『<死の欲動>を読む』 : 小林敏明








小林敏明 著(せりか書房)




評者 : 宇波 彰(明治学院大学名誉教授)


ジャック・ラカンは1964年に行なった『セミネールXI 精神分析の四基本概念 』において、精神分析の四つの基本概念が「無意識・反復・転移・欲動」であると述べた。精神分析の概念としての「欲動」の重要性がラカンによって認識されていたと見なければならない。フロイトの孫の「いないいないばあ遊び」(Fort-Da)も論じられている「快原則の彼岸」(1920)においては、「生の欲動」とともに「死の欲動」(Todestrieb)の概念が示されている。本書は、その「死の欲動」の概念についての綿密な考察である。

 著者はまずこの「死の欲動」の場である「無意識」の前史についてシェリング、ショーペンハアー、ニーチェなどに遡って検討する。次にフロイト自身の思想形成の過程で、「無意識」という考え方がどのように展開していったかを明らかにする。この二つの「前史」には、われわれの知らない思想家・科学者も登場するが、著者はわれわれにはなじみの薄いものもある彼らの著作にもいちいちあたって、どういう考えがフロイトの思想の背景にあるのかを子細に解明していく。そして、フロイトの思想がいかに「自我/意識中心主義」というパラダイムの転換であったかを論証する。これはフロイトの考えを「思想史的に」捉え直そうとする試みと理解できる。「不断に練りなおされるフロイトの基本構想において<死の欲動>を想定することが、いかに大きな転換を強いることになったか」(p.141)が著者にとっての問題である。この「転換」もしくは「転回」こそ、フロイト論の重要なテーマの一つであるというべきであろう。

 「快原則の彼岸」において、「死の欲動」を中心に位置させ、そこにフロイトの思想の一種の「転回」を見ようとするのは著者だけのものではない。「快原則の彼岸」も収められているフロイトの論文集"Das Ich und das Es"の解説で、マックス・ホルダー(Max Holder)は「快原則の彼岸」においては、それまでの快原則と現実原則という対立関係に代わって、生の欲動と死の欲動という新たな対立関係が考えられたと指摘している(S.21)。また、邦訳のあるクセジュ文庫『フェティシズム』の著者ポール=ローラン・アスンの『精神分析文献事典』の「快原則の彼岸」の項を見ると、死の欲動という問題設定が「重要な革新性」(innovation majeure)を持つものであると指摘されている(p.225)。すでにアスンは『精神分析』(1990)においても、フロイト思想の「1920年の転回」(le tournant de 1920)について論じているが、それは「死の欲動」の概念が提示されたことである。

 また、三原弟平は、『ベンヤミンと精神分析』において、フロイト自身が「死の欲動」の概念が「いまだ確立していないことを認めていた」と指摘し、次のように述べている。「いや、確立どころか、この著作(「快原則の彼岸」)は、<死の欲動>という素材をはじめて思考の俎上の提出しただけの、まったくの準備段階、助走段階のものにすぎない」としている(p.58)。「死の欲動」は、「はじめて思考の俎上」に乗った新たな概念として位置づけされているのであり、これはアスンの考えに通ずるものである。なお、三原弟平の『ベンヤミンと精神分析』によると、ベンヤミンは「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」において、「快原則の彼岸」に言及しているが、「死の欲動」には触れていない(p.26)。著者は現代生物学の成果をも検討し、「フロイトの生の欲動と死の欲動との二元論仮説」が「かならずしも時代遅れの妄想などではない」と説く。

 著者が強調するのは、「欲動を核とする無意識」についてのフロイトの考えは、あくまでも仮説であり、Spekulationであるという見方である。アスンもSpekulationという用語を特に重視し、「以下はSpekulationである」というフロイトのことばを引用している(p.225)。ポール・リクールのフロイト解釈は、ラカンの解釈と徹底的に対立しているといわれているが、そのリクールも『フロイトを読む』において次のように述べている。「『快楽原則の彼岸』はフロイトの著作のなかで最も解釈学的でなく、思弁的である。つまりその著作では、極限にまでおしすすめられた仮説や、発見のための理論的構成などが占める部分が極度に大きいのである。」(p.308)(ここで「思弁的」と訳されているもとのフランス語は、speculatifであり、「思弁的」という訳語ではカバーしきれないものがあることはいうまでもない。)このSpekulationにも関係することであるが、評者にとって最も印象に残るのは、著者がフロイトの論文のなかから「勇気」(Mut)ということばを見いだしてくるところである。「死の欲動」を支えるものは「反復強迫」であるが、フロイトにとってはこの概念はあくまでも「仮説」である。著者もまた「フロイトの死の欲動という仮説概念はみかけほど強い実証的根拠の支えられちるわけではない」と断言する。フロイトは「実証的根拠」を欠いたその仮説を主張する「勇気」(Mut)が必要だと説いた。フロイトは次のように書いている(小林敏明の訳による)。「われわれは次のような仮説を立てる勇気を見いだすことだろう。すなわちそれは、心的な生のなかには快原理を超え出るような反復強迫が本当にあるという仮説である。」(p.106) 仮説もしくは概念を示すときに「勇気」が必要だという考えがここに明白に示されている。仮説とは、当然と見なされていたことを否定したり、いままではなかったような新しい考え方んことであるが、それを真なるものとして提示するためには「勇気」が必要だというのである。フロイトのテクストにある「勇気」ということばを見いだしてきたのは、著者の卓見である。

 この論点に関連して想起されるのは、ジャック・ラカンが『精神分析の四基本概念』で次のように述べていることである。「実際概念は、それが把握すべき現実への接近によって形作られるとしても、概念が実現化を達成するのは、極限におけるある飛躍、ある乗り越えによってでしかありません。」(邦訳p.24)ラカンがいう「飛躍・乗り越え」(saut,passage)は、勇気がなければ行われない。これはラカンがこのセミネールで語った「学者(フロイト)のよく知られたこの勇気」(邦訳p.43,Seuilp.35)のことであろう。真理の確実性、あるいは「確信」を支えるものは、この「勇気」にほかならない。
 著者は「フロイトを徹底的に読み直す」(p.217)を目標としたと書いている。それはけっして容易なことはない。たとえば著者はフロイトの「自我とエス」で示されている「死の欲動」についての説明が「すべて接続法第二式」で書かれていて、それによって「述べられている内容のすべてが仮定であることが明示されている」(p.191)と説いている。このように、本書は「死の欲動」に関してなされた綿密な解読の報告である。その難しい作業の報告が、きわめてわかりやすい文章で記されていることに評者は感銘を覚えた。

引用文献

小林敏明『<死の欲動>を読む』,せりか書房、20126月刊

S.Freud,Einleitung von Max Holder,Das Ich und das Es,Fischer Taschenbuch Verlag,1992
ジャック・ラカン、小出浩之他訳『精神分析の四基本概念』、岩波書店、2001
J.Lacan,Quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse,Seuil.1973
Paul=Laurent Assoun,Dictionnaire des ouvres psychanalytiques ,PUF,2009
Paul=Laurent Assoun,Freudisme,PUF,1990
三原弟平『ベンヤミンと精神分析』水声社、2009
ポール・リクール、久米博訳『フロイトを読む』新曜社、1982

再発見 日本の哲学 折口信夫 ―― いきどほる心:木村純二









木村俊二著講談社)




最近折口信夫への関心がふたたび高まっているように思われる。少し前になるが、若き日の折口の性愛関係を掘り起こすとともに、「恋人」藤無染の影響による折口の英語文献への関わりを明らかにすることによって従来の一国主義的な折口観に大きな転機をもたらした富岡多恵子の『釈迢空ノート』(岩波書店)、そしてその成果を受ける形で折口学とアジアとの関わりを論じ、さらに包括的な折口観の転換を推し進めた安藤礼二の画期的な折口論『初稿 死者の書』(国書刊行会)、『神々の闘争』(講談社)の刊行がそうした動きをもたらすきっかけになったのではないかと思う。辰巳正明の大著『折口信夫 東アジア文化と日本学の成立』(笠間書院)もまたそうした系統に連なる新しい折口研究として注目される。さらに近刊の中沢新一『古代から来た未来人折口信夫』(ちくまプリマー新書)は、青少年向けの新書という枠組みのなかではあるが、折口の思想・学問が持つ根源性、真の意味での「新しさ(未来性)」を鮮烈に描ききっており、これまた注目すべき折口研究の成果というべきであろう。なお未読だが上野誠『魂の古代学 問いつづける折口信夫』(新潮選書)も刊行されたばかりである。

