「読者」の誕生 活字文化はどのように定着したか  : 香内三郎


 
 
 
  
香内三郎著(晶文社)
 
 
今月取り上げるのは、長く東大新聞研究所の教授としてすでに1960年代から日本のメディア・ジャーナリズム研究の第一線で活動を行ってきた香内三郎の浩瀚な新著(A5判・534頁・4200円・晶文社)である。たいへん読み応えのある雄篇といえよう。

                   

 16世紀から17世紀にかけてのルネサンスからバロックへの推移期――それは同時に初期近代市民社会形成期でもあった――は、メディア技術およびその流通形態が、あるいはその前提となる世界知覚および表象の構造が劇的に転換した時代であった。その中心に位置しているのが、グーテンベルクによる活版印刷技術の発明であることはいうまでもないが、変化の要素はそれだけにはとどまらない。ガリレイの望遠鏡の発明に代表されるレンズ技術の発展、デカルトを嚆矢とする世界を幾何学と代数学の方法を通じて数量的に形式化する数学的方法の創設、経験知をカノンとする実験的自然学の方法の展開などの近代自然科学の形成に基礎づけられた世界認識の方法の急速な発展もまたそうした劇的な転換と無関係ではない。また一見こうした科学の世界と無縁に見える、今日ならばオカルトサイエンスに分類されるであろうような錬金術、占星術などの世界、さらにそうした世界の基底をなしているアリストテレス主義やプラトン主義における自然・存在観のあり様、あるいはその変容などもじつはこの問題に深く関わってくる。このような幅広い問題の射程を含む初期近代のメディア・世界知覚=表象の構造転換に関しては、これまでも数多くの研究・考察が行われてきた。その中心に位置してきたのがM・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』(邦訳 みすず書房)であることはいうまでもない。

 

だがメディアの問題そのものは取り上げてはいなくても、例えばM・フーコーの『言葉と物』の、とくに第二章と第三章におけるルネサンスから17世紀「古典時代」にかけての世界像の変遷をめぐる考察、科学史家であるA・コイレの『有限宇宙から無限宇宙へ』やF・イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノと魔術的伝統』などにおけるプラトン主義と近代科学の錯綜した関係をめぐる研究、さらには今や古典的とも言えるあのE・カッシーラーの『シンボル形式の哲学』や『認識問題』における神話的思考や象徴-記号操作の哲学的・思想史的研究、そしてそのカッシーラーと因縁浅からぬ関係にあったヴァールブルク研究所から生まれたF・ザクスルの『シンボルの遺産』や『視覚芸術の意味』『イコノロジー研究』におけるイコノロジー(図像解釈学)の方法の創始によって知られるE・パノフスキーの研究――この系譜はウィーンで生まれたM・ドヴォルジャックやA・リーグルらによる精神史的美術史学の潮流、あるいはフランスのG・バシュラールやA・フォションらの仕事とも共振しながら、A・ゴンブリッチ、E・ヴィント、J・セズネック、P・フランカステル、A・シャステルなどに代表される20世紀人文科学の精華といってよい綜合人間科学としての美術史学の土台を形づくった――などもまた、すべて直接間接にこの問題と関連づけて考えることが出来る。

 

ここでこの問題を考える上で機軸となるモティーフについて、本書と同じ晶文社からかつて刊行されたアーサー・ラヴジョイの古典的名著『存在の大いなる連鎖』(内藤健二訳)のプロブレマティクを参考にしながら考えてみよう。この本における筆者ラヴジョイの視点は、第二講の冒頭に引かれたホワイトヘッドの有名な言葉「ヨーロッパの哲学的伝統の歴史を一番無難に総体的に特徴づければそれはプラトンにつけられた一連の脚注であるということだ」によって示されている。すなわち「存在の大いなる連鎖」というプラトンに由来する基本観念の様々なヴァリエーションとしてヨーロッパ精神史をトータルに描き出すというのがラヴジョイの本書に基本構想である。このときラヴジョイが「存在の大いなる連鎖」という基本観念を抽き出す上で根拠としているのは、プラトンの最後の大著『ティマイオス』において展開されている宇宙創成論(コスモゴーニア)の構想あったラヴジョイはその核心を次のように言っている。「「最も善き魂」〔イデアもしくはその担い手としての造物主デミウルゴス〕はおよそ存在し得るには決して存在の与え惜しみはせず「すべてのものができるだけ自分に似ることを望んだ」」。宇宙=世界がこのように創成されたとするならば、そこからはプラトン、より正確にはその後の歴史的展開・変様を含む意味でのプラトン主義の宇宙=世界観に関して、まったく相反する二つの解釈が可能になる。問題の核心はここにある。

                  

もしイデア(デミウルゴス)という「最も善き魂」の全能性に着目するならば、この宇宙=世界の存在の本質は挙げてこの全能なイデアの絶対性に還元されるはずである。実際通常のイデア主義的なプラトン解釈は基本的にこのラインに即して行われる。このことを少し視点をずらして考えるならばこうなる。すなわち宇宙=世界の生成においては、イデア(=造物主)という目に見えない本質とそれを可視化=表象化する被造物としての宇宙=世界という、ちょうど言語、あるいは記号における「意味するもの」と「意味されるもの」の二重性と同一の構造がそこには現出している。そしてその二重性の構造において絶対的優位に立つのは「意味されるもの」の側である。それは言い換えれば、言語=記号の発現構造においてはつねに「意味するもの」が「意味されるもの」へと解消されるということである。これは、例えばはデリダがプラトン以来のヨーロッパ形而上学について「音声中心主義」という言葉で呼んだ内面の声の絶対的な直接性の優位という事態――間接的な媒体(メディア)の徹底的な忌避――や、ユダヤ=キリスト教・イスラム教の伝統に根強く残る「偶像(=図像)禁止」の発想の根底にあるイデア的な超越性の構図の原基をなすものである。間接性や図像性を堕落として捉え、常に透明な直接性として現出する絶対的なイデアを志向する思考はたしかにプラトンの宇宙創成論に由来しているといえる。

 

だがじつは全く反対の解釈も可能なのである。もう一度先に引用したラヴジョイの文章を見てほしい。そこでは「最も善き魂」が「存在の与え惜しみをせず」といわれている。これこそが後にプロティノスらのネオプラトニズムにおける「流出説」の発端となった「充満の論理」(ラヴジョイ)の原基に他ならない。ラヴジョイの「存在の大いなる連鎖」という概念もこれに由来する。この論理に従うならば宇宙=世界はイデアの完全無欠な似像であることになる。即ちイデア(意味されるもの)は余すところなく宇宙=世界(意味するもの)へと転化され、そのうちに充満しているのである。とするならばプラトンの宇宙創成論は、先ほどとは逆に「意味されるもの」(本質)が「意味するもの」(現象)に還元される論理として解釈されうることになる。これが神話言語や象徴表現によって開示される言語=記号表象の世界の構造を指し示していることは言を俟たない。あるいはこういう言い方も出来るだろう、前者は「声」の直接性・透明性に依拠する思考であるのに対して、後者は「文字(記号=図像)」の間接性・媒介性に依拠する思考であると。さらには前者が偶像破壊主義(イコノクラスム)であり、後者が図像=イメージ的思考であるともいえるだろう。そしてこのプラトンの相反する二つの解釈のあいだには、二つの極のそれぞれの契機・要素を含みながら現実の言語=記号表現として具体化される上での多様な形態が、メディアのあり方までも含めて存在するのである。修辞学、トポス論、弁論術などがそれにあたるが、占星術や音楽、骨相学なども実はその形態の一部と見なすことができる。

                

近代という時代の始まりは、このような文脈から見るならば大筋として偶像破壊主義へと推移してゆく過程と見ることが出来るだろう。例えば数学的方法はその典型である。この意味で香内が本書を「イコン」「イメージ」論争から始めたのは極めて示唆的であるといえよう。とくにM・ウェーバーをまつまでもなくヨーロッパの近代化に大きく寄与したと考えられるピューリタニズム(プロテスタンティズム)が偶像破壊主義の立場に立ってイコン=イメージによる表象を激しく攻撃したことは――もちろんプロテスタント内部でも差はあるにせよ――大いに納得のいくところである。

