スラヴォイ・ジジェク 著/長原豊 著(岩波書店)
レーニン――、その名は、1989年のソ連・東欧社会主義体制崩壊以後タヴーとなっていた。「社会主義」に名を借りた全体主義的圧制に対する不満と怒りが爆発したこの「革命」において、ソ連・東欧の民衆が真っ先に行ったのは各地に建てられていたレーニン像の破壊だった。レーニンこそは「社会主義」の負性・否定性のシンボルに他ならなかったからである。
私自身は、ソ連・東欧の民衆がレーニン像の破壊を通じて示した「社会主義」に対する怒りをごく正当なものだと思う。そして「社会主義」の問題が、決してこの「革命」の時期に急に噴出したわけではなく、スターリン独裁の時代、さらにはレーニンの時代以来の長い時間のなかでその病理の根が形づくられていったこともまた自明である。その限りにおいてあの「革命」が起きた1990年代以後、レーニンがぼろ草履にごとく捨て去られ足蹴にされてきたことには一定の理由があるといわねばならない。
その上で、1990年代に完全勝利を収めたかに見える自由主義が、では正しかったのか、という疑問を提示してみたらどうだろうか。もちろんこの疑問は、とくに2001年9月11日のあの事態、そしてその後始まったアメリカを中心とする多国籍軍によるアフガニスタンとイラクに対する一方的な攻撃以降すでに、単一世界市場へのあらゆる地域・社会分野の均一的な組み込みに対抗しようとする反グローバリズムの流れとも相乗しながら世界の世論のなかで一定の力を得ている。だが今私が自由主義への疑問ということで提示したいと思っている問題の次元はもう少し根深いものである。そしてこのことが今、あらためてレーニンを問い直す契機ともなるのである。
自由主義の勝利が喧伝された1990年代、市場経済の万能化を基盤とする新自由主義に対する批判は、古典的な社会主義イデオロギーに代わって、政治的・経済的次元においては「リベラル左派」と呼ばれる社会民主主義勢力によって、文化的次元においては多元主義を掲げるカルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズム――もう少し幅広く取ればポスト構造主義の思潮総体――によって担われることになった。そしてこうした批判は、90年代におけるリベラル左派の一定の勝利によって現実的な力を得たかに見えた。アメリカにおけるクリントン政権、イギリスにおけるブレア政権、ドイツにおけるシュレーダー政権、フランスにおけるジョスパン政権の成立はそうした見方を裏づけた。
たしかにこうしたリベラル左派の勢力の進捗状況のなかで、「社会主義」の崩壊後の世界が、「社会的市場経済」という枠組み、すなわち過度な競争や社会格差を是正しながら、自由で平等な福祉社会の実現を目指すという目標実現のための経済的枠組みによって秩序づけられるとともに、多様なPC(政治的正義)の実現――人種・民族差別の廃絶、ジェンダーの壁の撤廃、環境政策の推進、異文化やマイノリティ文化への寛容など――に向けて前進しうるのではないかという楽観的な見方も生じた。
しかしそれが幻想でしかないことをはっきりと私たちに見せつけたのが9・11以後の事態だった。「反テロ」に名を借りた治安=軍事国家体制の強化によって古典的な自由や人権すらもが制限され、アラブ系住民を中心とするマイノリティ集団への攻撃と排除が進行する過程と全く矛盾しないかたちで、新自由主義・新保守主義における市場万能主義が跋扈するという状況に対しリベラル左派は致命的にまで無力でしかなかった。ではなぜリベラル左派は無力だったのか。
そこに浮上してくれるのは、「国家」の問題と「多元化と寛容」の問題の関連である。リベラル左派の戦略は、いうまでもないことだが国家否定の原理や理念を含まない。それどころかむしろ国家への――正確には「社会的国家」への――依存とそれに伴う国家機構の肥大化の傾向を強めるのである。その基底にあるのは、国家を利用可能な道具・媒体と考えるある種のプラグマティズムである。より具体的にいえば、この肥大する「柔らかい」国家のなかに、「多元化と寛容」の原理によって、民族・人種・文化・性に関わるマイノリティ集団を包摂し、PCによって徐々に格差や差別をなくしてゆくという考え方である。そこには「敵」であるはずの保守主義的な自由主義と共有された「イデオロギー」の否定――じつは「真理の政治」の否定――の契機が関わっている。だがこのリベラル左派の国家プラグマティズム戦略は、9・11によって粉々に打ち砕かれてしまった。なぜか。リベラル左派が見落としていた国家の側面、すなわち権力と暴力の排他的な占有を専らとする国家のハードな側面が9・11以後急速に浮上したからである。この国家の暴力性の浮上――それはむしろ一時的に忘れられていた要素の復活にすぎないのだが――に対しリベラル左派は二重の意味で無力だった。一つはリベラル左派が担う政権がなし崩し的に、ある面では意図的に国家の暴力的側面を前面に押し出していったことである。この国家の暴力性の押し出しは、「テロ」取締りという大義名分と結びつきながら「多元化と寛容」の原理の基盤を容赦なく破壊してゆくことになる。つまりリベラル左派政権は、9・11以降国家のハード面への傾斜という点で、彼らの批判するブッシュやプーチン――プーチンによって9・11以後のロシアは完全にスターリン独裁体制へと復帰した――となんら変わらなくなったのであり、彼らのPCはその基盤を失ったのである。