 こうした折口への関心の再度の高まりの背景にあるのは、常民文化の空間的アイデンティティと祖先崇拝の時間的アイデンティティによって支えられている柳田民俗学の同心円的な同一性の構造に対し、折口の思想・学問がある根源的な逸脱・非同一性を含んでいるという認識であろう。そうした逸脱、言い換えれば折口学の持つ、柳田民俗学に対する根本的な異端性が、例えばポストコロニアル批評のもたらした文化内部の非同一的な非連続性や亀裂の認識を折口学の内在的な読み換え可能性につなげてゆこうとする問題意識や、従来ややもすれば柳田の方法の持つ「科学性」に対し低く見られてきた折口の実感・直観志向を、むしろ積極的に折口学の持つ近代科学主義を超えるアクチュアリティの契機として見直してゆこうとする志向へとつながっていると考えることが出来る。ようするに柳田民俗学へと連なる国学や日本学の系譜が暗黙のうちに前提としている「日本」の一国的なアイデンティティを根源的に脅かしかねないラディカルな非同一性の契機(異端性)を折口学が孕んでいることに、ようやく多くの人が気づき始めたということではないだろうか〔詳論は差し控えるが、私見ではこうした折口の読み直しの先駆となったのが吉本隆明の『共同幻想論』であり、さらには「アジア的なもの」をめぐる議論や『母型論』を中心とする起源論である。『現代思想』臨時増刊号「吉本隆明」のなかの拙論参照〕。

 そうした中、若き日本思想史の研究者である木村俊二の新しい折口論が刊行された(B6判・278頁・1400円・講談社)。本書は、昨年から刊行が始まった「再発見 日本の哲学」シリーズ(菅野覚明+熊野純彦責任編集)の一冊である。本シリーズは、これまで上記のような一国性を核として形成されてきた「日本」イデオロギーに肯定・否定の立場を問わず制約されることの多かった日本思想研究を根本的に転轍させようとする野心的な試みといってよいだろう。とくにそれぞれの思想家が内面において抱えていた精神のドラマを掘り起こしながら、思想の成立平面を公式的な図式を超えてヴィヴィットに描こうとする姿勢が特徴的である。

 本書においても著者の木村はそうした折口の精神のドラマに内在しながら折口学の思想的契機を抽出しようとする。では木村によって捉えられた折口の精神のドラマの核心、言い換えれば折口の思想の起源の場・風景とはどのようなものだったのか。
 冒頭の序章で木村は、折口の処女歌集『海やまのあひだ』から「いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり」という歌を引いて、折口の精神の核にあるものを「いきどほる心」という形で取り出す。それは折口の心の奥底にたゆたっている「憤り」の情念に他ならない。この「噴り」は、折口学の公的な論理の側面においては、本居宣長が掲げた自らの国学の根本姿勢である、「あはれ」という心の動きに忠実であること、言い換えれば悲哀を特権的な中心とする人間の感情の動きに素直に従うという姿勢と会い通じるものを含んでいる。折口の学問における実感や直観の重視の根源にあるものはこの「いきどほる心」であるといってよいだろう。同時にそれは、理性の手前にある感情こそが彼の学問の出発点であることを指し示している。

 だが木村はこの「いきどほる心」の基底をなすものを、単純に折口の学問世界の問題に解消しようとはしない。序章でまず一個の概念的構図として提起され、第四章「罪、恋、そして死」で実証面も含め詳論されている折口の個としてのドラマに、この「いきどほる心」は深く関係づけられているのである。
 木村も引いている岡野弘彦の優れた評伝『折口信夫の晩年』の中にあるように、教え子との関係、あるいは交友関係において、折口はしばしば激しく怒りを爆発させている。その怒りは相手を徹底的に追い詰め相手の精神を粉々に打ち砕いてしまうまでやむことがない。ではこうした折口の怒りの根源にある物は何なのだろうか。木村は次のようにいう。「憤る折口の姿が見る者に感動を与えるのは、その憤りが心の奥深くからまっすぐに発せられているからであり、そしてみずからの置かれた状況も顧みず、瞬時に怒りを発することができるのは、折口が、常に高い緊張度で、周囲のひとびとに「まこと」をもって臨もうとしているからであろう。あるいは、その怒りが、深い孤独に裏打ちされているからだと言ってもよい」(16頁)。

 折口の「憤り」の核にある「まこと」と「孤独」は、いわば個としての折口の内面と折口学の公性をつなぎ蝶つがいのごときものである。言い換えれば、折口の「自我」に刻まれている深い傷――その傷が孤独をもたらす――から発するとともに、その傷ついた自我を回復させ「まこと」をもたらす力ともなるのが、この「憤り」に他ならないのである。というのも折口の「憤り」は、「何の為に生まれたのか」「わが命のもとは何か」という生の根源への問いと結びついた深く個的なものであると同時に、個的なものを超えて深く折口学の基底をなす「日本」なるものの起源・根源の認識に関わっているからである。
                   
 第一章「国学者折口信夫」において、木村は折口の目指したものが「国学」であったことを踏まえた上でその国学が、江戸期から明治近代へと受け継がれていった正統派の国学の伝統とは根本的に異質なものであることを明らかにする。もう少し具体的にいえば折口の国学は、国学の伝統を通して生み出された明治以降の近代国民国家形成のプロセスと対応する国家神道のあり方、とりわけその「道徳化」のプロセスと大きく隔たっているということである。いな、隔たっているというよりも、闘うべき相手としてそれはあったというべきである。

明治近代国家はそのネイションとしての実体を、天皇を同心円的中心とする家族=民族共同体のイデオロギー的擬制によって代補しようとしたが、その際に重要なのは、天皇制が近代現象をも含めながら無限抱擁的にすべてを自己のうちへと包摂しうる構造を持っていたことである。そのことをイデオロギー的に根拠づけようとしたのが国家神道に他ならない。そしてそこでイデオロギーの核心をなしているのがある種の道徳的因果律に他ならない。この道徳的因果律は、平田篤胤によれば、「記紀の冒頭に現れるタカミムスビ・カミムスビの二柱の神は、男女の対の神であり(……)、イザナギ・イザナミが国土を生むことができたのも、男女のムスビの神の「御徳(ミイツ)」を賜ったからである(……)。それゆえに、イザナギ・イザナミによって生み成されたものは、天地人物を始め、国・山・草木に至るまで、「男女の真理」「自然に具はる」のだという(……)。その帰結が、右に見たような、「妻子を恵みて、子孫を多く生殖」することこそ「我が皇神の道」である、という神道論」(40~41頁)の形で具体化される。そこからは、折口の国学との関連で二つの問題が浮かび上がる。一つは、男女の性愛関係が「生殖」(産出)と結び付けられていること、より端的にいえば「生むこと=善」という倫理的・道徳的目的因の設定から逆に性愛関係が規定され、その結果「生むために・生むがゆえにまぐわう」という因果関係が成立することである。性愛はこうして産出の倫理に従属することになる。さてもう一点は、生むことが親と子の系譜を軸とする祖先崇拝の構造を同時に作り出すということである。タカミムスビ・カミムスビから始まる皇統譜は、いわば「日本」をすっぽりと祖先崇拝の倫理・道徳の中へと包摂するための媒体となるのである。

木村によれば、折口はこうした神道道徳論に激しく抗ったのであった。その根拠となったのは、一つには、起源としての神が善のみをもたらす肯定的な性格だけでなく、まさに「憤る神」として、一挙に天地も人物をも破壊し去る「邪悪な」、否定的性格をも持っていることであった。そして折口は神も持つこのような善悪を超えて「憤る」破壊的側面をこそ神の本質として見なければならないとしたのである(第二章参照)。そしてこのことは、本書の重要なテーマである折口の神道宗教論の核心と関わってくる。つまり神を道徳的因果関係の内部での善として位置づけることに宗教としての神道は根ざしてはならない、という折口の独特な認識につながってゆくのである。このことは、第二の、そして本書の最大の主題といってよいスサノオの問題をさらに導いてゆく。スサノオは高天原というパンテオンから追放された神である。そこにはスサノオの「罪」(天つ罪)の問題がからんでいることは周知の通りである。だが木村は周到な読解を通じて、折口が「スサノオは罪ゆえに追放された」という因果律を否定していることを明らかにする。そして折口が、スサノオの罪を、いわば天皇族によって征服された民であるこの国土に土着してきた民衆の「罪」――この「罪」は基本的には征服されたことの同義反復であり、強いていうならばその聖痕(スティグマ)に他ならない――と、非因果的に結びつけようとしたことも。

 私見ではこのことは、起源としての共同幻想がその彼岸に宗教・法・国家として制度=権力化される第二の共同幻想を生み出す転轍点としての意味を持つ(吉本『共同幻想論』「罪障論」参照)。本来因果性の存在しないところに罪を起点とする因果性を設定することが、天皇=国家の起源であるとすれば、折口の思想には極めてラディカルな国家否定の契機がはらまれていることになる。このことに木村が激しく迫ろうとしたことこそが本書の最大の眼目といえよう。と同時に、その背景にはスサノオの罪(哀しみ)を自らの哀しみとして受け止めようとする折口の内面のドラマが存在することを明らかにしようとしたことも。さらにいえば、このことと折口の、生殖から切り離された純粋な性愛(恋)という認識が深く関わっていることを木村は明らかにしているのだが、もはや紙数が尽きた。ともあれ力作である。(2008.9)