ただ歴史はそんなに単線的には進行しない。本書の最大のポイントは、初期近代の活字文化を中心とする広義の意味でのメディアの構造やその流通形態が極めて輻輳していることを、ときには歴史が後戻りしたり先取りされたりしながら進行することを、とくに17世紀ピューリタン革命のさなかのイギリスを例にとりながら極めて詳細に跡づけたところにある。例えば近代的なテクスト読解がどのように成立したのかという問題に関して、聖書解釈のあり様かたアプローチした〔Ⅰ〕の2章はたいへん興味深かった。というのも「字義通りの読み」という通常近代的な「読み方」の典型とみなされている読みの形態が、むしろ譬喩(メタファー)を介した読みによってはじめて可能になってゆくことが明らかにされているからである。あるいは「手書き」と「活字」の関係についても、一直線に活字へいってしまうのではなく、ある局面では活字が優位に立ち、ある局面では依然として手書きの方が有効であるというような状況があったことを香内は指摘している。

 
香内は本書の基本モティーフを「はじめに」の冒頭で次のように言っている。「「視覚文化(“visual culture”)と「活字文化」(“printed culture”)との関係を探る一環として、ホイジンガがのいう中世末の「シンボル的思考」から近代にかけての移行過程、またそのなかでピュ―リタニズムと一緒に出現してくる、新様式の「読み方」形成について、若干のコメントをしておきたい・・・」(14頁)。この言から読みとれる興味深いポイントは、香内が「シンボル的思考」、つまり図像=イメージ的思考のプロセスに関心を払っている点である。ルネサンスとバロックが図像=イメージ的思考の最後の輝きの時代であったこと、このステップを通ることなしに、あるいはそれと同時並行的な進行過程を経ることなしに近代のイコノクラスム文化は決して始まらなかったことに、香内も強い関心を抱いていることが窺える。あまり触れることが出来なくなってしまったが、本書のもう一つの重要な貢献は「読み方」の分析を通して初期近代の読者共同体の構造を明らかにしようとしたことである。このことはハーバーマスの「文芸的公共性」の概念を俟つまでもなく初期近代市民社会の歴史を探る上で重要なポイントとなる。(2005.6) 

思惟の記憶 ハイデガーとアドルノについての試論 : アレクサンダー・ガルシア・デュットマン


 
 
 
 
 
 
アレクサンダー・ガルシア・デュットマン 著・大竹弘二 訳(月曜社)
 
 
 
『友愛と敵対 絶対的なものの政治学』によって注目をあびた若き俊英ガルシア・デュットマンの著書『思惟の記憶』(A5判・340頁・4800円・月曜社)がこのたび刊行された。本書はデュットマンのフランクフルト大学に提出された博士論文であり、その意味では彼のその後の仕事にとっての出発点に位置する処女作ともいうべき著作である。  

デュットマンは前著『敵対と友愛』において、カール・シュミットが政治空間の実定性を決定づける最大の要因として導入した「敵対」という線分を内在的に脱構築し、それを通じて晩年のデリダの重要な主題であった「友愛の政治」の可能条件の解明へと向かおうとした。その際にポイントとなったのは、「敵対」という線分のうちにはじつは内部=此岸としての敵と外部=彼岸としての敵とのあいだの決定不能な二重性が孕まれており、敵と味方という一見極めて明瞭な対立の図式が、敵(外部)もまた自己自身(内部)でもありうるという形で脱構築されざるをえなくなるという事態であった。このことは、敵は同時に友でもありうるという「敵」概念の決定不能性(両義性)につながってゆく。
 

このようにデュットマンの思考には両義性への強い志向が看てとれる。それは、ある種の弁証法的思考と言い換えてもよい。ただしそこでの弁証法の意味を、ヘーゲル的な全体性(合一)への回収運動と捉えてはならない。なぜなら今見たようにデュットマンが弁証法の本質的契機として見出そうとしているのは、弁証法の進行過程のそのつどの局面にはつねに不可避的な形で決定不能性の契機が付随しているという事態だからである。この決定不能性は、具体的には弁証法的思考がつねにある種の過剰性、余剰性を産出し続けるという事態と言い換えてもよいだろう。というのもヘーゲルに典型的なように、弁証法的思考は一面において自らの同一性の形式を通してすべての要素を完全に自己の全体性のうちへと回収しようとしながらも、その一方で、例えばヘーゲル自身の『精神現象学』や『法の哲学』などのテクストからも読み取れるように、その回収過程において必ず回収しきれずに残ってしまう何ものか、言い換えれば全体性からはみ出してしまう何ものかを産み出してしまうからである。後に改めて触れることになるが、このことは『精神現象学』や『法の哲学』が、理念=思考と社会的現実が出会う場としての「歴史」をその根本的な主題としていることと深く関わっている。弁証法的思考とはある意味で一個の遂行的な矛盾に他ならない。つまりすべてを余さず同一化し透明化しようとする志向に貫かれている思考の運動それ自体が、同時に自らの内部からそうした同一化=透明化から逸脱する過剰性、余剰性を産み出してしまうという矛盾こそが弁証法的思考の本質なのである。そしてそうした矛盾は思考の運動過程がつねに歴史という場においてしか成立しえず、思考それ自体として歴史化されざるをえないところから生じている。
 

こうした弁証法的思考の遂行矛盾的な本質をもっとも根源的な形で捉えようとしたのがアドルノの『否定弁証法』に他ならなかったのだが、ここで留意すべきなのは、この「否定弁証法」という概念がたんに方法概念としてのみあるのではなく、それもまたある種の歴史概念、より正確にいえば歴史と思考の交差する場所に関する認識をめぐる概念でもあるということである。その意味で「否定弁証法」の概念は、思考そのものが歴史化される場の解明を必然的に前提とせざるをえない。アドルノがホルクハイマーとともに亡命期に執筆した『啓蒙の弁証法』はまさに「主体性の根源史」という形でそうした歴史化の場を解明しようとした著作に他ならなかった。その意味でアドルノの「否定弁証法」の概念は「啓蒙の弁証法」という概念を起点としており、この「啓蒙の弁証法」という概念によって定位された思考と歴史の相関構造との深い関連のもとにおいて成立しているのである。本書の第一部である「罪責(債務)」という表題を持つアドルノ論は、この「啓蒙の弁証法」から「否定弁証法」へと至るアドルノの弁証法的思考の要諦を明らかにしようとしている。
 

タイトルからも明らかなように、デュットマンがここでアドルノの思考の本質的契機として見出そうとしているのは「罪責(債務)Schuld」という概念である。「思考が何ものかに債務[罪責]を負い続けるということは、いかにありうるのだろうか?」(23頁)。この思考が弁証法的思考であるとすれば、すでに触れたように思考はつねに自らの内側から遂行矛盾的に、思考の同一性を喰い破り逸脱する過剰なものを産出し続ける。逆にいえば、ある思考の実定性、つまり静止し確定した形を取る思考形式は、つねにそこからはみ出す過剰なものによって規定されるということである。だがここで私たちは、この「自ら産み出す」という言い方に対して慎重にならなければならない。ほんとうにこの過剰なものは思考が自ら産み出すものなのだろうか?
 

