占領と平和 :道場親信


道場親信 著 (青土社)



今月も、先月の香内三郎『「読者」の誕生』に引き続き、700頁を超える浩瀚な大著を取り上げることになった。道場親信の処女作『占領と平和』(A6判・720頁・4200円・青土社)である。
 道場は、1967年生まれのまだ30代に属する若き社会学者である。同じ世代には、すでに数多くの著作を公刊している酒井隆史や渋谷望、丸川哲史らがいるが、彼らが主として欧米・アジア地域を対象に、ポスト構造主義理論やポストコロニアル理論、あるいは社会学理論の先端的な成果などを駆使した犀利な議論を展開してきているのに対し、道場もまた酒井たちと同様に雑誌『現代思想』という先端的な場を舞台にしながらも、理論そのものというより、日本の戦後の歴史認識のあり様や構造に関する膨大な資料分析に裏打ちされた研究を行ってきた。そうした道場の論文が一見地味な印象を与えるにもかかわらず、じつは極めて刺激的な内容を含んでいることに『現代思想』の池上編集長をはじめてとして多くの読者が気づいていた。ただ酒井や渋谷たちに比してなぜか道場の場合、著作の刊行が遅れた。だがここにようやく一冊目の著作が、それもすでに触れたように700頁を超える大著というかたちで公刊されたのである。まずこれによって、道場のこれまでの仕事の全容があきらかになったといってよいだろう。そしてそれは道場の仕事が持つ重要な意味を広く社会に伝える力になるだろう。
                
道場の仕事の持つ意味は私たち日本人の戦後をめぐる歴史意識の根幹に関わってくる。周知のように今年は、日本が戦争に敗北した1945年からちょうど60年にあたる。あらためて60年前の戦争の意味について、あるいはその後の60年にわたる戦後日本の歴史について様々な議論がおきている。ただ、例えば従軍慰安婦問題が「記憶のポリティクス」にからめて論じられた10年前の戦後50年のときと比べ、議論の構造や構図がかなり大きく変化しているように感じられる。逆にいえば、そうした議論の構造や構図の変化が、戦後50年以降の10年の時間のなかでおこったことを照射しているということも出来るだろう。
 この10年日本は国家レヴェルにおいて、国旗・国歌法の制定、有事法制の整備、自衛隊海外派兵の敢行、9・11以降のアメリカの「帝国」的な武断主義戦略への積極的かつ全面的な加担などに明確に現れているように、戦後の歴史の中で形成され一定の枠組みとして機能してきた国家行動の制約条件――例えば「集団的自衛権」の否定――を次々にかなぐり捨ててネオ国家主義への道を歩んできた。そしてそれと呼応するかたちで登場してきたのが日本国憲法第9条を否定したいがためだけの改憲論議であり、扶桑社版歴史教科書に象徴される、過去の日本のアジアにおける戦争および侵略の責任を真っ向から否定し、むしろ逆に「東京裁判史観」あるいは「自虐史観」の否定というかたちでそれを正当化するような言説の横行であり、その総仕上げとしての首相靖国参拝である。靖国神社とは、過去の日本軍が犯した暴虐な侵略行為や集団殺戮を「自衛」の名において正当化し、それに加担した軍と戦没兵士を「神=英霊」として浄化し、かつ国民をその「神」への慰霊と崇拝を軸とした国家鎮魂共同体へと服属させる――「九段の母」!――近代国家神道の拠点に他ならない。そのことの象徴が東条英機以下のA級戦犯合祀である。その様な場所を日本国首相が参拝するのは、日本国家が敗戦国として第二次世界大戦の終結に際して受け入れた無条件降伏=敗戦の立場や侵略戦争の責任を問うた東京裁判の結果等々を全部否認すると内外に宣言することを意味する。そうした意味を持つ首相靖国参拝に対して、被侵略側であり「戦勝国」の側でもある中国と韓国が激しく反発し抗議するのはあまりにも当然なことであるといわねばならない。だがこの10年日本社会の内部では、この種のネオ国家主義(再国家ファシズム化への道)への批判と抵抗の力が確実に衰退してきている。小泉や石原への支持率が相変わらず下がらないことに現れているように、日本人はむしろそうしたネオ国家主義への傾斜を肯定し促進しているともいえる。ではなぜそうなるのか。

そのとき改めて浮かび上がってくるのは、日本の「戦後」が形成される過程のなかにインプットされた巨大な「忘却」装置の所在でありその機能である。この「忘却」装置を通して日本人は、「敗戦」を「終戦」と言いくるめたことに象徴されているように、第二次世界大戦でさえもひとつの、禍々しくはあるが一過的なエピソードとして「無害化」してしまった上で、「戦前」から「戦後」へとじつに滑らかかつ連続的なかたちで移行していったのである。そしてその移行を可能にするため、とりわけこの「忘却」装置の重要な標的となったのが、植民地帝国としての日本の過去と天皇制の問題だった。「平和と民主主義」の言説はこうした「忘却」にメッキされた外被にすぎない。この点でそうした言説を実体的に捉えた小熊英二の『民主と愛国』は誤りを犯している。                                                      少し前置きが長くなったが、道場の今回の著作が行おうとしているのは、まずアメリカの占領政策のもとでこの「忘却」装置がどのように機能し、その結果日本人がどのように戦後国家の秩序の中に滑り込んでいったかの検証である(本書第Ⅰ部参照)。その検証のために道場は一つの指標を立てる。それは、戦後の日本で流行した種々の日本(人)論のさきがけともいえるルース・ベネディクトの『菊と刀』である。
 道場によればこの本はニュートラルな意味での日本論一般ではない。敗戦後に日本を統治したアメリカ占領軍の占領政策の立案に深く関わるかたちで書かれた本なのである。つまり『菊と刀』は、総力戦として展開される20世紀の戦争のなかで、「科学動員」(63頁)の一環として、とりわけアメリカ軍の対日政策形成過程への学者・研究者の動員の過程において成立したのである。より具体的に言えば、すでにソ連との冷戦が開始されたさなかにあって、いかに円滑なかたちでアメリカの東アジア反共戦略の要となるべき日本の占領政策を推進するかという課題と『菊と刀』の主題はリンケージしていたということである。

その際に道場が着目するのは、ベネディクトの議論が極めて具体的な形で天皇の扱いに関する方針策定に関わっていたという事実である。ベネディクトは当時のアメリカ人類学の主流である「文化相対主義」の立場に立って日本文化固有の類型整理を行うのだが、そこでベネディクトによって再創造・再構成された日本文化の類型(伝統構造)が、具体的に「なぜ日本軍はさしたる抵抗もなく唯々諾々として武装解除と降伏に応じたのか」の説明原理となるのである。ベネディクトに拠ればそれを可能にしたのが天皇の存在に他ならない。
そしてもう一点ここでベネディクトの天皇観を通じてきわめて重大な認識が示される。それが「象徴としての天皇」という認識である。「天皇は責任ある国家の元首ではなく、日本国家の統合の象徴として役立つものであった」(本書115頁のベネディクトの引用)。この認識が最終的には、東京裁判のウェッブ裁判長に代表されるような、天皇の戦争責任を厳しく問おうとする強硬派の議論に対して、マッカーサー、キーナン検事、元駐日大使のグルーらに代表される天皇の戦争責任を不問に付そうとした穏健派の議論が勝利する根拠となる。日本統治は天皇なしには成功しない、なぜなら天皇は日本の国民統合の「象徴」だからだ――こうした議論が占領軍内部で行われていたことを、道場は精緻な資料分析にもとづいて明らかにするが、この天皇象徴論はいうまでもなくアメリカ統治下で制定された日本国憲法第1条の天皇規定にそのまま採用されることになる。ということは、日本国憲法における天皇の象徴規定は、憲法理念そのものからではなく、敗戦後のアメリカ軍の対日占領政策形成過程のなかから――そのなかに『菊と刀』も位置づけられる――出てきたものであるということになる。もちろんそれだけではない。道場も触れているように、日本側でも津田左右吉と和辻哲郎たちが、戦前から連続するかたちで天皇象徴論を展開しており、両者の相乗過程において象徴天皇制の設計原理が出来上がるのである――これは道場に尋ねたいのだが、戦後象徴天皇制のデザイン過程に小泉信三や入江相政は関わっていなかったのだろうか、あるいは先駆者としての西田幾多郎の役割はどうだったのだろうか――。
 
さてこの過程にもう一つ関わるのが、ある意味において道場が本書でもっとも論じたかったテーマであると思われる「第二次世界大戦や東アジアにおける植民地経験の意味をめぐるより根底的な考察」(14頁)の問題である。象徴天皇制は天皇という存在を通した日本の「国体」の連続性を担保した。この担保によって、戦後日本国家は戦前からの連続性の中で国家としての枠組みと原基を再確立できたのである。こうした象徴天皇制による日本国家(国体)の再確立に対応するのが、敗戦および占領とともに生じた「国土」の変容に関わるかたちでの日本国家の「再定義」「再構成」である。このことには主として二つの課題が対応する。一つは「在日朝鮮人・台湾人管理をはじめとする非「日本人」の隠蔽と管理、そして同化」(195頁)であり、もう一つは「沖縄の非日本化」(193頁)であった。この二つの課題の遂行を通して、かつ象徴天皇制の設計原理がそこにリンケージされることによって、例えば津田左右吉の議論に典型的に現れているような、「単一民族国家」という「他者なき日本」の原型的イメージが出来上がったのである――これに関して道場が発掘した資料『司法研究報告書第二輯第三号 日本に存在する非日本人の法律上の地位』はたいへん貴重で興味深い――。