シリーズ道徳の系譜 死の哲学 : 江川隆男











江川隆男著(河出書房新社)



最近のテレヴィを見ていて異様に思うことがある。生命保険のCMがやたらに多いことである。それだけ生命保険への需要が大きいということだろうし、その背後にはおそらく「死」をめぐって人々のあいだに根深い不安が存在するのだろうが、それにしても死といういかなる時代、地域にも遍在する現象に対しなぜかくも不安が深まり、かつそれが生命保険への需要というかたちで現れてくるのか。

 もしかすると今人々は死への欲望にとりつかれているのだろうか。あるいはむしろ逆に保険CMによって、死への欲望、より正確にいえば生命保険という一個の社会装置を通じて造型された特定の死のかたち(様式)への欲望を激しくかきたてられているというべきなのだろうか。もしそうだとすれば、そこには死をめぐる認識論的な課題が浮上していると考えることが出来る。なぜならこの欲望は死を認識論的に可視化したいという欲望を同時にはらんでいるからである。
 生命保険は死を貨幣と交換するシステムである。本来死は交換不能なものである。だがその交換不能な死を貨幣の交換可能性にゆだねることによって生命保険というシステムは成立している。なぜそんなことが可能なのだろうか。たぶんそこに今人々が抱いている不安の核にあるものの秘密、そしてその秘密が喚起する欲望の意味を解く鍵があるのだ。
                   
 『情況』誌等で近年意欲的なドゥルーズ論を発表している江川隆男が新著を公刊した(B6判・166頁・1500円・河出書房新社)。その中に次のような一節がある。「恐怖は、われわれの身体のすべての変様を受動性の相のもとに固定するとさえいえる。スピノザによれば、他のものへの関心をすべて奪うかたちで、われわれの視線を釘付けにするようなものが存在するが、それはいかなる物の部分でもないという意味で「特異な或るもの」である。そして、こうした或るものについての中立的表象が「驚き」であり、これは、その或るものから視線を逸らすことができず、精神がこの表象に縛られたままの状態を表示している。しかし、こうした驚きはそれだけでは単なる知覚であるが、この特異な或るものが人間の復讐心や怒りなどをともなって表象されるとき、驚きはまさに「恐怖」の感情になるのである」(82頁)。

 生命保険という社会装置、そしてそれが造型する死のかたちに文字通り人々の「視線」が「釘付けに」なっているとすれば、そこには「受動性の相のもとに固定」された「恐怖」の感情が存在しているということが出来る。ではその「恐怖」とは何なのか。
 生命保険は、すでに述べたように死という本来交換不能なものが貨幣という交換可能性に置き換えられるシステムを意味する。このとき貨幣の交換可能性は、それが「等価形態」という尺度をもとに表象される量的に多様な「相対的価値形態」(マルクス)のあいだの比較・比例関係であることによって根拠づけられている。人々が生のなかであくせく求めている「豊かさ」や、その相対的な欠如態としての「貧しさ」は、すべてこの比較・比例関係としての貨幣の交換可能性に本質的には由来している。とするならば、「恐怖」とはこの交換可能性としての貨幣のもとに自分たちの生がまさしく「受動性の相のもとに固定」されていることの根源的な現われということが出来るのではないか。もう少し突っ込んで言えば、死が交換不能な絶対性・特異性として現出することへのこの「受動性の相のもとに固定」されてある貨幣的な生の側からの反応のあり方の、感情次元における表れが「恐怖」に他ならないのではないか。それにしてもなぜ交換可能性であり、比較・比例関係なのか。それは、この比較・比例関係のみが――マルクスが『経済学批判要綱』で明らかにしたように――死の交換不能性(表象不能性)を転移させ、ある種の不死性を――ふたたびマルクスに即せば「対象性(表象知)」を――出現させてくれるからである。これによってひとまず死は相対的な比較・比例関係の無限の連鎖(置き換え関係)のなかでその絶対的な特異性、自体としての個別性を脱色され衛生無害なものになり変わるのである。生命保険という社会装置は恐らくその要に位置するシステムに他ならない。だがそうであるとして、そこに充満する死への欲望はどうなるのか。

ここで私たちは一つの恐るべき認識に到達しなければならない。不死性、つまり死ななくなるということは、まさに死の謳歌であり、その全き遍在に他ならないのだという認識に、である。というのも、相対的な比較・比例関係のうちで「受動性の相のもとに固定」されてある生とは、その固有な内実をたえず交換可能性を通じて別なものに置き換え失させていることによって自己保存を維持する「死ねなくなったゾンビ」のごときものでしかないからだ――マルクスが貨幣=資本に見ようとしたのはこの「ゾンビ」性に他ならない――。世界がゾンビの横溢する「墓場」になるとき、「死ねないこと」は死の謳歌と遍在を私たちに見せつけているのであり、死への欲望はこうした「ゾンビ」的欲望へと一体化するのである。生命保険に内在する死への欲望、そしてそれに対し表裏一体の関係にある「不安(恐怖)」の感情が指し示しているは、かかる事態であるといってよい。
                   
 江川の新著は、このような世界の「ゾンビ」性に根差す死への欲望に対し今私たちの思考が何を以って対抗しうるかを、スピノザ-ドゥルーズ=ガタリ-アルトーというラインに沿いながら明らかにしようとしたまことに野心的な試みといってよい。恐らくそれは、かつて私が本コーナーで書評を試みた荒川修作+マドリン・ギンズの『建築する身体』(春秋社)における「死なない建築・死なない身体」の問題とも共鳴しあいながら、今私たちが取り組まねばならないもっとも深く重い課題の所在を指し示している。

 先ほど引用した先のところで江川は次のように言っている。「<受動性-感情>には、驚きによって固定され、恐怖によって支配された一つの死の遠近法があると言える。死はこうした恐怖によって構成された生のなかに囲い込まれてしまう〔これが「ゾンビ」性ということである―評者〕。<差異-思考>、一般性のもっとも低い共通概念の形成が必要とされているのは、そうではなく、恐怖から至福へ(スピノザ)、あるいは恐怖から残酷へ(アルトー)という別な発生のためである」(823頁)。ここに本書における江川の根本的なモティーフが現れているといってよいだろう。死の謳歌、死の遍在としての世界の「ゾンビ」化、別な言い方をすれば、たえず続く他のものへの相対的な比較・比例関係を通した置き換え・失(交換可能性)によってのみ――それが、ある種の超越(論)的構え(=貨幣的なものの根源様態)を意味するのはいうまでもない――自己保存が図られるような生=死の「囲い込み」に対抗し、「恐怖」を「至福」ないしは「残酷」へともたらすこと、それは、本質としての精神のもとでいわば存在なき様態へと貶められ非在化されている身体の側から、いかなる相対性にも、伝統的な意味での心身二元論にも委ねられることのない「存在の一義性の平面」(28頁)を現出せしめよとする試みに他ならないのだが、それこそが本書で江川の目指しているものといってよいだろう。

 それを可能にする思考上の道筋を江川は、「欲望する並行論・心身論」(第二節参照)によって示そうとする。そしてその具体的な進行過程をなすのは「存在」のたえざる「変形」(17頁)である。この問題をめぐって展開される江川の言説は、正直言って極めて難解であり、まだ私自身十分に理解できているとはいえないのだが、例えば次のような記述からその核心の一端が窺える。「一つの現働的な闘争や闘いを、別の現在敵な暴力に向けたり、或る目的としての支配にぶつけたりするだけでなく、それらとまったく同時に潜在的な人間の諸条件に作用して、それらを触発・変形することである(闘争の二重化)。(……)この唯一の事例としての結晶化は、死の後に残るもののことであり、自己の外部的諸部分からなる存在が崩壊して失われた後も、つまり死後も、触発され変様し続けるその劇的な特異本質のことである。(……)<不死>とは、実は唯一この触発・変形の部分についてのみ言われるべきことなのである」(21頁)。

 ここで言われている「触発・変形」は、基本的にはスピノザの自己原因論に由来する。つまりいかなる外部原因も必要としないような本性=存在のあり方としての自己原因こそがこの「触発・変形」をもたらすのである。とはいえこの自己原因はけっして内部において完結する同一性の機制を意味するわけではない。それどころかそこに働いているのは「差異」なのだ。だからこそ自己原因は触発を喚起し変形をもたらすのである。そして同時にこれが、スピノザの「コナトゥス」概念の特異性の核心ともなっている。通常コナトゥスは「自己保存」と訳されるが、本書で江川はあえて「現働的本質」(53頁)という訳語をあてている。これによって、ホッブズ的な、譲渡=交換的論理としての、そして内部的な同一性形成論理でもある自己保存概念とは本質的に異なるスピノザのコナトゥス概念の核心が浮かび上がる(29頁参照)。それは、「否定なきあるいは欠如なき無能力」(28頁)としての死――この死はいうまでもなくもはや物理的な死ではありえず、むしろ死に対してその等価物として構成される経験的ななにものかである――が帯びている「<強度=0>」(53頁)の地点へと向かう「触発・変形」の運動であり、同時に外部と内部の区別が事実上無意味となるような身体と精神のあいだの力動的かつ隣接的な並行性を生み出す運動でもある。
                   