すでに見てきたように、デュットマンは「敵」が内部のものであると同時に外部に属するものであることを指摘している。このことを思考における過剰なものに当てはめるならば、過剰なものは思考の内部から産み出されるものであると同時に外部に属するもの、より正確にいうならば外部から到来するものでもありうることになる。このことを時系列的に捉え返すならば、過剰なものとは思考が自ら「ここ-今」という現在性において産み出すものであると同時に、思考の生成に先行しつつ思考の外部にすでに存在し、そこから思考に向かって到来するもの、言い換えれば思考の生成を促す先行的な根源、起源でもあるということである。この現在性と先行性を同時に孕む両義的性格こそが思考と過剰なものの関係の要諦となるのである。『啓蒙の弁証法』にそくしていうならばこのことは、『啓蒙の弁証法』の基本テーゼである「(1)神話はすでに啓蒙である。(2)啓蒙は神話へと回帰する」において定式化されている歴史の構図の問題として捉え返される。歴史の場において「啓蒙」へと帰結する思考は、思考自体が産み出す過剰なものであると同時に思考に先行する根源、起源でもある「神話」との絡み合いのうちへと常に回帰するのである。この絡み合いが「債務(罪責)」の本質に他ならない。

 
  こうした「債務(罪責)」は、一方において暗鬱な「罪責連関」(ベンヤミン)へと帰着する。「神話的暴力は「罪を負わせると同時に贖わせる」のである。この罪責は、罪責連関のなかに原罪として刻みこまれているものである」(32頁)。この罪責連関において、思考は運命の虜となる。それは、神話のもとにおける法の支配への従属(罪とその贖いの連鎖=反復)を意味している。ここで過剰なものは怖るべき原罪の強制力である運命として個々人の生にのしかかってくるのである。「この取り違え〔法と正義の取り違え〕は、啓蒙が法の姿をとって神話の循環をつねに何度も復元することに基づいているのであり、これによって啓蒙はそもそも自らを啓蒙であると主張できるようになるのだ。思考の罪責とは、思考が債務の思考として形成されているということである」(39頁)。暗鬱な罪責連関は啓蒙としての思考自体を根源的に規定づけている。あのオデュッセウスの帰還の物語が示しているように――この物語を、アドルノは神話から啓蒙への移行のアレゴリーとして捉えた――、狡知と犠牲=代理の論理を通して神話を出し抜いた啓蒙は、自らが過剰なものを支配しえたと自認する瞬間に当の過剰なものそれ自体と化してしまうのである。それは具体的には啓蒙が等価交換の原理に従属することを意味する。神話を犠牲の論理によって出し抜くことは、もうひとつの神話的暴力としての交換原理の支配の手に落ちることに他ならない。ここに思考と過剰なものの現在性と先行性の絡み合いの逆説の本質が現れる。それは啓蒙と神話とのあいだの循環的な反復に他ならない。
 

ではこの暗鬱な罪責連関の脱出口は存在しないのだろうか?ここで過剰なもののより深い規定としての「名」の問題が浮上してくる。より正確に言えば、「名」と「概念」の関係を通して見えてくる概念的なものと非概念的なものの両義的関係としての「言語」の問題である。
 「名」によって示唆されているのは、ベンヤミンの「神話的」と「神的」の区別を踏まえるならば、神話的なもの(罪責連関)の根底に横たわる、いわば神話的ものを喰い破ろうとする神的なものの契機である。それは「無規定な直接性」(65頁)として、あらゆる罪責連関を免れる「幸福(帰還)」の約束の根源的な条件でもある。もちろん「名」は「名づけ(概念化)」に転じる瞬間、そうした「幸福」の約束を反古にする。つまり弁証法的な両義性を停止させてしまう。「名」自体もまた両義的であるのだ。にもかかわらずこの「名」の両義性にしか罪責連関からの解放の可能性は存在しない。そして「否定弁証法」があの有名な「非概念的なもの〔名〕を概念的に思考すること」という定義に従うとするならば、つまり過剰なものと概念の均衡状態のあいだの静止しえない両義的関係のうちにつねに立ち続けることを意味するとするならば――これが、「否定弁証法」の要諦としての「限定的な否定(die bestimmte Negation)」の行使に他ならない――、それは罪責連関の反復に中断=中間休止(Zäsur)」をもたらす言語、言い換えれば非同一性としての言語を通してのみ可能となるのである。そうした言語のあり方を示唆しているのが、ヘルダーリンの詩をめぐってアドルノが用いた「パラタクシス(並列)」という特異な概念に他ならない。「アドルノによれば、この中間休止をひき起こすのは「パラタクシス〔並列〕」という形式である。諸々の言語のうちにある多数性を統一として平板化する「述定的主張」や「堅固な判断形式」を断念することで、「言語の物語的契機」へ視線が向けられることになる。この契機は「思想のもとへの包摂から自ずと逃れてゆく」」(73頁)。そして罪責連関の反復に中断をもたらすという課題は同時にアドルノのなかで「アウシュヴィッツ以降」という倫理的色彩を帯びた歴史認識の課題へとつながってゆく。

                 
 アドルノをめぐる議論に紙数を費やしすぎて第二部の「創設」と題されたハイデガー論に触れる余裕がほとんどなくなってしまった。ただハイデガーもまた「名」の単独性と固有性失われようとする危機の中で、ちょうどアドルノの「アウシュヴィッツ」に呼応するように「ゲルマーニエン」という「名」において反復の中断=原初への回帰としての「創設」を問題にしようとしたこと、この点でハイデガーとアドルノのあいだにある種の共通性が見出されることを指摘しておこう。もちろんそこから生じた歴史内部における二人の帰趨には大きな落差が存在するのだが。大変に難解な著作だが実に多くの示唆と触発を含んだ好著である。訳者の労苦に感謝したい。(2009.9

チベット真実の時Q&A : フレデリック・ルノワール



 




 
フレデリック・ルノワール 著・神田順子 訳(二玄社)
 

 
 
私事になるが、20083月ウィーンとプラハに一週間ほど旅行をした。310日の夕刻ウィーンに到着し中心部のグラーベンにあるホテルに入ると、同行していた娘とともにホテルから散策へと出た。ウィーン一の繁華街ケルントナー通りを歩いていたとき、国立歌劇場の方から歌声が聞こえてきた。大勢の人間がいっしょに歌っているらしい。耳を傾けるとその歌は明らかに日本の追分などに似た東洋風の旋律だった。不思議に思い娘とともに足を速めて国立歌劇場の前へ来ると、黄色い縁取りに旭日を描いた旗を打ち振る僧服姿の東洋人の集団が歌を歌いながら集会を開いていた。一目見てチベット人の集団であることが分かった。ウィーンはヨーロッパにおける自由チベット運動の拠点のひとつで、かつてウィーンに一年間滞在していた折りにもしばしばチベット人たちに出会っていたからだ。それにしてもなぜ今ここでチベット人たちの集会が開かれているのだろうか?その意味が分かったのは二日後新聞を見たときだった。310日チベット現地で中国の支配に抗議する大規模な民衆蜂起が起こっていたのである。310日は1959年に中国支配に抵抗するチベット民衆の蜂起が起こった日であった。ウィーンのチベット人たちはおそらく現地と連携を取りながらこの日集会を持ったのだろう。その後このチベットにおける蜂起が北京オリンピック聖火リレーに対する世界各地での激しい妨害活動を始め、中国に対する非難と抗議の嵐を巻き起こしたことは周知の通りである。

 
 いったいチベット問題とは何だろうか。欧米の世論が中国のチベットにおける人権侵害、とくに信教の自由の侵害を声高に非難し、チベットの事実上の独立を認めるよう中国に対して迫る一方で、中国はチベットを中国固有の領土であると主張し、自由チベットの指導者ダライラマを最悪の分裂主義者と非難している。まったく噛みあわないこの二つの主張のあいだでチベット問題の真実は宙吊りにされてしまっているように思える。そんな中、『現代思想』が20087月増刊号で「チベット騒乱」という特集を行った。早速目を通してみると、ポストコロニアリズムに立脚しつつ新たな世界政治への視点を打ち出しつつある優れた政治学者土佐弘之の、明らかに竹内好の「方法としてのアジア」を踏まえて書かれた論文「方法としてのチベット」の中に次のような一節があった。「チベット問題を通して、<西/東>の擬似弁証法的運動を追ってみたとき、浮かび上がってくるのは竹内の「方法としてのアジア」が見落としている重要な問題点である。それは、オリエントと名指されている者の内部における<中心/周辺>についての問題、より踏み込んで言えば、<主体化/排除項>の問題についての注意の欠落である」(『現代思想』20087月臨時増刊号 31頁)。

