体――Nationとしてのそれではなく、Volkとしてのそれ――への志向を柱として持つことになる。そして美的革命のモティーフをはらむ教養共同体への非政治的回路は、世俗国民国家Nationに対する民族=国民共同体Volkの次元にもとづく反逆という回路と明らかに同調しながら、最終的には保守革命からナチス「革命」へと至る19世紀後半以降のドイツのプレ・ファシズム的精神土壌を準備するのに大きく貢献したのであった。
                  

 教養概念が抱えているこうした問題状況は、無批判な形での教養概念の移入の結果、「教養主義」と呼ばれるメンタリティの下で天皇制国家への翼賛と埋没に終始してきた日本のドイツ文化受容の歴史と相即する。この教養問題については最近でも高田珠子の『グロテスクな教養』(ちくま新書)や、直接には日本語によるドイツ語翻訳の問題点を指摘しながら教養主義を批判してみせた鈴木直の『輸入学問の功罪』(同)などの優れた著作が刊行されているが、今回公刊された宮本の著作もまた間接的ながら日本の教養主義的なドイツ文化受容、とりわけドイツ音楽の受容のあり方がいかに偏ったものであったかを浮かび上がらせている。そのポイントはバッハ問題である。

 宮本はすでに指摘したように大学という制度に対応する形で教養概念を定義するだけでは不十分であることを指摘した上で次のようにいう。「ドイツの法律家たちが〔大学教育に対して〕同一視することも割り切ることもできずにいたということは、彼らが、制度化された大学教育を内面の陶冶として十分なものと納得していなかったこと、さらには、「真の」内面性を希求していたことを示唆している。つまり、教育と資格試験による教養の証明が、実は破綻していることを嘆いているのであり、その破綻を当然のものとして受け止めることができずに、どこかに「真の」、「本来の」内面性があることを、それがあると信じていることを、浮かび上がらせているのである」(本書75頁)。

 ではいったい何が「「真の」内面性」を保証してくれるのか。宮本はそれを「フェアアイン(協会)運動」に求める。「フェアアインは、一九世紀の市民たちが相互に社交生活を繰り広げた点で注目されることが多いのだが、そこでは社交と並んで、一般的で目的を持たない教養の獲得と普及という目標が掲げられ、その活動を通して文学・芸術・学問が実践的に形づくられていったという結果に目を向けるべきであろう」(32頁)。

 この自発的なアソシエーションとしてのフェアアインはまさしく教養共同体といってよいだろう。多くの官吏や教員その他の知識層の人間たちがこのフェアアインに加わり、そこで制度を超えたところにある教養の高みを目指そうとしたのである。とくに宮本がそうしたフェアアイン運動の中で注目しているのがバッハ復興運動であった(第3章参照)。バッハはじつは生前からすでに「時代遅れ」の作曲家であった。ヘンデルやテレマンたちの高名に比べればライプツィヒの片田舎の教会楽長を務めるバッハは地味な上に、その対位法の手法は18世紀の中葉へと向かう時代にあってはもう古臭いものだった。何よりバッハには当時のロココ・初期古典派の音楽にあった感情の自在なEmpfindsamkeitが感じられなかった――この点ではバッハの次男のカール・フィリップのほうが遥かに評価が高かった――。したがってその死後バッハが急速に忘れられていったのはある意味当然であった。そのバッハを忘却の淵から救ったのが1829年ベルリンで行われたメンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』の再演であったというのがこれまでの音楽史の常識だったのだが、宮本はゲーテの友人でもあったツェルターも参加し指導にあたっていたベルリン・ジングアカデミーという合唱フェアアインの活動を中心に音楽雑誌の活動等も丹念に追いながら、バッハ復興がメンデルゾーン一人の功績ではなく、極めて多面的かつ複合的な諸要因の競合の中で実現したことを明らかにする。それはバッハという「市民的天才」の発見(じつは創造)のプロセスに他ならなかった。一方において教養共同体に対応する市民性が確保されつつ、他方で永遠に到達不能な天才の深奥性・本質性が設定されることによって、またさらにはドイツ国民芸術の導きの星としての地歩を与えられることによってバッハは教養概念のもっとも理想的な範型となりえたのであった。

  まだ日本におけるドイツ音楽受容に残る教養主義の影が一番濃いのがバッハ崇拝であることを想い起こすとき、宮本のバッハ復興運動の分析と意味づけの作業は大きな意味を持つ。バッハもまた「グロテスクな教養」とは無縁でありえないのである。そしてこうしたドイツ教養概念の特異性がたんなる特異性にとどまらずドイツ近現代史の最大の暗部であるナチズム問題と深く関連していることにあらためて思いを致すとき、ドイツ近現代史に関わることのしんどさを痛感する。    (2007.8)