 本書は、ドゥルーズ=ガタリの仕事が語の真の意味で「唯物論的」であったという意味で、まさしく「唯物論的」な思考の試みである。本書から感じとれるのは、江川の、湿った情緒的な内部性に充足することへの激しい異和である。ノマド的なたえざる存在の変成の暴威に耐え得ない思考がどうして唯物論的――それは、これまた語の真の意味で「革命的」であるということだ――でありうるのか。江川は本書でそう私たちに問いかけているように思える。「存在のもとでの唯物論においては、精神を構成する観念は身体の一定の状態を表現するという程度のことである」(50頁 傍点評者)。(2006.2)

思考のフロンティア 暴力 :上野成利









上野成利 著(岩波書店)





暴力の問題は私たちの世界に遍在している。現に今も、イスラエル軍によるパレスティナ・ガザ地区およびレバノン南部への苛烈な軍事攻撃というかたちで噴出した暴力現象に世界の耳目が集中している。
こうした暴力の現前を前にしておそらく誰もが――「正義」の暴力の行使は正当化されるとはなから信じ込んでいるブッシュやオルメルトのような唾棄すべき暴力亡者は除く――、なぜ人類は愚かしくも不毛な暴力の行使を繰り返すのか、なぜ幼児ですら明白に愚行であり悪であると分かるような暴力の行使を人類は止められないのか、と自問するであろう。だがたいていの人間は苦々しい諦念によってその問いを封印するか、「和平」「相互信頼」「寛容」といった決まりきったお題目にすがって自分を納得させることによって――暴力の当事者にはそうした要素が欠けているのだというわけである――、本来その自問のうちに潜んでいるはずの問題の核心を取り逃がしてしまう。本当に問われなければならないのは、愚かしかろうが、苦々しかろうが「人類は暴力の行使を決して止めようとしない」ことの意味なのだ。つまり私たちの世界に遍在する暴力とは、ありふれた日常のなかの個々人のレヴェルにおける暴力から国家が行う戦争行為に至るまで、人間の意志や心理の矯正、コントロールによっては克服することが出来ない制御不能な「暗部」のようなものであり、しかもこの「暗部」は人間がこの世界に個的にか、社会的にか存在することの根底へとまっすぐつながっているということを凝視しなければならないのだ。

 こうした暴力の意味は、20世紀という時代において異常なほど増幅された。かつて高橋哲哉と対談したとき、彼から20世紀に何らか政治的暴力(戦争、革命、民族虐殺、粛清など)の犠牲になって亡くなった死者の数が1億7千万人に上ると教えてもらったことがある。この数はおそらくそれ以前の人類史全体が同じ理由で生み出した死者の数の総計を上回るであろう。わずか100年の時間の中でこれだけの死者が生み出されたのが20世紀という時代の持つ核心的な意味であるとすれば、20世紀は何よりも「暴力の過剰充溢の時代」として性格づけられる。その頂点にナチズムやスターリン主義に象徴される全体主義の暴力があったことはいうまでもない。そしてこのことは、20世紀を生きた人間にとって暴力が、それと無縁であることを絶対的に許されない、言い換えれば誰に対しても等しく降りかかってくる運命となったことを意味している。言うまでもないことだが20世紀は一方において、科学技術の発展に象徴されるように人類の合理精神が最高度に発揮された時代であり、人権概念の拡張や福祉政策の進展に見られるように人間というものの価値が飛躍的に高まった「ヒューマニズム」の時代でもある。そんな20世紀がなぜ「暴力の過剰充溢の時代」となったのか、なりえたのか。この問いに何らかのかたちで応え得ない限り、20世紀という時代が突きつけた問題である「暴力の過剰充溢」から私たちが真の意味で解放されることはありえないであろう。
                    
 一般に暴力についての議論は恐ろしいほどにレヴェルが低いのが常である。だが20世紀という時代において異常なまでに拡張された暴力の意味について根源的に考え抜こうとした思想家が何人かいた。例えば「暴力批判論」を書いたヴァルター・ベンヤミンであり、『全体主義の起源』や『暴力について』を著したハンナ・アーレントであり、『暴力と聖なるもの』の著者であるルネ・ジラールらである。わが国ならば『暴力のオントロギー』の著者今村仁司を挙げることが出来る。だがこれらの暴力の意味についての解明作業の内容とも結びつきながら、もっとも核心的なかたちで20世紀の暴力の過剰充溢に対して考察を行ったのは何といってもマックス・ホルクハイマーとテオドーア・W・アドルノの共著『啓蒙の弁証法』である。なぜならこの著作によって私たちは初めて、先ほど言及した20世紀という時代の持つ二つの対蹠的な性格、すなわち暴力の過剰充溢の核心としての全体主義暴力の現出と、合理精神やヒューマニズムの発展という二つの現象によって示表される性格をトータルに包み込む暴力認識の原理的視点を得ることが出来たからである。一言で言えばそれは「理性暴力」――「理性暴力」ではない――という視点である。合理精神やヒューマニズムを支える近代人間理性の働きが、一見するとそれと対立するかに見える全体主義の「野蛮な」暴力と無縁であるどころか、むしろその起源としての、下支えとしての意味を持っているということを、この「理性の暴力」という視点は示している。20世紀における異常なまでの暴力の充溢は、17世紀とともに始まる近代合理主義(啓蒙)の時代とその歴史性の必然的な帰結であるというのが――もっともホルクハイマーとアドルノはその初源を古代ギリシアのホメーロスの時代にまで遡らせるのだが――「理性の暴力」という視点に込められた本質的な認識に他ならない。

 さてその『啓蒙の弁証法』の共著者の一人であるホルクハイマーの研究を出発点に、『ファシズムの想像力』(共著 人文書院)収録の論文、あるいはナチスによるユダヤ人虐殺という事実を「証言可能性」の観点から歴史の復元=表象の可能性(不可能性)のリミットにおいて問おうとした映画『ショアー』についてのショシャーナ・フェルマンの優れた論考『声の回帰』の翻訳(太田出版)、さらにはポール・ド・マンの極めて刺激的な問題作『美学イデオロギー』の翻訳(平凡社)の翻訳等を通じて着実に思考者・研究者としての地歩を固めてきた上野成利がこのたび岩波「思考のフロンティア」シリーズの一冊として『暴力』を刊行した(B6判・139頁・1300円・岩波書店)。20世紀における暴力の過剰充溢の根源へと分け入ろうとする意欲的な好著である。
                  
 「はじめに」のところで上野はまず暴力に「二重の相貌」があることを指摘する。一つは、「統御不可能で野放図な力」としての暴力のあり方である。そこに「無法」や「不当」という契機が結びつくことはいうまでもない。それはある意味で非理性的暴力といってよいだろう。上野はこうした暴力の相貌を「ヴァイオレンス」と呼ぶ。だが暴力はもう一つ別な相貌を有している。それは、「何らかの権限をもった主体が別な主体を支配・統御する」という意味での暴力である。この暴力には明らかに理性的なものが結びついている。上野はこの暴力の相貌を「ゲヴァルト」と呼ぶ。この暴力の相貌には「権力」、あるいは「秩序」「管理」といった契機が結びつく。こうした二つの暴力の相貌は明らかに対立・矛盾する関係にある。一方は制御不能なものであり、他方は制御・支配の媒体だからである。だが私たちの現実に帰属する暴力現象は明らかにこの矛盾する二つの契機の絡み合いの中においてしか現出しえないのだ。それは別な観点からいえば、私たちの現実の中でヴァイオレンスの要素とゲヴァルトの要素が不可分なかたちで、しかもときには二つのうちのどちらかが優位に立ちながらあたかも二つの顔を持つ「ヤヌス」のように現れるということである。そこに非理性(野蛮)と理性(文化・文明)の絡み合いが潜んでいることはいうまでもない。

