「読者」の誕生 活字文化はどのように定着したか :香内三郎





香内三郎 著(晶文社)

今月取り上げるのは、長く東大新聞研究所の教授としてすでに1960年代から日本のメディア・ジャーナリズム研究の第一線で活動を行ってきた香内三郎の浩瀚な新著(A5判・534頁・4200円・晶文社)である。たいへん読み応えのある雄篇といえよう。
                   
16世紀から17世紀にかけてのルネサンスからバロックへの推移期――それは同時に初期近代市民社会形成期でもあった――は、メディア技術およびその流通形態が、あるいはその前提となる世界知覚および表象の構造が劇的に転換した時代であった。その中心に位置しているのが、グーテンベルクによる活版印刷技術の発明であることはいうまでもないが、変化の要素はそれだけにはとどまらない。ガリレイの望遠鏡の発明に代表されるレンズ技術の発展、デカルトを嚆矢とする世界を幾何学と代数学の方法を通じて数量的に形式化する数学的方法の創設、経験知をカノンとする実験的自然学の方法の展開などの近代自然科学の形成に基礎づけられた世界認識の方法の急速な発展もまたそうした劇的な転換と無関係ではない。また一見こうした科学の世界と無縁に見える、今日ならばオカルトサイエンスに分類されるであろうような錬金術、占星術などの世界、さらにそうした世界の基底をなしているアリストテレス主義やプラトン主義における自然・存在観のあり様、あるいはその変容などもじつはこの問題に深く関わってくる。このような幅広い問題の射程を含む初期近代のメディア・世界知覚=表象の構造転換に関しては、これまでも数多くの研究・考察が行われてきた。その中心に位置してきたのがM・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』(邦訳 みすず書房)であることはいうまでもない。