 
 竹内好は「方法としてのアジア」において周知のように、アジア・太平洋戦争の持つアジア侵略戦争としての意味と欧米諸列強のアジアに対する帝国主義的侵略への対抗としての意味を腑分けした上で、後者の意味の延長線上に「西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する」という、真の意味で自律的なアジア固有の近代化の可能性を見通すという問題意識を展開した。竹内がこのときこうした可能性の主体として想定していたのが中国であったことはいうまでもない。だがこうした竹内の問題意識にはある視点欠落が含まれていると土佐はいうのだ。そのポイントとなるのが「<西/東>の擬似弁証法的運動」に他ならない。

 
 チベット問題にそくしていうと、「西」、すなわち欧米諸国が人権や信教の自由の普遍性を掲げて中国を非難するとき、その非難にはかつて欧米諸国が中国に対して帝国主義的侵略を行い自らそうした普遍性を踏みにじった過去への反省が欠落している。しかもそうした中国への侵略の地政的拠点としてチベットが利用されようとしたという事実も見落とされている。この限りで欧米諸国の中国への非難は本質的な意味で正当性を欠いている。では「東」である中国の側からの欧米諸国への反発の方はどうか。なるほど欧米諸国の過去への視点を欠いた中国批判への反批判という点では一定の正当性が認められるかもしれない。しかし中国がその周辺地域(マイノリティ)であるチベットに対して行っている暴圧的な支配政策はそのことによって正当化されるわけではない。そのあたりの事情はアジア・太平洋戦争における日本帝国主義の中国・アジア地域侵略の犯罪性と重なり合う。しかし問題はそこに留まらないのだ。というのも中国の反批判の背景には二重の意味で論理のねじれが含まれているからである。一つは中国のチベット支配が「西」が作り上げた国民国家-ナショナリズムの論理に基づいて行われ正当化されていることである。ということは、チベットが中国固有の領土であるという中国の欧米諸国への反批判が批判している当の欧米諸国の論理に根ざしているということを意味する。このことは第二の、より根本的なねじれを生み出す。それは、現在の市場経済にのっとった発展主義に示されているように、中国の近代化が、竹内の「方法としてのアジア」における問題意識とはまったく逆に、「西洋によって東洋が包み直される」ということを、つまりアジアの近代化の固有性・自律性の根拠が最終的に失われ、アジアが完全に「西」の論理に呑みこまれるという事態を意味しているからである。つまりチベット問題をめぐる欧米諸国と中国の対立は、その表面的な激しさとは裏腹に、グローバル資本主義(近代世界システム)の論理において「対立の止揚」へと到りついてしまうのである。土佐のいう「擬似弁証法的運動」が指し示しているのはこうした事態に他ならない。
 

 だとすればチベット問題において真に問われなければならないのは、かつてアウシュヴィッツの死者たちがそうであったように、あるいはアジア・太平洋戦争が生み出した戦時性暴力の犠牲者である従軍慰安婦の女性たちがそうであるように、さらにはパレスティナや沖縄がそうであるように、そうした「擬似弁証法的運動」のメカニズムの下でその存在を不可視化されてしまっている「マイノリティ=サバルタン」としてのチベット民衆自身であるといわねばならないだろう。国家やナショナリズム、市場等々のグローバルなシステム論理が疎外し、いわば<周辺化>してしまったチベット民衆の真の意味での自律性の在り処こそが問い直されねばならないのである。

                    

 残念ながら日本においてはこうしたチベット問題の本質を考える上で参考になる本は少ない。そうした中でこのたびフランス人ジャーナリスト、フレデリック・ルノワールの著書『チベット真実の時QA』(B6判・239頁・1600円・二玄社)が刊行された。著者であるルノワールは、ダライ・ラマの亡命地であり自由チベット運動の拠点であるインド北部のダラムサラを何度か訪問し、ダライ・ラマとも何回かにわたって直接対話を行っており、そうした知見に基づくチベットへの内在的な理解を踏まえた、単純な「西」の論理に基づく中国糾弾に終わらないチベット問題についての考察を本書において示している。と同時に「Q」とそれに対する「A」という形式を取りながら、チベットについての知識を持たない読者でも興味深く読むことが出来る工夫も施されている。

 
 ルノワールは、本書においてまず「伝統的なチベット」とは何かから入ってゆく。いうまでもないことだが、この「伝統的なチベット」がチベットの固有性・自律性の前提となる。同時にここでルノワールは、チベットと中国の違いという問題にも言及する。というより、後論との関連でいえば「伝統的なチベット」がいかに中国と異なるのかということの弁証が本書の論旨の一つの核になっているのである。ルノワールが捉えるチベットと中国の違いのポイントは宗教である。チベットにはもともとその高地という特異な自然環境と深く結びついたボン教と呼ばれるシャーマニスティックな土俗宗教が存在した。その後8世紀に当時のチベット王が唐とネパールから王妃を迎えたことがきっかけになって仏教が移入される。チベット仏教は大乗の系統に属するが、中国や朝鮮、日本とは異なる固有性を保持しつつチベットの国教として受け継がれていった。そして17世紀にゲルク派という宗派を背景にダライ・ラマを指導者に戴く神権国家体制が成立し現在に至るのである。ルノワールは、慎重にオリエンタリズムに基づいたチベットの神秘的宗教性の礼賛という立場を避けながら、このような歴史を持つチベットの宗教性の核心を、死後の世界への志向、あるいは死と生のあいだの「転生」という結びつきなどに現れている現世超越性に求める。それに対して中国の宗教性の本質はそうした超越性の否定としての世俗性に求められる。端的にいえばそれは宗教性の否定といってよい。その典型的な現われが、ルノワールが現在の共産党支配体制に至るまで中国の精神的支柱として機能し続けていると見なしている儒教である。したがって「伝統的なチベット」と中国は文化的には完全に異質な関係にあることになる。

 

続く章においてルノワールは中国のチベット支配の歴史的経緯と問題点、そしてチベット支配に執着し続ける中国の意図がどこにあるのかを考察する。ここでチベット問題のも
う一つの重要なポイントが浮上する。それは、中国がチベット支配の正統性の根拠として持ち出す「中国は封建支配のもとにあったチベットを解放し近代化への道筋をつけた」という主張の持つ問題性である。まさにこれこそが先ほど言及した「擬似弁証法的運動」に他ならない。この「近代化」の論理が、中国による伝統的なチベット社会や文化の大規模な破壊を生み、漢族とチベット民族の経済格差を生み出したのである。とはいえもしこうした中国の擬似弁証法的論理に対抗しようとして無媒介な伝統的なチベット礼賛に陥るとき――欧米諸国に根強いチベット崇拝の基底にあるのはこれである――、ルノワールが本書の最終章で詳細に検証しているようなチベット・オリエンタリズムというもう一つの「擬似弁証法的運動」の罠にはまってしまう。繰り返しになるが、チベット問題においてこうした二つの「擬似弁証法的運動」のぶつかり合いにのみ目を奪われてしまうとき、真の解放の主体であるべきチベット民衆の存在が不可視化されてしまうのである。必要なのは、近代化とオリエンタリズムの擬似弁証法的な循環に対しても、あるいはジジェクが指摘するように(上述『現代思想』参照)真のチベット・デモクラシーの実現にとっての最大の障害でしかないダライ・ラマを頂点とする神権政治体制に対しても、根源的な「(ノン)」を突きつける本来の意味でのチベット「革命」なのだグローバリゼーションの中で深刻化する「南/北」の対立をいわば同型的に再生産する中国内部の「中心(北京)/周辺(チベット・ウィグル)」の対立をいかなる擬似弁証法にも委ねることなく「革命」へと押し上げていかねばならない。それが竹内の目指した「西欧に対するアジアの自立」の真の実現につながるはずだからだ。別な言い方をすれば、それがかつて魯迅の夢見た中国=アジアにおける真の「民主」、「<民>の自立」の実現に他ならないのだ。類書の少ない日本において多くの学ぶべき内容を含んだ本書のような優れた著作が刊行されたことは意義深いが、「ダライ・ラマの叡智」を問題解決の手がかりとしようとする点だけには違和感を覚えたことを率直に記しておきたい。2009.4