 20世紀に目を向ければ、この二つの暴力の絡み合いが奇怪なまでに複雑な様相を呈しながら総体として暴力の過剰充溢をもたらしていることは明らかである。上野はまず20世紀の暴力の問題の核心ともいうべき「ホロコースト=ショアー」に言及しながら、そこに単なる野蛮として片付けるわけにはゆかないその「大量殺戮プロジェクト」としての性格、すなわちアイヒマンに象徴される「正常」な、というより限りなく「凡庸」な官吏タイプの人間のもつ「理性・分別」によって初めて可能となったその精緻で合理的な「プロジェクト」としての性格が現れていること、そしてそこにはすでにはっきりと理性と野蛮の本質的な共犯関係が見てとれることを指摘した上で、その淵源を19世紀において完成を見る「国民国家」に求める。そして国民国家はその本質的属性として閉じられた「領域性」を持つがゆえに、その領域性に囲い込まれている「国民」という名の主体に対して絶えず「強制的均質化」および「動員」という全体主義国家において全面開花する「ゲヴァルト」暴力をすでに強いていることを明らかにする(Ⅰ-第1章参照)。このことは視点をずらせば、国民国家の限定戦争と全体主義国家の絶対戦争の関係の問題にもなる。クラゼヴィッツの「戦争は別な手段による政治の継続である」という命題に示される限定ゲームとしての戦争のあり方、つまりゲヴァルト暴力の行使は、だがしかしそのゲームを成立させる限定された政治空間、すなわち国民国家間の対等な関係を保証する秩序空間を前提とする。それを上野はカール・シュミットを援用しながら「ヨーロッパ公法」の妥当領域としての「ヨーロッパ」と規定するのである。このことによって戦争が限定戦争というゲームになりうるとするならば、そこにはそれと表裏一体なかたちでゲームの規則の及ばない「非ヨーロッパ」という絶対的な暴力行使の許される領域が存在するはずである。この領域にはもちろん帝国列強によって植民地支配の対象となった空間的意味での非ヨーロッパが含まれるが、じつはそれだけではない。ゲームを成立させる規則を共有できないという判断をもたらす差別・排除の機制そのもののうちに「ヨーロッパ/非ヨーロッパ」という二分法の起源があるのであり、そこではむしろ「不気味さ・不快さ」への排除・攻撃衝動といった機制――これが反ユダヤ主義の起源であることはいうまでもない――が働いているというべきである。想いおこしてみよう。理性のいちばん大きな機能は理性の内と外を分けること、理性と非理性の分割である。この分割にこそ二分法の起源があり、そのことが限定された暴力のゲームとしての国民国家の限定戦争の外側で絶対的な暴力が乱舞するヴァイオレンスの空間が現出するのである。とするならば限定戦争の起源そのものうちに絶対戦争というかたちでの暴力の過剰充溢が宿されていると考えることが出来るのではないだろうか。そしてそれこそが理性と暴力の本質的な共犯関係の証左といえるだろう(Ⅰ-第23章参照)。
                    
本書の本領は理論的な面からいえばむしろⅡの諸章、すなわちベンヤミン、アーレント、デリダ、そして『啓蒙の弁証法』について論じた部分にあるといえるが、残念ながらそろそろ紙数が尽きようとしている。本書はある意味で反時代的な本である。これでもかといわんばかりに重い課題を次から次へと、しかも相当に抽象度の高い文体を通して繰り出される。たぶんチャート式の暴力論入門を期待する向きには失望感を与えるだろう。だがそれでよいのだ。暴力の問題は私たちがこの世界に生きている意味への問いと同じくらい重く根源的な課題であり、かつ極めて難しい課題なのだから。読者にはぜひ暴力問題の困難さとその根源的な意味を著者である上野とともに共有していただきたいと切に思う。
(2006.8)

知識人の時代 :ミシェル・ヴィノック著


   著:ミシェル・ヴィノック 訳:塚原史・立花英裕・築山和也・久保昭博(紀伊国屋書店)


[知識人」という言葉が死語に等しくなって久しい。とくに日本においてはそうである。知識人がもし自分の思考力や良心にもとづいてペンの力だけによって社会に向かって公的な発言を行い、それが一定の影響力を持ちうるような存在であるとすれば、今の日本にはほとんど知識人と呼びうるような人間は存在しない。今に日本に存在するのは、省庁や企業などの周辺で様々な審議会や研究会、シンクタンクなどに身を寄せながら、政策形成・推進、利潤追求に都合のいい情報や提言をとりまとめることを生業とするような「実用型知識人」(本書の言葉)か、テレヴィや新聞・雑誌などの頻繁に登場してほとんど専門的知識も本格的な思索も必要ない「コメント」と称する蕪雑な言葉を語ることだけを任務とする「メディア知識人」(同前)だけであるといってよい。こんなものが知識人の名に値しないことは言うまでもないだろう。

 日本の場合もともと言論を通して形成される市民的な公共圏が極めて微弱であったことが知識人の存在し難さの大きな要因として挙げられるが、同時にそこにはいくつか日本だけにとどまらないより普遍的な時代や社会の変移、推移があることも事実である。まず第一に挙げられるのは社会の複雑化である。高度に複雑化し分節化された現代の社会のあり方の中では、一個人が自分だけの力で社会全体の動きを俯瞰しながらそれについて普遍的な伝達力を持ちうる言説を語ることは極めて困難になっている。第二には社会と個人をつなぐ媒介項としての世論や論壇、メディアの構造の大きな変化である。とくにテレヴィに代表されるメディアの力の普及は、一部の特権的な知識人階層による大衆の啓蒙やリードという構図を突き崩し、極めて均質化された薄っぺらな情報言語や感覚・印象言語の流通を爆発的に増大させた。このことが知識人の存在を不要化したのである。第三には社会主義理論に代表される対抗・批判言説の解体という事態である。グローバリゼーションに象徴される単一化された均一な原理――例えば世界市場原理――の支配する冷戦崩壊後の世界においては、エスタブリッシュされた支配体制に対する異議申し立てや対抗はほとんど不可能に近くなっている。そのことが本来の意味での知識人の役割を無用化しつつあるのである。

 他にも要因は挙げられるであろうが、現在の状況が知識人の存在し難くなっている理由に事欠かないことだけははっきり確認することが出来る。それにしても私たちはこうした状況に手をこまねいている他ないのだろうか。「学問の有効性」という名目の下、政官財の世界との癒着を深めることを自身の手柄だと思っているような大学教員の連中や、毎日テレヴィや新聞などに登場しては訳知り顔に、専門的裏づけも、よく練られた思索の跡もまったく感じられない床屋政談・井戸端談義以下の放談を繰り返す「評論家」連中のかもし出すおぞましいまでの不快さに黙って耐えるしかないのだろうか。デリダやサイード、今村仁司の死後、世界について根源的かつ普遍的に、批判的スタンスに立ちながら語りうる知識人は死滅してしまったのだろうか。
 このとき想い起こされるのはフーコーの知識人終焉論である。よく知られているようにフーコーは、サルトルに代表されるすべての問題について神のごとき判定を下す「大知識人(=普遍的知識人)」の時代は終わり、これからは特定の専門知識や技能を通して社会に貢献する「エンジニア型の知識人」だけが必要とされるようになると言った。フーコーはその時点ではっきりと伝統的な知識人の時代の終わりを告知していたのである。もっともフーコー自身は彼の言葉に反してむしろ最後の大知識人を演じたのであるが。それにしてもこうした状況についてどう考えればよいのか。
                    
 そうした折り、フランスの社会・政治思想史家であるミシェル・ヴィノックの著作の翻訳が刊行された(A5判・834頁・6600円・紀伊国屋書店)。800頁を超える大著であるが訳文はよく練られており、題材の面白さもあって一気に読めてしまう。
 本書が扱っているのは、1894年に起きたドレフュス事件から1980年のサルトルの死にいたる時代の流れの中でのフランス知識人たちの生態と彼らが演じた多様なドラマである。それは文字通り多彩な万華鏡ともいうべき世界である。多数登場する知識人たちの個々の事跡、相互の関係、人脈や党派の実態が筆者であるヴィノックの歴史家としての驚くべき手腕でもって鮮やかに腑分けされ位置づけられていく様は壮観といってよい。私は本書によってこれまで知らなかった、あるいはあいまいなままだったフランス知識人をめぐる様々な事情や歴史について多くのことを教えられた。そしてそれを通してあらためて知識人とは何か、その役割とは何かについて考えるべき課題を指し示されたのである。

 そもそも知識人という言葉が一定の社会的意味を持つようになったのは本書の議論の発端となっているドレフュス事件であった。ユダヤ系のフランス陸軍軍人であったドレフュスにかけられた対ドイツ内通という嫌疑、その嫌疑にもとづくドレフュスの軍籍剥奪と反逆者としての断罪という事態から始まったこの事件は、二つの点で知識人の登場を促したのだった。一つは多くの学者や文学者を中心とする知識層がこの事件がきっかけとなって政治的・社会的な次元へといわば象牙の塔から出て介入することから、知識人と呼ばれる新たな階層が生まれたということである。逆に言えば、知識人とは自らの専門領域に閉じこもることなく公的次元における言説を発する知識階層の人間を指す概念として定義されるということである。第二には、この事件に際に二つの対蹠的な立場が明確に形成され、以後知識人のあり方をめぐって――とくにフランスにおいて――つねにこの二つの立場のあいだで対立・相克が繰り返されてきたということである。その二つの立場とは、ドレフュス事件の際にモーリス・バレスとエミール・ゾラにそれぞれ示されたものであった。すなわちフランス国家の正統性とその統合基盤をつねに最優先させる国家主義の立場と、フランス革命によって達成された自由・平等・友愛にもとづく人権原理をつねに優先させようとする個人主義の立場である。この二つの立場のあいだの対立は、共同体帰属型の情緒的・扇動的な言説のパターンと共同体離脱型の知的・論理的な言説のパターンのあいだの対立へと置き換えることも出来るだろう。バレスや、後に右翼王党派の機関紙として名をはせる『アクション・フランスセーズ』の中心であり第二次世界大戦後対ドイツ協力の廉で終身刑を言い渡されたシャルル・モーラスなどが前者の代表だとすれば、ゾラや1930年代に痛烈な知識人批判の書『知識人の裏切り』を著したジュリアン・バンダなどは後者の代表格といえる。ただし本書が伝えている重要な点と思われるのは、その二つの立場が各々の知識人の中で必ずしも固定的ではなく、ときには立場の移行や分類不能な「第三の道」の選択が登場するということである。バレス自身、出発的においてむしろ極めて個人主義的であった。そのバレスを国家主義を代表する知識人へと押し上げていったのがドレフュス事件に他ならなかった。『アクション・フランセーズ』に近いカソリック系の文学者ジョルジュ・ベルナノスが、共和派とフランコ派の内戦下にあったスペインにおいて当初はカソリック王党派と通ずるフランコ派を支持していながら、フランコ派による民衆虐殺の実態を見て立場を転換し、フランコ派やそれと通じるカソリック教会を激しく糾弾する書『月下の大墓地』によって反ファシズムに転じてゆくのもそうした例の一つといえるだろう。