否定弁証法講義 : テオドーア・W・アドルノ


    
 
 
 
 
 
 
 
テオドーア・W・アドルノ著
細見和之・河原理・高安啓介訳 (作品社)
 
 
 
作品社から順次公刊されているアドルノの第二期全集の翻訳のうち、もっとも刊行が待たれていた『否定弁証法講義』(B6判・375頁・3200円・作品社)の卷がついに出た。アドルノの哲学面における主著『否定弁証法』に関しては、1966年の原著公刊からしばらく後に奥山次良と生松敬三および木田元によってほぼ同時期に翻訳作業が着手されたが、そのあまりの難解さと翻訳者である奥山と生松の相次ぐ逝去のためいったん翻訳作業は中断されてしまった。その後木田が中心になって新たに翻訳チームが再編成されようやく1996年に作品社から翻訳が刊行されたのだが、通常のドイツ語文の理解の閾を超えてしまっている「アドルノ語」というべき原文の難解さが日本語になったからといっていささかでも軽減されたわけではない。例えば次の文章を見てほしい。「矛盾とは同一性が非真理であることの指標、つまり概念的に把握されたものを概念に化してしまうことが非真理であることの指標である」(『否定弁証法』序論10頁)。

  この文章はアドルノが『否定弁証法』において企てようとしたことを理解する上でたいへん重要な意味を含んでいるのだが、いきなり矛盾が同一性の非真理の指標であり、そのことは概念的に把握されたものが概念となることの非真理の指標でもある、などといわれても何のことかさっぱり分からないだろう。じつに『否定弁証法』という著作は全篇にわたってこのような文章が延々と続くのである。そこに現代の哲学的思考の根幹に関わる極めて重要な課題が潜んでいることは分かっても、鬱蒼たる密林の中に迷い込んだようなアドルノの文体の壁に阻まれてその中身を十分に分節化された形で理解することは極度に困難であるといわなければならない。

  『否定弁証法』の構想にアドルノが着手したのは1960年頃と考えられているが、それ以降1966年の著作刊行をはさみ1968年までのあいだにアドルノは何度か『否定弁証法』の講義および演習を行っている。それらの講義と演習はアドルノにとって『否定弁証法』の構想を練り上げてゆく過程での里程標としての意味を持つとともに、学生たちを前にした口頭での語りの持つ即興性を含んだ平明な調子と闊達さ――アドルノは社交性に富んだ談話の達人でもあった――ゆえに『否定弁証法』の内容理解にとっての好個の入門ともなっている。とくに今回翻訳された講義は1965年から6年というまさに著作完成時のものであり、これ以上は望めない最良の著者自身による『否定弁証法』入門というべきであろう。
                  

 何度かにわたる講義および演習はそれぞれの回が『否定弁証法』の各章ごとの内容に対応していると『アドルノ伝』の著者ミュラー=ドームは言っているが(同書553頁参照)、今回訳出された1965年/66年の講義の内容は編者および訳者あとがきにもあるように、明らかに『否定弁証法』の序論の内容と対応している。この序論でアドルノは、『否定弁証法』を執筆する上でつねに参照点と仮想敵の二重の役割を果たしていたヘーゲルの弁証法概念に対し彼の「否定弁証法」の概念をその起源となる根本的なモティーフおよび基礎経験をふまえて対置しようとしているが――ついでにいえば、本文全体の内容を包括するその構成・スタイルに加え本論執筆後に序論が書かれている事実からも、アドルノは明らかにヘーゲルの『精神現象学』の序論を念頭においてこの序論を執筆している――、それこそが『否定弁証法』の本質的なコアをなすものであり、序論に続く第一部「存在論との関係」、第二部「否定弁証法 概念とカテゴリー」と展開されてゆく『否定弁証法』の議論にとってのいわば骨組みとしての意義を有している。その内容を講義形式、正確に言えば講義のためのメモと講義録によって、著作としての『否定弁証法』に比べればはるかに取り付きやすい形で提示しているのが本書に他ならない。