天皇制が近代の産物であり、日本古来の伝統と称される様々な事柄がごく近い過去に創られた=捏造されたものに過ぎないという事実と、そこに込められた極めて政治的な文脈について、道場の本はあらためて教えてくれた。冒頭で触れた今の日本社会の状況が、じつは巨大な「忘却」装置としての「戦後」が作り出した様々な言説や自己認識によって、より正確に言えばその饒舌さの核心に潜む空白と不在によって形作られていることをあらためて感じる。本書には第Ⅱ部で論じらている「「冷戦体制」というシステムに対する反システム運動としての運動経験をつなぐ作業」(15頁)というもう一つの大きなテーマがあるが、それについて論じる紙幅が尽きてしまった。この第Ⅱ部の課題が、第Ⅰ部における憲法問題に深く関わる形で提示されていることだけを指摘しておこう。いずれにせよ本書は戦後60年の節目に出たもっとも重要な成果と断言して差し支えないと思う。(2005.7)

私の好きな演奏家 / マエストロ 第1巻  :渡辺和彦/ヘレナ・マテオプーロス








 「私の好きな演奏家」  渡辺和彦 著(河出書房新社)

「マエストロ 第1巻」 ヘレナ・マテオプーロス 著・石原俊 訳(アルファベータ)



8月も終わろうとしているが、この季節になると6年前オーストリアに住んでいた頃行ったザルツブルク音楽祭のことを思い出す。モーツァルトの生誕地として名高いザルツブルクでは毎夏7月から8月にかけて、ホーフマンスタールの象徴劇『イェーダーマン』を皮切りに数多くのコンサート、オペラ、演劇公演が行われる。これがヨーロッパ最大の音楽祭であるザルツブルク音楽祭である――この音楽祭はホーフマンスタールの発案で始まった――。私は初めてこの音楽祭を観に8月の終わり、友人のYとともにウィーンからやってきたのだった。ザルツブルクは夢のように可愛らしく美しい町だった。歩いているだけで甘美な陶酔感がつのってくるような街の雰囲気に魅惑されながら、私たちはお目当てである音楽祭の演奏会場に毎日向かったものだった。

このとき私が観たのは、オペラではモーツァルトの『後宮からの誘拐』、ベートーヴェンの『フィデリオ』、ヴァーグナーの『パルジファル』、ヴァイル/ブレヒトの『マハゴニー市の興亡』、メシアンの『アシジの聖フランチェスコ』の5本、それからリッカルド・シャイーの指揮するアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラーの交響曲第5番の演奏会だった。なかでも強く印象に残っているのはヴァーグナーとメシアンとマーラーである。『パルジファル』は演奏会形式で上演され、タイトルロールをプラシド・ドミンゴが歌った――1995年のバイロイトでドミンゴのパルジファルは一度聴いている――。それにクンドリー役がヴァルトラウト・マイヤー、ヴァシーリー・ゲオルギーエフ指揮のウィーン・フィルといった顔ぶれであった。この演奏会で記憶に残っているのは、ゲオルギーエフの指揮ぶりとそこから紡ぎだされる音楽の独特な性格である。奇妙な格好でからだをくねらせながら指揮棒を持たない手の指を駆使して行われるゲオルギーエフの指揮からは、ふつう私たちがイメージするヴァーグナー、とくにクナッパーツブッシュやクリュイタンス、ブーレースの指揮でおなじみの『パルジファル』の音楽とは極めて異質な、細部が顕微鏡で拡大されたような印象を感じる粘着質でマニエリスティックな音楽が現出する。音楽の全体が見えてくる代わりに個々の細部があるニュアンスを帯びながら際立つのである。それは違和感を禁じえない演奏ではあったがけっして否定的なものではなかった。一方『アシジの聖フランチェスコ』を指揮したのは日系アメリカ人のケント・ナガノ、オーケストラは彼が常任を務めるイギリスのハルレ管弦楽団だった。このおそらくオペラ史上最長の約5時間の演奏時間を要するオペラ上演にあたってナガノが示した音楽の全体構造と流れを精確かつ透明に把握する能力の高さは、初演以来難役中の難役であるタイトルロールを歌い続けているベルギー生まれのバリトン、ヨセ・ファン・ダムの歌唱とともに特筆すべきものであった。フェルゼンライトシューレでの上演が終ったときもう11時をまわっていたが観客の拍手はいつまでも鳴り止まなかった。さてもう一つ、マーラーの演奏会だが、これは1年あまりいたヨーロッパで体験した最上の音楽、最上の演奏であったといってよいだろう。じつはシャイーとコンセルトヘボウのマーラー「5番」の演奏はその年の5月のウィーン芸術週間でも聴いていた。ちなみにこの年の芸術週間の目玉はオーケストラ競演で、地元のウィーン・フィル、ウィーン交響楽団の他、ベルリン・フィル(クラウディオ・アバード指揮)、バイエルン放送交響楽団(ロリン・マゼール指揮)とコンセルトヘボウが参加した。そしてこれらのオーケストラのなかでナンバーワンがコンセルトヘボウであった。厚みと透明性を兼ね備えた弦楽パートのソノリティ、昔から名人芸で知られた木管、金管の光彩陸離たる演奏――中でも凄かったのはトランペットのトップとホルンだった――がかもすオーケストラの響きを土台に、シャイーはマーラーのなかでもとりわけ多様な楽想と音響を持つ5番をこの上もなく明晰に、しかし優雅な官能性を込めて造型し抜いたのである。マゼールがバイエルンとやったシューマンの1番も、アバードがベルリンとやったマーラーの3番も優れた演奏だったが、シャイーとコンセルトヘボウには及ばなかった。その演奏を3ヶ月後にふたたびザルツブルクでも聴いたのであるが、驚いたことに、音響的にはウィーンのムジークフェラインザールに劣るはずの祝祭劇場での演奏のほうが一段とよかったのである。友人のYも同じ感想を洩らした。恐らくこの日の演奏でシャイーたちは、明晰さや構造的な透明性――それはケント・ナガノにもあった――と、演奏という一回的行為がもたらすラプソディックな感興や思いもかけない細部の表現の面白さ――それはゲオルギーエフにあった――のあいだの奇蹟的ともいえる調和を実現したのだ。それは本当にめったにないことである――私自身は今から30年前カール・ベームがウィーン・フィルといっしょにやったシューベルトの7番と8番のときにそれを経験したきりである――。だが演奏という音楽にとって不可欠でありながら作曲行為やその具体的表現としての総譜に比べ十分な形で考察されているとはいえない、というよりも浅薄な印象批評に委ねられがちな演奏という行為の持つ意味を考えるとき、こうした経験は重要な手がかりになるはずである。
               
こんなことを考え始めたのも今月2冊の演奏をめぐる著作に出会ったからだ。一冊目は渡辺和彦の新著『私の好きな演奏家』(235頁・1600円・河出書房新社)である。あらかじめ断っておくが渡辺は大学のときの同級生で友人である。だが本書はそうした個人的事情を超えて書評に値すると私は信じる。渡辺は長年第一線でレコード批評や演奏会批評に関わってきた現場の批評家である。そして彼は処女作『クラシック辛口ノート』(洋泉社)以来愚直なくらい演奏批評にこだわってきた。それはとくに渡辺の得意とする弦楽器演奏の批評の分野で顕著である。恐らく現在日本で渡辺ほど総譜にまで遡って音楽を検討しながら演奏そのものについての厳密な批評を試みようとしている批評家はいないのではないだろうか。例えば本書のなかのチェリスト論(Ⅰ参照)を見てみよう。渡辺の批評の特徴のひとつは演奏家本人への豊富なインタビューの内容が踏まえられていることなのだが、ここでは現代を代表するヤーノシュ・シュタルケルから引き出した興味深い話をもとに、やや神話化されたきらいのあるロストロポーヴィッチへの「辛口」の批評や、人気ナンバーワンといってよいヨーヨー・マへの温かみに満ちた、しかし厳格な批評が展開されている。日本の音楽批評に楽譜の引用というスタイルを最初に導入したのは周知のように吉田秀和だが、渡辺は譜そのものは引用しないにせよ、私たちが日頃何気なく聞いている演奏の元になる総譜の版の厳密な比較校訂作業をも行いながら演奏の本質に迫ろうとする。といって渡辺はいわゆる原典忠実派ではない。古楽器ブームのいかがわしさへの批判や、忘れ去られようとする往年の「巨匠」たちの演奏への賛嘆――とくに指揮者のピエール・モントゥ論とオイゲン・ヨッフム論には感銘を受けた――などは、渡辺がそのつどの時代に相応しい演奏を通して音楽の喜びをじつに素直なかたちで享受していることを、そしてそれをこそ追求していることをよく示している。演奏というのは一回一回が消えてゆくたまゆらの営みに他ならないが、しかし音楽はそれを通してしか音楽にはならないのだ。そしてその指針となるのが総譜の語る音楽の客観的構造とそれを解釈する演奏家の人間性に他ならない。それらはときには相反する要素になるが、優れた演奏家であればあるほど矛盾する要素の奇蹟的な一致が可能となるのである。日本できちんと評価されることの少ないマゼールについての渡辺の「演奏という行為が・・・再創造でもあることを実感させる」(217頁)という言葉は、ウィーンで何度となくマゼールの実演に触れ感動した立場からおもわず膝を叩きたくなるくらい共感を覚えた。「再創造」の瞬間こそ総譜の客観性と演奏家の人間性が一つになる瞬間なのだ。