 うかつな話しだが私は19世紀末から第二次世界大戦期にいたるフランスにおいてこのように激しい知識人の闘いが繰り広げられていたことをきちんとした形で認識してこなかったので、正直なところ本書の内容には驚きを禁じえなかった。それを踏まえてフランス知識人たちの群像から感じたことを記しておこう。一つは、どのような立場であれ彼らが自分自身に対し基本的に強い自負と責任を感じているということである。本書は全体を三部に分け、第一部が「バレスの時代」、第二部が「ジッドの時代」、第三部が「サルトルの時代」と銘打たれているが、1930年代から戦中期という困難な時代にあってときに逡巡や怯堕を示しながらも、基本的に支配層への協力を拒否し続けたジッドの態度には、そうしたフランス知識人のある種の強靭さを強く感じる。それはまた同時に、「仲良しクラブ」で群れたがる日本人とは異なり、意見の相違によってじつにあっさりとそれまでの人間関係を絶ってしまう彼らの「強さ」とも関係しているように思われる。第二に感じるのは、やや逆説的な言い方になるが、フランス革命によってもたらされた近代化とフランスの共同体意識のあいだの深刻な相克関係である、別な言い方をすれば、フランス革命は本質的な意味ではこの共同体意識を変え得なかったのではないかということである。その核心にあるのはフランス固有な信仰体系としてのカソリックの影響力の根深さである。そのことから派生する世俗権力と教会権力の、世俗知識人と教会聖職者およびそれにつらなる宗教系の知識人のあいだの激しい闘いが、フランス知識人の歴史の重要な要素であることをあらためて本書を通して確認することが出来た。

 本書でもっとも興味深いのは、第一部におけるバレスを軸としたシャルル・ペギーやアナトール・フランス、ジュール・ルメートルらの人物群像の活写と、第二部の次第にファシズムへと傾斜してゆく時代の危機のなかでも知識人たちの足掻きにも似た模索の描写であろう。前者では期せずして先ほど述べた近代化の底に埋もれたフランス社会の深層があぶり出され、フランス社会自身の中にナチズムへと向かいかねない因子が埋め込まれていたことが明らかになる。とはいえそれを押しとどめた要因もまたフランス社会の中に存在したのだが。A・フランスの存在はそれを示唆している。また後者では平和主義に立つ知識人たちの決定的な無力が後知恵とはいえその後の歴史状況とのからみで深く考えさせられる。先月書評したアーレントの『責任と判断』の中にも戦間期の「著名な知識人」たちの無力が描かれていたが、この問題は現在の私たちにも、例えばイラク戦争の問題などにおいて重くのしかかってくるのである。第三部の記述にやや図式主義的な単純化が見られた――それは左翼に対する辛辣な視点に由来する――のは残念である。ともあれフランス知識人の歴史を知ろうとするのにこの百科全書的な内容を持つ著作ほど好適なものはないだろう。同時にそうした知識人の時代の終焉も本書は告知している。その先は私たち自身の問題というべきかもしれない。(2007.7)


リヒャルト・ワーグナーの妻 コジマの日記1 : コジマ・ワーグナー著


コジマ・ワーグナー 著
三光長冶・池上純一・池上弘子 訳
(東海大学出版会)


 
待望の翻訳である。1976年、リヒャルト・ワーグナー(注記:私はふだん「ヴァーグナー」と表記するが、本書の表記を尊重し今回に限り「ワーグナー」と表記する)がバイロイトに祝祭劇場を建立してから100周年にあたる年に、多くの記念行事や企画が挙行されたが、その柱の一つが本書の原本となった『コジマの日記』の、1930年に彼女が亡くなって以来46年ぶりとなる刊行だった(ドイツ・ピーパー社刊)。そして刊行されるやいなや『日記』は、ワーグナーを研究するにあたって最高最大の一等資料としての地位と評価をたちまち獲得したのであった。このたび原書の刊行以来待ち望まれていた翻訳が、『ワーグナー著作集』(第三文明社)や『ニーベルングの指環』他のワーグナー作品の翻訳刊行(白水社)の中心となり、さらに『エルザの夢』(法政大学出版局)などの自身のワーグナーに関する著作も公刊している日本のワーグナー研究の第一人者三光長治、そして今挙げたワーグナーの翻訳と研究に三光とともに長く関わってきた池上純一、その妻である池上弘子という最良の訳者を得て刊行の運びにいたったことはまことに慶賀の念にたえない(B6判・639頁・6800円・東海大学出版会)。今回刊行された第一巻は600頁を越える大冊だが、驚くことにそれでも日記が書き始められた18691月から1870年の4月までの分のみであり、1883年のワーグナーの死去まで続く日記全体の10分の一に過ぎない。今後10巻編成で刊行が続けられるということだが、ぜひ最後までつつがなく刊行されることを切に祈念したい。



 コジマは、ピアニストであり作曲家でもあったフランツ・リストとマリー・ダグー伯爵夫人とのあいだに生まれた。父母の不倫関係の結果として生まれた彼女は、家庭にも両親の愛情にも恵まれなかったために、神経質でメランコリックな資質を持った難しい性格の人間となっていったが、反面父の音楽家としての才能と、文筆家としての母の才能を継承した芸術的天分と稀にみる鋭敏な知性に富んだ女性でもあった。彼女は、ワーグナーの『トリスタン』の初演を手がけ、後にベルリン・フィルの初代常任指揮者となる「近代指揮法の父」といわれたハンス・フォン・ビューローの妻となるが、いわば夫の師であったワーグナーとの運命的な出会いを通して、子どもも夫も捨てる形でワーグナーのもとに走ったのだった。1870年ビューローとの離婚を経て正式にワーグナーの妻となったコジマは、一貫してワーグナーの最良の伴侶として夫の活動を献身的に支え、とりわけ1876年の第一回バイロイト祝祭以降、ワーグナーの死の後も続くことになったこの祝祭事業を中心となって遂行していったのである。ワーグナーの作品はたしかにワーグナー自身のものだが、その作品のほとんどすべてが現在でも世界のオペラハウスの主要レパートリーとなっており、バイロイトの丘にそびえたつ祝祭劇場では現在も毎年多くの聴衆を得て祝祭が挙行され、そこで行われる上演に関して多くの議論がなされるという「ワーグナー現象」ともいうべき稀有な状況が存在することに、ワーグナー以上に寄与したのがコジマだった。「ワーグナー」とはワーグナーとコジマの共同作品であるとさえいえるであろう。もちろんそこには影の部分もある。極め付きの保守主義者であった「女帝」コジマの君臨するバイロイトは、政治的・イデオロギー的意味におけるワーグナー聖化の拠点でもあった。後のナチズムに道を開く反ユダヤ主義の宣伝紙『バイロイター・ブレッター』の刊行、ゴビノーやチェンバレンからヒトラーにいたる人種主義者やファシストとバイロイトとの親密なつながりなどはコジマ自身が敷いたバイロイトの路線の産物に他ならなかった。演出家のアドルフ・アッピアらの革新的なアイデアを封じ、コジマの作り出したワーグナー像を墨守し続けたバイロイトは、いつしかプレファシズム的なドイツ・ナショナリズムの聖地となっていったのである。そして熱狂的なワグネリアンだったヒトラーはワーグナーとコジマの子ジークフリートの妻ヴィニフレート――コジマとジークフリートの死後バイロイトの総帥となった――と親しくなり、バイロイトのワーグナー家の館ヴァーンフリートに個人的賓客として迎えられて家族同様の扱いを受けることになる。夏の祝祭時のバイロイトはヒトラーが長期滞在していたのでナチス・ドイツの臨時首都の観さえ呈したのである。戦後西ドイツの初代大統領に就任したテオドーア・ホイスは絶対にバイロイトには足を踏み入れないと誓言したが、ナチズムのおぞましい惨禍に対して重大な共犯責任を負うこのようなバイロイトを作ったのがコジマであったことはぜひ記憶されておかれるべきである。