 ここで先ほど引用した『否定弁証法』序論の中の一文の内容に立ち帰ってみよう。アドルノの否定弁証法概念において核心をなすのが「否定」の契機であることはいうまでもない。ではアドルノにとって否定は何を意味するのか。否定は定式化するとすれば「~ではない」という判断の形となるが、そのとき重要なのは、否定が不動の判断主体によってあれこれの事象、事物に対して加えられる単純な意味での識別や認証という判断的行為ではないということである。あるものに対し「~ではない」と判断がくだされるとき、そこには主体と客体の関係が生じ、さらには判断の遂行過程の内部における事物と概念の関係もまた生じてくる。後者については若干説明が必要だろう。否定が事物に向けられるとき、普通その否定は他の事物との違いないしは同一性の確認の契機となる。そしてそれは最終的には個別態としての事物の個別性の契機・要素の否定の積み重ねを通して事物の概念としての同一性、より正確に言えば、事物が概念の普遍性・一般性へと包摂されるという形での概念形式を通した同一性の確立へと至りつく。個別的な直接性の否定の積み重ねのはてに媒介された同一性が概念として定立=肯定されると言い換えてもよいだろう。こうした概念の同一性の確立過程をヘーゲルは「否定の否定」と呼んだ。それは別な観点に立てば概念と事物のあいだの同一性の確立に他ならなかった。アドルノはこうしたヘーゲルの弁証法が「否定の否定」を核心とする「肯定的な否定性」の弁証法であるという。「否定の否定は肯定、肯定的なもの、是認的なものである、ということです。これは実際、ヘーゲル哲学の根底に存在している想定の一つです」(28頁)。

 たしかにヘーゲルは、カント、あるいはフィヒテに存在したような主観の抽象的な同一性がある種の狭隘さに陥ってしまう事態を批判し、「この主観性は、自分自身の実体、形態、あり方を、社会の客観的な形態と客観的なあり方に負っている、ということ」(29頁)を闡明する。それは不動の主観性を前提とする判断的な否定性の行使という次元を超える、同一性の否定(媒介化)としての否定性の行使を意味する。だがヘーゲルはそうした否定性の行使を「自らの否定によって得られる肯定性〔実定性〕において、つまり社会や国家、客観的な精神、最終的には絶対的な精神の諸制度において、そのような主観性は自己自身を止揚する」(同)のである。この意味においてヘーゲルの弁証法は「肯定性の弁証法」なのである。

  これに対しアドルノは自らの否定弁証法の概念を明確に「非同一性の弁証法」であるという。「否定弁証法とは、同一性の弁証法ではなく非同一性の弁証法であるべきものです」(15頁)。それは、先に掲げた『否定弁証法』序論の文章中にあった「概念」と「矛盾」の契機の関係の問題と深く関わっている。概念は一方において先ほど判断の次元における否定性の行使に関して述べたように、「互いに共通の一つの特徴が抽出される」(17頁)という特徴を有している。このことが「概念のもとへの包摂」の契機となる。だが概念に包摂されるべき「無数の規定」は、「個々の要素において、それ自体としてはこの概念に組み込まれないもの」であり、「Aであると言われるすべてのBは、つねに他なるもの〔非同一的なもの(高橋)〕でもあって、つねにA以上のもの、述語的判断においてそれが帰属させられている概念以上のもの」(18頁)なのである。この概念の両義性が、事象と概念のあいだの「矛盾」に他ならない。そしてヘーゲルの肯定的な弁証法は結局はこうした事象と概念のあいだの矛盾を「否定の否定」によって解消し、最終的には同一性の強制としての肯定性の境位へと至るのである。それに対しアドルノは次のようにいう。「私たちの論理の諸形式が思考に行使するこの同一性の強制によって、この同一性の強制に従わないもの〔事象の非同一性(高橋)〕は、必然的に矛盾という性格を帯びることになるのです」(19頁)。

 こうして先に引用した序論の文章の意味が明らかになる。アドルノは否定弁証法の論理が根本的に矛盾の上に成立することを確認した上で、それが主観的な思考内部の問題にとどまらずヘーゲル的意味での客観性の側の問題でもあることを明らかにする。「社会はそれが抱える矛盾とともに、あるいはそれが抱える矛盾にもかかわらず生き延びているのではなく、それが抱える矛盾をつうじてこそ生き延びる、ということです」(20頁)。このような否定弁証法の論理にはいかなるモティーフが隠されているのだろうか。
                

 本書のキーワードの一つに「精神的経験」という言葉がある。アドルノは8回目の講義のタイトルにこの言葉をあてているが、そこに次のような印象深い文章がある。「みなさん、一方で無限な対象を支配していると自惚れもせず、他方で自分自身を有限なものともしない、そのような哲学は、概念による反省という媒体における、何一つ割り引かれることのない、まったき経験にほかならない、と言えるでしょう。あるいは、それこそ精神的経験である、とおそらく呼ぶこともできるでしょう」(141頁)。ここでアドルノがいう「精神的経験」は、主観性と客観性の契機のどちらにも一方的な還元を許さないという意味において、観念論と唯物論の伝統的な対立、二者択一を超えたところに成立するものである。そしてその経験の核心にあるのは、つねに矛盾を孕んだ「予定不調和」(143頁)へと向かう否定弁証法の永久思考運動としての性格に他ならない。