そんななか現代における再創造芸術としての演奏の喜びを私たち教えてくれた数少ない一人である指揮者のカルロス・クライバーが7月13日に亡くなった。目の前が真っ暗になるような衝撃と、ややおくれて悲しみが襲ってきた。LDで観た『バラの騎士』における指揮姿、92年か3年のニューイヤーコンサートでの指揮姿などが脳裏をよぎる。クライバーの演奏にはまさに全ての要素が息づきながら奇蹟のように音楽の全体を際立たせる瞬間が存在した。それはいわゆる「巨匠」の条件に他ならない。そのあたりの事情を巨匠たちとの対話をもとに明らかにしたのがヘレナ・マテオプーロスの『マエストロ第1巻』(A5判・312頁・2200円・アルファベータ)である。カラヤン、ベーム、クライバー、バーンスタイン、ブーレーズ、ラトルを取り上げた本巻でとりわけ興味深かったのは冒頭のカラヤンの章である。ほとんど全篇カラヤンとマテオプーロスとの対話になっているこの章を読むと、指揮という演奏芸術の秘密が内側から実によく分かる。些かカラヤンに都合のいい形に話がまとめら過ぎている感はするが、この章を読むだけでも本書を読むかいがあるだろう。それにしてもクライバーの章を読むと、晩年ほとんど指揮をしなくなってしまった彼の謎めいた行動、生活の奥に潜む秘密、すなわちマテオプーロスが「彼はあまりに自己を卑下し、自分の演奏にけして満足しない完ぺき主義者」(15960頁)と描いている彼の心の深奥が覗けて、私の目はまたぼおっと霞んでしまうのだった。(2004.9

<主体>の世界遍歴(ユリシーズ)Ⅰ  八千年の人類文明はどこへ行くか  :いいだ もも






いいだ もも 著(藤原書店)

本書が家へ送付されてきたのは昨年の11月の終わりか12月の初めだったと思う。包みを開けてみてたまげた。今回取り上げるⅠ(A5判・883頁・8400円・藤原書店)だけで800頁を越えており、続巻であるⅡ、Ⅲをあわせると全巻で2655頁の超弩級の大冊なのである。今年80歳を迎えるという年齢に加え最近は病気がちだと聞いていたので、ももさん――あえてここだけは、いつもの呼び方を使わせてもらいたい(以下は敬称略)――がこのような大部の著作を完成させたということに衝撃に似た畏敬の念を禁じえなかった。

さて本書の書評を行おう、絶対やらねばならないと決意は固めたのだが、この2600頁を越える大冊を詳細に読みきった上で全体を書評するには下手をすれば1年くらいかかりそうな気がした。そこで著者であるいいだに対する無礼を承知で、今回はⅠだけを、それも正確にいうとそのⅠ部の、ウィットゲンシュタインとメルロ=ポンティを対比的に扱った部分のみを中心にして――もっともこの部分だけでも6600頁を優に越えている――書評を行うこととした。寛恕あらんことを!

さて本書におけるいいだの基本視座は、次のような文章から読みとれる。「グローバルな現代資本主義世界システム=パクス・アメリカーナ世界秩序にたいするそのような根底からの批判的分析と主体的変革がなされなければ、チョムスキーが警鐘を乱打しているごとく、この地球上でこれまで10万年を閲してきた人類の自己開発による自滅避けられないといわなければならない」(20頁)。
 いいだを本書執筆へと駆り立てたのは、「911」以降顕在化したアメリカ=グローバル「帝国」支配体制による野蛮きわまる軍事・治安プレゼンスのもとで、あるいはそのイデオロギー的裏づけとしてのネオ自由主義=市場原理主義による世界の徹底的な分断と差別化の進行のもとで、人類のみならず地球環境総体が崩壊と湮滅の危機にさらされているという人類=地球文明史的な次元での強い危機感である。逆に言えば、人類⇔地球という相互関係を視野に入れ、その複合的かつトータルな様相・構造・システム全体を歴史的に踏まえたかたちで「批判的分析と主体的変革」を遂行することが、今必須の課題となっているという認識が、いいだを突き動かしているのである。
 この問題意識は、マルクス没後のマルクス主義者たることを自認するいいだの思考にとって重要な鍵となる弁証法の捉え方にも関わってくる。いいだは次のようにいう。「人間の歴史は、わたしのいわゆる階層性の弁証法によって貫かれている。地球上に共在・共存ずる自然史と人間社会史とが階層を成して(天・地・人三才の徳)重層的に相渉っているばかりではなく、そこにおいて下位の階層体系(システム)は自己自身だけの自己完結的・内閉的システム内においては自己解決が不可能な自己矛盾を必ず抱えこんでおり、そのような内部矛盾は階層より上位に立つ階層体系(システム)からのアトラクターの導入によってはじめてその矛盾性を解決しうるのである」(41頁)。
 この弁証法理解は、従来あったエンゲルス流の自然弁証法とルカーチ流の主体的弁証法の対立を止揚しようとするものである。それは、客観=対象と主観=主体が分離的に成立する場のより手前にあって「自己創発的・自己言及的構造」(同)のもとに現出する、しかも歴史的に規定されている存在と意味の生成の場にそくして、弁証法を「歴史をして世界から世界へとつねに普遍的・体系的統一を保ちつつ動態的(ダイナミック)に自己革新をとげてゆく」(同)ところの、「ロゴス」と「プラグマ」の統合論理として打ち出してゆくという視点につながる。この視座は、同時に自然科学的認識と人文・社会科学的認識、あるいは西洋と東洋のあいだにあった壁を毀し、両者を自在に往還する本書におけるいいだの叙述スタイルの基底をもなしている。
                *
さてこうした歴史のダイナミズム・動態性と主体的変革の課題とを結び付けつつ、人類八千年の歴史を閲しようとする本書の壮大な企図にとって、そのとば口に位置するのが、私たちの同時代性の根源としての20世紀が帯びていた時代性をあらためて問い直すという課題である。そしてその課題の中心的なモティーフとして、いいだが抽出するのが、「言語論的転回」の概念に他ならない。本書における議論は、やや大げさに言えば、この「言語論的転回」という概念、あるいはそれによってもたらされた歴史的な事態を、この概念が通常依拠する言語学的・記号論的・論理学的文脈だけに限定することなく、表象対実体、論理形式対経験内容、認識論的アプローチ対存在論的アプローチ、顕在言語対潜在言語等々の二項対立の枠組みから思い切って解き放ち、歴史そのもののダイナミズムのなかで先ほど言及した主体的変革の方向性へとつなげてゆくという課題の周りを一貫して巡歴しているとさえいえるだろう。そしてその巡歴の過程でたえず基本的な参照点となるのが、すでに述べたウィトゲンシュタイントメルロ=ポンティという20世紀を代表する二人の思想家の残した仕事に他ならない。

その内容について検討する前に、もう二点だけ本書におけるいいだの叙述の特徴について言及しておこう。一点目は、いいだの、勝義の意味での啓蒙主義者としての姿勢、立場である。いいだは、これまでもつねに危機的な状況にある私たちの世界について、とりわけ社会主義イデオロギーと運動が少なくとも失墜したかに見える状況について語る際にも、いい意味での向日性を失うことは決してなかった。そのことは本書の叙述にも当てはまる。そしてそれが、本書におけるいいだの啓蒙主義者としての立場につながるのである。例えば、カントの啓蒙理念をめぐっていいだは次のように語っている。「わたしの立場は、いぜんとして、「敢えて賢こけれ!(……)」「自分自身の悟性を使用する勇気をもて!」を啓蒙(Aufklärung)の標語としたイマニュエル・カントの『啓蒙とは何か、という問いに対する答え』1784年)の批判的文脈の延長線上にある」(417頁)。蒙を啓き、それを通して歴史を前へとポジティヴに進めんとする姿勢へのいいだのゆるぎない確信が、ここから読み取れよう。