だがメディアの問題そのものは取り上げてはいなくても、例えばM・フーコーの『言葉と物』の、とくに第二章と第三章におけるルネサンスから17世紀「古典時代」にかけての世界像の変遷をめぐる考察、科学史家であるA・コイレの『有限宇宙から無限宇宙へ』やF・イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノと魔術的伝統』などにおけるプラトン主義と近代科学の錯綜した関係をめぐる研究、さらには今や古典的とも言えるあのE・カッシーラーの『シンボル形式の哲学』や『認識問題』における神話的思考や象徴-記号操作の哲学的・思想史的研究、そしてそのカッシーラーと因縁浅からぬ関係にあったヴァールブルク研究所から生まれたF・ザクスルの『シンボルの遺産』や『視覚芸術の意味』『イコノロジー研究』におけるイコノロジー(図像解釈学)の方法の創始によって知られるE・パノフスキーの研究――この系譜はウィーンで生まれたM・ドヴォルジャックやA・リーグルらによる精神史的美術史学の潮流、あるいはフランスのG・バシュラールやA・フォションらの仕事とも共振しながら、A・ゴンブリッチ、E・ヴィント、J・セズネック、P・フランカステル、A・シャステルなどに代表される20世紀人文科学の精華といってよい綜合人間科学としての美術史学の土台を形づくった――などもまた、すべて直接間接にこの問題と関連づけて考えることが出来る。
ここでこの問題を考える上で機軸となるモティーフについて、本書と同じ晶文社からかつて刊行されたアーサー・ラヴジョイの古典的名著『存在の大いなる連鎖』(内藤健二訳)のプロブレマティクを参考にしながら考えてみよう。この本における筆者ラヴジョイの視点は、第二講の冒頭に引かれたホワイトヘッドの有名な言葉「ヨーロッパの哲学的伝統の歴史を一番無難に総体的に特徴づければそれはプラトンにつけられた一連の脚注であるということだ」によって示されている。すなわち「存在の大いなる連鎖」というプラトンに由来する基本観念の様々なヴァリエーションとしてヨーロッパ精神史をトータルに描き出すというのがラヴジョイの本書に基本構想である。このときラヴジョイが「存在の大いなる連鎖」という基本観念を抽き出す上で根拠としているのは、プラトンの最後の大著『ティマイオス』において展開されている宇宙創成論(コスモゴーニア)の構想あったラヴジョイはその核心を次のように言っている。「「最も善き魂」〔イデアもしくはその担い手としての造物主デミウルゴス〕はおよそ存在し得るには決して存在の与え惜しみはせず「すべてのものができるだけ自分に似ることを望んだ」」。宇宙=世界がこのように創成されたとするならば、そこからはプラトン、より正確にはその後の歴史的展開・変様を含む意味でのプラトン主義の宇宙=世界観に関して、まったく相反する二つの解釈が可能になる。問題の核心はここにある。
もしイデア(デミウルゴス)という「最も善き魂」の全能性に着目するならば、この宇宙=世界の存在の本質は挙げてこの全能なイデアの絶対性に還元されるはずである。実際通常のイデア主義的なプラトン解釈は基本的にこのラインに即して行われる。このことを少し視点をずらして考えるならばこうなる。すなわち宇宙=世界の生成においては、イデア(=造物主)という目に見えない本質とそれを可視化=表象化する被造物としての宇宙=世界という、ちょうど言語、あるいは記号における「意味するもの」と「意味されるもの」の二重性と同一の構造がそこには現出している。そしてその二重性の構造において絶対的優位に立つのは「意味されるもの」の側である。それは言い換えれば、言語=記号の発現構造においてはつねに「意味するもの」が「意味されるもの」へと解消されるということである。これは、例えばはデリダがプラトン以来のヨーロッパ形而上学について「音声中心主義」という言葉で呼んだ内面の声の絶対的な直接性の優位という事態――間接的な媒体(メディア)の徹底的な忌避――や、ユダヤ=キリスト教・イスラム教の伝統に根強く残る「偶像(=図像)禁止」の発想の根底にあるイデア的な超越性の構図の原基をなすものである。間接性や図像性を堕落として捉え、常に透明な直接性として現出する絶対的なイデアを志向する思考はたしかにプラトンの宇宙創成論に由来しているといえる。
だがじつは全く反対の解釈も可能なのである。もう一度先に引用したラヴジョイの文章を見てほしい。そこでは「最も善き魂」が「存在の与え惜しみをせず」といわれている。これこそが後にプロティノスらのネオプラトニズムにおける「流出説」の発端となった「充満の論理」(ラヴジョイ)の原基に他ならない。ラヴジョイの「存在の大いなる連鎖」という概念もこれに由来する。この論理に従うならば宇宙=世界はイデアの完全無欠な似像であることになる。即ちイデア(意味されるもの)は余すところなく宇宙=世界(意味するもの)へと転化され、そのうちに充満しているのである。とするならばプラトンの宇宙創成論は、先ほどとは逆に「意味されるもの」(本質)が「意味するもの」(現象)に還元される論理として解釈されうることになる。これが神話言語や象徴表現によって開示される言語=記号表象の世界の構造を指し示していることは言を俟たない。あるいはこういう言い方も出来るだろう、前者は「声」の直接性・透明性に依拠する思考であるのに対して、後者は「文字(記号=図像)」の間接性・媒介性に依拠する思考であると。さらには前者が偶像破壊主義(イコノクラスム)であり、後者が図像=イメージ的思考であるともいえるだろう。そしてこのプラトンの相反する二つの解釈のあいだには、二つの極のそれぞれの契機・要素を含みながら現実の言語=記号表現として具体化される上での多様な形態が、メディアのあり方までも含めて存在するのである。修辞学、トポス論、弁論術などがそれにあたるが、占星術や音楽、骨相学なども実はその形態の一部と見なすことができる。
                