一方カルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズムを基幹とする90年代の批判的言説もまたこの事態に対して無力でしかなかった。それは、こうした批判的言説においてもまた原理的な意味での国家の洞察が欠落していたからであり、さらには暴力と闘争の契機を正面から見据える視点が欠けていたからである。もちろん実際に政権を担っているリベラル左派の場合と事情は少し違う。批判的言説の持つ急進性は、少なくともリベラル左派政府の国家プラグマティズムを承認することをはっきり拒否していたし、政治や社会・文化のあらゆる次元や領域に潜む欺瞞や虚偽を剔抉する思考の鋭敏さにおい手は際立っていた。だがそうしたかたちで発揮される急進性は、国家の暴力性――市場と貨幣資本の暴力性――との明確な対立・対決の分節線を形成するには至らなかった。そこには暴力を現実の課題として引き受ける姿勢が決定的に欠落していたといわねばならない。このことがいっそう9・11以後の状況を混迷に陥れているといえるだろう。
ところでこうした状況に底流している重要な要素が「レーニン的なものの全否定」であることを見落としてはならない。なぜならレーニンこそはもっとも本質的な形で国家の暴力性を見据えていた、そしてこの国家の暴力性を凌駕しない限り「革命」の勝利はありえないことを知っていた思想家だったからである。リベラル左派も90年代の批判的言説もこうしたレーニンを許せなかったがゆえにレーニンをタヴー化したのだった。
とするならば今閉塞と混迷のなかで今一度レーニンを呼び覚ますことは決して無駄なことではないはずである。実際ここ数年レーニンへの関心はまだ大きな広がりにまではいたっていないとはいえ、確実に増大している。
さて現在の状況に楔を打ちこむために、八面六臂の思想的荒業を駆使しつつスリリングかつ挑発的な問題提起を続けているのが旧ユーゴのスロヴェニア出身の思想家スラヴォイ・ジジェクである。私自身はジジェクの姿勢に一定の共感を覚えつつもこれまでやや彼の仕事に距離を置いてきた。だが今回長原豊によって彼の新著(B6判・326頁・3200円・岩波書店)が翻訳され、しかもその主題がレーニンであることを知るに及んで、これはぜひ読まねばならないと思った。じつは私の関わっている雑誌『情況』でも今回別冊特集「レーニン<再見>-あるいは反時代的レーニン」を、本書の訳者である長原豊と若きレーニン研究者白井聡の編集で公刊したばかりなのだが、この特集の柱となっているのがジジェクの本書におけるレーニン解釈を軸に行われた2001年のドイツ・エッセンにおけるコロキウム「レーニン後に真理の政治はあるか」の報告なのである。したがって本書の読者はぜひこの別冊『情況』のレーニン特集もお読みいただきたいと思う。
さて本書におけるジジェクの視点を最も明快に示しているのは次のような文章であろう。
「われわれが既存のリベラル派的な合意について重大な疑義を呈したとたん、時代遅れのイデオロギー的な見解に与して科学的客観性を放棄した廉で糾弾される。そしてこうした見方が一歩も譲れないし譲ってはならない「レーニン」的な論点であり、それは、今日の思考の現実における自由と現行のリベラル民主的な「ポスト・イデオロギー的」合意に疑問を付す自由を意味しているのであって、さもなければ何も意味していないことを意味しているのである。(……)「レーニン」は、旧くなり無効になった(ポスト)イデオロギー的な座標軸であるわれわれが生きているこの萎えた思考停止Denkverbot〔の時代〕を停止するための、抑えようがないほど魅力的な、自由を表現している」(本書18頁)。
ジジェクは、「レーニン」という名辞を通じて、この世界に蔓延する「思考停止」を打破しようというのである。ではなぜレーニン――あるいは「レーニン」――においてそれが可能となるのか。例えば国家が有用な道具でありその内部に入って利用するという考え方に対して、「国家とは支配階級の暴力装置である」と言い切るレーニンの考え方は、明らか国家というかたちで現出する支配的な実定性の「外部」へとレーニンの思考が超出していることを指し示している。あるいはソヴィエト内部の異論の自由を求めるメンシェビキに対して「われわれに諸君を銃殺する自由を与えろ」と言い放つレーニン――これこそレーニンのタヴー化の要因だった――の思考には、自由が闘争の物質性と表裏一体であり、この物質性を考慮しない自由論が空論にすぎないという認識が示されている。このようなレーニンの「外部」化するマテリアリズムこそが、ジジェクの見出すレーニンの可能性の契機に他ならない。そしてそれは『共産党宣言』におけるマルクスの「階級闘争」概念にも相通じるものである。「選好」を虚偽と言い切る強い視点――これこそレーニンの骨頂である。
まだまだ触れなくては成らない問題は多くあるし、レーニン評価に関してジジェクの視点だけではたしてよいのか――例えばクロンシュタットやマフノ問題――という課題も残るが、ジジェクの「社会主義」崩壊以後、とりわけ9・11以後の閉塞状況に風穴を開けようとする力業には多くの学ぶべき点がありそうである。これからあらためてジジェクを読みたくなった。もちろんレーニンのテクストもだが。(2005.9)
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