二点目は、途方もない博識を駆使して繰り出されるいいだの一種の「饒舌体」ともいえる叙述文体についてである。この文体はおそらく、『斥候よ夜はまだ長きや』(1961年)でデビューした作家いいだももの文学的位置と関わる。端的にいうなら、やや先ほど述べたことと矛盾するように聞こえるかもしれないが、先行する第一次戦後派の文学者たちに共通して見られた戦後啓蒙への楽観的な信頼、より端的にいえば「理性的なものへの信頼」に対して距離を置こうとした「第三の新人」の文学的位置といいだのそれが重なるということである。それが本書に引き付けていえば、感性的な次元とも結びつく実践的な要素・契機を重視しようとするいいだの立場とつながっている。その戦略として、一見脱線気味ともいえる調子で古今東西のあらゆる分野を遊弋しながら展開する、講談調ともいえるような饒舌体が用いられているように思う。その限りではいいだは、むしろ「仮装せる啓蒙主義者」というべきなのかもしれない。
               *
さてウィトゲンシュタインとメルロ=ポンティの対比に関していいだは次のようにいう。「ウィトゲンシュタインの言語批判を介する「論理的原子論」「言語ゲーム」の独我論的極北化による主客の共滅、それに対するに、メルロ・ポンティの同じく言語批判を介する<見えないもの(潜勢)>の<見えるもの(顕勢)>としての現前化、といった形で、およそ正反対な対照的なものであるが、その問い方は――ともに反哲学であるから、現代思想と呼んだ方がより適切であるかもしれないが――いずれも言語批判を媒介にした哲学的問いであって、要するに、きわめて先駆的に尖鋭な20世紀初頭以来の言語論的転回(ルビ略)を先駆け、そのターンを深く潜っているのである。それが現象学以来のかれらのヨーロッパ現代哲学の探究を、現代世界にとって普遍的な主題たらしめてきた思想方法的根拠にほかならないのだ」(1012頁)。

この前提を踏まえて展開される議論において特徴的なのは、いいだのウィトゲンシュタインに対する辛辣とさえいえるような厳しい評価である。いいだによれば、ウィトゲンシュタインは、たしかに「言語論的転回」を通して旧い形而上学的哲学に引導は渡したかもしれないが、そのとき同時に言語=論理に対応する経験世界までをも消滅させてしまったのである(Ⅰ部第二章Ⅰ参照)。その結果世界はどこまで言っても経験に出会うことのない不毛な論理原子の集合体にすぎなくなる。この点は、前期の論理原子論から一種の経験主義へ転じたといわれる後期ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論にも当てはまるといいだはいう。ここには、いいだの、先ほどいった「仮装せる啓蒙主義者」の面目がよく現れている。たんなる理性主義、あるいはそこから派生する形式的な論理的整合性こそは、もっとも唾棄すべきものなのだ。ついでにいえばこのいいだの視座は、さらにM・ウェーバーへの厳しい批判にもつながる。ウェーバーの普遍史的な世界宗教史理解に根ざす西洋的合理性生成をめぐる議論は、その合理性理解にひそむ盲点ゆえにある種の両義性を孕まざるをえなかったといいだは指摘する(Ⅰ部第四章Ⅰ参照)。

これに対してメルロ=ポンティは、「見えるもの」と「見えないもの」、言語以前と言語以後のあいだに横たわる越えがたい亀裂・裂けめにあえて身をおきながら、「黙せるコギト」に根ざす野生の存在論の構想を推し進めたがゆえに、いいだによって高い評価を受ける。とはいえ、この未成なるものの存在論というべき立場も、E・レヴィナスやM・アンリに見られるようなそうした未成それ自体の形而上化によって、生成の野生状態が持つダイナミズムからたやすく脱落してしまう危険を孕んでいるのだが(253頁以下参照)。もっともこういたレヴィナスやアンリの評価には議論があるだろう。
こうしたウィトゲンシュタインとメルロ=ポンティの対比から見えてくる問題は、そのまま20世紀初頭の物理学革命、とりわけ相対論と量子論の登場によって劃された自然科学の側における認識=方法の転換の問題と照応する(118頁以下参照)。あるいは20世紀数学における「集合論のパラドクス」以降の、とくにゲーデル定理によって明らかにされた無矛盾的体系の不能性の問題にも(265頁以下参照9)。さらにはソシュール言語学から始まる構造主義的思考の問題もそこに関わってくる(103頁以下参照)。そこにはからは一貫して、論理形式的な顕在態へと向かうことによって消えてしまう、経験と実践への促しの原基としての生成的潜勢態へとパラドクシカルににじりよろうとする思想だけが、主体的変革への道を準備してくれるのだといいいいだの確信が現れている。

この途方もない著作の内容、魅力の一端にも触れえていない憾みが残るが、後は読者が自らの読み方を通してこの鬱蒼たる知と思考の迷宮に分け入ってくれることを期待する。(2006.3

政治の美学 権力と表象  :田中純








田中純 著(東大出版会)


現在、日本の思想界においてもっとも注目すべき存在の一人といってよい田中純が、『都市の詩学』(東大出版会)に続く大著『政治の美学』をこのほど刊行した(A5判・556頁+註・図表54頁・5000円・東京大学出版会)。前にこの欄で取り上げた『残像のなかの建築』(未来社)以来、主として建築を軸に広義の意味における表象領域を、凡百の表象分析論の水準をはるかに超える形で、たえず変形と越境を繰り返しながら流動し続けるダイナミックな社会/歴史空間の文脈の拡がりのなかで鮮やかに解読してみせる田中の手腕には瞠目する他なかったのだが、今回の新著はそうした田中の仕事にとっても従来の著作以上に重い意味を持つ、ある種転機の書というべきものではないかという気がする。おそらくこれまでの田中の著作を追ってきた多くの読者は本書から大きな衝撃を受けることになるだろう。

私が田中の仕事に注目してきた大きな理由の一つは、田中が表象の問題をつねに「表象されたもの」と「表象されえなかったもの」のあいだの裂け目・亀裂を意識しながら扱っている点であった。「表象されえなかったもの」とは、ある実定性を伴なって表象が成立する瞬間に消し去られてしまう表象の根源であり起源を意味している。この表象の根源=起源は「表象されたもの」が成立した瞬間消去されてしまうがゆえに、「表象されたもの」の世界においては――それは私たちが通常受容している日常世界とほぼ重なりあう――つねに痕跡として事後的にしか認識されえないものである。だがそれは同時に、ある表象の水位が形づくられる際に必ず働いているいわば表象生産の原動力というべきものなのだ。つまり「表象さえなかったもの」とは表象の成立準位から消えている表象生産の「力」に他ならないのだ。したがって表象産出の過程にはつねに産出された表象体とこの「力」のあいだ関係が、しかもそのうちに矛盾や相克を孕む屈曲した関係が存在することになる。表象体はこの「力」を否定し消し去ろうとし、「力」はそうした表象体の抑圧を押し破って噴出しようとするからである。そしてこの矛盾・相克が「表象されたもの」と「表象されなかったもの」のあいだに裂け目・亀裂をもたらすのである。それはおそらく別な角度からいうと次のように言い換えることが出来るだろう。すなわち表象体とは表象を産出する「力」が表象の産出過程のなかで別な何ものか、より正確に言えば、表象体の産出に相応しい別な「力」の形に置き換えられることによってはじめて成立可能となるのだ、というようにである。それは表象の持つ実定的な具体性、あるいはそれを支える秩序や意味上の文脈を可能にする「力」に他ならない。そして私たちはこの「力」をこそ「権力」とよぶのである。