モーツァルトとオペラの政治学 : 三宅新三


 
 
 
 
 
 
三宅新三 著(青弓社)
 
 
 
 
 
20112月ひさしぶりにウィーンの国立歌劇場で「フィガロの結婚」を見ながら、モーツァルトのオペラに接するとき感じるからだ全体が律動感に満ちた陶酔へと誘われるような感覚はいったいどこからくるのだろうかと考えた。そこには覚醒と陶酔の両犠牲がつねに危うい形で隣合せになっているような気がする。おそらくそれは、モーツァルトというオペラに関する空前絶後の天才にのみ実現し得た奇跡的ともいうべき境地なのだろう。ただそうしたモーツァルトのオペラの境地の淵源をモーツァルト個人の天才にのみ帰着させるのは間違いである。「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」を俟つまでもなく、モーツァルトのオペラには時代や社会との生々しいまでの対決の痕跡がいたるところで見出せるからだ。今そうしたモーツァルトのオペラの性格をモーツァルトのなかの政治的要素と考えるならば、モーツァルトのオペラは音楽的であると同時に強く政治的でもあるということになる。モーツァルトのオペラのポリティクス―、これはモーツァルトのオペラの世界を解読するうえで重要な視点となるのではないだろうか。そんな折三宅新三の新著『モーツァルトとオペラの政治学」(B6判・246頁・2000円・青弓社)が刊行された。さっそく読み始めたところモーツァルトのオペラに漠然と感じてきた政治的要素に様々な角度から光があてられており裨益されるところ大だった。本書でも引用されているスラヴォイ・ジジェクとムラデン・トラーのとびっきり挑発的な著書『オペラは二度死ぬ』(邦訳青土社)や、あの水林章の驚くべき名著『≪フィガロの結婚≫解読』(みすず書房)及び『ドン・ジュアンの埋葬』(山川出版社)などによって示されてきたモーツァルト・オペラの政治的解読の成果を受け継ぐ好著といってよいだろう(それにしても本書で水林の業績への言及がないのは理解に苦しむ)。

                 
 本書で三宅はモーツァルトのオペラ作品を年代順に取り上げ基本的には作品分析を通してモーツァルトのポリティクスを浮かび上がらせようとする。

 まずモーツァルトの数少ないオペラ・セリアの代表作といってよい「イドメネオ」である。ホメーロスが描いたトロイア戦争が題材となっているこのオペラは、例えばゲーテの「タウリスのイフィゲーニエ」(グルックがオペラ化している)などとともにギリシア古典をカノンとする古典主義的美学にのっとったオペラ・セリアの典型とみなすことも出来る。だが三宅はモーツァルトがザルツブルクを出奔する直前に書かれたこの作品のなかに早くもオペラ・セリアの規範的枠組みを打破しようとするモーツァルトの政治性を見ようとする。
 ここで三宅が指摘しているのは、オペラ・セリアの規範と宮廷社会の規範の重なりが「イドメネオ」においてはふたつの方向から打ち破られようとしていることである。ひとつはオペラ・セリアにおいて通常あまり用いられる重唱(アンサンブル)が用いられていることである。このアンサンブルの多用はその後の「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」にも見出されるモーツァルトのオペラの重要な特性である。

 アンサンブルの多用には音楽的なだけにとどまらない政治的意味が込められている。三宅はつぎのようにいっている。「モーツァルトのアンサンブルでは、登場人物それぞれが特殊性を持ち続けながら、全体的調和を維持する共同体が形成されている。それは、ひとりひとりの自立的な人間が同じ地平に対等に立つ近代市民社会の比喩であり、神と人間、君主と臣下のあいだに垂直的関係を築くオペラ・セリアには本来異質であるアンサンブルを、モーツァルトは『イドメネオ』のなかに積極的に導入している」(24頁)。近代市民社会の比喩としてのアンサンブルにはおそらく調和だけでなく矛盾や対立を含んだダイナミックな「交通=交換」の要素が含まれているはずである。交通=交換における異質なもの・対立するものどうしの異化結合もまたモーツァルトのアンサンブルの意味になるのではないだろうか。

 さて二点目は今述べたことと深く関連するのだが「イドメネオ」における直截的な感情表現の問題である。三宅はそれを登場人物のひとりであるエレットラ(エレクトラ)に見出す。アッティカ悲劇の中心ともいうべきアイスキュロスの「オレステイア」三部作に登場するエレットラは父アガメムノーンを殺した母クリュタイムネストーラとその愛人アイギストゥスを弟オレステスとともに殺戮する苛烈極まりない女性だった。「イドメネオ」におけるエレットラの存在が示唆しているのは、モーツァルトにおける一見階調に満ちた古典的な形式美の深層に横たわるエロスとタナトスの不定形なエネルギーではないだろうか。それはおそらくブリジット・ブローフィらが指摘してきたモーツァルトにおける神話的な下意識の所在につながるであろう。

 こうして三宅はモーツァルトの諸作品を、とくに登場人物の特性分析を中心にすえながら丹念に解読してゆく。「後宮からの逃走」では、市民的恋愛の規範としての「愛と結婚の一致」(56頁)が称揚される一方、トルコの太守セリムという「高貴な野蛮人」の人物像に同時代の啓蒙主義のなかから生まれたオリエンタリズムの様相が刻印される。ここでも社会的規範や身分秩序とエロス的原理としての愛と結婚の一致が真っ向からぶつかり合うのである。

 
   では「フィガロ」と「ドン・ジョヴァンニ」はどうだろうか。「コシ・ファン・トゥッテ」を含むダ・ポンテが台本を書いたこのいわゆる「ダ・ポンテ三部作」こそはモーツァルトのオペラの真髄を伝える作品群だが、そこからはモーツァルトのオペラのポリティクスという観点からも注目すべき問題が浮かび上がってくる。まず「フィガロ」でいえばさきほど触れた「愛と結婚の一致」という市民的恋愛の規範がアルマヴィーヴァ伯爵に象徴される貴族社会の結婚規範と真っ向から対立する。さながら社会ドラマのようにこの対立は「フィガロ」のドラマトゥルギーを突き動かす駆動因となるのである。ただしここで三宅に分析に一点疑問を呈しておきたい。それは、この対立のうちにいつつ対立を超えこのドラマを神話的次元へと導く役割を担うケルビーノ、「フィガロ」というオペラの真の主人公といってよいケルビーノに対する分析が行われていないことである。それはおそらくダ・ポンテ三部作の根底をなしているモーツァルトの両性具有的な神話性(エロスの究極にあるもの)への三宅の感度の鈍さから来ている。ゲーテが『親和力』において示した神話的構想力の問題と「コシ」の関わりも含め、そこには先ほど言及したジャンル逸脱的な交通=交換の次元(アルレッキーノ=コロンビーヌ的逸脱)に根ざす神話的表象の問題がからんでいる。水林が犀利な分析によって示したドン・ジョヴァンニの性格と絶対王政下における貨幣=商品交通の全面化の類似・重なりという問題もある。このあたりについては三宅のもう少し踏み込んだ分析と認識が欲しかったと思う。

 さて最後はいうまでもなく「皇帝ティートの慈悲」と「魔笛(魔法の笛)」である。モーツァルト最後のセリアである「ティート」について論じた章に、三宅は文字通り「オペラ・セリアの終焉」というタイトルを付している。ドラマの大団円において王の慈悲が示され秩序が予定調和的に回復されるというセリアの常套的成り行きが、このオペラではむしろそうした秩序から自立し解放された諸個人(市民)のエロスによる解決に道をゆずのである。