 このような否定弁証法の核心をなすモティーフの背景には、アドルノがシェーンベルクの音楽に代表されるモダニズム芸術との出会い以来積み重ねてきた時代との格闘経験が存在する。とりわけ重要なのはナチズムの支配の時代における亡命経験であろう。2回目の講義の中でアドルノは、自らの亡命経験を踏まえ、亡命によって人間は「極端な社会的な圧力状況のもとに適応しなければなら」ないために、「積極的〔肯定的〕」になってゆくという事態を語っているが、そこには肯定性=同一性が一個の強制として支配連関の核心をなしてゆくメカニズム――それを解明しようとしたのが亡命期の著作『啓蒙の弁証法』だった――のもっとも極限的な形が現れている。そしてそのことは、『否定弁証法』の第三部において展開される「倫理」の問題、より限定していえばアウシュヴィッツ以降の倫理の可能性という課題とも共鳴しあっている。「概念に捉えこまれずに逃れて行くもののなかでも最も極端なものを基準にして自己を測ることをしないならば、思考は伴奏音楽に、親衛隊がみずから手にかける犠牲者の絶叫を聞こえないようにするために好んだあの伴奏音楽と同類のものに、はじめからなってしまうのだ」(『否定弁証法』444頁)。そして同時にこのモティーフは、「全体性は虚偽である」という『ミニマ・モラリア』の一句とも反響しあいながら、「非同一的なもの」についてのアドルノの思考の最深部からの発話となるのである。(2008.2)
 

ヴァーグナーのドイツ 超政治とナショナル・アイデンティティのゆくえ : 吉田寛


 


 
 
吉田寛著(青弓社


 
本書(A6判・394頁・4000円・青弓社)が行おうとしているのは、19世紀ドイツを代表する作曲家リヒャルト・ヴァーグナーについての主として思想史的側面からする考察である。あとがきによれば、本書は吉田の2200枚を超える長大な博士論文『近代ドイツのナショナル・アイデンティティと音楽――≪音楽の国ドイツ≫の表象をめぐる思想史的考察』の第六章「ヴァーグナーと「ドイツ的なもの」」がもとになっている。つまり本書の背景となっているのは、「ドイツ」というナショナル・アイデンティティの形成の過程において音楽がどのような役割、機能を果たしてきたという問題なのである。こうした音楽に対する政治的・社会的コンテクストをも含んだ思想史的アプローチはわが国ではとてもまれなケースに属する。一つは音楽への接近が専門的な学習や修練ぬきには難しいという事情がある。日本においては音楽は何といっても専門文化としての性格が強いからである。そしてこの専門文化を担う日本の音楽家集団はわずかな例外を除いて音楽以外の分野への関心が極度に希薄である。その一方音楽受容の側から見てもそこにはある種の棲み分けが堅固な形で存在する。とくにクラシック音楽を聴くことは音楽受容のなかでやはりある種の専門文化的な実践とみなされており、クラシック音楽を聴く人間もまた専門家集団の狭い枠組みの中に生息しているのである。それに抵抗しようとしてもせいぜいがディレッタントないしはスノッブにしかならない。いまだに音楽が真の意味で社会化されていない現実の中で、日本における音楽をめぐる言説は専門文化のたこつぼに陥るか、ディレッタントやスノッブの「能書き」に陥るかしかなかったのである。

 しかしどうやら少し変化の兆しが見えてきたようだ。3年前に書評した宮本直美の『教養の歴史社会学』などもそうだし、本書もまたそうした変化の明瞭な指標になりうるであろう。ここで私事にわたるのをお許し願いたいのだが、今から十数年前私は本書と同じ青弓社から『響きと思考のあいだ』という思想史的アプローチを含むヴァーグナー論を出したことがある。だがこのヴァーグナー論は思想界からも音楽界からもほぼ完璧に黙殺された。二、三の書評に加え、長原豊氏がジジェクの『いまだ妖怪は徘徊している』の翻訳の中で言及してくれたのと小宮正安氏が『オペラ楽園紀行』の中で参考文献として挙げてくれたのをのぞけば反響はほとんど皆無だった。たぶんヴァーグナーとマルクスを同時代人として重ね合わせながら19世紀近代の根源史を明らかにするという私の思想史的アプローチのモティーフそのものがほとんど理解されなかったせいだと思う。ところが今回吉田は本書を通して、私が自分のヴァーグナー論でやろうとしたこと、正確に言えばやりたかったにもかかわらず十分にやりきれなかったことを、私などよりもはるかに精緻に多くの一次資料を駆使して堂々と論じきっているのである。おまけに私のヴァーグナー論にもあとがきで大変好意的に言及してくれている。私は瞠目せざるをえなかった。そして少なくとも吉田寛という読者を得ることが出来ただけでもあのヴァーグナー論を書いた意味はあったのではないかという感慨を覚えた。書評の客観性という点からいえばルール違反かもしれないが、まず吉田に対してそう思うことが出来たことについて一言感謝の念を表わしておきたいと思う。そして若い気鋭の世代からこうした仕事が出てきたことに大いなる期待と希望を託したいとも思う。
                   
