世界史の構造 :柄谷行人





柄谷行人 著(岩波書店)

思想はつねに社会や歴史と切り結ぶ実践的な場に定位されなければならない。ただし注意しなければならないのは、この実践が一昔前の旧左翼における「理論と実践」という図式のなかの実践とは意味が異なることである。ここでいう実践とは、思想がその成立局面において負っている場を固定化したり自明化したりすることなく、たえずより普遍的なコンテクストに向かって開く努力を怠らないことを意味する。それは同時に、思想そのものが自らの理念や理論に閉じこもってしまうのでなく、この普遍的なコンテクストに向かって白己を開き相対化するということでもある。そのような実践性を帯びるとき、思想ははじめて時代状況のうちでダイナミックな衝迫力を獲得することが出来る。

 では社会や歴史の普遍的コンテクストに向かって思想が開かれてゆく契機とはなにか。誤解を怖れず単純化していえば、それは多重的な「読み ─ 読まれる」関係のなかに思想の営為を解き放つことである。つまり普遍的コンテクストのなかに潜在する未知な「読み方」を喚起する無数の亀裂や矛盾を探り当て、そこに新たな解釈の光をあてること、そしてその解釈を同時代の他の「読み方」に向かって解放し、「読まれ方」の新たなコンテクストを形成することである。そうすることによって普遍的コンテクストはふたたび社会や歴史の生けるダイナミズムとして私たちの目の前に現れ、同時に私たちの新たな「読み」を喚起しながらそれまで未知であったコンテクストの流れを形成してゆくのである。
こうした思想的営為にめぐり会うことは残念ながら極めてまれである。たいていの「思想」は固定化や自明化の呪縛の中で理論物神に陥るか、自らの成立する場の追認に終わってゆく。いうまでもないがそれは本当の意味での思想ではない。だが私たちが日々出会う自称「思想」の多くはたいていこの偽思想でしかない。
そうしたなかで、偽思想とは本質的に異なる思想の営みが出現するとき、私たちは自らが真の意味で時代と、歴史と、そして自らのもっとも深い生存の根拠と向き合っているのを認識する。いうまでもなくそれは大きな緊張を私たちに強いる。だがこの緊張は決して不快なものではない。むしろそれは充実感といったほうがよいかもしれない。そしてその緊張、充実感は私たちに新たな思考の始まりをもたらすのである。

柄谷行人の新著『世界史の構造』(B6判・504ページ・3500円・岩波書店)はまさにそのような意味での思想の書である。周知のように柄谷は前著『トランスクリティーク』(岩波現代文庫)で、カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読むという「パララックス・ビユー(強い視差)」に基づいて、マルクス思想のうちに潜む新たな可能性を、マルクスが「アソシエーション」という言葉で示唆した「超越論的仮象」としての新たな互酬性の領域(交換様式D)に基づいて明らかにしようとした。柄谷はそこにこそ資本制を真に超え出てゆく可能性を見ようとしたのだった。これが90年代における柄谷たちのNAMの運動につながっていったことはいうまでもない。だが『トランスクリティーク』にはこうした「アソシエーション」論の前提として極めて重要な洞察が同時に示されていた。それは「資本制 = ネーション = ステート」の三位一体の洞察である。市場交換に根ざす資本制、それを法的権力によって支える国家 = ステート、資本制がもたらす格差や不平等を想像的に克服するネーションの三位一体こそは西ヨ-ロッパのブルジョアジーが支配圏を獲得した近代世界システム成立以降の世界秩序の根幹であった。
この三位一体が不気味な影をおびてふたたび大きく世界史の前面に出てきたのが2001911の「事態」だった。『世界史の構造』の序文で柄谷は次のようにいっている。「資本=ネーション=ステートは実に巧妙なシステムなのである。だが、私の関心はむろん、それを称揚することではなく、それを越えることにある。『トランスクリティーク』を書いた1990年代と、 2001年以後では、私の考えはかなり違っている。私に「世界史の構造」の包括的な考察を強いたのは、 2001年以後の事態なのである。1990年代では、私は、各国における資本と国家ヘの新たな対抗運動を考えていた。明確なヴィジョンがあったわけではないが、漠然と、そのような運動は自然に、トランスナショナルな連合となっていくだろうと考えていたのである。(……)しかし、このようなオプティミズムは、 2001年、ちょうど私が『トランスクリティーク』を出版したころに起こった、911以後の事態によって破壊された。(……)このとき、私は、国家やネーションがたんなる「上部構造」ではなく、能動的なエ―ジェント主体として活動するということを、あらためて痛感させられた」(ix)