近代という時代の始まりは、このような文脈から見るならば大筋として偶像破壊主義へと推移してゆく過程と見ることが出来るだろう。例えば数学的方法はその典型である。この意味で香内が本書を「イコン」「イメージ」論争から始めたのは極めて示唆的であるといえよう。とくにM・ウェーバーをまつまでもなくヨーロッパの近代化に大きく寄与したと考えられるピューリタニズム(プロテスタンティズム)が偶像破壊主義の立場に立ってイコン=イメージによる表象を激しく攻撃したことは――もちろんプロテスタント内部でも差はあるにせよ――大いに納得のいくところである。
ただ歴史はそんなに単線的には進行しない。本書の最大のポイントは、初期近代の活字文化を中心とする広義の意味でのメディアの構造やその流通形態が極めて輻輳していることを、ときには歴史が後戻りしたり先取りされたりしながら進行することを、とくに17世紀ピューリタン革命のさなかのイギリスを例にとりながら極めて詳細に跡づけたところにある。例えば近代的なテクスト読解がどのように成立したのかという問題に関して、聖書解釈のあり様かたアプローチした〔Ⅰ〕の2章はたいへん興味深かった。というのも「字義通りの読み」という通常近代的な「読み方」の典型とみなされている読みの形態が、むしろ譬喩(メタファー)を介した読みによってはじめて可能になってゆくことが明らかにされているからである。あるいは「手書き」と「活字」の関係についても、一直線に活字へいってしまうのではなく、ある局面では活字が優位に立ち、ある局面では依然として手書きの方が有効であるというような状況があったことを香内は指摘している。
香内は本書の基本モティーフを「はじめに」の冒頭で次のように言っている。「「視覚文化(“visual culture”)と「活字文化」(“printed culture”)との関係を探る一環として、ホイジンガがのいう中世末の「シンボル的思考」から近代にかけての移行過程、またそのなかでピュ―リタニズムと一緒に出現してくる、新様式の「読み方」形成について、若干のコメントをしておきたい・・・」(14頁)。この言から読みとれる興味深いポイントは、香内が「シンボル的思考」、つまり図像=イメージ的思考のプロセスに関心を払っている点である。ルネサンスとバロックが図像=イメージ的思考の最後の輝きの時代であったこと、このステップを通ることなしに、あるいはそれと同時並行的な進行過程を経ることなしに近代のイコノクラスム文化は決して始まらなかったことに、香内も強い関心を抱いていることが窺える。あまり触れることが出来なくなってしまったが、本書のもう一つの重要な貢献は「読み方」の分析を通して初期近代の読者共同体の構造を明らかにしようとしたことである。このことはハーバーマスの「文芸的公共性」の概念を俟つまでもなく初期近代市民社会の歴史を探る上で重要なポイントとなる。(2005.6

迫り来る革命 :スラヴォイ・ジジェク






スラヴォイ・ジジェク 著/長原豊 著(岩波書店)

レーニン――、その名は、1989年のソ連・東欧社会主義体制崩壊以後タヴーとなっていた。「社会主義」に名を借りた全体主義的圧制に対する不満と怒りが爆発したこの「革命」において、ソ連・東欧の民衆が真っ先に行ったのは各地に建てられていたレーニン像の破壊だった。レーニンこそは「社会主義」の負性・否定性のシンボルに他ならなかったからである。
 私自身は、ソ連・東欧の民衆がレーニン像の破壊を通じて示した「社会主義」に対する怒りをごく正当なものだと思う。そして「社会主義」の問題が、決してこの「革命」の時期に急に噴出したわけではなく、スターリン独裁の時代、さらにはレーニンの時代以来の長い時間のなかでその病理の根が形づくられていったこともまた自明である。その限りにおいてあの「革命」が起きた1990年代以後、レーニンがぼろ草履にごとく捨て去られ足蹴にされてきたことには一定の理由があるといわねばならない。
その上で、1990年代に完全勝利を収めたかに見える自由主義(リベラリズム)が、では正しかったのか、という疑問を提示してみたらどうだろうか。もちろんこの疑問は、とくに2001年9月11日のあの事態、そしてその後始まったアメリカを中心とする多国籍軍によるアフガニスタンとイラクに対する一方的な攻撃以降すでに、単一世界市場へのあらゆる地域・社会分野の均一的な組み込みに対抗しよとする反グローバリズムの流れとも相乗しながら世界の世論のなかで一定の力を得ている。だが今私が自由主義への疑問ということで提示したいと思っている問題の次元はもう少し根深いものである。そしてこのことが今、あらためてレーニンを問い直す契機ともなるのである。
                    