 さて本書の内容である。先ほど述べたように吉田が本書で目ざしているのは、「ドイツ」のナショナル・アイデンティティの形成に対して音楽が果たした役割という大きなテーマの枠組みの中で、とりわけこの問題に深い関わりを持っていたヴァーグナーの思想史的位置を明らかにすることである。1813年に生まれ1883年に亡くなったヴァーグナーは――ちなみにマルクスは18年に生まれ同じ83年に亡くなっている――、文字通り「19世紀人」であった。産業資本主義と国民国家という二つのシステムによって形成されていった19世紀近代をヴァーグナーはまさに一身をもって生き抜いたのである。しかもヴァーグナーはヘーゲル左派と若きドイツ派の思想家や文学者、さらにはバクーニンのような革命家とさえも深い関わりを持ち――自ら1849年のドレスデン武装蜂起に参加している――、音楽家というだけでなく思想家、革命家としての側面も持ち合わせていた。こうしたヴァーグナーの音楽家の枠を超えた巨大性は、ヴァーグナーの代表作であり、マルクスの『資本論』に拮抗するといってよい資本をめぐる神話的オペラ(楽劇)『ニーベルングの指環』に結実している。私のヴァーグナー論は、ヴァーグナーのこうしたトータルな19世紀人としての性格を通して「19世紀近代(モデルネ)」のパースペクティヴを明らかにしようとしたのだが、吉田はヴァーグナーのそうした19世紀近代のパースペクティヴへの関わりをヴァーグナーにおける「ドイツ的なもの」のあり様、その変遷を通じて解明しようとする。その焦点となるのが「国民」概念および「民族=民衆」概念である。「本書の目的はむしろ、ヴァーグナーにとっての「ドイツ」が一体どのようなものであったかを、いくつかの歴史的転換を明るみに出しながらつぶさに検証することを通じて、最終的には、19世紀ドイツとヨーロッパにおける国民(ナチオン)民族=民衆(フォルク)の理念、そして衆=民族主義(ナツィオナリスムス)の運動それ自体を新たな視点から捉え直すことにある」(13頁)。

 まず本書において新たな知見というか視点として評価されなければならないのは、ヴァーグナーにおいて「ドイツ的なもの」が最初から一義的なものとして捉えられていたわけではないことを明らかにしている点である。この視点は、ヴァーグナーの1848年革命(翌年のドレスデン蜂起も含む)への関わりをどう捉えるかという問題、さらには後半生のヴァーグナーの基本的な立脚点であった「芸術革命」の理念をどのように理解すべきかという問題に関わるとともに、本書における吉田のもうひとつの重要なキーワードである「超政治(メタポリティーク)」の中身の問題にも深い関わりを持っている。ヴァーグナーが1837年に書いた「ドイツのオペラ」に関連して吉田は次のようにいっている。「「ドイツのオペラ」を締め括るこの一節〔吉田は、この引用箇所のすぐ前で、一面的にイタリア的でもフランス的でもドイツ的でもないような作曲家が未来の大家になるだろうというヴァーグナーの言葉を引用している〕は、当時のヴァーグナーが「ドイツ的なもの」から一定の距離をとりながら、イタリアやフランスの音楽的伝統をも吸収して、現代という時代の要請に応じた新しいオペラを作ろうとしていたことを示している。それは言い換えるならば、コスモポリタニズムに立脚したモダニズム(近代主義)の芸術観である。そして国民性(ナチオナリテート)を「真に人間的なもの」を限定するものとして否定的に捉えることは、これ以後、『オペラとドラマ』にまでつながる、ヴァーグナーの一貫した姿勢となる」(48頁)。

 こうしたヴァーグナーの基底にあるコスモポリタニズムこそがヴァーグナーの革命への志向の原動力となっていたこと、しかもその革命が決して政治的な意味の革命だけに限定されえず、むしろ現実の政治を超えた普遍性を志向する超政治的な革命であること――この普遍的な超政治の担い手が芸術(家)である――を吉田は明確な形で私たちに示してくれる。とはいえそのことはヴァーグナーにおいて「ドイツ的なもの」がこのコスモポリタニズムに解消されることを意味するわけではない。このときヴァーグナーの中で極めて重要な意味を持ってくるのが「民衆=民族」の観念である。ヴァーグナーは49年のドレスデン蜂起の失敗後チューリヒへと亡命するが、この亡命時代にヴァーグナーの思想的立場を理解する上で重要な意味を持ついくつかの論文、著作を執筆している。とくに亡命直前に書かれた「芸術と革命」、亡命後最初に書かれた「未来の芸術作品」、そして質量ともに亡命期のヴァーグナーの代表的著作といってよい『オペラとドラマ』は、吉田自身三部作といっているように相互に深く関連しあった内容を持ち、その後のヴァーグナーの「芸術革命」の理念、あるいはその媒体としての「総合芸術作品」の理念に確立に大きく寄与した。そしてこの三部作における議論の推移のうちにヴァーグナーにおける「ドイツ的なもの」の意味を探り当てるための最大の鍵がひそんでいるといってよいだろう。その焦点となるのが、「未来の芸術作品」において登場する「民衆=民族(Volk)」の理念なのである。