このとき「権力」はおそらく二重の役割を担うことになる。一つはすでに触れた「表象されたもの」と「表象されなかったもの」のあいだの亀裂を充填しつつなめらかな表象空間の表層を形づくるという役割であり、もう一つは、そうした表象空間を社会/歴史空間へと連続的につなげてゆく役割である。表象空間のなめらかな表層が形づくられる過程は、そのまま社会/歴史空間の実定性が形づくられる過程と重なりあうからである。だが、というべきか、だからこそというべきか、権力の作用によって秩序化され可視化される表象と社会/歴史空間の複合体としての実定性の水位のうちには、つねにその実定性を突き破ろうとする「力」の蠢動が隠されているのを忘れてはならない。
 こうした「力」の準位は、実定性が揺らぎ始めると、いわば亀裂を覆い隠していた綴じ目を押し開くようにして表層へとせり出してくる。それは具体的には社会/歴史空間が「危機」と呼ばれる状況に陥ったときである。そしてそうした「危機」の瞬間、消し去られた「力」が突然「権力」へと回帰してくるのである。本書で田中が問題にしようとしているのは、まさにそうした「危機」の瞬間に回帰してくる「力」の様相であり、「力」の回帰によってもたらされる表象空間のねじれ・屈曲の様相に他ならない。
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田中が本書でそうした「危機」の瞬間として取り上げているのは、Ⅰ部において取り上げられている映画『民族の祭典』の作者リーフェンシュタール、映画『ヒトラー』の作者ジーバーベルク、そしてヴァイマール期の右翼義勇軍戦士を論じた『男たちの妄想』の著者テーヴェライトからも明らかなように、1930年代のナチズムの時代である。そしてそこにはさらに、そうしたナチズムの時代という「危機」の瞬間の持つ意味を根源=起源に遡って明らかにしようとする原理論的なまなざしと、ナチズムの時代が表象の準位において回帰してきた時代としての1970年代の「危機」の様相を見据えようとする表象分析的なまなざしが重ねあわされてゆく。前者は本書の中心的内容を形づくるⅡ・Ⅲ部において「男性結社論」へと結実し、後者はⅠ部におけるジーバーベルク、テーヴェライトについての考察を経て70年代のロッカー、デヴィッド・ボウイおよび「エピローグ」の頭脳警察(PANTA)についての考察へと結実してゆく。本書における田中の論のこうした時間的・領域的な振幅と論点の変幻自在ともいうべき錯綜ぶりは、ほとんどスリリングといってもよいほどなのだが、とりわけⅡ部、Ⅲ部における論の展開にはスリリングといった形容をはるかに超える、むしろ危うさ・際どさともいうべきラディカルな思考の噴出が見られる。そしてそれは従来の田中の著作には見られなかった質を含んでいるように思える。より具体的にいえば、ヒトラー自身はもとより戦間期ドイツのプレ・ナチズム的精神土壌のシンボルともいうべきゲオルゲ・クライスとその周辺の思想家・文学者、それに呼応する日本浪漫派の保田與重郎、三島由紀夫、そして保田・三島の精神圏のもっとも深い理解者であった橋川文三までもが登場するその論において田中は、厭うべきタブーとされてきたナチズム=ファシズムの精神の核心にまで手を突っ込んでいるのである。なぜ田中は本書でそこまでやらねばならなかったのか。

危機とは、権力へと「力」が回帰してくる瞬間である。この瞬間、隠されていた権力の核心が明らかにされる。そしてその核心としての「力」の回帰=露呈によって、権力が作り上げてきた秩序空間(法状態)は一挙に停止される。だからこそれは危機なのだ。だがじつはそこにはもう一つの問題が潜んでいる。権力が「力」の回帰によって揺さぶられ法状態が停止する瞬間は、同時に権力が生成する根源=起源の反復として瞬間、つまり権力(法状態)が産み出される神話的な特権性を帯びた瞬間でもあるからだ。ここにおいて危機の瞬間の持つ意味が両義化される。危機の瞬間において権力(法状態)は「力」の回帰によって破壊されずたずたにされるが、同時にそれは権力を権力たらしめる垂直な超越性としての「力」が顕わになる瞬間、言い換えれば社会/歴史空間そのものの根源=起源を顕わにさせる神話的な瞬間でもあるのである。そしてこの両義性は、実定化された表象世界が回帰する「力」によって粉々に破壊され断片化されてしまう瞬間と、表象世界の底を穿つようにして噴出する「力」そのものとしての表象世界、すなわち表象を表象たらしめる根源=起源の反復・再生としての意味を持つ超越的な表象世界の現われの瞬間の両義性に重ねあわされる。この破壊と生成=再生の両義性は、聖と俗の、生と死の、断片化と統合の、さらには美的なもの(審美性)の生成のメカニズムの持つ両義性に他ならない。そして何より重要なのはこの両義性が、本書で田中が言及しているカントロヴィッチの『王の二つの身体』、さらにはルネ・ジラールの『暴力と聖なるもの』や今村仁司の『暴力のオントロギー』などが提起してきた社会形成の起源としての暴力と表象の絡み合いの問題に深く関わっていることである。もしナチズムの根源的批判がありうるとすれば、そして根源的な意味における権力批判が可能であるとすれば、この地点まで踏み込んだ考察が前提となる。

ではこの起源の場所ともいうべき暴力と表象の絡み合いに関して田中が本書において見ようとしているものは何なのだろうか。おそらくその核心をなしているのが、ホーフマンスタールの『詩についての対話』の一節にある「いけにえ(犠牲)との一体化」のモティーフである(70頁参照)。いけにえを殺戮する暴力は、起源としての暴力(力)の噴出であると同時に、いけにえ=犠牲=代理(ルプレザンタシオン)のメカニズムによる表象(ルプレザンタシオン)産出の原動力でもある。そこにはまさに暴力の持つ破壊と秩序創造の両義性が凝縮している。ホルクハイマーとアドルノは、周知のように『啓蒙の弁証法』においてこの犠牲のメカニズムを、主体形成と権力(支配)形成の絡み合いとしての「主体性の原史」と呼んだのだった。それはまさに権力(法状態)の起源に関わるポリティクスの問題に他ならない。だがホーフマンスタールはいけにえの死といけにえを殺すものの生を一体化し、この一体化のもたらす恍惚・陶酔のうちに詩(美)の起源をみようとする。つまり詩(美)は代理=表象の拒否(生と死の一体化)において誕生するのである。この一体化はいうまでもなく権力(法状態)の内部においては成就されえない。それは「力」(起源の暴力)の回帰においてはじめて可能となるのである。だが同時にそれは、じつは俗としての次元を超えて聖なるものに定位されるもう一つの権力(主権)としての「神聖権」(田中)の形成をも促すのである。もしそれが詩(美)の起源であるとするならば、詩(美)の起源をなしているのは、いけにえをめぐる死と暴力の噴出のなかで権力(法状態)の破壊=停止が遂行されると同時に、その死と暴力が「神聖王権」(聖なるもの)として表象化されるという事態に他ならないことになる。社会/歴史空間を統べる権力形成のメカニズムは、世俗支配のポリティクスの次元にとどまらず、こうした生/死/聖/俗/法/美/・・・と連鎖する権力と「力」の両義的関係の次元においても捉えられねばならない。田中は本書においてこの両義的関係を体現するものとして、戦士共同体に代表される男性結社を取り上げているが、それは戦士たちが死の世界の住人であると同時に現実の権力体(共同体)のもっとも有能な担い手でもある――その典型が古ゲルマンにおける「ベルセルク」や古代朝鮮の新羅における「花郎」である(Ⅲ部参照)――からである。別な言い方をすれば、戦士共同体は生と死、破壊と再生の両極を自由に往還しながら、窮極的なかたちで権力を支えているのである。

社会の根源=起源としての「権力と表象」の弁証法を、もっとも根源的な準位から表層の準位にいたる幅のなかで縦横に論じきった本書は、恐ろしいまでに魅惑的である。本書の問題提起は、おそらく表象のポリティクスをめぐる今後の議論のあり方を一新するであろう。本書二対しては、思想音痴の「進歩派」からイデオロギー的断罪に近い批判が出ることも予想されるが、そんな不毛な批判に委ねるには惜しいくらいに本書の内容は豊穣であるとまずは確言しておこう。(2009.3

世界史の構造 :柄谷行人





柄谷行人 著(岩波書店)

思想はつねに社会や歴史と切り結ぶ実践的な場に定位されなければならない。ただし注意しなければならないのは、この実践が一昔前の旧左翼における「理論と実践」という図式のなかの実践とは意味が異なることである。ここでいう実践とは、思想がその成立局面において負っている場を固定化したり自明化したりすることなく、たえずより普遍的なコンテクストに向かって開く努力を怠らないことを意味する。それは同時に、思想そのものが自らの理念や理論に閉じこもってしまうのでなく、この普遍的なコンテクストに向かって白己を開き相対化するということでもある。そのような実践性を帯びるとき、思想ははじめて時代状況のうちでダイナミックな衝迫力を獲得することが出来る。

 では社会や歴史の普遍的コンテクストに向かって思想が開かれてゆく契機とはなにか。誤解を怖れず単純化していえば、それは多重的な「読み ─ 読まれる」関係のなかに思想の営為を解き放つことである。つまり普遍的コンテクストのなかに潜在する未知な「読み方」を喚起する無数の亀裂や矛盾を探り当て、そこに新たな解釈の光をあてること、そしてその解釈を同時代の他の「読み方」に向かって解放し、「読まれ方」の新たなコンテクストを形成することである。そうすることによって普遍的コンテクストはふたたび社会や歴史の生けるダイナミズムとして私たちの目の前に現れ、同時に私たちの新たな「読み」を喚起しながらそれまで未知であったコンテクストの流れを形成してゆくのである。
こうした思想的営為にめぐり会うことは残念ながら極めてまれである。たいていの「思想」は固定化や自明化の呪縛の中で理論物神に陥るか、自らの成立する場の追認に終わってゆく。いうまでもないがそれは本当の意味での思想ではない。だが私たちが日々出会う自称「思想」の多くはたいていこの偽思想でしかない。
そうしたなかで、偽思想とは本質的に異なる思想の営みが出現するとき、私たちは自らが真の意味で時代と、歴史と、そして自らのもっとも深い生存の根拠と向き合っているのを認識する。いうまでもなくそれは大きな緊張を私たちに強いる。だがこの緊張は決して不快なものではない。むしろそれは充実感といったほうがよいかもしれない。そしてその緊張、充実感は私たちに新たな思考の始まりをもたらすのである。