 自由主義の勝利が喧伝された1990年代、市場経済の万能化を基盤とする新自由主義に対する批判は、古典的な社会主義イデオロギーに代わって、政治的・経済的次元においては「リベラル左派」と呼ばれる社会民主主義勢力によって、文化的次元においては多元主義を掲げるカルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズム――もう少し幅広く取ればポスト構造主義の思潮総体――によって担われることになった。そしてこうした批判は、90年代におけるリベラル左派の一定の勝利によって現実的な力を得たかに見えた。アメリカにおけるクリントン政権、イギリスにおけるブレア政権、ドイツにおけるシュレーダー政権、フランスにおけるジョスパン政権の成立はそうした見方を裏づけた。
たしかにこうしたリベラル左派の勢力の進捗状況のなかで、「社会主義」の崩壊後の世界が、「社会的市場経済」という枠組み、すなわち過度な競争や社会格差を是正しながら、自由で平等な福祉社会の実現を目指すという目標実現のための経済的枠組みによって秩序づけられるとともに、多様なPC(政治的正義)の実現――人種・民族差別の廃絶、ジェンダーの壁の撤廃、環境政策の推進、異文化やマイノリティ文化への寛容など――に向けて前進しうるのではないかという楽観的な見方も生じた。
しかしそれが幻想でしかないことをはっきりと私たちに見せつけたのが9・11以後の事態だった。「反テロ」に名を借りた治安=軍事国家体制の強化によって古典的な自由や人権すらもが制限され、アラブ系住民を中心とするマイノリティ集団への攻撃と排除が進行する過程と全く矛盾しないかたちで、新自由主義・新保守主義における市場万能主義が跋扈するという状況に対しリベラル左派は致命的にまで無力でしかなかった。ではなぜリベラル左派は無力だったのか。
そこに浮上してくれるのは、「国家」の問題と「多元化と寛容」の問題の関連である。リベラル左派の戦略は、いうまでもないことだが国家否定の原理や理念を含まない。それどころかむしろ国家への――正確には「社会的国家」への――依存とそれに伴う国家機構の肥大化の傾向を強めるのである。その基底にあるのは、国家を利用可能な道具・媒体と考えるある種のプラグマティズムである。より具体的にいえば、この肥大する「柔らかい」国家のなかに、「多元化と寛容」の原理によって、民族・人種・文化・(ジェンダー)に関わるマイノリティ集団を包摂し、PCによって徐々に格差や差別をなくしてゆくという考え方である。そこには「敵」であるはずの保守主義的な自由主義と共有された「イデオロギー」の否定――じつは「真理の政治」の否定――の契機が関わっている。だがこのリベラル左派の国家プラグマティズム戦略は、9・11によって粉々に打ち砕かれてしまった。なぜか。リベラル左派が見落としていた国家の側面、すなわち権力と暴力の排他的な占有を専らとする国家のハードな側面が9・11以後急速に浮上したからである。この国家の暴力性の浮上――それはむしろ一時的に忘れられていた要素の復活にすぎないのだが――に対しリベラル左派は二重の意味で無力だった。一つはリベラル左派が担う政権がなし崩し的に、ある面では意図的に国家の暴力的側面を前面に押し出していったことである。この国家の暴力性の押し出しは、「テロ」取締りという大義名分と結びつきながら「多元化と寛容」の原理の基盤を容赦なく破壊してゆくことになる。つまりリベラル左派政権は、9・11以降国家のハード面への傾斜という点で、彼らの批判するブッシュやプーチン――プーチンによって9・11以後のロシアは完全にスターリン独裁体制へと復帰した――となんら変わらなくなったのであり、彼らのPCはその基盤を失ったのである。
一方カルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズムを基幹とする90年代の批判的言説もまたこの事態に対して無力でしかなかった。それは、こうした批判的言説においてもまた原理的な意味での国家の洞察が欠落していたからであり、さらには暴力と闘争の契機を正面から見据える視点が欠けていたからである。もちろん実際に政権を担っているリベラル左派の場合と事情は少し違う。批判的言説の持つ急進性は、少なくともリベラル左派政府の国家プラグマティズムを承認することをはっきり拒否していたし、政治や社会・文化のあらゆる次元や領域に潜む欺瞞や虚偽を剔抉する思考の鋭敏さにおい手は際立っていた。だがそうしたかたちで発揮される急進性は、国家の暴力性――市場と貨幣資本の暴力性――との明確な対立・対決の分節線を形成するには至らなかった。そこには暴力を現実の課題として引き受ける姿勢が決定的に欠落していたといわねばならない。このことがいっそう9・11以後の状況を混迷に陥れているといえるだろう。
ところでこうした状況に底流している重要な要素が「レーニン的なものの全否定」であることを見落としてはならない。なぜならレーニンこそはもっとも本質的な形で国家の暴力性を見据えていた、そしてこの国家の暴力性を凌駕しない限り「革命」の勝利はありえないことを知っていた思想家だったからである。リベラル左派も90年代の批判的言説もこうしたレーニンを許せなかったがゆえにレーニンをタヴー化したのだった。
とするならば今閉塞と混迷のなかで今一度レーニンを呼び覚ますことは決して無駄なことではないはずである。実際ここ数年レーニンへの関心はまだ大きな広がりにまではいたっていないとはいえ、確実に増大している。
                    