 ヴァーグナーにとって「民衆=民族」は何よりも狭い「国民性」を超える「普遍人間的なもの」の体現者である。それは革命がそうであるように、上からの強制的な力や利害関心などではなく、あくまでも自らの内部にある必然(Noth)によって行動する存在である。その一方で「民衆=民族」は抽象的なコスモポリタンではない。一個の明確な民族=国民共同体を前提とする存在である。吉田はこうした「民衆=民族」の意味を次のように概括する。「民衆の理念を独自の歴史哲学に組み込み、さらにそれを――『オペラとドラマ』以後により明確になるように――芸術における「ドイツ的なもの」の根拠に据えたのは、ひとりヴァーグナーだけであった」(121頁)。こうして「民衆=民族」概念がヴァーグナーにおける「普遍的なもの=コスモポリタニズム」と「ドイツ的なもの」をつなぐ環として、より積極的にいえば「普遍的なもの=コスモポリタニズム」を「ドイツ的なもの」へと転轍させる媒介項として位置づけられることになる。

 ところでこうした「民衆=民族」の理念と一見矛盾するように、革命期に書かれた論文「共和主義の運動は王権にたいしていかなる関係にたつか」においてヴァーグナーは、真に民衆的なもの、言い換えれば共和主義的な政体は「最も高貴で最も品位ある王」(85頁)によってのみ実現されうるという、いわば「共和主義的君主制」とも言うべき主張も行っている。このこともまたヴァーグナーの中にある普遍的なものと民衆=民族的なものとしての「ドイツ的なもの」のあいだの両義的な関係を示しているといってよいだろう。下からの民衆革命と上からの君主革命がひとつに合流する地点にこそヴァーグナーの夢想する「美しく自由なドイツ」(86頁)が具現されるのである。

 ここまで書いてきて全10章からなる本書のまだ半分にも達していないことに気づき愕然としている。どうやら私自身のヴァーグナー論に拘泥しすぎて――私のヴァーグナー論の内容は吉田の本でいうと前半の5章に対応している――本書のむしろ本領とも言うべき後半5章の内容紹介の余裕がほとんどなくなってしまった。前半生のヴァーグナーが夢想的な革命家であったとすれば、後半生においてはルートヴィヒ二世との出会いから始まる総合芸術作品の具体化としての楽劇の創造(『指環』『トリスタン』『マイスタージンガー』『パルジファル』)、自らの作品のみを上演するバイロイト祝祭劇場の建設、それを政治的・社会的にバックアップしてくれるための支持者づくりなどに邁進する実行家としてのヴァーグナーが前面に出てくる。そしてその過程は同時にヴァーグナーがドイツの国民的芸術家としてカリスマ的な崇拝や讃美の対象になってゆく過程でもあった。おりしもそれはプロイセン主導によるドイツ帝国の成立期と重なる。そして皮肉なことに、出来上がりつつあったドイツ国民国家のシンボルとしてヴァーグナーが位置づけられてゆくのである。ヴァーグナー自身もそうしたドイツ帝国への接近を図ろうとする。ここにおいてヴァーグナーのドイツは民衆=民族的なものから国民的なものへと変質する。
 とはいえ最後までヴァーグナーが通俗的な意味でのドイツ〔ゲルマン〕・ナショナリズムに完全に身を屈したことはなかった。吉田が本書でもっとも強調したかったのはこのことだったのではないだろうか。「ヴァーグナーのドイツ」はあくまで「超政治的」な理念性に定位されなければならないのである。(2010.3

政治の約束 : ハンナ・アレント







ハンナ・アレント著/高橋勇夫訳(筑摩書房)


今私たちの社会において、諸個人の存在はその根底に至るまで掘り崩されてしまったように見える。ほとんどの個人にとって「生きる」という事実は、自らの存在の内奥から発現するものによってではなく、社会のすみずみまで張り巡らされた情報や映像のネットワークを通して与えられる「像(イメージ)」によってかろうじて確証されているに過ぎないのではないだろうか。この「像」は実体も意味も持たない空虚な浮遊体のようなものである。諸個人にとって今「世界」は、そうした浮遊体としての「像」が切れ切れに現れては消えてゆくれの中にしか存在していない。