  「魔笛」においてまず問われねばならないのは、このオペラがシカネーダーの依頼によって成立した非宮廷オペラだということである。「魔笛」は文字通り最初の市民オペラというべき作品である。ここでもモーツァルトは彼のオペラ=ドラマに通底している対立するものの異化結合の手法を縦横無尽に展開している。加えて本オペラにおいてはそれまでにオペラの歴史のなかで形づくられてきた多様な音楽語法が使われている。おもちゃ箱をひっくり返したような混乱まがいの状況のなかからほとんど奇跡ともいえるような至純な音楽の響きが伝わってくるところに「魔笛」という作品を聴く楽しみがあるのだが、ではそこからポリティカルな意味を引き出すとすればそれはどのようなものだろうか。

  それは一言で言えば、すでにジャコバン主義への血塗られた道を歩み始めていた近代市民社会のイデオロギーとしての啓蒙主義への批判に他ならない。表面的な善悪を度外視するならばこのオペラにおいて「悪」の権化を演じているのは啓蒙主義の偶像であるザラストロである。ザラストロにまつわる女性蔑視や排他的姿勢は啓蒙が近代市民社会の実定性へと受肉されたとき生じた男性中心的な国民=主体のリゴリスティックな排他性とぴったり重なるのだ。それはモーツァルトの両性具有的な神話的感受性が終生嫌い抜いたものに他ならなかった。ややうがった見方になるかもしれないがザラストロの姿にはモーツァルトをザルツブルクから追放した啓蒙専制君主ヒェロニムス・フォン・コロレドの像が投影されているのではないだろうか。あるいは兄ヨーゼフと違ってモーツァルトを冷遇した皇帝レオポルド一世の姿も。

 ところで問題なのはこのザラストロの対角線上に位置するのが誰かということである。それこそが「魔笛」の真の主人公に他ならない。ちょうど「フィガロ」の真の主人公がケルビーノであるように。「魔笛」においてケルビーノの位置を占めるのはいうまでもなくパパゲーノである(『ユリイカ』「モーツァルト」特集号1991年の拙論参照)。パパゲーノはザラストロと夜の女王の対立、言い換えれば「理性」と「エロス」、「啓蒙」と「神話」、「男性」と「女性」などの対立項をすべて脱臼させ無効にさせるトリックスター、神話的始源児としてのモーツァルトの自画像そのものである。モーツァルトの風貌をケルビーノとパパゲーノから探り当てられないようなモーツァルト解釈はすべて無意味である。
 本書における三宅の議論は、十分にそのことに気づいていながらモーツァルトの神話性を掘り下げられなかった憾みが残る気がする。とはいえ本書がモーツァルトのオペラのポリティクスを探ろうとする上で極めて有益な好著であることは間違いない。(2011.7)

シリーズ・哲学のエッセンス スピノザ : 上野 修



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上野 修 著(NHK出版)
 
 
 
 
 
 
 
 
このNHK出版の「シリーズ・哲学のエッセンス」もすでに20冊を超えた。約100頁というコンパクトな分量の中で、それぞれの著者が、たんなる解説や概論では終わらない個性に富んだ問題意識を提示し展開しているこのシリーズは、岩波書店の「思考のフロンティア」シリーズとともに、現在もっとも触発的な議論に会える場の一つといってよいだろう。そのシリーズの最新刊が上野修による『スピノザ』(B6版・107頁・1000円・NHK出版)である。

  一読して感じられたのは、本書における上野のスピノザへのアプローチのユニークさである。それはこのシリーズの中でも抜きん出ているように思われる。上野は本書でスピノザの『神学・政治論』だけを扱っている。本書とは別に『スピノザの世界―神あるいは自然』(講談社現代新書)を最近公刊しているとはいえ、本書にはスピノザの主著である『エチカ』をめぐる議論はまったく登場しない。つまり本書で上野は事実上スピノザの思想全体に対する見通しをあらかじめ放棄したところから議論を始めているのである。これはどういうことか。

 昨今のスピノザへの関心の高まりは今さらいうまでもないことであろう。だがスピノザが何を考えていたのか、いや、より正確に言えば、スピノザはそもそも何を問題にしようとしていたのか、ということ、つまりスピノザのプロブレマティクということなのだが、それに関してどれほど理解が、とりわけわが国において深まったといえるだろうか。この点に関してスピノザは依然として極めて難解な思想家であるといわねばならない。この難解さがどこから来るのか、じつはスピノザの思想について考えようとするときこの問いこそがまず最初に踏まえられねばならない。そしてそこから出発してスピノザの思想へアプローチしようとするとき、少なくとも私にとっては、その難解さの本質的な部分が『神学・政治論』というテクストに由来しているように思われる。 

 主著『エチカ』執筆を中断して書き上げたこの『神学・政治論』全篇を貫いているのは、本書執筆の2年後に起こるスピノザの最大の庇護者ヤン・デ・ウィットの虐殺をまるで予感していたかのようなある種の深刻な危機意識である。例えばそれは、『神学・政治論』の序文にある次のような言葉に現れている。「私は知っている。敬虔の名の下に心に抱かれた諸々の偏見は精神のうちにきわめて頑固に固着しているということを、また民衆から迷信を取り去ることは恐れを取り去ることと同等に不可能であること、そして民衆のかわらなさは頑迷さであって理性の導きなどおかまいなく、ものごとを衝動のままに賞賛したり非難したりするということも知っている。ゆえに、民衆ならびに民衆とともにこうした感情にとらわれている人々にはだれもこの本を読んでもらいたいと私は思わない」(本書21頁より引用)。

ここから読み取れるのは、スピノザの、むしろ絶望といったほうがよいような危機意識の深さである。そしてその核心にあるのは、スピノザの思想の根幹をなすといってよい「民衆」への絶望感に他ならない。この民衆への絶望とディスコミュニケーションの意識の延長線上に見えてくるのは、信仰と理性の激しい葛藤に彩られたヨーロッパ最初の共和国オランダの当時の状況であり、さらにはそれを通して浮かび上がってくる「正しさ」――信仰上のものであれ、政治上のものであれ――の基準、尺度の深刻なぶれである。いや、ぶれという言い方は正確さを欠くかもしれない。それはむしろ基準や尺度をめぐる決定不能性、ないしは原因や要因から一義的な結果(決定)を導く根拠づけの論理に潜む本質的なパラドクスというべきかもしれない。しかもそれはスピノザの中で、民衆の存在こそが「正しさ」の絶対的基盤であるという認識と決して矛盾しないのだ。「正しさ」の基準としての民衆存在と、それを裏切る現実の民衆存在のあいだのずれ・分裂――、スピノザのいう「偏見」「頑迷さ」とは、この分裂を強いる決定不能性・パラドクスを決して認識しようとしない、いやそれどころかそうした決定不能性やパラドクスを認識することそのものを信仰や理性への敵対行為として無視・排除しようとするような態度を意味している。スピノザの絶望的な危機意識は当時のオランダにおけるこうした態度の跋扈に由来している。
                 

上野が『神学・政治論』というテクストにおいて徹底的に読み抜こうとするのは、スピノザのこうした「正しさ」の決定不能性、パラドクスに関する認識のかたちであり意味である。上野のスピノザへのアプローチが群を抜いてユニークなのは、そうした『神学・政治論』の読み方がこれまでほとんど――とくにわが国では――なされてこなかったからであり、さらにはそうしたアプローチによって『神学・政治論』という、内容の次元よりもむしろ読解に向けたスタンスや入射角の次元において異様な難解さを帯びてしまうテクストへの入り口が初めて見えてくるからである。ついでにいえば、この上野のアプローチによって私たちは、現在のスピノザ読解にもっとも決定的な影響を与えたドゥルーズのスピノザ解釈への、あるいはそこから導かれるドゥルーズの思想の根幹への導路を得ることが出来る。というのもスピノザにおける「正しさ」の決定不能性・パラドクスの問題は、ドゥルーズがなぜ「固有性」ではなく「個体性」ないしは「特異性」を問題にしなければならなかったという問題と深く関わるからである。「正しさ」を一義的に、つまり無媒介な決定性において扱おうとする態度に「固有性」は依存しており、それを否定するかたちで、すなわち決定不能性・パラドクスにおいて「正しさ」の問題を扱おうとするとき「個体性」「特異性」という視点が現れてくるからである。