さて現在の状況に楔を打ちこむために、八面六臂の思想的荒業を駆使しつつスリリングかつ挑発的な問題提起を続けているのが旧ユーゴのスロヴェニア出身の思想家スラヴォイ・ジジェクである。私自身はジジェクの姿勢に一定の共感を覚えつつもこれまでやや彼の仕事に距離を置いてきた。だが今回長原豊によって彼の新著(B6判・326頁・3200円・岩波書店)が翻訳され、しかもその主題がレーニンであることを知るに及んで、これはぜひ読まねばならないと思った。じつは私の関わっている雑誌『情況』でも今回別冊特集「レーニン<再見>-あるいは反時代的レーニン」を、本書の訳者である長原豊と若きレーニン研究者白井聡の編集で公刊したばかりなのだが、この特集の柱となっているのがジジェクの本書におけるレーニン解釈を軸に行われた2001年のドイツ・エッセンにおけるコロキウム「レーニン後に真理の政治はあるか」の報告なのである。したがって本書の読者はぜひこの別冊『情況』のレーニン特集もお読みいただきたいと思う。
さて本書におけるジジェクの視点を最も明快に示しているのは次のような文章であろう。
「われわれが既存のリベラル派的な合意について重大な疑義を呈したとたん、時代遅れのイデオロギー的な見解に与して科学的客観性を放棄した廉で糾弾される。そしてこうした見方が一歩も譲れないし譲ってはならない「レーニン」的な論点であり、それは、今日の思考の現実における自由と現行のリベラル民主的な「ポスト・イデオロギー的」合意に疑問を付す自由を意味しているのであって、さもなければ何も意味していないことを意味しているのである。(……)「レーニン」は、旧くなり無効になった(ポスト)イデオロギー的な座標軸であるわれわれが生きているこの萎えた思考停止Denkverbot〔の時代〕を停止するための、抑えようがないほど魅力的な、自由を表現している」(本書18頁)。
ジジェクは、「レーニン」という名辞を通じて、この世界に蔓延する「思考停止」を打破しようというのである。ではなぜレーニン――あるいは「レーニン」――においてそれが可能となるのか。例えば国家が有用な道具でありその内部に入って利用するという考え方に対して、「国家とは支配階級の暴力装置である」と言い切るレーニンの考え方は、明らか国家というかたちで現出する支配的な実定性の「外部」へとレーニンの思考が超出していることを指し示している。あるいはソヴィエト内部の異論の自由を求めるメンシェビキに対して「われわれに諸君を銃殺する自由を与えろ」と言い放つレーニン――これこそレーニンのタヴー化の要因だった――の思考には、自由が闘争の物質性と表裏一体であり、この物質性を考慮しない自由論が空論にすぎないという認識が示されている。このようなレーニンの「外部」化するマテリアリズムこそが、ジジェクの見出すレーニンの可能性の契機に他ならない。そしてそれは『共産党宣言』におけるマルクスの「階級闘争」概念にも相通じるものである。「選好」を虚偽と言い切る強い視点――これこそレーニンの骨頂である。
まだまだ触れなくては成らない問題は多くあるし、レーニン評価に関してジジェクの視点だけではたしてよいのか――例えばクロンシュタットやマフノ問題――という課題も残るが、ジジェクの「社会主義」崩壊以後、とりわけ9・11以後の閉塞状況に風穴を開けようとする力業には多くの学ぶべき点がありそうである。これからあらためてジジェクを読みたくなった。もちろんレーニンのテクストもだが。(2005.9

再発見 日本の哲学 埴谷雄高 ―― 夢みるカント :熊野純彦





熊野純彦 著(講談社)