だが同時にもう一つ確認しておかなければならないのは、この「像」が決して自然物でもたんなる虚構でもなく、まぎれもない人為の産物であり、実体を欠くにもかかわらずある「力」として作用しているという事実である。というのもこの浮遊体としての「像」は、ある明瞭な「意志」にもとづいて、諸個人の存在の根底を、その固有性を解体に追いやるべく極めて戦略的に生み出され流布されているからである。ではその「意志」の核心にあるものは何か。それは、諸個人に自らの身体を徹底的に外在物として、つまり「もの」そのものとして感受させることを、裏返していえば決して自分の身体としては実感させないことを、さらには一切の思考や判断が停止し、自分自身の感情や感性が失われ、他者への共感や友愛の意識も失われてしまっている状態へと諸個人を追いやることを、そして生きる場としての「世界」が無機的な断片の集積に向かって解体し尽されてしまうことを目指す一種の「悪意」である。ただしこの「悪意」が、実態的には「善意」によって形成されていることを見落としてはならない。社会を安全な場にしたい、そのためには治安確保のための管理・監視のシステムが必要だ、という「善意」、従業員に給料を払わねばならない、株主には配当を行わなければならない、そのためには消費性向を出来るだけ効率よくかきたてて商品を売りさばき儲けなければならない、という「善意」、うちの子供には将来安定した生活を送って欲しい、そのためにはキャリアアップのための質のよい教育を受けさせたい、という「善意」、学校は安全で居心地のいい場所でなければならない、そのために秩序を乱すような不良分子は徹底的に排除するか厳重に管理する必要がある、という「善意」――、こうした「善意」が、じつは上記のような「悪意」の核心をなしているのである。

ではなぜこうした「善意」が、諸個人の存在を根絶やしにしてしまうような「悪意」へとつながってゆくのか。それは、個人の存在と社会との関係のうちに極めて逆説的なメカニズムが潜んでいるからである。このメカニズムの一つの側面は、個々人が有する「私的領域(オイコス)」と社会の関係のあり方として現れる。すなわち私的領域に根ざした欲求の相互調整の領域として社会が成立することに伴なって作動し始めるメカニズムの問題である。「自己保存」と呼ばれてきたこのメカニズムは私的領域の相互調整を名目として作動しながら、最終的には私的領域をも含む形で個々人の存在を蹂躙し自らの支配下に包摂してしまう。このとき社会はレヴァイアサンとして個々人の存在に対して絶対的な権能を帯びつつ君臨することになる。個々人の存在と社会のあいだにこうした関係が存在する限り、社会が個々人の存在を完全に蹂躙する全体主義的な体制へと向かうことは必然的な運命であるといわねばならない。

ところでこうした事態はもう一つの側面を持っている。それは、社会が自律化しながら膨張し個々人の存在をのみこんでしまうとき、個々人の側においては「世界」を失うという事態が生起するということである。ここでいう「世界」は客観的意味での環境世界のことではない。ここでいう「世界」は、個々人が自らの生を通して外に向かって自己を開き、他者と交わりながら表現やコミュニケーションを行う場を意味している。その中心に言語活動があることはいうまでもない。そして何より重要なのは、こうした「世界」の存在、あるいは「世界」という場において展開される自己と他者の相互関係を通して初めて個々人は自らの存在の根拠を、そのかけがえのなさ、唯一性を確証することが出来るということである。つまり人間存在の複数性と唯一性は相互的なものであるということである。真の意味での感情も感性も、思考も判断も、そして自らが自らの身体と精神を通してこの世界に帰属し、そこにおいて意味あるものとして屹立しているという存在感情も、すべてこの「世界」のうちにあることにおいて生成するのである。
こうした「世界」が失われることは、個々人の存在がその生もろとも存立根拠を失うことを意味する。それは、社会の膨張と自走化の中で個々人の存在がそのかけがえのなさを失い、匿名化された「もの」になるという事態として現出する。ジョルジョ・アガンベンの言葉に従えばそれは、人間の生が「ビオス」としての固有性を失って「ゾーエー(動物的生)」化されるということに他ならない。冒頭で言及した浮遊体としての「像」の切れ切れの点滅に対応するのはこうした「ゾーエー」としての生の様相なのである。
                 