                      

さて『日記』だが、1869年の1月から始められた。コジマはミュンヘンのビューローの家を出て、4人いた子どものうち2人だけを連れてスイスのルツェルン近郊のフィーアヴァルトシュテッター湖に面するトリープシェンのワーグナーの家にきていた。この時期ワーグナーは、バイエルン王ルートヴィヒ二世の庇護と援助を得て、いよいよ畢生の大作『ニーベルングの指環』四部作の完成とそれを理想的な形で上演する祝祭劇場建設の事業に向かおうとしていた。そのさなかに起こったこの「スキャンダル」が世間に知られれば、それでなくとも莫大な出費に疑惑の目を向けていた王室内の批判派を勢いづかせるとともに、王自身の信頼も失いかねず、ワーグナーとコジマは運命のなりゆきとはいえ極めて苦しい状況にあった。形式上はまだビューローの妻であるコジマはトリープシェンの家をほとんど出ることが出来ず、世間の目を逃れるように蟄居していたのである。

 そうしたコジマの苦悩の表現が日記の主調音となっているといってよい。「不安のために動揺する心は、思わず知らずのうちにあたりの不動の自然に救いと助けを求める。自然は身じろぎもせずにおし黙っているが、そのとき胸の奥底に響きわたる声を聞く。「自分の心や運命と折り合いをつけるがよい。心を制御し、運命を耐え忍ぶことだ。結局のところおまえの身にふりかかってくることは、おまえの耐えられる範囲を超えることはないのだから」。それで心のやすらぎを得て家の中に入った」(本書31頁)。



 こうした記述から見えてくるこの日記の基調的な性格としてさらに二つのことが挙げられると思われる。一つはコジマの性格である。冒頭の三光による「序に代えて」にあるように、コジマは「犠牲による献身」という意識に貫かれていた女性であった。こう書くとワーグナーを知る読者はただちに、それはワーグナーの作品の基本イデーではないかと思うであろう。たしかにワーグナーの作品には、『オランダ人』のゼンタ、『タンホイザー』のエリーザベト、『指環』のブリュンヒルデ、『パルジファル』のクンドリなど「犠牲による献身」のモティーフに貫かれたヒロインが多く登場する。だが日記を読む限りではコジマのうちにあるこのモティーフはワーグナーの影響ではなく、コジマ自身の資質であったようだ。それはビューローとの結婚においても発揮されていたからである。「ワーグナーの逆境を見かねて、救いようのない彼を救おうとして彼のもとへ走ったコジマを突き動かしていたのは――ビューローの場合と同じく――彼女の「内なるゼンタ」だったのである」(三光「序に代えて」ⅹ頁)。



 そしてそのことは第二の、この日記全体の最も重要な性格につながってゆく。すなわちあえて夫を裏切った不倫の妻という立場を引き受けてでもワーグナーに尽くし、ワーグナーとともに、彼が夢見る芸術の王国の建設に邁進しようとするコジマにとって、この日記は、そして日記が書かれた場としてのトリープシェンはまさに二人だけの内面の城であり寄り添う二つの魂の通い合う、何人の容喙も許さない神聖な精神の殿堂であったということである。これも三光が指摘していることだが、19世紀の日記文学は、近代とともに生み出された人間=主体の新たな生成場としての「内面」の表現媒体に他ならなかった。もちろんそれはおあつらえ向きに自足し調和する安定した世界ではない。むしろ近代性が強いる自我と世界の相剋や分裂が生々しく現れる場というべきである。だからこそ「内面」は同時に、そうした相剋や分裂に抗して自己が自己であることを保守する最後の砦として重要な意味を持ったのだった。コジマの日記にも明らかにそうした性格を看てとることが出来る。

 

そうした基本性格を踏まえて日記を読み進めてゆくと、じつに興味深いエピソードや事実にいたるところで遭遇する。さきほどバイロイトの影の部分に触れたが、そのもっとも重要な要素である反ユダヤ主義の問題の起源は、ワーグナーが1850年に執筆した「音楽におけるユダヤ性」という論文であった。日記の中でこの論文の再刊がしきりに話題となっている。そしてこの論文をめぐって引き起こされたワーグナーをめぐる毀誉褒貶がコジマによって逐一報告されているのである。今回日記を読んで、当時のドイツにおける反ユダヤ主義の風潮の高まり――ただしそれと反資本主義的な気分や親社会主義的な傾向が結びついていたことは、オイゲン・デューリングなどの場合を含め留意しておく必要があろう――はもちろんだが、ユダヤ社会からのそれへの批判、あるいはG・ヘルヴェークのような親しい友人との離反などの影響ももたらしていたことを初めて知った。当時のドイツ語圏社会がこの問題で一枚岩ではなかったことの証明として興味深かった。またカソリックとプロテスタントの問題がコジマの離婚問題とからんでしきり話題にされているのも面白い。ワーグナーが根っからのプロテスタントでカソリックに対して批判的であるのに対し、フランス生まれのコジマが暗にワーグナーのカソリックへの改宗を望んでいたことはワーグナーの晩年の作品、とくに『パルジファル』の主題をどう理解するかに関わってくるように思える。微笑を禁じえないのは、若干25歳でバーゼル大学文献学教授となったニーチェをめぐる記述である。孤立し批判にさらされていたワーグナーとコジマにとってニーチェの登場がいかに心強い援軍となったのかがそこから読み取れることはもちろんだが、親子ほど年の違うワーグナーたちが若いニーチェを、あれこれの買い物や印刷所との交渉などでこきつかっている様は、ワーグナーたちのいい気さ加減とともにニーチェの無類の人のよさを思わせ思わず笑ってしまう。ただ後年の離反を思うとき、そしてそれでもニーチェがトリープシェンの時代をしきりに懐かしがっているのを思い返すとき、その笑いにはある種の悲哀感が混じってくるのであるが。(2007.3)

応答する力 来るべき言葉たちへ : 鵜飼 哲 著






鵜飼 哲 著(青土社)




3月19日から学生たちとポーランドのアウシュヴィッツへ行くことになったためこの原稿も出発前の慌しさのなかでまとめなければならない羽目になった。明日の出発を控えて今まさに悪戦苦闘中である。
それはさておきアウシュヴィッツ、現在のポーランド語名では「オシュフェンチウム」と呼ばれているこの地にかつてナチス・ドイツがユダヤ人の集団殺戮を組織的に行うための「絶滅収容所(フェアニヒトゥングスラーガー)」を作ったことは周知のとおりである。ある記録によれば、第二次大戦前ヨーロッパには約900万人のユダヤ人が生活していたが、ナチス・ドイツはそのうちの600万人を殺戮した。そしてさらにそのうちの約150万人がこのアウシュヴィッツ絶滅収容所で殺されたのである。この数字が語っているものを正確に表現することは難しいが、一人ひとり何らかのかたちで自らの感情や意識を、家族・友人関係を、過去の記憶と未来への希望を持っていたであろう600万人の、アウシュヴィッツに限っていえば150万人の人間がまるで物か虫けらのように無機的なかたちで「処理」――ナチスは公式文書のなかで一貫して「殺害」という言葉を使わずこの「処理(マスナーメ)」という言葉を使っていた――されたという事実の途方もない重さにはたじろがざるをえない。それとともにこれをやってのけたナチス・ドイツの「悪」の凄まじさと徹底性にもまた慄きを感じざるをえない。「アウシュヴィッツ以後詩を書くことは野蛮である」といったのはTh.W.アドルノだが、20世紀の中庸に生じたこのアウシュヴィッツという「出来事」は、人類史を決定的なかたちで「アウシュヴィッツ以前」と「アウシュヴィッツ以後」に分けてしまったといってよいだろう。私たちはまさにアウシュヴィッツ以後の世界の中で生き考えねばならないのだ。