あらゆる思考にはその根底に「構成不可能な問い」(E・ブロッホ)が潜んでいる。「構成不可能な問い」とは、この世界のいっさいの現実性、形象性の手前にあっていかなる意味でも表象することの不可能なものへの問いである。ではなぜそのような構成不可能なものへの問いが行われなければならないのか。それは、すべての思考、より精確に言えば思考する存在が成立する過程にはつねにこの構成不可能なものからの促しが働いているからであり、それなしには思考が作動することはありえないからである。だがこの構成不可能なものによって可能となる思考はけっして自らを可能にしてくれる構成不可能なものを表象化することは出来ない。思考はつねに自らの真の起源については思考しえないという背理を負っているのである。だがもし今思考があえてこの構成不可能なものについて、思考不能なものについて思考しようとするならばいったい何が起こるだろうか。おそらくそのとき思考は思考可能な表象性の内部で思考していたときとはまったく異なる異貌の世界、精確には「反世界」に出会うことになるだろう。そして思考が、いっさいの表象性、言い換えればふだん思考が頼っている概念や論理の有効性が完全に失われる世界としてのこの反世界に出会う瞬間、思考の内部で何かが途方もない炸裂を起こすだろう。そしてそれはありきたりな世界についての思考の枠組みを破砕し、まったく未知な思考の領土を解き放つであろう。「構成不可能な問い」は思考にそれを求めてやまない何ものかへの問いに他ならない。そして思考がこのような悪魔の問いとも言うべき構成不可能な問いにとり憑かれたとき、思考は必然的にこの世界からはてしもなく逸脱していかざるをえなくなる。だがこの逸脱なしに思考が真に思考たりうることはありえないのだ。

日本の哲学的思考においてこのような「構成不可能な問い」に出会うケースは極めて稀である。それはおそらく哲学は近代とともに移入された輸入学問のひとつだったことと関係している。哲学が輸入学問であるかぎり、輸入された中身の知解に重点が置かれざるを得なくなるからである。結果として日本の哲学はほとんどが哲学研究となっていった。その典型が和辻哲郎であろう。和辻の天才的ともいえる知的咀嚼能力は西欧の哲学知識を次々にのみこみ整然たる体系へと仕立て上げていった。だがそこには「構成不可能な問い」は存在しえなかった。「構成不可能な問い」にとり憑かれるためのデーモンが和辻には決定的に欠けていたからだ。おそらくこの問いにとり憑かれるためのデーモンをもっとも大量に抱えていたのは西田幾多郎であったろう。だからこそ西田の哲学は通常の論理的知解を拒絶する隔絶した晦渋さに陥らざるをえなかったのだ。

ところで眼を文学に向けると、同じように「構成不可能な問い」にとり憑かれたひとりの晦渋極まりない文学者の存在に行き当たる。『死霊』の作者埴谷雄高である。『死霊』こそは日本の近代文学が生んだ「構成不可能な問い」の領域へと踏み込もうとする唯一無比の作品といえるだろう。そして言及される機会の多さにもかかわらず、これまで『死霊』が読み解かれたという決定的な瞬間に出会うことが出来なかったのは、そこに潜む「構成不可能な問い」の中身が解き明かされてこなかったからに他ならない。なるほど幾多の埴谷論が書かれ、「自同律の不快」という言葉は人口に膾炙した。だがそもそも「自同律の不快」とは何なのか、それはしばしば埴谷自身が語る獄中のカント体験とどう結びつくのか、一時埴谷が惑溺した悪魔学とそれはどのように関連するのか、革命は?コミュニズムは?といったん自問が始まると、これまでの埴谷についての読解の試みが、埴谷における「構成不可能な問い」の認識にとってほとんど何の役にも立たないことに思い至る。じつは埴谷の『死霊』はほとんど読まれてこなかったというべきである。それは西田の哲学の受容がたどった経路とよく似ているともいえる。ともに構成不可能な問いの前で真に内在的な、だが同時に徹底して外部に向かい解放的でもありうるような読解への途が閉ざされてきたからだった。西田に関しては近年そうした方向へと踏み出そうとする読解の試みが登場してきている。その先鞭者はなんといっても小林敏明であろう。それに続き檜垣立哉らが登場してきている。埴谷に関してはどうだろうか。かろうじて名前を挙げることができるのは世代的にまったく対照的といってよい鶴見俊輔と鹿島徹であろうか。