上野は、スピノザの同時代のオランダには「正しさ」の一義性を疑わない二つの立場があったことを指摘する。一つは、政治的には君主制の復活を志向する「総督派」と呼ばれる正統派の聖職者や神学者のグループである。彼らは、聖書に書かれた言葉を無条件の真理として受け入れることを主張する。すなわち聖書に現れる超自然的な奇蹟や恩寵をそのまま真理として丸ごと肯定することを求めるのである。したがって彼らにおいて真理は信仰に従属することになる。それに対して政治的には「共和派」に近い立場にあったデカルト派のグループは、聖書の真理を出来るだけ合理的に解釈しようとする。その背景にあるのは「神学と哲学の分離」という立場である。哲学が体現する理性にこそ聖書の真理は帰属するのであり、神学がつかさどる信仰は真理とは無関係であると彼らは主張するのである。この二つのグループの対立は哲学・神学論争にとどまらず、共和派の総帥であったウィットの虐殺に示されるように深刻な政治的対立をも惹起していたのだった。そしてその虐殺を実行したのは総督派の聖職者に使嗾された民衆だったのである。

共和国が体現する自由の本質的な担い手であるはずの民衆自身が、君主制を志向する総督派によって共和国への攻撃に駆り立てられてゆくという矛盾とそれがもたらした絶望感こそスピノザが『神学・政治論』を書いた最大の動機であったに違いない。と同時にもう一点見落としてはならないのは、そうした矛盾に対して「哲学と神学の分離」をいうデカルト派が決定的に無力であったこと、そして彼らがスピノザの問題意識に対して総督派に劣らず激しい攻撃を仕掛けているという事実である。裏返して言えば、スピノザは『神学・政治論』というテクストを通じて、総督派と共和派の、正統神学派とデカルト派の対立の外部に立とうとしていたのであり、外部に立つことによってこの両者の対立の基盤そのものを決定的に脱臼させようとしたのである。だからこそスピノザは、その対立に巻き込まれて「頑迷さ」のとりことなってしまっている民衆も含め、全オランダを敵に回してしまったのだった。
                  

ではスピノザはどうこの対立・矛盾の外に立とうとしたのか。上野は次のようにいう。「スピノザは問う。この最初の前提、聖書は全体が真理であるという盲目的な前提がそもそも間違っているのじゃないか」(36頁)。

スピノザにとって聖書は、数千年の長い歴史の中で異なる時代の異なる多くの人々によって集積されてきた伝承断片の「コーパス(資料体)」を意味していた。そのような聖書が、そのうちに様々な矛盾や欠陥を含んでいるのは当たり前なことではないか。それを無理やり首尾一貫した真理の体系として解釈することこそおかしな話ではないか。

ではもし聖書が真理の体系でないとすればどうなるのか。スピノザは主張する。「聖書は哲学的な事柄を教えているのではなくてただ敬虔だけを教えているのであり、また聖書の全内容は民衆の把握力、民衆の先入的意見に順応させられている」(本書40頁より引用)。

聖書が教えているのは「真理」ではなく「敬虔」である。これは何を意味するのか。ここから上野は本書におけるもっとも重要な創見を抽き出してゆく。聖書が敬虔だけを教えていること、裏返して言えば真理を教えているわけではないことは、別な角度から言えば、聖書において問われるべきなのが「語りの意味」、上野の言い方に従えば語りの「主張可能条件」であるということを意味する。そしてさらに言えば、聖書の中で語られたことが、なぜ「預言的確実性」を帯び得たかということこそが、聖書に対して問われるべき核心となるのである。そしてそこに「敬虔」が結びついてゆくのである。それを上野は次のように述べている。「自分の側に根拠のない、証明不可能で倫理的な確信、これ預言的確実性のすべてなのである。(……)預言者は自分の「正しいこと・よいことのみに向けられた心」を担保に、その心情を絶対的な他者の査定に委ねるようにしてでなければ、民の前でどんな確信も語れなかった。神は敬虔な者を欺かれるはずがない」(49頁)。

このようにして敬虔を通じた預言的確実性の、「正しさ」の真理条件から解放されたかたちでの、言い換えれば語りというかたちでの成立のうちに、スピノザは、民衆と神のあいだの、語りを通じたふれあいによって可能になる語の真の意味での「民主国家」のあり様を、そしてそれを基礎づける「敬虔の文法」を見通すのである。それが『神学・政治論』の核心に他ならない。だからこそ上野の、本書における議論の核心ともいうべき次のような叙述が、『神学・政治論』の読解として極めて重要な意味を持ってくる。「〔ヘブライの神政国家が失われた後の〕わがオランダ共和国では、聖書がなんと言おうと、何が正義で何が不正義か、何が敬虔で何が不敬虔かを決定する権限はまっさらな形で共和国の最高権力にある。だから、いまさら宗教的権威を持ち出して市民政府の決定に不敬虔だとかなんとか文句をつけるのは統治権を奪おうとすることであり、まさに敬虔の文法によって「反逆的な意見」といわねばならない」(7172頁)。
絶対的な「正しさ」は何も宗教だけの占有物ではない。哲学も国家も「正しさ」の怪物(リヴァイアサン)として宗教以上に危険な存在というべきである。「正しさ」が決定不能であることの中で「固有性」を絶えず解体しながら、民衆の/への語りの水位において現れる「敬虔」、すなわち絶えざるリゾーム状の変化のうちにある決定不能な特異性へと依拠する「倫理」だけが、「正しさ」の怪物性に対抗出来るのかもしれない。本書を読みながらそんな思いにかられた。2006.9


戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか : 伊東祐史






 
 
 
 伊東祐史 著(平凡社)
 
 
  
 
あらゆる社会意識には「抑圧されたものの回帰」が伴なう。そして抑圧されたものが回帰するとき、社会意識の表層にある自明性が脅かされ、「居心地の悪さ」が惹起される。日本の戦後社会もまた例外ではなかった。

日本の戦後社会は敗戦と占領とともに始まった。それは、戦後社会が建て前上は戦争を「悪」として一方的に断罪し、その戦争を引き起こした「戦前」をも否定しなければならないというカノンを作り出した。この点では保守派も左翼革新派もかわるところはない。とりあえずいえば保守派にとってこの「戦前」および戦争期と戦後の断絶を証明していたのは日米安保体制であった。これによって保守派は自立した日本国家の根拠を自ら放棄し暗黙の占領状態が続くことに同意したのであった。左翼革新派にとってその証となったのが日本国憲法であったことはいうまでもない。

だがこのカノンには奇妙なねじれが含まれており、しかもそのねじれを通して戦後社会が封印してきた抑圧されたものの回帰の所在を指し示すのである。それを象徴しているのが天皇制の問題に他ならない。保守派が日米安保体制を受け入れたのはそれが天皇制存続の条件だったからである。沖縄をアメリカに売り渡し日本全土を米軍基地として自由に使用させるという事実上の占領状態の継続を保守派が受け入れたのは、それが占領軍(アメリカ)の天皇制存続を認める唯一の条件だったからに他ならない。だがそうだとすればそこには奇妙なねじれが存在することになる。なぜなら天皇制は形式上日本社会が「戦前」から戦後へと連続していることの唯一の証だからである。左翼革新派が依拠する憲法にも奇妙なねじれが存在する。憲法の第一条から第八条までが規定している象徴天皇制の問題である。左翼革新派はこの象徴天皇制という形での天皇制の存続を認めた憲法を自らのよりどころとしているのである。ではなぜこのようなねじれが生じてしまうのか

保守派にとって天皇制の存続をかちとることは本音のレヴェルでは敗戦を認めないことの、言い換えれば「戦前」が戦後へと連続することの唯一の証だった。しかしそれは日米安保体制という代償抜きにはありえなかった。もはや保守派には再度の日米戦争を戦い抜き正面から「戦前」を取り戻すことは不可能だったからである。左翼革新派のほうはどうか。彼らは「戦前」に一度天皇制に全面敗北している。この敗北から左翼革新派が立ち直ることが出来たのは自らの力によってではなかった。敗戦と占領をもたらしたアメリカの力のおかげだった。そのアメリカが憲法によって天皇制の存続を認め日米安保体制を強いたとしても、左翼革新派には先験的にそれへ抵抗する力はなかった。逆にそれを自らの存立基盤にするというねじれを受け入れざるをえなかったのである。