柄谷が本書において思想の成立場として選択したのは、911の事態によって明確になった新自由主義(資本)と新保守主義(国家)の恐るべき癒合状況であった。グロー.ハリゼーションが国民国家を解消に向かわせるだろうというような90年代の冷戦終焉後にあったオプティミズムはこの新たな資本と国家の暴力的癒合の前に砕け散った。では何があらためて問われねぱならないのか。それは、世界史の構造を資本 = ネーション = ステートの三位一体という視点から再解釈・再構成することだった。そのためには新たな「強い視差」が必要だった。そしてその「強い視差」は、マルクス思想を生産様式からではなく「交換様式」から捉え直すこと、そしてマルクスが十分考察しないままに終わった国家の自立的な能動性を資本との連関のもとに考察することから得られねばならなかった。交換様式Dにあたるアソシエーションはこの考察をへてはじめて析出されるべきものだったのだ。
 世界史に現れる各段階の社会構成体は、資本(交換様式C = 合意に基づく商品交換) = ネーション(贈与 ─ 返礼としての互酬に基づく交換様式Aの想像的再生) = ステート(交換様式A = 略取と再分配) の複合体として現れる。どの社会構成体にもこの三つの要素は必ず含まれている。そして世界史の変遷はこの三つの要素の、それぞれの社会構成体における強弱、濃淡の差によって生じる。しかもこの三要素の関係は、いくつかの決定的局面において非連続的に変化するのである。その変化は、社会(共同体)内部の自生的な組み替え(生産様式の変化)によってというよりは、むしろ社会(共同体)の間の関係の組み替え(交換様式の変化)によって生じる。交換様式Aの支配性に終りを告げる「定住革命」、国家に対抗し、絶対的な権力を持たない「平和・平等化・環節的社会」としての氏族社会の、交換様式Cの担い手としての原都市を媒介とする国家社会(交換様式B)ヘの転換、アジア的専制を核とする世界 = 帝国の中心 ─ 亜周辺周辺構造の中から生み出された交換様式Cの世界(世界 = 経済)、それとリンクする西ヨーロッパにおける絶対主義王政国家の成立、絶対主養国家 ─ ブルジョア独裁国家における交換様式Aの想像的再生としてのネーションの成立とネーション間関係の下でのナショナリズムの発生、ナショナリズムの対抗関係とリンクする主権国家の対抗関係の時代としての帝国主義時代、というように。柄谷はこの帝国主義的時代が現代においても基本的には持続していると考える。依然として資本 = ネーション   = ステートの三位一体は強力に世界史の構造を支配しているのである。この三位一体に対抗しうるのは原理的には交換様式Aの現代的再生だけである。そのポイントとして本書では、協同組合運動の限界を超える諸国家連合の構想をあらたに射程に入れたかたちでのアソシエーシ,ンの持つ意味が提示される。
この過程の論証における柄谷の筆致には異様ともいえるような犀利さと着想の妙があふれている。例えばアジア的専制において従来変化しない基体とみなされてきた農業共同体がじつは国家によって作られたものであるという指摘などはその最たる例といえよう。そう考えるときはじめて、柄谷が指摘するように講座派・労農派の日本資本主義論争の不毛さの根拠が浮かび上がってくるのである。

最後に一点、『トランスクリティーク』の議論も含めた形で心にかかった問題点を指摘しておきたい。モれは「読み方」ヘの「読まれ方」の応答に他ならない。
カントの「統整的」という概念は柄谷の議論の重要なキーコンセプトである。柄谷はそれを、「超越論的仮象」が緩やかな目的として設定されることとして定義する。だがカントの「統整的」は、同時に内側から見ると「自分が外部の超越性に頼らず自分自身で自分に命令すること」でもある。そのとき命令する自分の普遍性の根拠になるのは、絶対的な超越性に代わつて登場するより緩やかな規範性である。それはカントによって具体的には「趣味判断」の共通性の根底をなす「共通感覚」として提示される。それは、歴史的にいえば市民社会内部の、国家にも資本にも還元出来ない中問領域としての非制度的コンセンサスを意味する。このコンセンサスはスタティックなものではない。対立をいとわない自由で開かれた言論を通して形成される、アレントやハーバーマスなら「公共性」と呼ぶところのものでもあるからだ。問題は、内部から見たこのような力ントの「統整的」が、ヘーゲルのいう「理性の校知」を超えられるかというところにある。言い換えれぱ、ヘーゲルによって「自己を ─ 物に ─ すること」というかたちで定式化された物象化の論理を「統整的」は超えられるのかということである。別段物象化という概念を持ち出さなくてもよいかもしれない。問題の核心は、カントの「統整的」が前提とした「個人」の存在がこの「自己を ─ 物に ─ すること」に耐えうるかというところにあるのだから。この問題に正面から応えようとしたのが私見によればアドルノの「否定弁証法」だった。個人を、過程=訴訟(否定性)にたえずさらされる非同一的存在として見据えつつ、「限定的否定」の無限行使というかたちで極めて逆説的なかたちで個人(理性)の存立根拠を証明しようとしたのがアドルノの「否定弁証法」だった。しかもそこには同時に、カントの立論の歴史的背景となっていた市民社会の白発的・非制度的な公論のポテンシャルを現代に再生させるという目論見さえもが含まれていた。柄谷の本書における議論を可能にしている基盤もまたこうした公論の歴史的厚みではなかったか。徹底して外在性の立場を取る本書での柄谷の議論を追いつつ、その裏側にはりついているはずの思考の内在性の構造が気にかかるのだ。それは、「理性の校知」という宿命を負いながらまずは内部からしか始まらない様々な実践の行方の問題といってもよい。(2010.10

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