だが今私たちはついに『死霊』のこれまでなかったほどに周到な、そしてはじめて埴谷における「構成不可能な問い」へと内在的に踏み込んだ読解に出会うことになった。熊野純彦の埴谷論である。熊野が明らかにする埴谷の「構成不可能な問い」とは、存在と意識が真にひとつとなる地点に向けた問いだった。だがそれを問うためには存在自身も、また意識自身も、「現にある」という事態からはてしなく「ありえなかったもの」へと逸脱していかざるをえない思考の動きを通して無限に分解されなければならなかった。それは、いわば思考が無限大の宇宙にまで拡大することがその極点において無限小、すなわち思考の零度へと反転せざるをえないような根本的な矛盾を負った過程であった。熊野はこの問いの過程がカントによって「仮象の論理学」と名づけられた「誤謬推理」の過程と対応していることを指摘する。だが誤解がないようにいっておかねばならないが、それはカントがこの「構成不可能な問い」を解消してしまったことを意味しているわけではない。それどころか熊野の埴谷/カント読解を通じて私たちは、「構成不可能な問い」の真の意味でも先鞭者がカントであったことに今さらながら気づくのである。それはカントによって定式化された「私たちのうちにあって表象と呼ばれているものが対象と関係するのは、どのような根拠にもとづいてのことなのか」(本書11頁)という問いの意味であった。ここでカントのいう「対象」が「物自体」であることはいうまでもない。とすれば表象と表象に関係づけられている意識にとって対象は、「名づけ得ないもの」としての「超越論的な主語X」である他なくなる。まさにそれは表象不可能でありながら表象可能性の裏側につねに張りついた究極的な可能要因である。だがそれを思考することは不可能なのだ。たしかにカントはそれを思考することを仮象として斥けた。だがそれは問いが消滅したことを意味するわけではない。それどころかカントとともにこの「超越論的な主語X」への問いは執拗に表象可能な思考を背後から脅かし続けるのである。

思えば埴谷がカントにおけるこの問いに出会ったのが周囲を壁に囲まれた独房だったことは極めて象徴的である。先ほどいったようにこの問いは無限大(宇宙)が無限小(零)と一致し循環する場においてのみ成立する。独房とはまさにそのような場ではなかったか。周囲を壁に囲まれこの世界が失われる意識の零度としての独房においてこそ思考ははてしない拡張を開始し、その結果存在が自同律を逸脱して別なもの、ありえなかったはずのものに向かってざわめき始めるのではなかったか。霧がたちこめ夢魔が跳梁する闇の世界もまた埴谷にとってそのような逸脱が始まる場所だった。とりあえず逸脱の極点にあるこの別なもの、ありえなかったものを埴谷は「虚体」と呼ぶ。そう、埴谷における「構成不可能な問い」とは「虚体」に向けた思考の問いに他ならなかったのである。ただそこでもう一点おさえておかなければならないのは、こうした問いがすぐれて倫理的なものであるということだ。この熊野の指摘は埴谷を読む上で今後決定的ともいえる意義を持つだろう。現にあるものに向かって座を譲り消えてゆくありえなかったものとは端的に死者のことであった。だとすれば構成不可能な問いとは同時に死者を問うことを意味するであろう。この経緯はどこかアガンベンの証言不可能性の問題を想起させる。もはや語りえなくなったものしての死者に対する倫理がはじめて『死霊』の根本モティーフとして熊野によって明らかにされたのである。

熊野の埴谷論は埴谷の『死霊』の読解の試みとして画期的であるのと同時に、日本の哲学的思考の可能性に対し一個の新しい道筋を示したという意味でも画期的である。おそらく今後私たちは吉本隆明や谷川雁などについてもこのような読み方を試みることが出来るし、またしなければならないはずである。日本の哲学的思考の振幅が一気に広がったのである。なによりも哲学者としての熊野自身にとって本書は画期的だったといえよう。そして今度は埴谷に向けられた「構成不可能な問い」が熊野の哲学に向かって逆流してくることになるはずである。それがどのような結果をもたらすかをぜひ見届けたいと思う。(2011.3)