 こうしたアウシュヴィッツの歴史的意味を私にはっきりと教えてくれたのはクロード・ランズマン監督の製作した映画『ショアー』であった。9時間にも及ぶこの大作のなかでランズマンは生き残った収容所体験者やナチスの元看守の証言によりながら、最大の当事者が死者そのものであったがゆえにほとんど表象=証言不能な、あるいは伝達不能とさえいえるこのアウシュヴィッツ、すなわちユダヤ民族の虐殺という「出来事」を再現し、その意味を復元すべく執拗に映像をつむぎ続けるのである。ところで、いろいろな事情から長い間日本で上映される機会のなかったこの映画が、有志によって組織された上映実行委員会の熱意あふるる活動のおかげで上映にまでこぎつけたのは1995年、戦後50周年の年であった。私もささやかではあったが上映運動の一端にかかわり、私の勤務する早稲田大学で上映会を催すことが出来た。ランズマン自身が早稲田大学に来て学生たちとの討論に応じてくれたのも懐かしい思い出である。そしてこのとき上映実行委員会の中心的な存在として私たちの早稲田大学での上映会も含め全国での上映運動を支えていたのが、今回取り上げる『応答する力』(A5判・361頁・2600円・青土社)の著者、鵜飼哲である。上映会の前後打ち合わせのため鵜飼と何度か会い話を交わしたが、硬質で透明な知性に裏打ちされた明晰な問題意識、謙虚さの中に秘められた強靭な意志と実行力、オルガナイザーとしての高度な実務能力などその人となりには強い印象を禁じえなかった。わけてもその折に鵜飼が語ったフィヒテ哲学と日本における明治・大正以降の文部省に主導されたフィヒテ受容のあり方の問題、とりわけ代表的なフィヒテ主義者南原繁と戦後日本国家構想の関わりという問題をめぐる議論――これらの議論の一端はフィヒテとルナンの「国民(ネーション)」をめぐるテクストを収めた『国民とは何か』(河出書房新社)のなかの鵜飼の解説「国民人間主義のリミット」で知ることが出来る――は大きな触発となり、そこから芽生えたモティーフが結局昨年公刊した拙著『戦争と暴力の系譜学』(実践社)へと結実したのであった。このような鵜飼の新著である。大きな期待を持って読み始めたのは当然の仕儀であった。

                   
率直に言って大変難解な本である。その難解さは、鵜飼が89年の東欧社会主義崩壊、あるいは91年の湾岸戦争――その延長線上に「9・11」の事態とその後のアフガン・イラク戦争があることはいうまでもない――、また金白順さんの告白後日本の戦争および戦後責任について根底から問い直される契機となった従軍慰安婦問題といった現実の様々な問題や課題と向き合いながら、一方でそれを単純な時務情勢論の枠組みに委ねるのではなく、周到なテクスト読解戦略に裏打ちされた歴史=論理的な――これはもちろんヘーゲル的な意味で理解されてはならない――視座から文字通りラディカルに捉え返そうとしていることによると思われる。もう少し具体的にいえば鵜飼はここで、カント、ニーチェ、ハイデガー、レヴィナス、ドゥルーズ、デリダといったモダンの時代と社会にラディカルに切り込んでいった思想家たちのテクスト・言説を、いかなる概説的な切り縮めも行わずに、そこにひそむ問題の最深奥にまで一気に沈潜しながら読み直し、その成果を私たちの直面する状況に対するこれまた一切の図式化・既知化なき認識、ということはある種の決定不能性や不可知性に陥る危険をあえて冒すということなのだが、そうした決定不能な状況に身を委ねることによってしか見えなくなっている問題の次元や領域を抉り出そうとしているといえるのではないかと思う。そうした鵜飼の構えからは、最近の通俗的な世界情勢論に見られるような「わかりやすさ」――じつは「わかりやすさ」を口実とする思考停止――など生まれるはずがない。

そうした点を踏まえて私が本書の中でまず関心をそそられたのは第一部「「ヨーロッパ」の脱構築」のなかの諸論文、とりわけ「ニーチェ明日?」であった。とりわけ難解を極めるこの論文の論旨・主題を短くまとめるのは容易なことではないが、少なくともここで鵜飼が20世紀のニーチェ解釈史の転回点となった1964年のロワヨモン・ニーチェコロック――ここではドゥルーズが『ニーチェと哲学』の原型となる報告を行い、フーコーが「ニーチェ・フロイト・マルクス」という報告を行っている――、そして本論文の糸口となっている1972年の「ニーチェ今日?」というコロックの後に現れたニーチェ読解(レクチュール)新たな水準に定位しながらニーチェ問題を扱おうとしていること、そしてその際に鵜飼が見出したのが、そうした20世紀ニーチェ解釈史の転回を促すもっとも巨大な一撃となったハイデガーの『ニーチェ』において、ニーチェのアナクシマンドロスのテクスト解釈をめぐるかたちで提起された「正義」の問題であったことは、少なくとも確認できるであろう。ただすでに述べたこととも関連するが、鵜飼が問題として見出したものは決して書誌学や解釈学の範囲に留まるものではない。一言で言うならば鵜飼は、正義というものが一義的な同一性、あるいは同一化の機制から解放されたモデルのなかで再思考されねばならないといっているのだと私は思う――これはデリダの『法の力』の主題と重なる――。アナクシマンドロスにおいて正義を表す言葉「ディケー」と不義を表す言葉「アディキア」の対蹠性をめぐるニーチェの解釈への批判に基づいて、ハイデガーは、「復讐の精神」から解放された正義のあり様を「真理としての正義」と規定し、そのことを捉え切れなかったニーチェがヨーロッパ哲学最後の形而上学者と断じるのであるが、はたしてこれは正当な判断といえるのだろうか。鵜飼は次のようにいう。「『ニーチェ』でハイデッガー(ママ)は、ニーチェの形而上学の基本語のうち、「力への意志」よりも「正義」を優位に置く可能性を検討している。ハイデッガーのニーチェ講義がナチスによる「生物学的」解釈からニーチェを救済する可能性の探求でもあり、彼はニーチェの根本思想が「力への意志」である限りナチス的解釈も許容されうると考えていたことを考慮するなら、この作業にはきわめて大きな政治的意味が付与されていたことになる。そしてハイデッガーは、ニーチェが「正義」をなお同化、一致、適応としての真理から理解していたかぎりで、「正義」を「力への意志」より優位に置くことは不可能だったという結論に達したわけである」(28頁)。鵜飼はハイデガーの「正義」をめぐる視角について今引用した箇所の前でさらに次のようにいっている。「〔デリダは〕ハイデッガーの「正義」が、「非=整合」の耐え抜きを通してであれ結局のところ調和へ一者の結集へ、最終的には現前性へともたらされることを指摘する」(27頁)。

このデリダの視点を踏まえればニーチェを最後の形而上学者と批判したハイデガー自身がやはり同一性と現前性の論理に深く縛られていたということになる。そのデリダの問題をめぐって後半の議論が「友愛」を主題としながら展開される。そこでの問題の焦点を表す引用句がある。「このような「行為遂行性と事実確認性の、固有の身体なしの、共同的かつ同時的接ぎ木による生殖」をデリダは<テレイオポエティック>と呼ぶ」(33頁)。この「テレイオポエティック」のうちに鵜飼は、「近さ」と「遠さ」のパラドクシカルな関係をはらむ「自己への、友への、そして敵への友愛」(同)の契機が予め含まれているとするのである。

このことはこのニーチェ論に続く「美しい危険たち レヴィナス、デリダ、日本国憲法」という論文――もともとは鵜飼がフランスのコロックで行った講演がもとになっている――におけるレヴィナスの思想をめぐる次のような指摘に明らかに対応している。「レヴィナスにとっての接近、いわく「接近することをやめることなき接近」とは、じつは「<無限>の無限化」に他なりません。そのおかげで「応答すればするほど、私はより大きな責任を負う」、あるいは「隣人に対して責任を負いつつ、隣人に近づけば近づくほど、私は隣人から遠ざかる」のです」(50~51頁)。こうした問題の立て方の背景にあるのは、例えばこの論文の冒頭にある「安全」概念と「平和」概念の弁別というすぐれて実践的な課題への鵜飼の鋭敏な反応なのではないだろうか。鵜飼によれば、「安全」とは、「あらゆる可能な危険を否定し、排除し、ひいては破壊する」ことであるのに対し、「平和とは、不確定であるからこそ、いくつかの特定の危険なかで、というか、それと共同に生きることを、危険といっしょに生きることを知っている、ということ」(47頁)なのである。このことはさらに本書全体の序論「愚かさの寓話」のなかにある「愚かさ」の問題に帰着する。そこで鵜飼はブッシュに象徴されるような世界を明快に裁断する「賢人」たちの「愚かさ」に、思考が個体化するとともに分離してきた「無限低で未分化な奥底」(9頁)に引きずられるもう一つの「愚かさ」を対置する。この「愚かさ」はまさにデリダの言葉を借りれば「テレイオポエティックなもの」なのではないか。こうした「愚」の捉え方には同じ箇所で引かれている魯迅が色濃く影を落としている気がするが、本書の後半には竹内好の『魯迅』についての論考も収録されている。そこで鵜飼は、竹内の「彼〔魯迅〕の文章をよむときまって影のようなものにぶつかる」という言葉を引いた上で次のように言っている。「この「影」は(…)、あらゆる存在、あらゆる光がそこから生じてそこに消えてゆく暗黒であり深遠である」(287頁)。この「影」がもたらす決定不能性の境位――それはけっして相対主義につながるものでもないし逃避でもない。むしろ声高に白黒、善悪を断定する怠惰な決定論者たちへの果敢な抵抗、批判の拠り所と見るべきである。本書で鵜飼はまさにそうした営為の場を紡いでいるのだと思う。(2004.4)