柄谷行人の新著『世界史の構造』(B6判・504ページ・3500円・岩波書店)はまさにそのような意味での思想の書である。周知のように柄谷は前著『トランスクリティーク』(岩波現代文庫)で、カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読むという「パララックス・ビユー(強い視差)」に基づいて、マルクス思想のうちに潜む新たな可能性を、マルクスが「アソシエーション」という言葉で示唆した「超越論的仮象」としての新たな互酬性の領域(交換様式D)に基づいて明らかにしようとした。柄谷はそこにこそ資本制を真に超え出てゆく可能性を見ようとしたのだった。これが90年代における柄谷たちのNAMの運動につながっていったことはいうまでもない。だが『トランスクリティーク』にはこうした「アソシエーション」論の前提として極めて重要な洞察が同時に示されていた。それは「資本制 = ネーション = ステート」の三位一体の洞察である。市場交換に根ざす資本制、それを法的権力によって支える国家 = ステート、資本制がもたらす格差や不平等を想像的に克服するネーションの三位一体こそは西ヨ-ロッパのブルジョアジーが支配圏を獲得した近代世界システム成立以降の世界秩序の根幹であった。
この三位一体が不気味な影をおびてふたたび大きく世界史の前面に出てきたのが2001911の「事態」だった。『世界史の構造』の序文で柄谷は次のようにいっている。「資本=ネーション=ステートは実に巧妙なシステムなのである。だが、私の関心はむろん、それを称揚することではなく、それを越えることにある。『トランスクリティーク』を書いた1990年代と、 2001年以後では、私の考えはかなり違っている。私に「世界史の構造」の包括的な考察を強いたのは、 2001年以後の事態なのである。1990年代では、私は、各国における資本と国家ヘの新たな対抗運動を考えていた。明確なヴィジョンがあったわけではないが、漠然と、そのような運動は自然に、トランスナショナルな連合となっていくだろうと考えていたのである。(……)しかし、このようなオプティミズムは、 2001年、ちょうど私が『トランスクリティーク』を出版したころに起こった、911以後の事態によって破壊された。(……)このとき、私は、国家やネーションがたんなる「上部構造」ではなく、能動的なエ―ジェント主体として活動するということを、あらためて痛感させられた」(ix)

柄谷が本書において思想の成立場として選択したのは、911の事態によって明確になった新自由主義(資本)と新保守主義(国家)の恐るべき癒合状況であった。グロー.ハリゼーションが国民国家を解消に向かわせるだろうというような90年代の冷戦終焉後にあったオプティミズムはこの新たな資本と国家の暴力的癒合の前に砕け散った。では何があらためて問われねぱならないのか。それは、世界史の構造を資本 = ネーション = ステートの三位一体という視点から再解釈・再構成することだった。そのためには新たな「強い視差」が必要だった。そしてその「強い視差」は、マルクス思想を生産様式からではなく「交換様式」から捉え直すこと、そしてマルクスが十分考察しないままに終わった国家の自立的な能動性を資本との連関のもとに考察することから得られねばならなかった。交換様式Dにあたるアソシエーションはこの考察をへてはじめて析出されるべきものだったのだ。
 世界史に現れる各段階の社会構成体は、資本(交換様式C = 合意に基づく商品交換) = ネーション(贈与 ─ 返礼としての互酬に基づく交換様式Aの想像的再生) = ステート(交換様式A = 略取と再分配) の複合体として現れる。どの社会構成体にもこの三つの要素は必ず含まれている。そして世界史の変遷はこの三つの要素の、それぞれの社会構成体における強弱、濃淡の差によって生じる。しかもこの三要素の関係は、いくつかの決定的局面において非連続的に変化するのである。その変化は、社会(共同体)内部の自生的な組み替え(生産様式の変化)によってというよりは、むしろ社会(共同体)の間の関係の組み替え(交換様式の変化)によって生じる。交換様式Aの支配性に終りを告げる「定住革命」、国家に対抗し、絶対的な権力を持たない「平和・平等化・環節的社会」としての氏族社会の、交換様式Cの担い手としての原都市を媒介とする国家社会(交換様式B)ヘの転換、アジア的専制を核とする世界 = 帝国の中心 ─ 亜周辺周辺構造の中から生み出された交換様式Cの世界(世界 = 経済)、それとリンクする西ヨーロッパにおける絶対主義王政国家の成立、絶対主養国家 ─ ブルジョア独裁国家における交換様式Aの想像的再生としてのネーションの成立とネーション間関係の下でのナショナリズムの発生、ナショナリズムの対抗関係とリンクする主権国家の対抗関係の時代としての帝国主義時代、というように。柄谷はこの帝国主義的時代が現代においても基本的には持続していると考える。依然として資本 = ネーション   = ステートの三位一体は強力に世界史の構造を支配しているのである。この三位一体に対抗しうるのは原理的には交換様式Aの現代的再生だけである。そのポイントとして本書では、協同組合運動の限界を超える諸国家連合の構想をあらたに射程に入れたかたちでのアソシエーシ,ンの持つ意味が提示される。
この過程の論証における柄谷の筆致には異様ともいえるような犀利さと着想の妙があふれている。例えばアジア的専制において従来変化しない基体とみなされてきた農業共同体がじつは国家によって作られたものであるという指摘などはその最たる例といえよう。そう考えるときはじめて、柄谷が指摘するように講座派・労農派の日本資本主義論争の不毛さの根拠が浮かび上がってくるのである。

最後に一点、『トランスクリティーク』の議論も含めた形で心にかかった問題点を指摘しておきたい。モれは「読み方」ヘの「読まれ方」の応答に他ならない。
カントの「統整的」という概念は柄谷の議論の重要なキーコンセプトである。柄谷はそれを、「超越論的仮象」が緩やかな目的として設定されることとして定義する。だがカントの「統整的」は、同時に内側から見ると「自分が外部の超越性に頼らず自分自身で自分に命令すること」でもある。そのとき命令する自分の普遍性の根拠になるのは、絶対的な超越性に代わつて登場するより緩やかな規範性である。それはカントによって具体的には「趣味判断」の共通性の根底をなす「共通感覚」として提示される。それは、歴史的にいえば市民社会内部の、国家にも資本にも還元出来ない中問領域としての非制度的コンセンサスを意味する。このコンセンサスはスタティックなものではない。対立をいとわない自由で開かれた言論を通して形成される、アレントやハーバーマスなら「公共性」と呼ぶところのものでもあるからだ。問題は、内部から見たこのような力ントの「統整的」が、ヘーゲルのいう「理性の校知」を超えられるかというところにある。言い換えれぱ、ヘーゲルによって「自己を ─ 物に ─ すること」というかたちで定式化された物象化の論理を「統整的」は超えられるのかということである。別段物象化という概念を持ち出さなくてもよいかもしれない。問題の核心は、カントの「統整的」が前提とした「個人」の存在がこの「自己を ─ 物に ─ すること」に耐えうるかというところにあるのだから。この問題に正面から応えようとしたのが私見によればアドルノの「否定弁証法」だった。個人を、過程=訴訟(否定性)にたえずさらされる非同一的存在として見据えつつ、「限定的否定」の無限行使というかたちで極めて逆説的なかたちで個人(理性)の存立根拠を証明しようとしたのがアドルノの「否定弁証法」だった。しかもそこには同時に、カントの立論の歴史的背景となっていた市民社会の白発的・非制度的な公論のポテンシャルを現代に再生させるという目論見さえもが含まれていた。柄谷の本書における議論を可能にしている基盤もまたこうした公論の歴史的厚みではなかったか。徹底して外在性の立場を取る本書での柄谷の議論を追いつつ、その裏側にはりついているはずの思考の内在性の構造が気にかかるのだ。それは、「理性の校知」という宿命を負いながらまずは内部からしか始まらない様々な実践の行方の問題といってもよい。(2010.10

完全なるワーグナー主義者 :バーナード・ショー





バーナード・ショー 著/高橋宣也 訳(新書館)