『責任と判断』に続き筑摩書房から刊行されたハンナ・アレントの未公刊草稿の翻訳『政治の約束』(A5判・278頁・3000円・筑摩書房)を読みながら私は今ある社会の危機の深さにあらためて思いをめぐらさざるをえなかった。本書で展開されている議論は、この間に刊行された『思索日記』Ⅰ・Ⅱ(法政大学出版局)や『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』(大月書店)などのほぼ本書と同時期のテクストを読んでいるものにはある意味でおなじみの議論といえるだろう。アレントは、プラトンとともに成立した政治哲学の伝統が、哲学という内閉的な思索行為(テオリア)の名において、実践を通した外部への開け(プラクシス)としての政治という領域を卑しめ、その結果として公的領域――この言葉は先ほどの「世界」とほぼ同義であるといってよい――の根幹としての政治が西欧政治思想の伝統のなかで衰滅の道を辿ってきたことを、またマルクスによって決定的な形で人間の集団生活におけるヘゲモニーが「政治的なもの」から「社会的なもの」へと移しかえられ、それによって公的領域の根幹をなす政治の伝統が完全に根絶やしにされたことを指摘する。マルクスの理解に関して、時代的な制約はあるにせよ、アレントがマルクス理論の持っている「社会的なもの」の根源的批判としての側面、すなわち物象化批判の側面を見落としていることは残念なのだが――同じことはスピノザの理解についてもいえる――、アレントがホメーロスに遡る形で公的領域としての「世界」の意義を繰り返し強調していることの意味は小さくない。アレントにこうした問題意識を喚起したのは、いうまでもなく20世紀における全体主義の体験であったが、ナチスが斃れて60年を超える今日、アレントが全体主義体験を通して深刻に憂慮した「世界を失う」という事態はナチスの時代以上に根深く私たちの世界に浸透しつつあるように見える。安全(セキュリティ)の名において、個々人の存在(生)に対してミクロレヴェルに至るまで監視と管理のネットワークと触手を届かせようとする現代社会の「善意の名における悪意」は今や極限にまで達しつつあるといってよい。私たちの五感や、ひょっとすると「私」という意識までもがこうしたネットワークによって捏造されたものかもしれないのだ。このことに関連してアレントのほとんど予言的ともいえる本書の一節を引用しておこう。
現代(モダン)における無世界性(worldlessness)の拡大、人間と人間のにある、ありとあらゆる事柄の衰退は、砂漠の拡がりと言うこともできる。私たちが砂漠の世界に生きて行動していることを最初に認識したのはニーチェであったが、その診断に際して最初の決定的な過ちを犯したのもまたニーチェであった。彼の後を継いだほとんどの者たちと同じように、彼は、砂漠は私たち自身の内にあると信じていた。その結果、彼は最初期の意識的な砂漠の居住者の一人としてだけではなく、さらにそのもっともひどい錯覚の犠牲者としても、登場することになったのである」(本書233頁)。

世界を失うことは断じて心理学の問題でも、ましてや精神医学の問題でもない。それは文字通り「世界を失う」こととして認識されねばならないのである。もしそうでないとすれば、私たちは世界を失うことを心理過程に還元し、それを個人の内部の出来事として受容してしまうからである。それは同時に「砂漠のほんとうの住人になること」(234頁)を意味する。そのときひとは世界を失うことの傷みに対して不感症になってしまうのである。あの「自己責任」という新自由主義が布した悪魔の言葉が恐ろしいのはまさにこの点である。貧困も悲惨も悲しみもすべてが個人内部の「病気」にされてしまうからである。「<病>を治して<競争>という名の戦場に戻ってくることだけが生きる道なのだ」という居丈高な「自己責任」の脅迫の裏側で、生はますますゾーエー化され「もの」と化してゆく。

ニーチェの読み方についても異論がないわけではない。おそらくアレントが終生どうしても理解できなかったのはスピノザからマルクス、ニーチェへと至る思考の系譜に潜在していた「自然の自己産出性」の契機なのであろう。マルクスの労働概念にせよ、ニーチェの「力への意志」概念にせよ、その根幹をなしていたのは対象化に代わる受動性の認識であった。そしてこのことはアレントが提示する「世界」概念にとってじつはたいへん重要な意味を持つのである。アレントの「世界」概念が真の意味で具体化されるためには、ほんとうはスピノザ、マルクス、ニーチェのなかにあった自然の自己産出性に根ざした受動性(被贈与存在としての認識)の契機を組み込むことがどうしても必要であったはずなのだ。正統的なヨーロッパ思想の継承者としてのアレントにはそれは難しかったのだろうか。
 
いずれにせよアレントが指摘する「世界が失われること」の危機はいっそう深刻さを増している。言葉が完全に無力となり人と人の間が完全に切断されてしまうとき、事態はもはや取り返しのつかないものとなる。「つねに世界の潜在的不死性は、世界を築いた人々の死すべき運命と、世界で生きるために誕生してくる人々の出生を、条件としている」(236頁)というアレントの言葉の意味を今深く噛みしめてみる必要がある。(2008.6)