日本の戦後社会において保守派も左翼革新派も、自らの本音の「義」を正面に立ててそのために戦う自立した力を持ち得なかった。そのため保守派も左翼革新派も究極のところで、自らの存在を自らが否定しようとしているところのものによって支えられるという逆説、ねじれにさらされ続けることになる。そしてこの逆説、ねじれが「抑圧されたものの回帰」を促すのである。では戦後社会に回帰してくる抑圧されたものとは何か。それは三つの相互に循環しあう要素からなる。ひとつは、戦争に負ける前の「正しい」日本国家の姿としての「戦前」である。ふたつ目は戦争の犠牲になった死者たちである。ただしこの死者は保守派にとっては靖国に祀られるべき「英霊」として、左翼革新派によっては無辜の犠牲者として認識される。さて三つ目は反米である。より端的にいえば敗れた戦争のリターンマッチとしての日米戦争である。ここでも保守派と左翼革新派は分岐する。保守派にとってそれは口にしてはならないタブーだった。アメリカに押しつけられた憲法を改正せよというスローガンを掲げるのがせいぜいだった。なるほど左翼革新派が公然と反米愛国を掲げたことがかつてあった。だがそれは日本の内部から出たというよりは冷戦下のソ連や中国の思惑、戦略にのっかって出てきた側面が強かった。しかも左翼革新派には反米がアメリカと天皇制を串刺しにして打倒する革命運動を通してしか実現されえないことへの自覚が欠落していた、その結果として上記の三つの抑圧されたものが回帰してきてもその行き場所はなかったのである。「戦前」はたんなるノスタルジーに堕し死者たちの処遇が定まることもなかった。とはいえそれらは執拗に回帰しながら戦後社会の基底から揺さぶり続けるのである。

このねじれ、逆説の根源にあるものとは何か。それは「転向」の問題である。保守派にとって転向は占領の受け入れとして現れた。そしてこの転向は戦後を通じて一貫して保守派を呪縛し続けたのである。安倍内閣がナショナリズムを正面に掲げ改憲を打ち出しながら脆くも崩壊したのは、ナショナリズム=改憲が必然的に日米安保体制と抵触し、ひいては戦後転向というタブー=パンドラの箱を開いてしまう危険に耐え得なかったからである。では左翼革新派はどうか。彼らの転向は二重であった。そこには戦前の「転向」と戦後の「再転向」という二回の転向がはらまれていたのだった。左翼革新派にとってもこの二度の転向体験はタブーだった。転向=再転向体験に触れることは左翼革新派の存立基盤を突き崩す結果を招くからである。このタブーに安住することを支えていたのが護憲の建て前に他ならない。だからこそ村山内閣において護憲、すなわち第九条死守のカノンに反して日米安保体制を認めたことが左翼革新派の中心であった総評=社会党体制の崩壊につながったのである。

 こうしたことから見えてくるのは日本の戦後社会における主体の壊乱状況である。戦後社会には語るにたる主体の存立状況が本質的に不在だったのである。そして絶えず回帰してくる抑圧されたものの影がこの主体の不在状況を脅かし続けてきたのである。なるほど高度成長はつかのまこの主体の壊乱と不在の状況を忘れさせてくれた。だがバブルの崩壊と冷戦の終焉が同時にやってきた90年代になって日本社会はふたたびこの危機的な状況に正面から向き合わざるをえなくなったのだった。

           
   その意味では戦後の意味を問い直そうとする加藤典洋の『敗戦後論』が90年代初頭に登場してきたのは必然的であったといわねばならない。論の当否は別に加藤がこの著作で上記のような日本の戦後社会のねじれを取りあげたことの意味は小さくない。したがって今回若い世代に属する伊東祐史がこの加藤の著作を手がかりにしながら戦後社会のねじれを問うべく、その著書『戦後論』(B6判・295頁・2600円・平凡社)を刊行したことに私は大きな関心をそそられ本書を読み始めたのだった。その結果私は今複雑な感慨にとらわれている。敗戦はおろか60年安保闘争も、いな60年代から70年代にかけての安保・沖縄・学園闘争さえもまったく知らない世代に属する伊東が敢然とこの難しい問題に取り組もうとした熱意と勇気にははばかることなく賞賛の意を伝えたいと思う。とはいえそのことは伊東の論そのものへの全面的賛意にはつながらない。残念ながらそこには致命的ともいえる錯誤や誤認が散見されるからである。

 まず指摘しておきたいのはやや逆説的に聞こえるかもしれないが伊東がこの著作における論の範囲を戦後に限定してしまっていることの問題である。すでに触れたように戦後社会のねじれの起源に位置していたのは主体の壊乱状況であり、それがもたらした主体の存立基盤の不在状況であった。そしてその真の起源は転向にあったのである。この転向において主体の当事者意識を超えたところで「戦前」と戦後はじつはすでに連続しているのである。転向を軸に見たとき問題なのはむしろこの無意識の連続性であって断絶は建て前にすぎなくなる。より精確に言えば、決して表立って口にしてはならない連続性がねじれた形で存在するからこそ建て前上は断絶が左右を問わない形で強調されねばならなかったのである。伊東は戦後のみを論の対象とすることによってこの転向問題を視野の外に置いてしまった。それによって伊東の論は前提において重大なずれをはらんでしまったのである。

 伊東は本書で、日本の戦後社会の最大の問題点が戦争を引き起こした「当事者意識」の欠落にあると主張する。「当事者意識」が欠落していたからこそねじれが生じたのだというのである。なるほど伊東が指摘するように日本の戦後社会には戦争を引き起こしたことに対する内在的な反省が欠落していた。それはあるいは「当事者意識」の欠如と形容される面を持っているかもしれない。だがこの問題の本質は決してそこにはないのだ。問題なのは保守派も左翼革新派も転向を経てすでに戦後の出発の時点でその存在の内部にねじれを抱えていたという事実である。私にとってふに落ちないのは、伊東が「当事者意識」という概念を持ち出すにあたってどうやら主体の連続性、持続性を素朴に信じているらしく思えることである。問題はまったく逆なのだ。ねじれが示しているのは戦後社会を根底から規定づけている主体の不可能性なのである。そしてその起源となっているのが転向問題なのだ。
 
このように見てくるとき、伊東が評価する伊丹万作や大岡昇平、吉田満についての見方も変わってこざるをえない。よく考えればわかるように彼らもまた隠れた転向者であった。一言で言えば彼らに共通しているのはモダニズム=リベラリズムからの転向という(トラウマ)である。そして彼らが誠実であったとすればそれはなにより彼ら自身のこの転向の傷に対して誠実であったということになるはずである。同じような問題は竹内好や吉本隆明の評価にも感じられる。一貫して伊東に見えていないのは、隠微な形で存在する「戦前」と戦後の連続性と一体的に結びついている左右を問わない転向体験の機微であったように思えてならない

おそらくそれは転向という問題を実感的に受けとめられる素地が80年代以降日本の社会から失われた結果なのだろうと思う。だが例えば丸山眞男のいう知識人の「悔恨共同体」が裏返して言えば転向者たちの傷の隠蔽のための 建て前上は反省のための 共同体であるということを、そして吉本が批判したのがなによりもこうした転向者たちの当事者意識の欠如とそこから生じたタブー、より精確に言えばタブーが生み出した思想的怠惰だったことを感じ取れる感性が戦後を論じる際には不可欠な要素なのではないだろうか。
繰り返しになるが若い世代に属する伊東がこの困難な問題にあえて取り組んだ姿勢には満腔の共感と賛意を覚える。だからこそ次作ではより本質的な洞察を示して欲しいと思う。(2011.3