リヒャルト・ヴァーグナーが創り出した壮大な楽劇の世界については、無数といってもよいほどのテクストがすでに書かれている。ブライアン・マギーというイギリスの批評家は半ば冗談めかしてヴァーグナーに関する文献数はキリストとナポレオンに次ぐといっているが、それがあながち冗談とは思えないほどその数が多いことも事実である。そうした大量のヴァーグナー文献のなかでも、とりわけそれぞれの時代や社会におけるヴァーグナー受容のあり方に決定的ともいえるような影響を与えたいくつかのテクストがある。たとえばニーチェの、『悲劇の誕生』に始まり『反時代的考察』の第四書「バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー」を経て、後期の『ヴァーグナーの場合』『ニーチェ・コントラ・ヴァーグナー』に至るテクストはそのもっとも早い例の一つである。その他にもボードレールが1861年のパリにおける『タンホイザー』公演をきっかけにして書いたヴァーグナー論やグラーゼナップ、アーネスト・ニューマンらの浩瀚なヴァーグナー伝などがあるが、なかでも20世紀後半におけるヴァーグナー解釈、とくに1976年のバイロイト祝祭劇場創設100周年の年にプレミエが行われたパトリス・シェローの演出による衝撃的な『ニーベルングの指環』の舞台以降顕著となった「19世紀劇としてのヴァーグナー」という解釈のあり様に大きな影響を与えた、イギリスの劇作家であり、同時に熱烈なフェビアン社会主義者でもあったG・バーナード・ショーの異色のヴァーグナー論『完全なるワーグナー主義者』は際立った一冊というべきであろう。そのバーナード・ショーのヴァーグナー論が今回はじめて日本語に訳された(B6判・270頁・2400円・新書館)。本書の原書が刊行されたのは1923年だから80年後にようやく翻訳が行われたことになるが、一読するとまったく古びたとか時代遅れとかといった印象を感じさせないことに驚かされる。そしてあらためて本書が持ちえた影響力の淵源に触れた思いがするのだった。
                   
岩波書店など人文・社会科学系出版社8社でやっている「書物復権」という共同復刊事業の一環として昨年の6月再刊されたピーター・コンラッドの『オペラを読む』(富士川義之訳 白水社)に次のような一節がある。「ショーは『指環』が産業主義的権力の寓意(アレゴリー)であると信じたが、それはまた、そこに描かれている過程の、終末的、破局的な具体物、つまりヘンリー・アダムス(・・・)の場合に、その大聖堂観を混乱させてしまったあの「極限のエネルギーの象徴」の一つである大聖堂、と言うよりはむしろ発電機(ダイナモ)としての、巨大で自己燃焼的な機会でもありのだ。しかも『指環』は、バイロイトに、つまり博物館でもある寺院のなかに設置された発電機(ダイナモ)なのである」(31頁)。このコンラッドの叙述自体がある面からいえばショーの影響の証左といってよいだろう。つまりヴァーグナーの楽劇の世界に「産業主義的権力」の痕跡や文脈を読み取ろうとするコンラッドの所論――ちなみに彼は19世紀のオペラ、とりわけヴァーグナーの楽劇の世界を一般的な意味での「演劇」ではなく、19世紀市民社会の言説としての「小説(ロマン)」に対応させている――は、まさにショーの議論を前提として始めて成立するのである。
 こうした「19世紀の芸術としての」ヴァーグナーについて考えようとするとき、避けて通れないのがヴァーグナーの芸術の背景にある思想的文脈の問題である。しかもその問題は1849年のドレスデン蜂起への参加を頂点とする「革命家」ヴァーグナーの実践的思想のあり方と深く結びついている。こうしたヴァーグナーの思想的文脈の問題についてはすでに彼の在世当時からいろいろな議論があった。ただヴァーグナーの根深い嗜癖とい
ってよい自己韜晦による正確な事実の隠蔽――そのドキュメントが彼の自伝『わが生涯』である――、とくにルートヴィヒⅡ世の知遇を得、バイロイトに各国貴顕を迎えるに至った後半生のヴァーグナーにとってある意味ではやむをえない仕儀であったのかもしれない自分にとって都合の悪い過去の抹殺、さらにそれに加えもっとも親密な「戦友」でもあった妻コージマによる亡夫ヴァーグナーの生涯の隠蔽と仮構の結果、かなり早い時期からヴァーグナーの思想と芸術の関係をめぐるある種の神話化が進んでいた。そしてそれがヴァーグナーの思想を正確に把握することを難しくしたのである。前に名前を挙げたヴァーグナー伝の作者ニューマンは、コージマがバイロイトのヴァーンフリート館に所蔵されているヴァーグナーの蔵書のうち都合の悪いものを隠してしまった結果ヴァーグナーが同時代人であるマルクスの著作を読んでいたかどうか確かめようがなくなったことを嘆いているが、3月前期(フォアメルツ)以降の1830年代から40年代にかけてマルクスとともにヘーゲルとフォイエルバハの思想的影響圏のうちにいたもう一人の「ヘーゲル左派」であったヴァーグナー――このことを正面から指摘したのは第二次大戦後になって刊行されたハンス・マイヤーの著作が初めてである――の側面こそが、1848年革命との関わりにおいて見えてくるヴァーグナーの思想的契機の最深奥であるといってよいだろうと思う。そしてその際のヴァーグナーの思想的契機を具体的に規定づけていたのが、「貨幣の論理」としての資本主義による社会の全面的包摂の結果生まれつつあった産業社会のあり方への根深い憎悪・嫌悪に他ならなかった。もちろん後代から見てこのヴァーグナーの反貨幣=反資本主義感情は必ずしも肯定的なものとしてだけ評価されるわけではない。この感情がヴァーグナーのなかで反ユダヤ主義の口実にもなったからである。つまりナチズムによるヴァーグナーの濫用と悪用に道を開く契機となったのもまた反貨幣=反資本主義感情であったともいえるのである。
 こうした肯定・否定の両義性を含むヴァーグナーの思想、あるいはその思想と実際の芸術創造の関係を把握すること――、先ほどもいったようにこの課題は出来上がりつつあったヴァーグナー神話の支配力の強さを前にしたとき極めて難しくなる。ところがこの課題に1923年――その少し前に第一次世界大戦の惨禍があったことを思い起こしてほしい
――ほとんど独力でいとも容易くやってのけたのが本書の著者バーナード・ショーに他ならない。
                    
例えばこのような一節がショーの本書における姿勢をよく示しているといえるであろう。「そうはいいっても、ワーグナー本人による説明は極めて興味深いものだ。第一に、《指環》のかなりの部分、とくにニーベルング族の奴隷状態とアルベリヒの専制という形で産業資本主義体制を社会主義的視点から描写しているところは見誤りようもない。これは人間の知的意義がカヴァーする領域の相当に内側で起こっている人間特有の活動をドラマ化している。それはおしなべて、いわば内務省が管轄するような具体性のある事柄であり、ワーグナーにとっても我々にとっても同じように明らかに見えることだ」(173頁)。
 このショーの指摘が、神々の長ヴォータンがフロックコートを着て現れ、ラインの乙女たちは巨大なダムを住処とし、ジークフリートは溶鉱炉でノートゥングの破片を溶かし鍛えなおすという衝撃的なイメージに満ちたシェローの『指環』演出の出発点になっていることは明らかであろう。それはまさしく「19世紀の市民-貨幣(資本)劇」としての『指環』の解釈の典型例であり、シェローと相前後して現れるJ・ヘルツ、G・フリードリヒ、H・クプファーらの演出にも共通して見られる要素に他ならない。
 ただここでショーが先に引用した箇所の先で、ショーペンハウアーのヴァーグナーへの影響に言及しながら、知的なものを逸脱する盲目的な生命の意思の問題があること、そしてそのことがヴァーグナーにおける「死と諦念」の契機からくるある種のペシミズムにもつながっていることを指摘しているのを忘れてはならない。この指摘を先の引用箇所とあわせて検討するとき、ヴァーグナーのドラマの構造に関する極めて重要な指摘が浮かび上がってくる。それは、ヴァーグナーのドラマを構成する二つ(二重)の要素、すなわち登場人物がその現在性においてドラマの凝縮された「今-ここ」を演じている瞬間の要素(生命の意思の発露)と、過去に遡って「なぜドラマの現在はこのようなのか」の説明を行う部分=要素(貨幣=資本に凝縮する歴史)である。この二つの要素はヴァーグナーのなかで、感情=音楽(音言語)と悟性=言葉(概念言語)の二重性としてつねにからみあっている。現在性としての『神々の黄昏』からしだいに『ジークフリート』「」ヴァルキューレ』『ラインの黄金』へとドラマ上遡行していったわけはここにあったといえるだろう。こうした点からもわかるようにショーのヴァーグナー論は極めて刺激的な示唆に富んでいる。私個人としてはベンヤミンの『パサージュ論』でおなじみの「ファンタスマゴリー」という用語が出てきている(89頁)のが驚きだった。ちなみにこの言葉はベンヤミンの盟友であったといってよいアドルノのヴァーグナー論のキーワードにもなっている。
 本書を訳した高橋宣也は故高橋康也の息子で同じ英文学者である。かつて高橋康也はシェローの後に登場したRSCのピーター・ホールによる『指環』演出の分析と擁護を行ったことがあるが、その子が同じイギリス人であるショーのヴァーグナー論の翻訳を行うことは何か運命の糸のようなものを感じる。ともあれ多くの人、とりわけ自称ヴァグネリアンにはぜひ読んでもらいたい本である。(2004.2

定本 柄谷行人集2 隠喩としての建築 :柄谷行人





柄谷行人 著(岩波書店)


今月は柄谷行人の仕事がひさびさにクローズアップされた月であった。まず『文学界』(文藝春秋)の3月号に「帝国とネーション」と題されたかなり長い論文が発表されている。これはNAM(ニュー・アソシエーション・ムーヴメント)解散後の柄谷の政治思想上の総括と見なすことが出来よう。この論文で柄谷は、国家(ステート)やネーションもまた交換という視点から把握すべきであるといっている。つまり商品交換の次元にねざす資本の運動とは質を異にするにせよ、国家やネーションもまた交換の所産と見なければならないということである。では国家やネーションの次元における交換とは何なのか。柄谷は次のようにいっている。「ネーションが感情的な基盤をもつということは、それが経済的でない上部構造あるいは精神的問題だということを意味するのではない。たんにそのことは、ネーションが商品経済とは違ったタイプの交換、すなわち互酬的交換に根ざすということを意味するのである」(『文学界』3月号23~24頁)。
 こうした柄谷の認識は二つの問題意識が含まれている。一つは、今引用した直後の文章に現れている、資本=商品交換の次元と国家およびネーションの次元のあいだの対立的であると同時に相補的な関係についての視点である。「ネーションとは、商品交換の経済によって解体されていった共同体の「想像的」な回復にほかならない。それゆえに、ネーションは根本的に、国家や資本主義的市場経済に対立する要素を持つのである」(同)。こうした認識は柄谷のなかで、明らかにNAMの運動を通して捉えられたアソシエーションの契機と深く関連している。事実そのことは二つ目の問題意識である、「収奪―再分配」的交換(封建社会)「互酬制」(共同体)「商品交換」(都市)という三つの交換タイプに続く第四の、これまで交換とは見なされてこなかった交換モデルへの問いにつながってゆくのである。「しかし、ネーションは共同体の想像的回復であるとしても、共同体とは基本的に異なっている。それについて考えるためには、国家、共同体、市場経済とも異なる、第四のタイプを見なければならない」(同)。柄谷はこれを「アソシエーション」と呼ばれる交換モデルとして捉えようとする。ここに柄谷の問題意識の核心が現れていることはいうまでもない。つまりアソシエーション交換モデルは、相互に補完・補強しあう「ボロメオの環」となっている「資本制経済、国家、ネーション」の閉じた関係に対して真に外部に立つこと、言い換えれば19世紀後半の先進資本主義国において確立された極めて強靭な「資本=ネーション=ステート」の環に対する真の抵抗となりうる――柄谷はこの環への抵抗を試みたのが、「レーニン主義」と「ファシズム〕であったと指摘するが、前者は「国家」による「経済」の抑圧によって国家の肥大化を招いただけであり、後者は「ネーション」の想像性のなかでの国家―資本の乗り超えをもたらしただけである(27頁参照)――根拠を定立するという課題にとっての本質的契機となるのである。私は、柄谷の問題意識の中核に依然としてアソシエーションの問題が置かれていることを確認するとともに、この論文の後半部で論じられている「ネーションと美学」の問題とこうしたアソシエーション問題が柄谷のなかでどうつながるのかに関してある種の疑問というか当惑を感じたことを率直にいっておきたい。というのも、今月柄谷をめぐって生じたもう一つの出来事、すなわち『定本 6判・240頁・2600円・岩波書店)であったことを考え併せたとき、この「ネーションと美学」の部分における「感性化=美学化」の問題は、まさに80年代初頭『隠喩としての建築』とともに始まった――正確にいうと、70年代における『マルクスその可能性の中心』(講談社学術文庫)『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫 『定本 柄谷行人集』第1巻にも所収予定)からすでに始まっていたが『隠喩としての建築』とそれに続く『探求』Ⅰ・Ⅱ(講談社学術文庫)においてはじめて明確なかたちで定式化された――「形式化」のモティーフと矛盾するのではないかと思われるからである。
                   
 形式化をめぐる柄谷の問題意識は、例えば『隠喩としての建築』のなかの次のような文章から覗える。「デリダは、これら先行者とちがって、何が哲学者に残されているかというような問いを発しない。その逆である。なぜ哲学はいつまでも生き延びるのかと問うだろう。だが、それこそが哲学的問いなのだ。哲学そのものの形式化をふくむ、あらゆる形式化の中で、われわれが問わずにいられないのは、この形式はあるのか、どこにあるのか、あるいはこの形式の「外部」はあるのか、といった問いである」(42ページ)。柄谷は、この「形式化」という概念によって、ある言説やそうした言説を含む空間・場の生成の徹底した内部化を図ろうとした。この内部化は、もちろん伝統的な形而上学の意味におけるイデア的な内在性やそれを投射する主観の意識的内面性のことではない――具体的な要素としてはそうしたものを含むにせよ――。むしろこうした徹底した内部化、あるいはそれをもたらす形式化によって明らかにされようとしたのは、あたかも絶対的な自律性や完結性を帯びているように見えるこの内部化された世界がそれ自体としては無根拠であること、それゆえに内部化のはてに見えてくるものがその無根拠性の反転の結果としてのある絶対的な外部性であるということだった。「建築〔この概念はほとんど「形式」に置き換えられる〕を徹底しようとする姿勢自体が、その無根拠性を示すのであり、「生成」を露呈するのであり、建築化=形式化を徹底することによってしか「外部」には出られない、と私は考えたのである。「建築主義constructivism」に対する批判は、たんに「生成」を持ち出すことによってはなしえない。逆に、「生成的=自然成長的」なものは、見かけのように混沌としたものではなく、形式的に解明しうるものである」(8~9頁)。
 ここで柄谷行人が問題にしようとしているのは、形式化を通して内部/外部の截然たる区別が可能になったとき、内部と外部はけっして同等な二極としてではなく、むしろそうした二極化(分節化)が起こる手前のところにある「生成」の次元において、二元的、あるいは「弁証法的」なかたちとはまったく異なったかたちで問われることになるという事実である。そのとき、柄谷が「生成」の概念もまた形式化の視点から捉えられねばならないとしているところに注目する必要がある。
                     
 今引用した「英語版への序文」の文章の少し前で柄谷は、「構造」をディコンストラクトしようとした例としてロマン派をあげているが、「生成」を形式化するという視点はちょうどロマン派的なディコンストラクトの対極にあるものといえるだろう。というのものそれは、ロマン派における生成と感性的(感情的)=美学的なものの接合とはまったく逆な、あえて言えば数学的なものだからである。こうして形式化は感性的=美学的なものの切断をとおして得られる徹底した内部化のはてに見えてくる外部への問いの基点となる。

 だがおもえばこれは極めて抽象的な、意地悪い言い方をすれば不毛な問題設定なのではないだろうか。つまりこうしたかたちでの内部から外部への問いにおいて、外部のリアリティは何によって保証されるのかが見えてこないということである。事実このことは柄谷の本書における作業の進捗に重大な影響を与え、『隠喩としての建築』はいったん中断することになる(9頁以下参照)。この危機を柄谷が克服してゆく過程のドキュメントとして本書の第三部「教えることと売ること」を読むことが出来る。

 「教えること」と「売ること」において外部は「他者」として現出する。このとき他者としての外部はある絶対的な共約不能性を、言い換えれば「非対称性」を帯びることになる。なぜなら「教える―学ぶ」関係においては、もし教える内容に関してある先行的な了解が成立していなければ、つまりあらかじめ「知って」いなければその関係は成り立たない。ということは「教える―学ぶ」関係は先行了解の共有された内部性の中でしか成立しないことになる。だがこれはおかしくないか。そもそも先行的に知っているなら教える必要は何処にあるのか。言い換えればゼロから無前提なかたちで教えることが「教える」の本当の意味であるにもかかわらずそれは不可能であるということなのである。これは外部が不可能であると言い換えてもよい。だが繰り返していえば、この不可能な外部においてしか「教える―学ぶ」関係は本来成立し得ないはずである。ここに解決不能なパラドックスが生まれる。このパラドックスのなかから柄谷は、ヴィットゲンシュタインに拠りながら他者としての外部への問いを執拗に追求しようとする。「売ること」も同じである。マルクスが「命懸けの飛躍」といったようにものが売れることには何の論理的理由もない。あるのは売れるという事実だけである。その偶発的な事実から価値=貨幣の体系が生まれるが、いったん体系が生まれそこに内部が生じると、この「命懸けの飛躍」の無根拠性が消える。つまり外部が見えなくなるのである。

 紙数が尽きてきたので『隠喩としての建築』の問題についてこれ以上詳述するのは控えるが、最初にもどって『文学界』三月号論文のなかの「ネーションと美学」の問題にかえると、今柄谷が形式化とそこから問うべき外部の問題をどう考えているのか気になる。ネグリたちの議論でも明らかなように、もし現在の世界を「帝国」として捉えるならば、このトランスナショナルな秩序(脱ネーション=ステート化)のもっとも大きな特徴は「もはや世界は外部を持たない」という点に求められる。このことに対応して「感性化=美学化」の問題が出されてくるとき、とくにそれがドイツの文脈で帯びた内部性の契機が気になるのである。それは、柄谷が「社会民主主義的」と呼んだ傾向とも重なるのではないか。
2004.3